「ラコタ・ウーマン」

マリー・クロウ・ドッグ著

リチャード・アードス編 石川史江訳 

第三書館





1960−1970年代を駆け抜けたアメリカ・インディアンの人権

回復運動の中で、虐げられてきた多くのインディアンが誇りと

名誉を取り戻すべく立ち上がってきた。1890年に大虐殺が行

われたウンデッド・ニー(サウスダコタ州、パインリッジ居留地)

においてオグララ・スー族国家の合衆国からの独立を宣言す

る為にこの地を占拠したオグララ・スー・そしてAIM(アメリカン・

インディアン・ムーブメント)の戦士たち。この中には「聖なる魂」

の著作として有名なデニス・バンクス氏も含まれており、71日

間におよぶ激しい銃撃戦が繰り広げられた。そしてこの本の

著者であるマリー・クロウ・ドッグも妊娠していながらも女性戦

士として加わり、銃弾が飛び交うなか出産した。この本は彼女

が荒れた青春時代を乗り越えて、自らのインディアンとしての

意識に目覚めてゆく日々を詳しく綴ったものである。この本は

1989年「アメリカン・ブック・アワード」を獲得し、アメリカのケ

ーブルテレビでも放映された勇気と誇りに満ちた物語です。

(K.K)





本書より引用


女たちの心が叩きのめされない限り、

クニは決して滅びることがない。

しかし、その心が叩きのめされたとき、

クニは滅びる。

どんなに、勇敢な戦士がいようとも、

どんなに、強力な武器があろうとも。


「シャイアン族の古い諺」 本書より



本書 第一章 ヒー・ドッグから来た女 より引用。


私の名前は、マリー・ブレイブ・バード。ウンデッド・ニーの攻防の最中に子供を生み

ました。それから数年後、特別なインディアン名、オヒティカ・ウインを授かりました。

勇気ある女という意味です。そのセレモニーで私は鷲の羽根を贈られ、髪に結んで

いただきました。私は赤い国スーの女です。それはたやすいことではありません。

初めての出産を迎えたのは銃弾が飛びかう戦闘の最中でした。弾丸は壁を貫い

て、隣の部屋の人々に襲いかかりました。州警察が私たちに本格的に戦闘をしか

けてきたのは、息子が生まれたその翌日です。私は赤ん坊を毛布でくるみ、夢中

で走りました。弾丸をかわして何度地面に身を伏せたことでしょう。そのたびに必死

で祈りました。「グレイト・スピリット。私はどうなってもかまわない。どうかこの子だけ

は助けて下さい」 産後まもなくウンデッド・ニーを離れましたが、身体はまだ十分に

回復していませんでした。それなのに警察は私をパインリッジの留置所に勾留し、

そのうえ赤ん坊を取り上げました。おっぱいをやることができず、乳房はお乳でぱん

ぱんに張り、岩のように硬くなりました。とても痛んだのを覚えています。1975年、

FBIは私のこめかみにM-16小銃を突きつけ、頭をぶっとばすと脅しました。インディ

アンの女性であることは、困難ばかりつきまといます。親友のアニー・メエ・アクアッシュ

は若々しく、芯の強いミックマック・インディアンで、素敵な子供たちを連れていました。

でも、インディアンの女性が強くなることは、賢いこととはいえないようです。アニーは

パインリッジ居留地の渓谷の底で雪の中、死体で発見されました。警察の発表は「寒

さによる自然死」でしたが、彼女の頭には、38口径の弾の跡がありました。FBIは指紋

鑑定と称して彼女の両手を切断し、ワシントンに送りました。その手は私のこの息子を

この世に送り出した手でした。苦労の多い人生を送ってきた義理の姉のデルフィンは

善良な女性でしたが、彼女もまた、雪の中、死体で発見されました。その頬には涙が

凍りついていました。行きずりの酔っ払いに殴られ、手足の骨を折られたまま吹雪の

中に置き去りにされたのです。姉バーバラは出産のためロースバッドの国立病院に

いきましたが、そこで不妊手術をされてしまいました。彼女の意に反して妊娠できな

い体にされたのです。そのうえ、赤ん坊は生まれてまもなく死んでしまいました。子ど

もをとても欲しがっていたのに。まったく、インディアンであることは過酷なことです。



日本の読者のみなさまへ(本書より)


