イギリスのチェス雑誌「Chess Monthly」1993年9月号表紙より引用



2012年2月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



チェスをするヘレン・ケラーと家庭教師のアン・サリバン



アン・サリバンも小さい頃の病気で盲目となるが、その後手術を受けある程度の視力を回復する。

二人を最初に結びつけたもの、それは「見えない」という、その苦悩を共有できたことなのかもし

れない。



最後の瞽女(ごぜ)として有名な故・小林ハルさんが「次に生まれたら虫になってもいいから眼の

見える人生を生きたい」と語っているように、どんなに素晴らしい相談相手がいようとも、その苦

悩を肌で感じ取れるのはやはりその苦悩を体験したものでしかないと感じる。



瞽女は、女性の盲人芸能者(旅芸人)のことで室町時代から始まったのではないかと言われて

いる。各地を転々とし、三味線を弾きながら家々を回る彼女たちを、人びとは聖なる来訪者、

威力ある宗教者と歓迎した。それは、目が見えないことは、かえって霊界に通じ、神に直結する

重要な要件だと思われていたことによる。



現代のような盲学校や点字がない時代に、盲人の男性は按摩(あんま)などの仕事に就くことが

出来たが、女性の場合瞽女としてしか生きる道がない時代が長く続いたと思う。



彼女たちの母親は娘が一人で生きていけるようにと幼い頃から心を鬼にして接し、そして6歳頃

に送り出す。人々がそんな瞽女を聖なる訪問者として接したのは、自分の身代わりに苦悩を背

負っている姿を見たからなのだろう。



この瞽女は昭和52年に廃絶した。



長い間ハンセン病の療養所で精神科医として働いていた神谷美恵子は次のように語っているが、

彼女もまた苦悩を背負っている人を「自分の身代わり」と感じていた。



光りうしないたる眼うつろに

肢うしないたる体担われて

診察台にどさりと載せられたる癩者よ、

私はあなたの前に首を垂れる。



あなたは黙っている。

かすかに微笑んでさえいる。

ああしかし、その沈黙は、微笑みは

長い戦いの後にかち得られたるものだ。



運命とすれすれに生きているあなたよ、

のがれようとて放さぬその鉄の手に

朝も昼も夜もつかまえられて、

十年、二十年と生きて来たあなたよ。



何故私たちでなくてあなたが?

あなたは代って下さったのだ、

代って人としてあらゆるものを奪われ、

地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。



許して下さい、癩者よ。

浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、

そこはかとなく神だの霊魂だのと

きこえよき言葉あやつる私たちを。



かく心に叫びて首たるれば、

あなたはただ黙っている。

そして傷ましくも歪められたる顔に、

かすかなる微笑みさえ浮かべている。



「うつわの歌」 神谷美恵子著 みすず書房 より引用



(K.K)



 







麗しき女性チェス棋士の肖像

チェス盤に産みだされた芸術

毒舌風チェス(Chess)上達法

神を待ちのぞむ(トップページ)

チェス(CHESS)

天空の果実


「チェス(CHESS)」にもどる