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先ずこの「インディアンの伝記や物語を記した文献」の中には偽書と呼ばれている
ものも紹介している。フォレスト・カーターが書いた「リトル・トリー」「ジェロニモ」がそ
れである。フォレスト・カーター自身、白人優越主義者の過激派集団として知られる
クークラックスクラン(KKK)の最高幹部であり、「リトル・トリー」も自伝的な回想録な
どではなく全くの創作ものであることも判明している。勿論この「リトル・トリー」の文
学的価値は高いものであるかも知れない。事実私自身でさえ強い感動を覚えた一
人であるからだ。ただ私のホームページは、インディアンに関する文学の情報を流
すことを目的としているのではない。各文献や言葉の中に秘められたインディアン
の魂、叫びや喜びを伝えたいと願って創られたものである。その意味で自らの作品
に描かれた視点と180度異なる生き方をしていた人物が産み出した「リトル・トリー」
「ジェロニモ」は、インディアンの魂を社会的名誉や金のために売り飛ばした卑劣な
ものであると言っても過言ではない。たとえフォレスト・カーターがKKKに入る動機が
自らの意志であろうが、何らかの事情で強制的に入らされたものであろうが、その
血と暴力に染まった手を心から後悔しているなら、何故この「リトル・トリー」という小
説を自分の真の自叙伝と主張出来たのであろう。また何故「リトル・トリー」を完成
させた同じ時期に、白人至上主義の雑誌を編集し記事を書いていたのか。私たち
も先の戦争で、アジアの多くの方たちに同じことをしてきたが、これらの残虐行為に
加担してしてきた人間自身が、まるで自分こそが韓国・中国人であり、日本の残虐
行為の被害者であることを主張していながら、その一方で韓国・中国人に迫害を
加え続けている次元と全く同じである。KKKに入った理由はなんであれ、もし彼が
KKKに関わったことを真剣に反省し、改めてインディアンの視点に立ち戻っていた
ならば、決してこの小説を自叙伝などとは主張しなかっただろうし、、その後も白人
至上主義の雑誌を編集し記事を書くことはなかっただろう。フォレスト・カーターは
血と暴力に染まった人生を、ふと完全に消し去ってしまいたいと思った時期があっ
たに違いない。そしてこの小説の架空の人物に自分を置き換えてみたかった。確
かに「リトル・トリー」は文学的に名著の部類に入るだろう。しかし、過去の過ちから
目を背け謝罪することもなく、真の自叙伝と主張してきたところに、彼の欺まんさが
隠されている。インディアンの文献を多数日本に紹介し交流もある北山耕平さん、
スーザン小山さんの話によると、このような白人によるインディアンの魂への侵略
は現代でも生きており、彼らは自分たちの魂を守るために必死になって戦っている
のである。このフォレスト・カーターの経歴についての推察には様々な感じ方がある
のも事実である。ただこの問題に対してもっとも口をはさむことを許された人間は、
私などの部外者ではなく、インディアン自身なのだということを胆に命じるべきだと
思う。何故なら彼らインデアンこそ、KKKに代表される人種差別主義者により最も
血塗られた歴史を歩みつづけた人々であり、そのような絶望的な状況でもインディ
アン(全てではないが)は、命をかけて古来の道を守りつづけてきたのである。その
彼らが「リトル・トリー」を白人による新たな侵略として位置づけていることを私たちは
どのように感じ理解しなければならないのだろうか。インディアンの豊穣な精神文化
を、社会的名声や金儲けの道具としたものに、真のインディアンの魂は存在するは
ずはない。私は敢えてこの「インディアンの伝記や物語を記した文献」という項目に
この偽書を置く。そうすることにより多くのインディアンの魂への侵略が現在でも続
いていることを知っていただきたいと思うからである。そしてこのことに気づくことな
く今まで高い評価をしてきた私自身の無知も謝りたい。1998.6/7
「The
Education of Little Tree and Forrest Carter」 What Is Known? What Is Knowable?
The American Experience 有名な人種差別主義者のゴーストライターであったとされる記事
各文献の前の
をクリックすると表紙並びに引用文が出ます。
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ダグ・ボイド 著 北山耕平・谷山大樹訳 平河出版社 |
この本の主人公であるローリング・サンダーは、一族の秘密を守る者であり、
現代を生きるひとりのメディスンマンである。著者のダグ・ボイドは、メニン
ガー・ファウンデーションの研究部門によって主催されたある会議で、ローリ
ング・サンダーのヒーリングの儀式を目の当たりにして以来、彼に示される
ことになるかもしれぬ、そうした隠されてきた癒しの力の神秘に魅せられて、
自らの心を開ききる決心をした。ボイドのこの本は、現代のひとりの白人によ
ってまとめあげられたアメリカ・インディアンたちの心の内側の叙述であり、
ある種の人間ならこれを「現実」として受け入れるかもしれぬ世界への、一つ
の探求の物語でもある。信じるか否かを別としても、ボイドの体験は現代人に
まったくといっていいほど知られていないある世界に読者を引きこみ、かつ
その心に挑戦する。・・・・・・・ディー・ブラウン 同著・序文より
「魅せられたもの」1997.5/4「チェロキーインディアンからのメッセージ」を参照されたし
「ネイティブ・マインド」、「ローリング・サンダー」、「インディアン魂(レイム・ディア)」、
「シャイアン・インディアン 祈り」、「虹の戦士」など数多くのインディアンに関する文献
を書いておられる北山耕平さんと奥様によるホームページです。このページにはホピ族
の指導者であったダン・カチョンバの「生命の始まりから浄化の日まで ホピ物語」全文
が掲載されています。また「セイクリッド・ウエスト/ SACRED WEST」を通してインディアン
並びにそれを取り囲む世界を知ることが出来るでしょう。他に奥様によるアメリカの砂漠
と太平洋のロタ島の旅行記も興味深いものとなっています。私自身北山耕平さんから、
「リトル・トリー」の真実をはじめ、多くのことを教えていただいたことを感謝しています。
北山さんの最近の文献として、「アシハヤ」、「星の少年」、「鷲と少年」、「ますらお」、
「アメリカ・インディアンに学ぶ子育ての原点」などがあります。
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ジョン・ファイアー・レイム・ディアー 口述 リチャード・アードス編 北山耕平訳 河出書房新社 |
750ページを超すこの大きな本の最初には、レイム・ディアーがメディスンマン
として目覚めるまでの放蕩生活が語られるが、ヴィジョンを追い求める者と
して、彼はメディスンマンになる運命が待ち受けていた。インディアンの多く
の聖なる儀式の持つ意味が詳しく語られ、いつしかそれは、祈りへと導かれ
てゆく。この本の原書(英語)は1972年に発行され、フランスやドイツでベスト
セラーになったほどの古典的傑作である。またこの本の文庫版である「インデ
ィアン魂」(「レイム・ディアー」の改題)が現在河出書房新社から出ている。
そして彼の息子レオナルドもメディスンマンとして部族の霊的指導者として
後を引き継ぐが、四世代にわたる物語をレオナルドが「魂の指導者 クロウ・
ドッグ」という文献に記している。
雑記帳「魅せられたもの」1997.3/6「レイム・ディアー」を参照されたし
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デニス・バンクス/森田ゆり共著 朝日文庫 |
現代アメリカ・インディアン指導者、デニス・バンクスの半生を記録したものだが、
この著名な指導者の半生を描いたものはこの本だけである。「マルカムX自伝」
や「ルーツ」を書いているアレックス・ヘイリーやアメリカの大手出版社が、デニス
の伝記を書きたいと言ってきたがすべて断り、日本語版でのみの出版となった。
デニス・バンクスの言葉によるとその理由は二つある。仏教僧である藤井日達と
の衝撃的な出会いが、彼の人生に大きな影響を与えた点と、英語を語る人々が
インディアン運動の語る言葉を、自分達の都合のいいように解釈し続けており、
現代においても合衆国の歪曲された歴史を訂正しようともしない点である。
五歳の時、親から引き離された彼は悪名高い「インディアン学校」の寄宿舎に入
れられる。インディアンの言葉・宗教・生活習慣をすべて厳しく禁じ、その代わり
白人の英語・キリスト教が徹底的に教え込まれる。アメリカによるインディアン抹
殺が現代においても多くの悲劇を生んでいる。それは自殺率・アルコール中毒な
どはアメリカの平均より大きく超えているという事実があげられる。自分達の文化
をすべてにわたって殴り倒し、白人と同じように生きることを強要する。これは今
のアメリカを見ていても容易に想像出来ることだろう。デニス・バンクスもアルコ
ール中毒に犯され生活は乱れ刑務所生活を送ることになる。しかし、その中で
彼は先住民意識に目覚めインディアン指導者として立ち上がる激動の半生記。
