Two Whistles - Apsaroke

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)


シャーマニズム(シャーマン)に関する文献








先住民族の慈愛に満ちた豊穣な精神文化の底には、シャーマニズムと

いう人類最古の宗教的・霊的知恵すべての総合である創始者の世界観

が流れている。しかし、霊的な求道から離れ教義に縛られた多くの宗教

から迫害され、初期の心理学から病的なものとの烙印を押されながらも

シャーマニズムは現代に生き残ってきた。シャーマニズムが語りかける

ものはシアトル酋長が言ったところの「人がいのちの織物を織ったので

はない。その中の一本の糸にすぎないのだ」であり、「宇宙を自分自身

として体験すること」に目覚めることに尽きるのではないだろうか。この

人類最古の宗教的・神秘的・医学的・心理学的伝統のシャーマニズム

は人間・環境破壊が進む現代文明に警鐘を鳴らし続ける。そして何よ

りもマイケル・ハーナーがいうところの「日常的リアリティの自己中心的

超越をはるかに超えたものである。それはもっと大きな目的、つまり

人類を救うための超越なのである。シャーマニズムにおいての光明と

は、他の者が暗闇と考えるものを照らし出し、そのことによって「見」、

・・・・・・・人類・・・・・・・のために旅をする能力」なのであり、それは、

「自己実現的人間は例外なく、自分自身のことを超えた目的に関心を

寄せている」(マズロー)ものである。その究極的な慈愛の姿をキリスト

教や仏教などに見ることが出来よう。ただこれらの大宗教において、

その慈愛を体現した魂は少数であることを認めざる得ない。先住民族

に流れている豊穣な精神文化を見るとき、シャーマニズムが持つ偉大

な世界観が現代において再生することを強く願わずにはいられない。

1998.6/7


1997.7/25 「インディアンの源流であるアニミズムとシャーマニズム」参照されたし


「この人類最古の宗教的・神秘的・医学的・心理学的伝統に関しては、

まだまだ多くの謎が残されている。シャーマニズムについて探求すれば

するほど、人間の体、心、魂について認知されていない側面や可能性

があることがわかる。何千年もの長きにわたり、シャーマニズムの精神

は、人類を助け、癒し、導いてきた。それはこれからも、さらなるものを

与えてくれるかもしれない」   ロジャー・ウォルシュ








シャーマニズムの精神人類学 図説 シャーマニズムの世界
ベロボディアの輪 アマゾンの呪術師(シャーマン)
ブラック・エルクは語る  シャーマンへの道 
マヤ文明 聖なる時間の書 シャーマンの世界
母なる風の教え 時の輪(未読)
奄美 神々とともに暮らす島 チベットのシャーマン探検(未読)
「ユタ」の黄金言葉 アーバン・シャーマン(未読)
シャーマニズムの世界 境界を超えて(未読)
シャーマンの弟子になった
 民族植物学者の話(未読)
精霊の呼び声
 アンデスの道を求めて(未読)
奄美のシャーマニズム(未読) 神女(シャーマン)誕生
徳之島に生まれた祝女2万6000日の記録
アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ
 伝承の知恵の記録(未読)

