「母なる風の教え」

ベア・ハート著 児玉敦子訳 講談社より引用





ベア・ハート(ムスコギ・クリーク族長老)は1918年に生まれ、長い修行時代を経て

メディスン・マンとなる。しかしその過程の道において、文明人には奇跡としか表現す

ることが出来ない現象を自らの体験を交えてさりげなく語っており、この分野に関心

を抱く方にはとても興味深いものがあるのだろう。ただ本書の素晴らしさはそんな

摩訶不思議なことにあるのではない。謙虚・勇気・忠誠心・慈愛に満ちた彼自身の

人生そのものに、正にそこにこの偉大な聖なる魂を感じてならない。勿論私自身が

次のような状況に置かれたとき、とても彼のように祈ることは出来ないだろう。それ

は私とは比べるもなく深い慈愛に立っている人だけしか言うことが出来ない言葉で

あり、メディスン・マンとして生きることを決意した人間からの伝言である。「わたし

はこれまでに、ありとあらゆる職業の人々、なんらかの形で傷ついた人々と関わっ

てきて、物事を正しい方向に導くように努力してきたが、養子であるバビーが殺され

たときほど、まじない師としても人間としてもつらいことはなかった。そのような試練

に、人はどう立ち向かうのか? わたしは息子を殺した若者たちに、遠くからでも

災いを及ぼすことができるような力を持っている。だがそんなことをしたら、息子の

命を奪った人間と同じになってしまう。聖なるパイプは、復讐に使ってはいけないこ

とになっている。そうしたことは、すべて神の手に委ねなくてはならないのだ。わた

しは心から神に祈った。“わたしは彼らのしたことを許すことができませんが、その

若者たちもまたあなたがお造りになったものです。愛について語るのなら、すべての

人類を愛さねばなりません。あなたにはわたしの状況がおわかりだと思います。わた

しは息子を愛していたので、今回のことを個人的に受け止めてしまっています。本

当は、あなたのようにその若者たちのことも愛したい、でもできないのです。ですか

らあなたにお願いします。わたしを通して、あなたが彼らを愛し続けて下さいますよ

うに。そうすればわたしにも、あなたの愛の働きを理解することができるでしょう。

---- ただ言葉で語るだけでなく、実際の体験として」。

2001年1月4日 (K.K)


 




本書より引用


謙虚、勇気、忠誠心、思いやり。こうした性質は、聖なるパイプを扱う権利を獲得するために

育てていかなければならない性質の一部にすぎない。インディアンの部族の中では、偉大な

戦士だからといってリーダーになるわけではなかった。聖なるパイプを扱う人間に求められ

る性質は、リーダーにも求められるものである。今日でも、リーダーは若者にとってのお手

本、ロール・モデルであることが求められている。リーダーは常に、自分のためにではなく、

部族のためにどうしたらいいかを考えていなくてはならない。彼をリーダーに選んだ人々の

信頼に応えるためにも、完璧でなくてはならないのである。自分を選んでくれた人を、失望

させてはならないのだ。持っている知識を生かして、部族全体が向上していくことを考えなく

てはならないし、次の世代が経済的にも社会的にも、精神的にも恩恵を受けるような制度

を作っていかなければならないのである。優れたリーダーというものは、常にこうしたことを

心に留めている。過去のリーダーたちが祈ったとき、彼らはいつも次の世代のために祈っ

てきた。「今ここにあるものから、なにを得られるか」ではなく、「これを長く続けていくため

には、なにを加えたらいいのか」と。昔のチーフは、部族の中でももっとも貧しかった。狩り

から帰ってくると、自分では狩りに行けない未亡人や年寄りに獲物を与えていた。求めら

れれば、いつでも喜んで自分の分を与えた。自分自身や自分の家族の分などほとんどな

かった。そうやってリーダーは生きてきたのだ ---- いかに自分の分を手に入れるかなど

は考えず、人々のために。聖書には、天国に入るために二つの質問をされると書いてい

る。「彼らが飢えていたとき、食べ物をあげたか? 彼らが裸でいたとき、着物を着せてあ

げたか?」 我々のリーダーなら、こう聞かれて「はい」と答えることができたはずである。


 
 


本書より引用


わたしは、あの父の日のことをよく思い出す。わたしにとっての広い意味での家族を見渡し、

この世界をよりよくできるような、なにか確かで素晴らしいことを求めようとするとき、この父

の日の思い出が、何度となくわたしを力づけてくれた。インディアンの考え方や愛や祖先か

ら伝わったことをインディアンでない人々に教えているとそしられながらも、わたしが今の仕

事をしていられるのも、あのときの思い出があるからなのである。人はこの世に生まれてく

るとき、この肌の色がいいとか、この文化がいいと選んでくるわけではない。我々がこの世

に遣わされたのは、なんのためなのだろうか? 人は人生の中で自らの役割を見出そうと

する。それがために、魂の道と呼ばれるところを歩く意味をわずかながらも知ることができ

るのだ。そして、魂の道を歩くときには、カトリック教徒もユダヤ教徒も仏教徒もインディアン

も関係ない。その道は、普遍的な愛が集まる場所であり、ほかの生命に対する心からの

思いやりや愛が、我々を前に進ませてくれるのである。二十五年間グリーンリーフ・バプ

ティスト教会の婦人団体の会長を続けたわたしの母は、引退したとき、生涯名誉会長に

任命された。教会で催された祝賀会の席で、一人の老人がスピーチをした。部族の言葉

から英語に通訳されたそのスピーチの中で、彼はこう語った。「あなたが大いなる存在を

愛し受け入れて、この教会を支えてくれたあいだ、あなたは何度も何度もこの教会に足

を運ばれました。やがて神とともに生きた美しい人生を示すように、あなたの足跡に美し

い花が咲くことでしょう」 わたしはいつもそのスピーチを思い出す。美しい人生を歩むと

いうこと。目的を持ち、その実現のために努力するということ。調和した人生を生き、忠

誠心や信念、信仰を持っていくこと。こうしたことすべてが、充実した人生を実現するた

めの要素なのである。子供の頃わたしはこう教えられた。「チェボン、美しい人生を実現

するには調和が必要だ。すべてのものと調和して生きることだ。だが一番重要なのは、

まず自分と調和を保つことだ。お前の人生には多くのことが起きるだろう。いいこともあ

れば、悪いこともある。反論してくる人間もいるかもしれないし、お前の生き方を支配し

ようとする者も現れるだろう。だが唯一、“調和”という言葉だけが、すべての問題を中

和し、お前の人生を美しくする手助けをしてくれるのだ」 年を経て、わたしはあらゆる

職業の人から手紙をもらうようになった。そのほとんどが、こう書いて手紙を締めくくっ

ている。「美しい人生を歩め」と。わたしは人生の始まりに、美しいものに触れることが

できた。我々の民は、美しい人生を歩んできたのである。


 


目次

はじめに

T 修行時代

1.美しい人生を

2.多面的な教育

3.まじない師への道

4.師の教え


U 癒しはあなた自身の中に

5.誰の力か?

6.治療

7.別の形の癒し

8.バランスのとれた生き方

9.苦しみを乗り越えて


V いかに生きるべきかを学ぶ

10.愛の力

11.大地と語る

12.さまざまな教会

13.ペヨーテの道

14.聖なるパイプ

15.器になる・・・・ヴィジョン・クエスト

16.なんらかの奉げもの

訳者あとがき








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