雑記帳「魅せられたもの」1997.5/30「禅と聖なる魂」を参照されたし
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シオドーラ・クローバー著 行方昭夫 訳 岩波書店 |
アメリカ・インディアンのヤナ族は3千人いたと推測されているが、
その多くが白人の虐殺により死に絶えていたと思われていた。しかし、
1911年8月29日、一人の飢餓寸前の老インディアンが捕らえられる。
この男こそヤナ族最後のインディアンの「イシ」だった。イシは家族数
名と共に虐殺から逃れ山中に逃げ込むが、測量のために入っていきた
白人に見つかり、ばらばらとなる。恐らくイシ以外の者はなんらかの
理由で死に、イシは五年間も孤独な一人だけの生活を続けるのだが
彼の行動範囲はますます狭くなり、その日の糧を得ることも難しかっ
たのだろうと思われる。この著書はイシの部族ヤナ族が如何にして
白人達の虐殺に会ってきたかを歴史的資料を駆使して再現したもの
であると共に、イシが保護され死に至るまでのカリフォルニア大学博
物館の良き理解者の下で過ごした数年間の彼の人生を綴っている。
尚、著者の娘であるル=グウィンは有名なファンタジー「ゲド戦記」を
書いた人であり、そこにはインディアンやユングの考え方がちりばめ
られている。
「そのようにして、我慢強く何も恐れずに、アメリカ最後の野生インディ
アンはこの世を去った。彼は歴史の一幕を閉じる。彼は文明人を知恵
の進んだ子供---頭はいいが賢くはない者と見ていた。われわれは多
くのことを知ったが、その中の多くは偽りであった。イシは常に真実で
ある自然を知っていた。彼の性格は永遠に続くものであった。親切で、
勇気があり、自制心も強かった。そして彼はすべてを奪われたにも拘ら
ず、その心にはうらみはなかった。彼の魂は子供のそれであり、彼の精
神は哲学者のそれであった。・・・・・・・・・・サクストン・ホープ
ホープはカリフォルニア大学医学部の教師であり、イシと親交があった。
またイシが現代文明に生きる人々を見て、新しいものを創る知性には
長けているものの、精神的には子供であると言った言葉が忘れられない。
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ヘェメヨースツ・ストーム著 阿部珠理 訳 地湧社 |
「聖なる輪の教え」「心の目をひらく旅」「よみがえる魂の物語」の三部作。
作家の中上健次氏が「叡智と神話力に満ちた比類なく美しい本、それが
インディアン系の作家ヘェメヨースツ(チャック)・ストームの“セブン・アロ
ーズ”である。1979年私が初めて長期滞在したロスアンゼルスで一冊
を前にした時、心臓に電撃のような衝撃を受けたのだった。13年後の今
その日本語版がここにある。」と絶賛した宇宙のハーモニーの中で生きる
ことを教える、アメリカ・インディアンの原点の書。
T・「聖なる輪の教え」
<白い楯>一族に戦さの気配がしのびよる。人びとがこれまで信じてきた
道は、白人たちの新しい道の前で滅びようとしているのか? 一族の
チーフが子供たちに語り聞かせたのは、<跳ぶネズミ>の物語、一匹
の小さなネズミが聖なる力を捜し求めて旅する物語だった。
U・「心の目をひらく旅」
楯の兄弟たちの絆がこわれはじめ、部族の人びとを取りまく状況はだん
だん過酷になってゆく。戦さが続く中、一人の若者がヴィジョン・クエスト
の儀式にのぞむ。何ものにも負けない強い心と”与えること”を学んだ
若者は、新しく<夜の熊>と名づけられた。
V・「よみがえる魂の物語」
学びのための数々の物語がからみあいながら展開する最終巻。分裂し
ていた人びとが絆を取りもどし、自らの歩むべき道に再び目覚めてゆく。
しかし歴史はいやおうなく人びとに敗北を与えようとしていた。そして時
は、現代。彼らが学び、守り、伝えてきたスピリットは生きていた。
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T.メアリー・ローランソン夫人の捕囚と救済の物語 U.メアリー・ジェミソン夫人の生涯の物語 白井洋子訳 刀水書房 |
牧師夫人であったローランソン夫人は約三ヶ月の間、インディアンに
囚われ、多くの肉親を目の前で殺された。そんな中にも女性特有の
強靭な精神力と信仰を持ち開放されるまでの日々を綴ったものであ
る。確かにこの書は一人の白人女性の試練に対して勇敢に立ち向
った記録としては多くの人々に感銘を与えたであろう。しかし、悲し
いことにこの書は長い間に渡ってインディアンの歪められた姿を人
々に植え付けてしまった。何故インディアンがこのような残虐な行為
に走ってしまったのか冷静に良心に基づいて考える誠実さがあった
なら、この自分に降りかかった悲劇の原因を振り返られたであろう。
しかし、この書は神から、教会から次第に離れてゆく当時の白人
社会への警鐘を目的とするものに変質されてゆく。地獄の番犬、
異教徒ども、悪魔、野蛮人などの言葉と対比してクリスチャン、聖書
の素晴らしさが高らかに歌われる。ローランソン夫人と同じように
肉親をインディアンに殺され、囚われの身となったジェミソン夫人
はこのインディアンの残虐な行為が白人の裏切りと虐殺が原因で
あると気づくのである。ジェミソン夫人は言う。「インディアンの人格
的特質は(このように言うのが許されるなら)悪に汚染されていな
いことです。かれらの誠実さは完璧であり、それは周知のことで
す。厳しいほど正直で、騙したり嘘をつくことを軽蔑します。とくに
貞節さを尊び、それを破るのは神を冒涜するに等しいのです。欲望
を制し、感情はおだやかで、どんな問題でもそれが重要な事柄で
あれば自分の意見を礼をつくして率直に述べます」。このような人
間を残虐な行為にまで追いつめていったのは、白人による虐殺と
キリスト教による徹底したインディアンの崇高な精神文化の剥奪
であった。カトリックは第二バチカン公会議よりこの他宗教に対し
ての侵略を間違いであったと認め、大きく変身しようとしている。
しかし、二千年もの長き時間を費やさなければならないもので
あったのだろうか。この気が遠くなる時間の中で、どれだけ多く
の血と涙が流されたのであろうか。ローランソン夫人の言葉に
象徴されている、一神教が持つ他の精神文化に対する戦闘行為
が何故生まれてきたのかを探ることは、未来の地球・人類を語る
上で、そしてキリスト教の未来をも含めて欠かせないものかも知
れない。また常に人間優位のもとに繰り広げられた深刻な環境
破壊を救うものが何処にあるのかを早急に探し出すことは、未
来に対しての私たちに背負わされた責任であると感じる。
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Warriors of the Rainbow
翻案 北山耕平 太田出版 |
この物語は1962年に英語で出版された。原作者は不明という不思議な
感動的な本であるが、アメリカ・インディアンたちの間ではこの物語は
実際にあったことだと信じられている。都会で育った主人公の少年は、
居留地に両親とともに帰るが、焚火のあかりの中で語られる老婆の昔
話にひきつけられる。そしてこの12歳の少年は尋ねる。「おばあちゃん
は昨日の夜、どうやって白人がやってきてぼくたちの土地を奪っていっ
たのかを話してくれました。インディアンたちが、初めて出逢うような骨
までボロボロになる病気にやられて、何千人も死んでいったことや、
おじいちゃんが白人の泥棒を取り押さえようとして殺されたことも聞き
ました。こういう話を聞けば聞くほど、ぼくには知りたくなることがある
んです。いちばん古い母親であるおばあちゃんに、ぼくはどうしても一
度それを教えてもらいたくて、ここに来ました」・・・「いちばん古い母親
であるおばあちゃん、どうして、なぜ、天におられるわたしたちの偉大な
曾祖父は、白人たちがこの大地を奪い去っていくことをおゆるしになら
れたのですか?」・・・そしてこの少年は様々な苦難を超えて、虹のよう
にすべての人間をひとつの家族としてつなげる戦士として旅立つ。
「虹は、すべてのもののなかにおられるあのおかたからの
メッセージなのだ。
すべての人間がひとつの家族のようにつながることとを、
虹は教えている。
さあ、あの山の頂にお行き、わたしにつながる愛しい者よ。
どうやったら虹の戦士になれるか、
行け、
行って学ぶがよい。
愛と喜びをみんなの間にひろげることだけが、
この世界の憎しみを理解と優しさに変えることができる。
この世からいっさいの戦争と破壊をなくすために、
残された道はもはやそれひとつしかない!」
(本書より)
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マリー・クロウ・ドッグ著 リチャード・アードス編 石川史江訳 第三書館 |
1960−1970年代を駆け抜けたアメリカ・インディアンの人権
回復運動の中で、虐げられてきた多くのインディアンが誇りと
名誉を取り戻すべく立ち上がってきた。1890年に大虐殺が行
われたウンデッド・ニー(サウスダコタ州、パインリッジ居留地)
においてオグララ・スー族国家の合衆国からの独立を宣言す
る為にこの地を占拠したオグララ・スー・そしてAIM(アメリカン・
インディアン・ムーブメント)の戦士たち。この中には「聖なる魂」