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南アルタイルのオイラート人シャーマン






この文献の詳細ページへ 「シャーマニズムの精神人類学」 

癒しと超越のテクノロジー

ロジャー・ウォルシュ著

安藤治+高岡よし子訳 春秋社 



人類の魂の源流であるシャーマニズムが持つ現代的意味を、科学者として

の目と謙虚な視点で考察しているトランスパーソナル心理学第一人者によ

る精神医学の名著。著者ロジャー・ウォルシュはカリフォルニア大学の教授

であり、臨床に従事しながら、精神医学、人類学、哲学の教鞭をとっている

が、精神科医としては、スタニスラフ・グロフと並んでトランスパーソナルの

活動を推進してきた中心人物の一人である。本書はシャーマニズムの持つ

多くの側面(人類学、宗教学、民族学、社会学、医療・医学、精神医学、

心理学、生態学)から特に精神医学と心理学から接近した優れた研究書で

ある。シャーマニズムという先住民族に流れている源流、そして太古の昔、

私たちの魂にも流れていた川に立ち戻ることなしに「未来」は語れないの

かもしれない。本書を通して、多くの方が人類のあるべき姿を考え行動し

てゆくきっかけとなることを願わずにはいられません。



われわれの課題は、自分たちの違いよりも類似性に目を向けなおし、相争い

合う集団や文化の二元論的差異を強調することから、自分たちが共通しても

っている人間性の統合的理解へ向かうことである。またわれわれを自然から

隔てられたものと考え、自然自体を部分と見なす断片的見方から、あらゆる

ものの統合とつながりを認識するホリスティックなヴィジョンへとシフトさせる

ことなのである。自分自身を他者や世界から切り離され、独立したものと見

るか、あらゆるものに影響したり、影響されたりしているものと見るかを選択

するのである。それは小さな選択ではない。自分自身、そして自分と世界と

の関係をどのように見るかを選択する。そのしかたが世界とわれわれの運

命を決めるかもしれない。シャーマニズムほど明白に、自然やエコロジーを

指向している伝統は少ない。その世界観と技術の両方が、この指向性を支

えている。それは自然を、人類が密接なつながりをもち、究極的に依存して

いる、広大で聖なる神秘と見る。また、こうしたエコロジカルな見方を育てる

直感的知恵や体験に触れるための簡単な技術を提供する。つまりシャーマ

ニズムは、古代の永遠の哲学と現代のエコロジー・サイエンスの両方のホリ

スティックな見方に一致するものであり、その実践方法は、こうした見方を支

える体験を誘発するかもしれないということである。したがってシャーマニズム

は、地球と人類の両方の生存を保証する助けとなるような、世界や自分自身

についての認識を培うという重大な課題において、こうした哲学や科学をサポ

ートすることができるかもしれない。    (本書より、ロジャー・ウォルシュ)





この文献の詳細ページへ 「図説 シャーマニズムの世界」 

ミハーイ・ホッパール著 村井 翔訳 青土社



シャーマニズムの偉構、図像、儀礼などから、シャーマンの衣装、

祭礼用具まで、シャーマニズム研究の第一人者が、自ら収集した

貴重な図版や写真資料に詳細な解説を加えた、シャーマニズム

研究の集大成。尚、本書に紹介されているのはシャーマニズム

発祥の地と言われているユーラシア大陸各地のものである。


「再興されたシャーマニズムは物質主義にとりつかれた、自己中心

的な現代の文化に、開かれた、利他主義のイデオロギーを対置

することに成功するだろう」   ミハーイ・ホッパール (本書より)





この文献の詳細ページへ 「ベロボディアの輪」

シベリア・シャーマンの智慧

オルガ・カリティディ著 管靖彦訳 角川書店



本書は最近、私の身に起こった出来事をつづった真実の物語である。

シベリアのノボシビルスクにある精神病院に勤務する私は、ある日、

心に悩みを抱える若者の訪問を受けた。それが事の発端だった。次

々に不思議な出来事が重なり、歴史的に神秘的な場所とみなされて

いるアルタイ山に導かれた私は、そこでシャーマンがするような驚く

べき体験をし、数々の神秘的な啓示を授けられたのである。(著者)