本当にこの現実の中で生きてゆくのは、大変なことです。母なる大地

が搾取されているのが、今の世の中ですから。

私はこの惑星に住むあらゆる先住民を愛しています。みんな、私たち

インディアンと同様、虐殺され、抑圧されながらも生き延びてきた人々

です。彼らは、決して抵抗をやめることなく、互いに助け合って生きて

きました。私たちの長老は言います。

「ともに歩んでいくのだ。誰も取り残されることのないよう、

歩みののろい者もともに歩んでいくのだ」

ここ、居留地では、たくさんの問題を抱えています。インディアンは長

い間、先住民として差別され、抑圧されてきました。失業率85%とい

う第三世界のような貧困の中で、私たちは生き残るために日々闘っ

ています。私も例外ではありません。いつもグレイト・スピリット、トゥン

カシラに、自分が強くなれますように祈っています。とても深刻です。

でも、グレイト・スピリットは、この闘いを通じて私たちを祝福してくれ

るのかもしれません。

私は今まで、数多くのウォークやランに参加してきました。ネイティブ

の人権の回復や、政治犯の釈放を求めて歩きながら、祖先の霊た

ちと一体になったのを感じたものです。ほんとうにすばらしい体験で

した。昨年は子供たちを連れて「ウォーク・フォア・ジャスティス」(19

94年に政治犯の釈放などを求めて行われた抗議のための行進。

サンフランシスコからワシントンDCまでを約五ヶ月かけて歩いた。

提唱者はデニス・バンクス)に参加しました。すごいインスピレーショ

ンでした。自分も強くなれたし、子供たちにいろいろなことを教える

ことができました。彼らにとってはアメリカのインディアンの土地で、

いま何が起こっているかを知るいい機会になったと思います。

今年は、ヒロシマ、ナガサキ原爆投下五十周年と聞きます。日本の

人々はいまだに苦しんでいるのですね。ほんとうにこの地球ではた

くさんの恐ろしいことが行われてきたものです。しかし、それは現在

もなお行われているということを、決して忘れてはなりません。私も

母なる大地を次の世代に残せるか、人々が健康でいられるかをと

ても心配しています。しかしもう祈るしかないように思います。でき

るなら、あなたたちとともに歩きたい。あなたたちとともに祈りたい。

私たちはもうすべてをわかっているのです。絶望しないで。落ちこ

んではいけません。背筋をしゃんとして、誇り高く生きていくのです。

母なる大地とグレイト・スピリットとともに。これが唯一生き残る道で

あり、祖先の道を歩むことでもあります。これからはより強い祈りが

必要になっていくでしょう。

日本の人々の苦しみは、私たちの苦しみともつながっています。

私たちはともに団結し、闘っていかなければなりません。そうする

ことで私たちはひとつになれるのです。抵抗しつづけ、強くあるこ

と、希望を持つこと、言葉を生かしつづけ、力を保ちつづけること、

これが未来の子供たちが生き延びる道につながると私は信じて

います。

私たちは、テクノロジーの時代に生きる同じ地球の住人です。

ナチュラルな存在であり、スピリチュアルな存在です。願わくば、

互いに助け合い、母なる大地とグレイト・スピリットとともにあり

ますように。

ラコタの国から、心からの愛を日本のみなさまに送ります。

ミタクエ・オヤシン


1995年4月11日、ヒー・ドッグにて、マリー・ブレイブ・バード(著者)

「ミタクエ・オヤシン」とは祈りの言葉で「私につながるすべての者たち

に感謝し、祈りを捧げる」という意味。


 


目次

『ラコタ・ウーマン』に寄せて・・・・デニス・バンクス

日本の読者のみなさまへ


第一章 ヒー・ドッグから来た女

第二章 スピリット・ワールドの祖先

第三章 「鞭を使って、文明化させよ」

第四章 酒と喧嘩の日々

第五章 あてもなく彷徨う

第六章 「我々は、再びインディアンになるのだ」

第七章 クライング・フォア・ドリーム

第八章 チャンクペ・オピ・ワクパラ

第九章 ウンデッド・ニーの攻防

第十章 ゴーストダンスの復活

第十一章 誕生

第十二章 スーは決して忘れない!

第十三章 切断された両手

第十四章 チャンテ・イシタ

第十五章 籠の中の鷲

第十六章 ホー・ユウェイ・ティンクテ


エピローグ

訳注

訳者あとがき








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