の著作として有名なデニス・バンクス氏も含まれており、71日
間におよぶ激しい銃撃戦が繰り広げられた。そしてこの本の
著者であるマリー・クロウ・ドッグも妊娠していながらも女性戦
士として加わり、銃弾が飛び交うなか出産した。この本は彼女
が荒れた青春時代を乗り越えて、自らのインディアンとしての
意識に目覚めてゆく日々を詳しく綴ったものである。この本は
1989年「アメリカン・ブック・アワード」を獲得し、アメリカのケ
ーブルテレビでも放映された勇気と誇りに満ちた物語です。
女たちの心が叩きのめされない限り、
クニは決して滅びることがない。
しかし、その心が叩きのめされたとき、
クニは滅びる。
どんなに、勇敢な戦士がいようとも、
どんなに、強力な武器があろうとも。
「シャイアン族の古い諺」 本書より
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ナンシー・ウッド作 ダイアナ・ブライヤー絵 寮美千子訳 パロル舎 |
「今日は死ぬのにもってこいの日」の著者がコヨーテに関する新しい創作物語。
ここにある十二の物語は、インディアンたちが決して手放すことのなかった
心の中の神聖な場所からやってきました。それは絵空事ではなくて、かれ
らにとってはほんとうのことです。わたしたちは、それを理解するにはあま
りにも遠くまできてしまったかもしれません。けれど、わたしたちも遠いか
れらの兄弟のひとり。かつては、大地からの収穫を神からの贈り物として
感謝して受けとる民族でした。きっと心のどこかで響きあうことができる
はずです。 (寮美千子 本書帯文より)
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スーザン・パワー著 小沢瑞穂訳 めるくまーる |
アーネスト・ヘミングウェイ賞を受賞した新進スー族女性作家による幻想
物語。母親は純血のスー族で、本書は世界10数ヶ国で翻訳されている。
主人公のスー族青年ハーリーは、伝統的なダンスの名手であり、同級生の
シャーリーンは彼に届かぬ思いを寄せている。魔女と恐れられている彼女
の祖母や、メディスンマンの老人など、多くの男女の秘められた過去が明
らかになるにつれて、彼らと先祖たちとの神秘的なつながりが浮かび上が
る。精霊や夢が人の運命を左右する、インディアン固有の精神世界を、現
代の物語に映し出した異色作。 (本書より)
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アン・マクガバーン原作 ジーン・デビス・池田広子訳 信山社 |
本書には「沼の戦士・オセオラ」「聡明な指導者・テカムシ(テカムセ)」
「名誉の人・コーチース」という有名なインディアンの英雄の生涯を記
したものである。私自身多くのインディアンの英雄の中でもテカムセ
の慈愛と勇敢さ、誇り高さにはインディアンの真の姿を映し出した者と
してだけではなく、あるべき人間像として具現化した崇高な魂を感じ
てならない。そしてこのような人々が何故に闘わなければならなかっ
たを想うとき、このインディアンが受けてきた血塗られてきた歴史は、
決して過去の遺物ではない。それは私たちも守り続けなくてはならな
いものに対して、テカムセに象徴されているようにインディアンの勇敢
な戦士として挑んでいかねばならないことを意味しているのではない
だろうか。たとえその道が絶望的な闘いであるにせよ。
これは彼等の民族の自由と自分の所有する土地に住む権利の為に戦った、三人
の偉大なインディアン指導者の興味をそそるも悲しい物語を述べたものである。闘
いはアメリカ国民が急激に領土を拡張しようとしていた時代に、フロリダの沼地や
中西部から西部の広野にかけて起こった、前進という名の下に土地は没収され、
幾千人もの人が殺されたり、捕虜にされたのでだった。これらの物語はわが国に
おける人間の自由の為の、長い年月にわたる苦闘の一部であるとともに初期の
アメリカ史の悲惨なそう話の一つである。(本書・はしがきより)
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消されたアメリカ・インディアン 加藤恭子著 春秋社 |
1620年12月、メイフラワー号で上陸した巡礼始祖たちは最初の困窮
した状況の中で人数が半減し50名を残すのみだった。その彼らを助
けたのがワムパノアグ族の酋長であるマサイットであった。この頃の
白人とインディアンの関係は友好的なものであり、1621年の秋、感謝
祭の際にもマサイットは多くの食料を持参して列席した。しかし、入植
者が急激に増加しインディアンの土地を売るように要求するだけに止
まらず、インディアン文化に対する侮辱、強引なキリスト教の布教や、
インディアンに不利な裁判などでインディアンの白人に対する反感は
膨れ上がっていた。マサイットの子どもであるメタカム(フィリップ王)
はそれでも白人との友好関係を続けていくことに苦心していたが、
彼の心を邪推した白人の仕返しにメタカム(フィリップ王)は遂に立ち
あがる。この書は多くの文献や残存する記録、そして著者自身が彼
の足跡を追いながら記したメタカム(フィリップ王)の生涯の物語であ
り、フィリップ王の魂の叫びを聴くことが出来る書である。
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フォレスト・カーター著 和田穹男訳 めるくまーる |
「当初、”ぼくと祖父”というタイトルを予定されていた本書は、東チェロキーの
山中における祖父母との生活をつづった自伝的な回想録である。1930年
代、経済恐慌下の一生活記録として貴重だが、単にそれだけのものにとど
まらず、どんな時代のどんな人にも共感を与えうる人間的な記録に高めら
れている。万人の精神に語りかけ、魂の最深部に訴えかける力を持ってい
るのである。」(南イリノイ大学法学部長 レナード・ストリックランド)
本書の「”リトル・トリー”を分かち合う喜び」より引用。
金原瑞人(法政大学教授)さんの「リトル・トリー」に関する新聞記事
金原さんはインディアンの物語「アンパオ」や「暁の星をおびて」などを訳されています。
朝日新聞 1992年1月12日 ちよっと変わった経歴を持った本だ。七六年に出版されてからまもなく絶版となり、 八六年に復刊。その後、年々評価が高まり、ついに九一年十月にはニューヨーク・ 夕イムズでぺーパーバックのべス卜セラー第一位にランクされて、売り上げ部数 六十万部を突破したという。『リ卜ル・卜リー』はチェロキー・インディアン作家 フオレス卜・カー夕ーの自伝小説で、両親を失った五歳の少年リトル・卜リーが、 チェロキー族の祖父母に引き取られ、そこで様々なことを学んでいく数年間を描い たものだ。アメリカ・インディアンの話というと、ケビン・コスナーの『ダンス・ ウイズ・ウルブズ』を思い出す人もあるかもしれないが、内容も雰囲気も、正反対だ。 インディアンを思いきり美化して、物語をドラマティックにセンチメン夕ルに盛り 上げたコスナーの映画とは違って、ここでは山のなかに暮らすチェロキー・インディ アンの生活や、インディアンの目からみた白人社会が淡々と描かれている。祖父と いっしょにスイカや卜ウモロコシを植えたり、魚をとったり、山七面鳥をわなで つかまえたり、ウイスキーの密造を手伝ったり、キツネ狩りをしたり、ガラガラ蛇 に襲われたり、白人のクリスチャンに小づかいをだましとられたり、行商人のおじ さんが珍しいものを持って訪ねてきたり、そういった毎日がゆったりとした時の流 れのなかで、ゆったりとつむがれていく。悪役もいなければ英雄もいない。 「夏は終わりを告げようとしていた。そのさまは、末期を迎えた人が残り少ない日々 をうとうとと眠って過ごすのに似ていた。太陽はもう、ギラギラと命のたぎる白い光 をまき散らさない。おぼろな黄金色の光で午後の天地をかすませ、夏が息を引き取る のをうながしている」 そんな自然のなかで起こる出来事は楽しいときもあり、悲しいときもあるが、その どれもが温かい光をたたえている。とくに、谷間に畑を作ろうとする貧しい白人一 家と、それを助けようとする兵士を描いた「夢と土くれ」という章がすばらしい。 風のささやきも、葉ずれの音も、鳥の鳴き声も、すべてが何かを語りかけている ような気持ちにさせられる一冊。(金原瑞人) 毎日新聞 1999年4月7日 私自身、金原瑞人さんのこの記事を読んではおりませんが、この記事を要約したものを 須賀廣さんがホームページに書いておられ、そこから引用させていただきました。 白人で,The Southerner という白人至上主義の雑誌を編集し,自らも記事を書いている。 The Southernerを出版している。(このことは彼が「改心した」元人種差別主義者という 説を否定する) (このことは彼の作品を読めば明らか) 相変わらずこの本を「自伝」としているのはおかしい。米国では第二次情報も入手でき るが,これが外国に翻訳されている現状では誤ったチェロキー・インディアンの文化を 紹介することになる。 (金原瑞人) |
この著者に関するホームページ(英語)を参照されたし。
「The
Education of Little Tree and Forrest Carter」
What Is Known? What Is Knowable?