本書はカルロス・カスタネダがヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン

との出会いを描いた一連の書籍のロシア版と高く評価されているもの

で、シャーマニズムの本場とも言えるシベリアの古代の叡智を見事に

伝えることに成功している。本書の原題は「聖なる伝統の輪に入る」

という意味を持ち、著者の経験した驚くべき体験を通して読者を、聖な

る王国「ベロボディア」へとひきつけてゆく。





この文献の詳細ページへ 「アマゾンの呪術師(シャーマン)」 

パブロ・アマリンゴ/語り 永武ひかる/構成・訳

地湧社



若い頃、その貧しさから偽造紙幣という悪に手を染めたパブロ・アマリンゴの

放浪と投獄の日々。しかし、ある女呪術師との出会いによって自らシャーマンに

なっていたことに気づく。類まれな名治療師として多くの病気を治し、今でも当時

の手腕は語り草になっているパブロ・アマリンゴ自身が、人間、宇宙、精霊につ

いて語る。平易な言葉で謙虚に語る彼の言葉には、人々のために誠実に生き

たシャーマンとしての義務と責任が横たわっている。現在のパブロ・アマリンゴ

はシャーマンからは身を引いたが、シャーマニズム的精霊世界を描く彼の絵に

は、世界各地の文化人類学者が関心を寄せ、自らも美術による教育を無償で

教えている。それはまた美術によって自然を大切に思う気持ちを高めよう、とい

う一つの環境教育でもあった。本書には、パブロ・アマリンゴが描いた不思議な

精霊世界の絵が七枚入っているが、この貴重なシャーマンとしての証言を視覚

化させたもので興味深い。尚、パブロ・アマリンゴ並びにその精霊世界の絵は

NHKでも詳しく放映されていた。


雑記帳「魅せられたもの」1997.10/17「奇跡」を参照されたし。





この文献の詳細ページへ 「ブラック・エルクは語る」 

J・G ナイハルト著

 阿部珠理監修 宮下嶺夫訳 めるくまーる 



私がインディアンの精神文化にひかれるようになった時から、どうしても読みたい

と思い続けた文献があった。ブラック・エルクが語ったこの「終りなき夢と闘い」が

そうである。しかし1973年に出版されたこの文献は既に絶版となり、その後出た

同じ原書の翻訳書「ブラック・エルクは語る」社会思想社も絶版となって久しい。

しかしある古本屋を通してこのブラック・エルクの言葉に触れることが出来た。こ

の聖者ブラック・エルクが9歳のとき見た壮大なヴィジョン、そしてその意味を探る

道程においての白人との闘いと死に絶えようとする部族への深い悲しみ。やがて

ブラック・エルクは多くの肉体的・精神的病を癒す力が自らの中に宿っていること

に気づき、人びとに聖なる輪の中に希望を見させる聖者となってゆくが、その道も

白人の飽くなき欲望のために消え去ろうとしていた。しかし最後にブラック・エルク

の祈りの言葉に偉大なる精霊が応え、聖なる木の根がまだ死んでいないことを

告げる。そしてこの聖なる木を豊かに花咲かせるのは、今この時代を生きている

私たちとその子供たちの手に委ねられているということを、ブラック・エルクはこの

文献を通して彼の夢と希望を私たちに託したのだ。・・・・・・・・幸いにしてこの文献

は2001年7月に「ブラック・エルクは語る」という題で出版された。



ワシチュ(白人)はインディアンから土地と資源を奪い、嘘を返す。ウソは食えない。

戦わねばならぬ、退かねばならぬ。憤りと血と涙! つかのまの晴れ間のように

よぎる幸福! 虹と稲妻に輝き、嵐にさかまく壮烈なビジョンが、夢であり理念で

ありそして力である彼らの日々が、聖者ブラック・エルクによって語られ、詩人ナイ

ハルトによって綴られた。その切実さと生まなましさが、彼らと私たちをへだてる

時間と空間を飛び越えて迫る。・・・・・・・ベトナム侵略に胸を傷め、公害にあえぐ

われわれは、本書の中で、その原点にぶちあたった痛さを感じないではいられな

い。アメリカの侵略は、ベトナムよりはるか以前に、国内で始められていたのだ。

インディアンが食べるためにだけ殺した野牛を、白人たちは根こそぎ殺した。インデ

