
「フォーレ・レクイエム」
クリュイタンス指揮
ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ)
エリザベート・ブラッスール合唱団
パリ音楽院管弦楽団 EMI
ひとつの魂が死の淵に沈み、そして天界へとゆっくりと持ち上げられ
最後にあふれる光に包まれる。「鎮魂歌」・レクイエムの最高傑作。
(K.K)
クリュイタンスの音楽は、常にやさしく、温かで、どのような場合にもさわやかな
感情にみちみちている。しかも、大切なことは、彼が決してその情感に耽溺した
り陶酔したりすることがない点にある。クリュイタンスの表現には、不足というも
のがないと同時に、いやそれ以上に、一切の過度がなかった。色彩も、ダイナ
ミズムも、厳しい造形性も、何一つなおざりにされることがないが、更にそれら
がナマに表面に現れることを彼は本能的に拒否した。だから、クリュイタンスは
大向こうの喝采を博するタイプの指揮者ではなく、最も洗練された耳と感受性と
趣味とをもつ選ばれた聞き手に語りかけ、彼を真に満足させることの出来る音
楽家であった。こうしたクリュイタンスの比類ない特質が、このフォーレの「レク
イエム」において、とりわけみごとに結晶している理由を、もはや改めて説明す
るには及ぶまい。宗教的な信仰と感覚的なよろこび、そのいずれにウェイトが片
寄っても、この名曲の生命は失われてしまう。そのいずれに偏することもなく、
両者の幸せな一体化を現実の音として響かせ得たのは、私の知る限り、クリュ
イタンスをおいて他にはない。それは同時に、クリュイタンス自身の美神への
信条告白を意味していた。つまり、彼はここで、自分自身へのレクイエムを自ら
演奏したのである。1967年6月、彼はまだ62歳の「働き盛り」で世を去ってしまっ
た。われわれは、彼の死によって、一人の「美の錬金術師」を、いや「美神」その
ものを、永遠に失ったのだ。
高橋保男 (CDパンフレットより抜粋引用)