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フォレスト・カーター著 和田穹男訳 めるくまーる |
「リトル・トリー」の著者が描く、アパッチ・インディアン最後の戦士の戦いと愛の
の物語。1858年のある日、インディアン戦士達の留守中にアパッチ・ベドンコ
ーエ族はメキシコのスペイン兵に虐殺された。その中にはジェロニモの妻・母・
三人の子供たちも含まれていた。ジェロニモは復讐を誓った。当時のアパッチ
族は白人による止まることを知らない卑劣な侵略や虐殺、法と協定の無視に
絶体絶命の窮地に追い込まれていたが、戦略家として卓越していたジェロニ
モは、最後のアパッチ戦士として戦いを挑む。
この著者に関するホームページ(英語)を参照されたし。
「The
Education of Little Tree and Forrest Carter」
What Is Known? What Is Knowable?
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スー族メディスンマンの物語 レオナルド・クロウ・ドッグ/リチャード・アードス著 伊藤由紀子訳 サンマーク出版 |
四代にわたるスー族メディスンマンのクロウ・ドッグの物語だが、現在の
レオナルド・クロウ・ドッグが歩んだ苦難の道が主に書かれている。1890
年に大虐殺が行われたウンデッド・ニー(サウスダコタ州、パインリッジ居
留地)においての占拠事件では、1960−1970年代を駆け抜けたアメリ
カ・インディアンの人権回復運動の中で、虐げられてきた多くのインディ
アンが誇りと名誉を取り戻すべく立ち上がり、レオナルド・クロウ・ドッグも
霊的な指導者として加わることになる。この中には「聖なる魂」を記した
デニス・バンクスやレオナルド・クロウ・ドッグの妻となる「ラコタ・ウーマン」
のマリー・クロウ・ドッグがいた。1973年に起こったこの占拠事件までの
インディアンが置かれた状況は屈辱的なもので、白人が面白半分でイン
ディアンを殺しても犯人が刑務所に行くことは殆どなかった。このような信
じられない状況がつい30年前までアメリカで行われており、現在におい
ても形を変えた侵略戦争がインディアンを襲いつづけているのである。詳
しくは「アメリカ・インディアンの現在」、「白人の国、インディアンの国土」
の各文献を参考にして頂けたらと思う。このような悲惨な状況の中でもイ
ンディアンの魂を命をかけて守ってきた人びとの壮絶な闘いの記録が
本書であり、このレオナルドの父が有名なレイム・ディアーことヘンリー・
クロウ・ドッグで、「レイム・ディアー」(インディアン魂)は彼の自叙伝。
雑記帳「魅せられたもの」1997.3/6「レイム・ディアー」を参照されたし
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ケネス・トーマスマ著 浜野安宏 監修 おびかゆうこ 訳 出窓社 |
18世紀、アメリカ西部の大平原には、まだ白人の姿はなく、インディアン
たちが部族ごとに独自の狩猟生活を営んでいた。狩りで片手を失った
ショショニ族の少年は、知恵と勇気で、敵対部族に捕らえられた少女を
たった一人で救い出す。敵の追跡を逃れ、少年たちは、家族の待つ遠
い故郷の山をめざし命がけの旅をする。生死の境に追いつめられるた
びに、必死に生きようとする子どもたちの姿が胸をうつ。1997年度ワイ
オミング州児童文学賞受賞をはじめ、全米各州で大好評の書。
(同著・帯文より)
シープイータといわれるショショニ・インディアンに伝えられている1700
年代の物語。この物語の主人公モホ・ワット(ショショニ語で「片手のない」
の意)は多くの困難を乗り越えて、初恋の女性を救い出してゆく。その勇
気と知恵、とても8歳の少年とは思えないほどの行動力が奇跡の物語とし
て現在まで語り継がれている。著者はインディアンの伝承に魅せられ、そ
れらを集めた「すばらしいインディアンの子供たち」シリーズは現在7冊が
出版され、プロの語り部としてもアメリカ全土、デンマーク、オランダなどの
国々で、語り聞かせを展開している。本書の一気に読了させてしまう語り
部としての技能と、物語の美しさが絡み合い、読者をモホ・ワットの冒険に
引きずり込んで離さないだろう。同じ著者による少女の生還の物語「ナヤ・
ヌキ」も著者の語り部としての高い技能を垣間見させてくれるものである。
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ヴェルマ・ウォーリス著 亀井よし子訳 草思社 |
はるか昔からアラスカ・インディアンに伝わる知恵と勇気の物語。
あるとても寒さの厳しい冬、グウィッチン族ははげしい飢えにみ
まわれ、部族のお荷物だったふたりの老女を置いて旅立った。
これは昔からの老人を大切にする伝統に背くものであったが、
それほど部族の飢えは深刻なものであった。心に深い傷を互い
に負いながら、「生きる」ことに必死で立ち向かった老女と悲しい
決断をしなければならなかったリーダーが再び出会い、許すま
での軌跡を追った物語であると同時に、どんな年寄りでも驚く
べき可能性を秘めていることを悟らせてくれる物語でもある。
ヴェルマ・ウォーリス・・・1960年、アラスカに生まれる。北極圏から
わずか数キロ離れただけのユーコン川のほとりの村で、アラスカ・
インディアンの伝統にのっとった教育を受けて育つ。現在も昔なが
らの狩猟・採集の生活を営みながら、執筆活動をしている。彼女が
自分の母から実際に聞いたこの伝説は、アラスカのみならずアメリ
カ全土で話題を呼んだ。現在はインディアンとしての彼女自身の
成長の物語を執筆中。(本書より)
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マリー・サマー・レイン著 越宮照代訳 VOICE |
「コロラドの山中に一人住む老メディスン・ウーマン”ノー・アイ”との
対話の中で、”真実”とはなにかを、ユニークな方法で学んでいく
著者のノンフィクション・ノベル(本書より)」。このノー・アイから多く
の知恵や未来の世界の姿を見聞きしてきた著者の回想記。
正直言ってこの本にはアボリジニーの精神文化を紹介したとされた
「ミュータント・メッセージ」という偽書と同じ血が流れているのを感じ
てならない。勿論、この判断はチペワ族、並びにその研究家たちの
手に委ねられているので軽率に私が判断することは出来ない。た
だ本書はチベット密教、ダンテの「神曲」、エドガー・ケイシー、旧
約聖書などから著者の都合のいい部分だけを抽出し完成させた
全くの創作物語ではないかと感じている。このような精神世界に関
する文献に関しては、その体験が真実か否かを立証することが難
しい。カスタネダの文献にしろそうであるのだろう。いずれにしろ
チペワ族の方たち、及び彼らの精神文化に詳しい研究家の声を
聴くことなしに、この本を真実と呼ぶことは出来ないと感じている。
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トム・ブラウン・ジュニア著 飛田妙子訳 徳間書店 |
一人のインディアンが生涯をかけて真理を探究し続けた驚くべき実話。白人が
大地との絆を忘れ破壊させてきたこの世界を再び甦らせるべき、絶望と孤独を
突き抜けてきた探求の物語。その言葉は未来を託されている私たち一人一人
への遺言であり贈り物でもある。このストーキング・ウルフが精霊に導かれ、あ
るべき古来の道を、多くの犠牲を払いながら見極めていく生涯に私は心奪われ
る。世界はこのような偉大な魂に、最後の日まで真理を探究し続けた真に尊い
魂に導かれていくのだろう。彼の魂は本著を通して、大地との絆を取り戻す多く
の魂に限りない勇気と希望をいつまでも注ぎ続けるだろう。まさしくこの魂は、
自らの生涯を平和の道具として貫きとおした偉大なるものである。
今日、彼のヴィジョンは、私のどれほど情熱的な夢よりも強く、私の中で生きてい
るのだ。私は何度も自分はそれに値しないと感じたり、自分の物質的な生活に
負けそうになるが、教えることを探求する気持ちは心の奥深くでいつも燃えてい
る。グランドファーザーを駆り立てた炎と同じ炎が私を駆り立てているのだ。私に
は希望がある。それは何年も前に彼が私の魂に授けたのと同じ希望である。炎
はまだ燃えており、いま私が出会った多くの人たちの心の中で燃えるようになっ
た。グランドファーザーは正しかった。いつの日か人びとは、唯一の真理である
古来の道を再び追い求めるようになるであろう。この数々の話は私にとって非常
