「夜明けの少年」

ローラ・アダムズ・アーマー著

 和田穹男+アキコ・フリッド訳 めるくまーる より




児童文学賞として最も権威のあるニューベリー賞を受賞した本書には、

白人との抗争は見られず、純粋にこの世界の美を探究していく一人の

少年の心の軌跡を綴っている。著者が生きていた時代、それはインディ

アンが徹底した同化政策により急速に昔からの伝統から引き離され、

人間として扱われなかった時代背景に立っている。著者はこの現実を

前にして、白人の文化とインディアンの文化が互いに尊重し共存でき

る道がどこかにあるはずだと模索していたのかもしれない。著者のこ

の希望の源は、現実という深い悲しみの泉から湧き上がってきたもの

であるからこそ、この悲痛な現実を希望と美の物語で抱きしめずには

いられなかった。何故か私にはそのように感じられてならない。

(K.K)





本書「訳者あとがき」より抜粋


本書は1931年に出版され、児童文学賞として最も権威のあるニューベリー

賞を受賞した作品である。著者ローラ・アダムズ・アーマー(1874-1965)は

40台後半になってから北アリゾナの先住民ナバホ族の保留地を訪れ、当

時のメディスンマンの篤い信頼を得た。ナバホ独自の砂絵は癒しの儀式

のために用意される聖なる絵であり、外部の人に見せることはタブーとさ

れ、儀式終了とともに壊されてしまう。ところがそのメディスンマンは、アー

マーのナバホ文化に対する理解と敬意がほんものであることに心を動か

され、彼女のためにとくに砂絵を作って見せるまでになった。彼女が数十

点に及ぶ砂絵を模写したが、それらはニューメキシコ州サンタフェのロック

フェラー美術館のコレクションに加えられている。このように、アーマーは

ナバホの世界に深く入りこむことを許された数少ない白人の一人だった。

本書が単なる想像の産物ではなく、ナバホの人たちの考えかた、生きか

たなどを精確に生き生きと描き出し、記録としての価値をも持ちえている

のはそのためであろう。


 


本書より引用


美の中をわたしは歩く

美はわたしの前にあり

うしろにあり 上にあり

まわりじゅうにある

それは美の内に終わる

それは美の内に終わる

それは美の内に終わる

それは美の内に終わる


 


本書より引用


「祈祷師の伯父はナバホの神話や伝説を語ってくれる。賢いモリネズミは

ナバホの知恵を授けてくれる。遠いまなざしの兄嫁や白人の「大きな男

の人」はかぎりなくやさしい。そして、少年シュツィリの心には啓示のよう

に歌が湧いてくる。けれど、このせつないほどの美への憧れを、だれと

分かち合えばいいのだろう。少年は矢も盾もたまらず、伝説の「トルコ石

の女」が住むというはるかな西の海へと、ひとり旅だった。」



シュツィリの目には、みんながゆっくりゆっくりめぐっているように見える。これで

いいのだ。すべてがあるがままに、これでいいのだ。ぼくの早すぎる心臓を除い

ては。月光を浴びて大勢のナバホが地面に座っている。何百年何千年もの昔か

ら、ナバホはこうしてきた。若い男女が踊るときはいつも、みんなこうやって座っ

て見守ってきたのだ。歌と太鼓の響きはシュツィリの胸に、ナバホの民のたどっ

てきた道、その暮らしぶりや幾多の戦い、そして勝利の栄光などをまざまざとよ

みがえらせる。大地そのものがナバホの血肉であり、木々も、そして“月を運ぶ

神”もまた血を分けた身内であることをシュツィリは感じ取っている。月を運ぶ

神、夜をつかさどる神は遠い昔、ナバホの白髪の爺さんだった。その美しさに

魅せられた老人は、いつしか月を運ぶ役割をになっていた。小さな手でぼくの

毛布をつかんでいるこの少女は、まるで若い月のようだ。ぼくは若い月の運び

手になりたい・・・そう思った瞬間、心臓がドキンと高鳴った。それは太鼓の音よ

りも大きく聞こえた。血が血管をどっと駆けめぐり、全身が熱くなる。シュツィリ

は、自分と同じ血を分かち持つまわりのすべての男や女、そして子どもたちの

存在をかつてないほど身近に感じた。彼の心は今、新しい歌を歌っていた。

部族の歌・・・。大昔からの人々が崖の高みに住んでいたころ、彼の祖先は

おくれてこの大地にやって来て暮らしはじめた。彼らは飢え、戦い、それども

歌を作り、連綿と命をつないできた。彼らは歌うことができた。母親たちは織

ることを知っていた。長老たちは祈り、癒すすべを心得ていた。子どもたちは

いつも笑っていた。そして、若い男女は月の光の下で踊った。背なかの毛布

を握りしめる手に力が加わるのを感じて、シュツィリの胸に新しい歌が生まれ

つつあった。部族の歌・・・。生きて、耐えて、胸の鼓動に合わせて踊りつづけ

てきた人々の歌。ようやくシュツィリには理解できた。美のもたらす痛み、西の

山の頂上で感じたあの胸のうずきを理解することができた。あのとき、はたし

て地上のどこかに自分と同じ思いに浸されている人などいるのだろうかと疑っ

た。そして今、彼にはわかった。わが部族のすべての人たちが自分と同じよう

に感じているのだ、と。その秘密をこそ、月光のもと、何千年にもわたって陶器

の小さな太鼓は語りつづけてきたのではなかったか? 東の空が白みはじめ、

まもなく日がのぼることを告げている。太鼓は鳴りやみ、男たちの歌声も消え

た。少女たちは母親の懐へと戻っていった。自分の内に新たな力が湧いてく

るのを感じながら、シュツィリは東の空を仰いだ。夜明けの少年は、太陽を

運ぶ神の通り道を目でたどった。








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