
「チェス上達法」
坂口允彦著 虹有社



序 三田村篤士郎 本書より引用
チェスが日本人の間に多少なりとも拡がって来たのは、大正の終りから昭和の初めに
かけての事だろう。将棋の木村義雄八段と木見金治郎八段のチェス対局が「サンデー
毎日」に発表されたのは、多分、昭和2年の頃だったし、また、われわれ(報知の生駒条
蔵氏、太田正孝氏、将棋の木村、金、大崎各八段、その他)が「東京チェスクラブ」を設
立したのも昭和2年だった。チェスが段々と一般に知れ渡って来る気運に乗って、銀座
の文具店「伊東屋」などはチェスの駒を売り始めたりした。それでも、第二次大戦の始
まる頃までは、チェスは相変わらず少数の日本人の愛好物にしか過ぎなかった。世界
大戦後、しかし、情勢はかなり変わって来た。長く雪の下に潜んでいたチェスの芽は漸
く地上にのび上がって来たようだ。チェスが、インドからイラン、アラビヤ、アフリカを経て、
スペインに拡がった最大の推進は戦争であった。世界大戦は多数の欧米人を、一時に
我が国に送りこんだ。チェスが芽を吹き始めたのは自然の現象かも知れない。しかし、
この傾向に大きい影響を与えたのが坂口允彦君の出現である。終戦後、坂口君は、
文献を頼りに、独学でチェスを研究し、日本将棋の力でこれを掘り下げ、間もなく、他か
ら一頭地を抜くチェスプレーヤーとなった。このことは、同君が21年から三年間、東京、
横浜、立川、横田等の米軍クラブでチェスを教えたことや、戦後のトーナメントで常に
一位を独占している事からでもよく解る。坂口君は昭和24年に「チェス入門」、36年に
「チェス」を刊行し、チェスの普及に大いに貢献した。現在「横浜チェスクラブ」を指導し、
「日本チェス連盟」を推進している坂口君は、今回、更に「チェス上達法」を出版される。
坂口君は、正に、戦後の我が国のチェスの発展に主役を演じる立役者である。チェスを
愛し、わが国のチェスの発展を祈る点で、人後に落ちないオールドタイマーの一人とし
て、私は坂口君に賞賛と喝采を送り、新着「チェス上達法」の前途に祝福を祈りたい。
昭和51年1月 三田村篤士郎