に重要な意味を持つ。それは単にグランドファーザーが私に教えてくれたことが
大切だっただけではなく、私自身、彼が放浪したさまざまな場所を旅する原動力
となったからだ。私はこの本を読んだ人たちが、本当の真理を探し求めてくれる
よう希望している。多くの人が必要としているからといって、やり方を目指すところ
ではない。私が目標とするのは、私たちがいま住んでいる世界、忘れられた母な
る大地の世界を読者の目の前に映し出すことなのだ。この本で説明しているよう
に、それは簡単に得られるものではない。また、真理とその知識を得るために
は、真摯な探求を行なわなければならないのだ。グランドファーザーの人生は、
喜びや悲しみ、驚きや苦しみなどあふれるような感情と豊かな心に満ちていた
が、それは長老の話を聞いて学んだものではなかった。彼が自分自身で探し
求めなければならなかったように、私も読者のみなさんにそうしてほしいと望ん
でいる。私は「コヨーテ先生」なのだ。・・・・・・・トム・ブラウン・ジュニア(本書より)
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ローラ・アダムズ・アーマー著 和田穹男+アキコ・フリッド訳 めるくまーる |
「祈祷師の伯父はナバホの神話や伝説を語ってくれる。賢いモリネズミは
ナバホの知恵を授けてくれる。遠いまなざしの兄嫁や白人の「大きな男
の人」はかぎりなくやさしい。そして、少年シュツィリの心には啓示のよう
に歌が湧いてくる。けれど、このせつないほどの美への憧れを、だれと
分かち合えばいいのだろう。少年は矢も盾もたまらず、伝説の「トルコ石
の女」が住むというはるかな西の海へと、ひとり旅だった。」・・・本書より
児童文学賞として最も権威のあるニューベリー賞を受賞した本書には、
白人との抗争は見られず、純粋にこの世界の美を探究していく一人の
少年の心の軌跡を綴っている。著者が生きていた時代、それはインディ
アンが徹底した同化政策により急速に昔からの伝統から引き離され、
人間として扱われなかった時代背景に立っている。著者はこの現実を
前にして、白人の文化とインディアンの文化が互いに尊重し共存でき
る道がどこかにあるはずだと模索していたのかもしれない。著者のこ
の希望の源は、現実という深い悲しみの泉から湧き上がってきたもの
であるからこそ、この悲痛な現実を希望と美の物語で抱きしめずには
いられなかった。何故か私にはそのように感じられてならない。
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太陽と月と大地の物語 ジュマーク・ハイウォーター作 フリッツ・ショルダー絵 金原瑞人訳 ベネッセ |
ワシントン・ポスト紙に「ごくまれに、時代を超えた作品が現れることがある。アンパオは、
まさにそのような作品だ」と賞せられたとても美しい物語。著者はインディアンの各部族
の神話や伝説を基礎に置き、新たな創作物語を読者に語りかける。それはまるで火を
囲みながら、年寄りの語り部から流れ出る言葉に耳をじっと傾ける昔の原風景を現実
に体験しているような不思議な感覚をもたらしている。
アンパオの旅の物語も、インディアンの物語を保存して伝えるという、むかしからの仕事と
同じで、それを新しい聴衆に、もっと広い聴衆に伝えたいというのがわたしの目ざしたこと
だったのです。わたしが「アンパオ」を書きあげたとき、何人かの年上のインディアンの友
だちがこれを読んで、たずねました。「いったいどれだけの白人がきみの書いたものを理解
できると思っているのか?」と。わたしは長いこと考えて答えをだしました。「アンパオ」という
作品のイメージは、コロンブスやコルテスやアンドルー・ジャクソンたち(これらインディアン
の世界の侵略者たちはインディアンを人間以下のものと考えていました)の時代ならわかり
にくいものだったかもしれません。しかし世界は変わってきたし、われわれは新しい考えに
到達しているのです。それは、自然や、宇宙における人間存在についてのインディアン的
な考えのなかに根源的なリアリティがあるとする考えなのです。こうした考えが広く認めら
れるようになったのは歴史上はじめてのことでしょう。「アンパオ」のなかでさまざまなことが
語られているのですが、そのなかでもっとも中心的な考えは、アメリカ・インディアンの宗教
を研究している注目すべき学者のひとりポール・レイディンの言葉にうまく集約されていま
す。このレイディンの言葉は「アンパオ」という作品に光をあててくれるだけでなく、インディ
アン全体にたいしても光をあててくれるはずです。「われわれ白人は人格を持つものと人格
を持たないものとを区別するが、インディアンはそういった区別をまったくしない。インディア
ンが興味を持っているのは、存在とはなにか、現実とはなにかということである。そして、認
識できるもの、考えることができるもの、感じることができるもの、夢にみることができるも
の、インディアンにとってこれらはすべて現実に存在しているのである。」・・・・本書より
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ケネス・トーマスマ著 浜野安宏監修 おびかゆうこ訳 出窓社 |
自然と密着して暮らすインディアンの人びとは、幼いうちから大自然で生きぬく知恵を
身につけていた。とらわれた敵部族の村を脱出し、はるか1600キロも離れた故郷を
めざす11歳の少女も、地形や星で故郷の位置を知り、バッファローや灰色熊から身を
守り、自然のなかから巧みに食糧を探し出し、40日におよぶ危険な旅を成し遂げる。
また、ナヤ・ヌキと一緒にとらえられ別れ別れとなった親友サカジャウィアとの4年後の
劇的な再会は、アメリカ西部開拓史を彩る感動的なエピソードである。1986年度ワイ
オミング州児童文学受賞をはじめ、全米各州で大好評のシリーズ第2弾。(本書・帯文)
「モホ・ワット」に続くケネス・トーマスマによる邦訳二作目となる本書はショショニ・インディ
アンに長く伝わっている物語を著者の幾分かの脚色を交え世に出したものである。この
物語が実際に起こった年は1801年の夏、1600キロという途方もない距離をたったの
11歳の少女が故郷に生還する。ショショニ語の「ナヤ・ヌキ」という名前は、「逃げ帰った
少女」を意味し、その知恵と勇気をショショニ族が長く語り伝えてきたものである。語り部
として高い技能を持つ著者の文体は、読者の心を一気に200年前へと飛び込ませる。
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ジュマーク・ハイウォーター作 金原瑞人訳 ベネッセ |
この「<幻の馬>物語」シリーズは現在「伝説の日々」「汚れなき儀式」、そして本書の
「暁の星をおびて」の三冊が刊行されている。著者はインディアンの血をひいて産まれる
が、父親の交通事故死により白人の家に引き取られ、白人とインディアンの文明の狭間
で悩み苦しんできた。その意味でこの「<幻の馬>物語」シリーズは、著者の自伝的な
要素が強く反映されたものと言えるし、多くのインディアンが通過しなければならなかっ
道でもある。白人が作った「インディアン学校」に、親から強制的に引き離された子供た
ちが数多く収容された。そこでは部族の言葉や習慣は禁止され、白人の宗教や価値観、
生活習慣が叩き込まれた。この白人による同化政策による自己基盤の破壊は、今でも
インディアンの社会に暗い影を落としている。本書の主人公もそのような時代を生き、
多くの大切なものを失う。しかし、祖母が最後まで生き抜いたインディアンの道は、主人
公の辛く苦しい日々の中でも絶えず希望の光を灯しつづけていた。美しい夢と自分自身
であることをこよなく愛した主人公、そして著者の見事な構成力、語り部としての才能、
清かさと気迫が本書を真に感動的なものとしている。
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J・G ナイハルト著 阿部珠理監修 宮下嶺夫訳 めるくまーる |
私がインディアンの精神文化にひかれるようになった時から、どうしても読みたい
と思い続けた文献があった。ブラック・エルクが語ったこの「終りなき夢と闘い」が
そうである。しかし1973年に出版されたこの文献は既に絶版となり、その後出た
同じ原書の翻訳書「ブラック・エルクは語る」社会思想社も絶版となって久しい。
しかしある古本屋を通してこのブラック・エルクの言葉に触れることが出来た。こ
の聖者ブラック・エルクが9歳のとき見た壮大なヴィジョン、そしてその意味を探る
