「糸ごよみ」

1800年代、二人のヤカマ・インディアン女性の記録

ポール・ブルック著 だいこくかずえ訳 葉っぱの抗夫 より引用







本書 訳者あとがき より引用


糸ごよみの原作を最初に読んだのは1999年の秋でした。茶色の原紙の表紙がついた

わずか30ページほどの本で、透明のビニール袋に、色ビーズを通した20センチほどの

糸ごよみの見本といっしょに入っていました。シカゴの非営利の詩の出版社から送られ

てきたものです。


表紙を開いた最初のページには「ヤカマの人々へ」と書かれていました。ヤカマの人々

の特別保留地は、アメリカの西海岸ワシントン州の、シアトルから少し内陸部にはいっ

たあたりにあります。ナバホ、パイウット、ショーショニなどの名前は知っていましたが、

ヤカマというのは、初めて聞くものでした。


「糸ごよみ」は英語で書かれた作品です。が、わたしが最初に読んだときの印象は、な

んというか、いわゆるアメリカン・イングリッシュとは違う、もっと素朴な言語を耳にしたよ

うな気分でした。単語も文法もたしかに英語ではありますが、フレーズが短く、直接的

で、体験と言葉の間の距離がとても短いため、強い印象を残します。生の声が聞こえて

くる言葉でした。英語というのはこんな風にも書けるのだ、と思いました。


第一稿は、ほとんど一気に訳したように思います。訳し終わって、これは他の誰かでも

なく、わたしの日本語で紹介したい作品だと思いました。そしてその後、この第一稿に

何度も手直しを加えて現在の訳文になったわけですが、この手直しをしている間も、わ

たしはこの作品に惹かれつづけ、読み返すたび同じ強さの感動に包まれました。


なぜ「糸ごよみ」がこうもわたしを引きつけるのか。わたしは考えていました。この話は、

1800年代の初頭から半ばにかけての、ヤカマの人々の暮らしをベースにしています。

呪術や迷信が日常にあり、家族や部族間では男尊女卑をはじめとする封建的、保守的

な風習が一般的だったと思われる時代です。ちなみに、わたしは、子ども時代も大人に

なってからも都会生活がほとんどで、日本の風俗や風習への知識も思い入れも少なく、

地縁、血縁にも冷淡で、信仰もとくになく、その上フェミニストです。そのわたしが、この古

い因習の中で生きる女たちの心のありように、なぜこうも共振するのか、不思議でたま

りません。


わたしも含めて、今の女性たちは、もっと自由な心で、もっと思いのままに生きているはず

です。それなのに、なぜかミカやクオナの生きる姿や言葉に、わたしたちにはない強さや

率直さ、自由な心のはばたきを感じてしまうのです。わたしたちの方が、より広い可能性に

満ちた世界で、かがやいて生きているはずなのに、狭く閉じた世界に生きるクオナたちの

中に、世界を素手でつかんでいるような生命のかがやきを見てしまうのです。それはどうし

てなのか。この謎は、いまだに溶けてはいません。きっと大切なことだろうと思うので、ゆっ

くる時間をかけて考えていこうと思っています。


あなたはどう思われますか? ご意見をお聞かせください。


だいこくかずえ


 


目次

ミカの糸ごよみ 1805年〜1825年

クオナの糸ごよみ 1825年〜1840年

糸ごよみノート(用語と参考文献)

著者について

訳者あとがき








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