道程においての白人との闘いと死に絶えようとする部族への深い悲しみ。やがて
ブラック・エルクは多くの肉体的・精神的病を癒す力が自らの中に宿っていること
に気づき、人びとに聖なる輪の中に希望を見させる聖者となってゆくが、その道も
白人の飽くなき欲望のために消え去ろうとしていた。しかし最後にブラック・エルク
の祈りの言葉に偉大なる精霊が応え、聖なる木の根がまだ死んでいないことを
告げる。そしてこの聖なる木を豊かに花咲かせるのは、今この時代を生きている
私たちとその子供たちの手に委ねられているということを、ブラック・エルクはこの
文献を通して彼の夢と希望を私たちに託したのだ。・・・・・・・・幸いにしてこの文献
は2001年7月に「ブラック・エルクは語る」という題で出版された。
ワシチュ(白人)はインディアンから土地と資源を奪い、嘘を返す。ウソは食えない。
戦わねばならぬ、退かねばならぬ。憤りと血と涙! つかのまの晴れ間のように
よぎる幸福! 虹と稲妻に輝き、嵐にさかまく壮烈なビジョンが、夢であり理念で
ありそして力である彼らの日々が、聖者ブラック・エルクによって語られ、詩人ナイ
ハルトによって綴られた。その切実さと生まなましさが、彼らと私たちをへだてる
時間と空間を飛び越えて迫る。・・・・・・・ベトナム侵略に胸を傷め、公害にあえぐ
われわれは、本書の中で、その原点にぶちあたった痛さを感じないではいられな
い。アメリカの侵略は、ベトナムよりはるか以前に、国内で始められていたのだ。
インディアンが食べるためにだけ殺した野牛を、白人たちは根こそぎ殺した。インデ
ィアンには大した用もない“黄色い金属(キン)”のために白人たちは気ちがいのよ
うになった。狂気の沙汰のゴールド・ラッシュは、先住民への侵略以外のなにもの
でもなかった。白人の町に初めて立ったブラック・エルクは、白人の生き方はまちが
っていると断じた。物と心の自然を破壊する白人の文明を直ちに否定する、侵略
される側の論理が、ここでは哀切な挽歌となって展開される。・・・・「終りなき夢と
闘い」帯文より引用
心に残る言葉「ブラック・エルク(オガララ・ラコタ族)の言葉」を参照されたし
「ウンデッド・ニーにおけるゴースト・ダンスと虐殺」参照されたし
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アメリカインディアンの旅物語 ジェイム・デ・アングロ作・画 山尾三省訳 福音館書店 |
この文献は1953年に出版されたもので、著者は40年もの間インディアンと生活を
共にしてきた白人である。言語学者や人類学者としてインディアンの社会に入って
いった著者はやがてテキストや論文などから摘み取った科学的理論を投げ捨て、
インディアンのものの考え方や宗教的なものに強くひかれるようになっていきます。
この文献に描かれているのは、動物たちがまるで人間のように語り旅をする物語
です。そこにはまた著者が接してきたインディアンたちの普段着の姿が見えてきま
すし、このありのままのインディアンが読者を不思議な物語世界へと誘います。
そうなるとあなたは、原始的な考え方に関して大変興味のある多くの事柄を見いだす
ことになるでしょう。彼らの中に住んで、樫の木の下に大の字に寝ころがり、雲やアリ
の行列をながめ、あるいは枯れた松の枝に鷹がとまっているのをながめておしゃべり
をします。あなたたちがあれこれとおしゃべりをしてみると、相手はなんたる嘘つきか
とも思います。二人の老人が、だれが世界を作ったかについて議論を始めるかと思
うと、ひとりの若者は、自分のモーターや電気の火花についての知識とインディアンの
薬や宗教の理念とを符合させようとつとめます。しばらくたつとあなたは、彼らのわけ
のわからない言葉の中に陥っている自分を見いだし、さらに彼らの考え方の内に入っ
てしまっている自分を見いだします。そうなった時に、あなたは自分が出発点にいる
のだということがわかるのです。あなたは、自分がひとりの白人であることを忘れて
はおらず、科学者でもあるらしい。あなたは、自分が自分とゲームをして遊んでいる
のではないかといぶかります。自分自身にわけを説明しようとします。子ども時代に
舞い戻ってしまったのではないかといぶかり、物語世界の不思議な時間、妖精や
奇跡、驚くべき事物に出会う時に戻ってしまったのではないかといぶかります。そし
て、やがてあなたは、動物たちが人間であったころの、もうひとつの物語に耳をか
たむけるようになるでしょう。 (本書・著者あとがき より)
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大探検を助けた少女、サカジャウェア ケネス・トーマスマ著 西江雅之監修 加原奈穂子訳 出窓社 |
アメリカ史上もっとも重要な女性6人に数えられるサカジャウェア。この少女が探検後に
歩んだ道、そしてその死に関しては多くの説がありますが、この献身的なそして偉大な
功績を残した少女がどのような道を辿ったのか、今となっては霧に包まれています。た
だ、彼女がその後の人生を幸福に送ったとは言えなくても、私の心のなかには、多くの
インディアンの勇者と同じようにサカジャウェアが遺した献身的な崇高さ、そしてそれを
尊敬のまなざしで見守った二人の隊長の姿は生き続けてゆくことでしょう。
1805年春、16歳の少女は、生まれたばかりの赤ん坊を背負い、史上名高いルイスと
クラーク探検隊の一員として、壮大な旅に出発しました。それは、ミズーリ川の源流を
遡り、ロッキー山脈を越え、太平洋へと向かう21ヶ月にも及ぶ苦難の旅でした。そして
この大探検の成功に、サカジャウェアは計り知れない貢献をしたのです。アメリカ合衆
国は、少女の知恵と勇気をたたえ、2000年発行の新1ドルコインの肖像としました。
赤ん坊を背負ったネイティブ・アメリカンの少女が、1ドルコインとなってアメリカ史に甦る
と決まった時、著者と私は抱き合って喜んだ。はるか昔にベーリング海峡を渡り広大な
大地に独自の文化を発展させたモンゴロイドの子孫と、大西洋を自由を求めて渡り独立
を勝ちとった人々が、お互いの文化と知恵を尊重しながら、新しい太平洋時代を開いた
偉業は、混迷と迷走を続ける現代に人間の叡智と献身の美しさを圧倒的に感じさせてく
れる。この本は、美わしのサカジャウェアに導かれ、ルイス=クラーク探検隊の人たち
が太平洋に沈む夕日に感動しているその場に、私たちを立ちあわせてくれる。
浜野安宏(本書帯文より)
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ケネス・トーマスマ著 浜野安宏・監修 おびかゆうこ・訳 出窓社 |
いつも失敗ばかりし、ふさぎこんでいる8歳のクーテナイ族の少女パスキ・ナナ。この少女は
自分を変えるため、守護精霊を探しに一人で村を出る決意をする。しかし、その旅の途上、
村を裏切る男の現場を目撃したために殺されかける。知恵と勇気をもってこの危機を乗り
乗り越えていくこの少女の物語は、1780年代の歴史的事実を織りこんだ創作だが、息を
抜かせないその語り口にはひきずりこまれてしまうだろう。1993年度ワイオミング州児童
文学賞シリーズの第三作目。
パスキと動物たちとの不思議な出会いは、張りつめた逃亡劇のなかでも、ほっとする場面
です。ハクチョウの愛情と、カワウソの知恵、どちらも少女にとって大切な宝物となりました。
こうした知恵と愛情は、クーテナイ族が代々敬い、大切に伝えてきたものです。クワイエット・
ワンは、パスキにこんな言葉をのこしてこの世を去りました。「わしらの愛を、その胸にしっ
かり受けとめるんだよ。そして、いつかその愛を、おまえの子どもたちに分け与えてやって
おくれ」 こんなふうに愛することを伝えてこの世を去ることができたら、またその愛を受け
継ぐことができたら、どんなにすばらしいでしょう。新しい世代に何をのこし、どんなことを
伝えていくか。人間にとってかけがえのないものは何なのか。クワイエット・ワンの言葉は、
パスキだけでなく、この物語を読む人それぞれの胸に深くきざまれることと思います。人情
にあつく、困っている人がいたら必ず手をさしのべるクーテナイ族の人びとは、とても魅力
的です。カット・イヤーズの言葉を信じて村に迎え入れたのも、クーテナイ族ならではの人
のよさでしょう。著者のトーマスマさんによると、クーテナイの人びとは、今もそんな部族の
性質をまったく失っていないとのこと。少しはにかみながら微笑むパスキのような女の子も
きっといるにちがいありません。自分が他の子より劣っていると思いこんでいる子どもたち
を、パスキの物語はこれからもずっと励ましつづけることでしょう。(訳者あとがきより)
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最後のフロンティア・インディアンは語る シドニー・ハンチントン著 ジム・リアデン編 和田穹男訳 めるくまーる |
シドニー・ハンチントン・・・・1915年、コユーコン族の母と元金鉱掘りの白人の父のもと、
北アラスカ、コユコック川のほとりに生まれる。5歳にして、母の事故死に遭い、熊がさま
よう原野に弟妹と取り残されたのを皮切りに、以後の生涯は波乱と冒険に満ちたものと
なる。少年期より、冬は零下50度の雪原に犬ぞりを駆って狩りをし、夏は大河ユーコン
で鮭を獲った。大地からじかに恵みを得る暮らしの中で、部族の古い習慣、伝統精神を
学ぶ。のち、アラスカ州漁業狩猟局のメンバーとして野生生物の保護管理に当たる。
インディアン子弟の教育にも情熱を注いだ。数々の社会的貢献により、アラスカ大学か
ら名誉博士号を贈られる。
本書は、ヒトが美しくも苛酷な環境で生命をつなぐことの喜びを静かに謳い上げる。その厳しさ
の中で自然に育まれる他の人びとや動物たちへの愛情と思いやり。ただひたすらに、いま生き
て在ることを感謝し、慎ましく幸あれと願う祈り。それはまさに、われわれが失ったものだが、逆
にいえば、われわれはけっして多くを失ったわけではない。一度でもいい、胸の奥底から真実に
込み上げる涙が目にあふれたら、<永遠>を垣間見ることができる。そのとき流れるのは、
妻子とともに生きのびるため、勇者の中の勇者として母親の首を締めなければならなかった男
の涙。真冬の原野で倒れた父親を助けようと、雪の中を一日中歩き通した四歳の子どもを迎え
る隣人の涙。だれもが胸の奥の奥にそんな涙の湖を宿している。ヒトの物語はその湖のほとり
で紡がれてきたのだ。けれども、老シドニーは犬そりがスノーモービルに変わったことを嘆いて
はいない。サケや狼の生息を管理するようになったことを非難してはいない。さまざまな痛みや
苦しみをともないながらも、アラスカに訪れた新しい時代をおおむね歓迎しているように見える。
彼自身が二つの血を併せ持つ人間だからかもしれない。それとも、抗いがたい変化をおおらか
に受け入れることがアラスカの掟であり、古来ヒトの道だからだろうか。自然や野生動物や先住
民文化の保護について、われわれ現代人は少し前にくらべてずいぶん拓けた考え方を身につ
けてきたと思う。が、多くの場合、現場を知らずに想像や推測で判断している。狩人と先住民
の世界をじかに覗いてから、私はエコロジスト(英語の“生態学者”ではなく日本語の軽い意味
で)として歯切れが悪くなった。かつてのように手彫りのカヌーを駆って鯨を獲りたがる沿岸イン
ディアンに、どう思いとどまらせるのか。狼の毒殺や空からの銃殺に、現地の住民が一定の
理解を示しているのは間違いだと決めつけられるのか・・・。以前なら即答できたであろう問い
に、たくさんの人の話を聞き、長い時間をかけないと答えられなくなってきた。答えの出せない
問いもあることがわかってきた。急いで答えを出さず、いったん立ち止まって狩人のようにじっ
くり周囲の世界に目を凝らそう。諦めなければ、きっと道は拓ける。本書を通してアラスカとい
う大いなる物語の片鱗を覗いたら、読者もそんな気持ちに傾くかもしれない。
(本書・物語を紡ぐ土地 星川淳 より引用)
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西江雅之著 岩波書店 |
アメリカのルーツに出会う40章という題で、先住民の戦い・フロンティア精神の伝統・
マイノリティーの歴史・移民文化の創出など光と陰の物語が紹介されている。この中
にはサカガウェア(建国の母となったインディアン)、セコイア(チェロキー文字を創っ
た男)、ジェロニモ(アパッチ族のスーパー・ヒーロー)、イシ(二つの世界を生きたイン
ディアン)、エドワード・S・カーティス(インディアンの威厳を撮る)、アパッチ族(異人と
の遭遇で失ったもの)、セミノール族(フロリダに自由を求めて)、ココペッリ(砂漠の
フルート吹き)、タバコ(聖なる煙、精霊との交わり)、バッファロー(甦るアメリカの象
徴)などインディアンに関する項目も多数含まれている。
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アメリカ・インディアン酋長レッド・フォックスの回想 レッド・フォックス記述 キャッシュ・アシャー編集 秋川一夫 訳 サイマル出版会 1971年 |
既に絶版になってしまったこの文献の貴重さを上げるとするなら、まずウンデッド・ニー
大虐殺に至までの経過を詳しく記述したものであろう。これは同じ時代に生きたスー族
の聖者ブラック・エルクの証言と同じ貴重な証言として、その真実の姿を私たちに垣間
見させてくれる。そして西洋文化の中で生きる心の二重性に苦しみながら、インディアン
である誇りを失わなず、自尊と幸福とを手に入れるために注意深く見守らねばならない
ところの真実を探求してきた魂の遍歴の物語である。
コロンブスに大陸を「発見」されたばかりに、アメリカ・インディアンは、白人移住者
たちに虐殺され、土地を奪われ、居留地へと押しこめられてきた。インディアンを
野蛮人とみなすこと、それこそが、白人が自己の行為を正当化できた唯一の方法
であった。<輝けるアメリカ建国史>とは、白人征服者たちによるアメリカ・インディ
アン迫害の血ぬられた歴史だったのである。本書の著者、酋長レッド・フォックス
は、1870年、スー族インディアンの天幕小屋に生まれてから、一世紀におよぶ
波瀾と忍苦の人生をおくってきた、「失われゆく遺産」の歴史的証言者である。こ
の回想録は、インディアン最後の勝利となったカスター将軍=第七騎兵隊との戦
い、武器を放棄した数百人のインディアンが惨殺されたウーンデッド・ニーの大
虐殺をはじめ、自ら体験し、また叔父クレイジー・ホースから聞かされてきた幾つ
もの戦いと、大平原に創られたインディアン独自の思想と文化について、インディ
アン自らがはじめて語ったものである。酋長レッド・フォックスの数奇な生涯のモノ
ローグで、白い征服者との戦いの痛哭の抒情詩である本書は、インディアン復権
の書、さらには「アメリカ民主主義」への指弾の書でもある。(本書より引用)
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アメリカ先住民名品集 リディア・マリア・チャイルド著 牧野有通訳 本の友社 |
「動物記」やボーイスカウトなどを産んだアーネスト・シートン(1860−1946)の優れた
文献「レッドマンのこころ」は、インディアンへの差別と偏見に満ちた時代の中において
光を投げかける数少ない存在であったが、この「孤独なインディアン」の著者はシートン
の前の世代(1802−1880)に生きた白人女性作家であり、1990年代からアメリカ
で再評価されている人物である。勿論この時代はまだ白人とインディアンとの戦いは終
わっておらず、インディアンが絶滅寸前まで追い詰められて時代でもあった。このよう
な時期に真実のインディアンを理解し、それを基にした短編を書いてきた著者は19
世紀の反インディアン差別、反奴隷制、反父権主義を掲げた活動家でもあった。この
文献にはインディアンに関する四つの短編と、「インディアンのための訴え」が収録され
ているが、事実を基に描いた「ウィリー・ウォートン」やインディアンへの不当な差別を
訴えた「インディアンのための訴え」に、著者の悲しみや怒りそして希望が込められて
おり、真の文明とは何かと問わずにはいられないものである。
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ラヴァット・ディクソン著 中沢新一+馬場郁 訳 角川文庫 |
子供の頃からインディアンの生き方に憧れつづけていたグレイ・アウルはスコットランド人で
あることに、白人であることに常に嫌悪感を抱いていた。その後カナダの大森林の中で罠
猟師などで生活の糧を得ていたが、毛皮目的のため無秩序に殺され続けていたビーバー
の子供との出会いにより、彼の罠猟師としての生き方が次第に変化し、ついにその保護に
立ち上がる。本書はグレイ・アウルの生涯を追った伝記であり、1930年代の西欧でもっと
も有名な人物の波瀾万丈の、そして多くの誤解を生んだ軌跡を検証している文献である。
尚、1930年にグレイ・アウルとビーバーを撮った記録映画は当時西欧社会で大きな反響
を呼び、幸いなことに「Beavers」というIMAXで上映された感動的な作品(1987年製作)の
中の一部で紹介されている。このIMAX映画「Beavers」は、ビーバーの生態を美しい映像と
共に撮ったものであり、ビーバーだけに留まらず多くの生命の放つ輝きを見事に描き出した
傑作である。ビーバー、「小さなインディアン」とインディアンから呼ばれていた28時間の生
活周期を持つこの動物は、川にダムをつくることで有名だが、生まれつき戦うということを
知らない性質をもった生き物である。そのため罠にもかかりやすく、その褐色の毛皮は柔
らかくて丈夫なため乱獲され絶滅寸前まで追い込まれていく。この事態に立ち上がった
のがグレイ・アウルであった。私自身グレイ・アウルの歩んだそして決断してきた全てを受
け入れることは出来ないが、ビーバーや自然にとって彼は最大の友人であり、理解者で
あったことは疑いもない事実なのである。
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マーガレット・ベミスター編 くまり莞奈子訳 中央アート出版社 |
「この本に納められた多くの物語は、世代を超えて引き継がれてきた物語の
語り部たちから直接に聞き書きしたものです。この本により、はじめて印刷、
出版のかたちをとったものもあります。すでによく知られている物語をあらた
めて編集しここに収めたものもあります。カナダ・インディアンの伝説集“イン
ディアンとウィグワム”は、この本を編集するための参考とさせていただきま
した。1912年 マーガレット・ベミスター」
今から90年も前に発行されたもので、当時のインディアンから直接聞き取った
ものが多い。編者のベミスターは1877年に生まれ長年教職の後バンクーバー
に移り住む。
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イロコイ・インディアンに残された物語 北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社 |
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シャイアン・インディアンに残された物語 北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社 |
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ズニ・インディアンに残された物語 北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社 |
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クリンギット・インディアンに残された物語 北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社 |
昔インディアンの若者や子供たちは火の周りを囲み、長老たちが語る物語を
楽しみに聴いていました。そこで語られる物語は、部族の歴史の中で起こった
教訓的なことがらです。人や自然の関わりを通して何が大切なことかを暗に教
え、若者や子供がこれからどう考え生きていかねばならないのかの基盤を作
る意味を持っていました。北山さんはイロコイ、シャイアン、ズニの各部族の中
で語り継がれてきた多くの物語の中から4つの物語を紹介しています。「アシ
ハヤ」は同じ年頃の仲間からからかわれていた存在でしたが、如何に「平和
の時」を守ったかが語られます。「星の少年」は空の国で育った少年が、亡く
なった母親の故郷を数々の困難から救う物語です。「鷲と少年」は家の仕事
をなおざりにし鷲の子供の世話ばかりしていた少年が、鷲と共に空の国に行
き、様々な経験を通して一人前の人間になっていく物語です。「ますらお」は
トーテムポールやワタリガラスの伝説で有名なクリンギット・インディアンが
舞台です。部族の皆からなまけものと見られていた「うすよごれ」は誰も知ら
れず秘密に鍛錬していました。そして村を襲う困難から救い、最後には世界
を乗せた柱を支える偉大な者になっていくのです。
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あるナバホ・インディアンの回想 ウォルター・ダイク記録 猪熊博行訳 新思索社 |
これは、ひとりのナバホ・インディアンによる比類ない自叙伝である。幼年期の
記憶から始まり、広大な自然のなかでの放牧、農作業、日々の営み、父親から
伝えられた知恵と伝承、部族の祭祀と儀式、さらに自身の性の目覚めと結婚の
場景などが、率直に生き生きと語られる。「飾り気のない語り手の手法は聖書の
リズムを彷彿させる」(クライド・クラックホーン)と評され、長く読みつがれてきた
古典の本邦初訳。 (本書・帯文より引用)
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マーガレット・コンプトン再話 ローレンス・ビヨルクンド絵 渡辺茂男訳 国土社 |
本書に収載されたインディアン民話は、太古より伝承されたまま採録されたもの
である。したがって、物語は、多くのインディアン部族が、居留地に強制移住させ
られたり、あるいは、編集者の意図により、「翻案」されたりする以前に、語り伝
えられたままのものである。1895年初版の本書は、1870年代と1880年代に
アメリカ・インディアンの風俗習慣を調査した政府派遣の調査研究者たちによる
記録に基づいたものである。物語は、中西部の大草原、太平洋沿岸、ニューイ
ングランドの山岳地、その他の平原やいろいろな川の流域の村々やキャンプ地
で、さまざまな部族の語り部たちによって語られたものである。すべての国、ま
た、ほとんどすべての人種は、それぞれの神話、民話、フェアリー・テールをもっ
ている。これら物語類の基本的なテーマ群には、おどろくべき類似性があり、登
場人物たちの間には、名前の変化と地理的背景や、自然の境界の影響による
わずかな相違があるのみである。広大な海によって、他の人種から隔離された
アメリカ・インディアンの間に伝わる物語が、北欧の神話や、ヨーロッパ中部の
昔話や、アジアや太平洋に散在する島々の空想物語と、かぎりない共通性をも
つことは、わたしにとっては、興味のつきないことである。イングランドの小妖精
たちの特徴は、インディアンの「小人たち」に見いだせるし、ヴァイキングの神々
の巨大な所業は、インディアンのマニトゥーとよばれる神々の、神秘な力と似か
よっている。火、水、空、風は、かけはなれた世界じゅうの国々の神話で、相似
の役割をもつ。古いアジアの竜は、アメリカに同類がいるし、素朴な人々が語る
物語の中で、動物たちが人間そっくりにふるまうのも、世界共通である。記憶の
かなたにある太古、大陸がわき腹を接し、東と西を陸橋がつないでいたころに
は、もしかしたら、すべての人類の先祖一族が、太古の樹の木陰にすわり、空
想物語を、とめどもなく創りあっていたかもしれない。太古の創り話から織りなさ
れた物語が綾をなし、諸大陸を語り伝えられて、アメリカ・インディアンのウィグ
ワムにまではこばれたかもしれない。 ローレンス・F・ビヨルクンド
(本書 はじめに より引用)
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アメリカ・インディアン口承詩からの英語訳 メアリー・オースティン 絵・ミヤギユカリ 日本語訳・だいこくかずえ 葉っぱの坑夫 |
出版社・著者からの紹介
夏の夜あけ、東の空低いところにあらわれる「シリウス」の名で知られる明るい
星の物語。ミヤギユカリのドローイングとパイユートの詩がひとつに溶けあって、
沙漠の丘陵を、セージの原野を、サボテン台地を、風のように走り抜けます。
一枚絵による蛇腹折り、横へ横へと繰りだされる長大なランドスケープ。詩と絵と
造本がぴったり重なって生まれた、今までにない動的でダイナミックな詩画集
です。
さあ聞いて、シカ星のはなしを
ずっと昔のものがたりを
ひとりの若者が、狩りに行こうと起きだした
夜あけの青い光の中。
赤シカ狩りへと起きだしたはいいけれど
さあ狩人はどうする
矢に羽根をつけたこともなく
弓に弦を張ったこともない狩人は。
女たちは戸口から笑いのめし、娘たちは泉ではやしたてた。
だって、こんなたるんだ狩りは恥ずべきこと、見たことない。
年寄りたちは頭をふってぶつぶつ、が若者はこう言い放った。
「狩りの道具なんかなくたって、おれは赤シカをしとめるぞ」
(詩「シカ星」より引用)