ィアンには大した用もない“黄色い金属(キン)”のために白人たちは気ちがいのよ

うになった。狂気の沙汰のゴールド・ラッシュは、先住民への侵略以外のなにもの

でもなかった。白人の町に初めて立ったブラック・エルクは、白人の生き方はまちが

っていると断じた。物と心の自然を破壊する白人の文明を直ちに否定する、侵略

される側の論理が、ここでは哀切な挽歌となって展開される。・・・・「終りなき夢と

闘い」帯文より引用


心に残る言葉「ブラック・エルク(オガララ・ラコタ族)の言葉」を参照されたし

「ウンデッド・ニーにおけるゴースト・ダンスと虐殺」参照されたし





この文献の詳細ページへ 「シャーマンへの道」

力と癒しの入門書

 マイケル・ハーナー著 吉福伸逸監修 高岡よし子訳 平河出版社 



本書の著者マイケル・ハーマーを中心とする人類学者、一般人からネオ・シャーマニズム

には、大きく分けて二つの特徴がある。一つは古代から現代まで、各地で綿々と受け継

がれてきたシャーマニズムの伝統的形態を現代化 --- もしくは西欧化というべきか ---

し、誰もが体験できる形態に焼き直している点。これはシャーマニズムの民主化とも呼

びうるもので、六〇年代以降、西欧で叫ばれている宗教体験の民主化に呼応するもの

である。こうした民主化の動きは religion (宗教)という言葉の変わりに spirituality (精神

性/霊性)という言葉を使い、制度宗教と一線を画して、個的体験としての宗教性が強調

されていることによく現れている。もう一つは、ハーナーの「シャーマン的意識状態」という

用語からも明らかなように、シャーマンの旅に「意識」という角度からアプローチし、本来、

人類学の研究対象であった領域に心理学的要素を持ち込んでいる点である。

本書・解説 吉福伸逸 より



シャーマニズムにおいては、結局のところ他人を助けることと自らを助けることの間に

区別はない。他の人を助けることにより、人はより強力になり、自己充足を果たし、

喜びにあふれる。シャーマニズムは、日常的リアリティからの自分だけの超越にとど

まらない。それは人類の役に立つという、より広い目的のための超越なのである。

シャーマニズムにおける光明とは他者が暗闇として認識しているものに光を当てる

ことのできる能力であり、それにより、自らの親族すべて --- このすばらしい大地の

植物や動物 --- との精神的つながりを失いかけている人類のために「見」て、旅を

するのである。最後にジョシー・タマリンの詩を紹介する。シャーマンの道を探求して

いる数少ないが、確実に増えつつある若い世代のひとりである。この詩は、誰も見

つけてくれない道を見つけることができるのはシャーマンの技法であることを思い出

させてくれる。ある霊がシベリアのサモエド族のシャーマンに語ったように、「シャーマ

ニズム」を実践すれば、自分の道は自分で見つけることができる」。・・・本書より





この文献の詳細ページへ 「シャーマンの世界」

ピアーズ・ヴィテブスキー著

 中沢新一・監修 岩坂彰訳 創元社 



著者はケンブリッジ大学スコット極地研究所社会科学部長で宗教人類学者である。また

インド、スリランカ、シベリアへの20年にもわたる現地調査を行い、現地のシャーマンと

生活をともにしながらシャーマニズムを研究してきた人物である。確かに本書は世界中

のシャーマンに関して、客観的に見るだけの資料を数多くの貴重な写真と共に公開した

文献であり、シャーマンの全体像を把握するには欠かせないかも知れない。ただ、あま

りにも広範囲に書かれているため、その実態を知るには別な文献を必要とするだろう。



シャーマニズムに魅せられる人々は、近年ますます増えている。本書では、シャーマンが

現在に至るまで何千年にもわたり実践し続けてきたことがらの全体像を、ことさら神秘めか

すことなく描くよう努力したつもりである。とくに注意を払ったのは、社会的な位置づけで、そ

れはシャーマンの活動があくまで他者との相互関係の中で意味を持つと考えるからである。

シャーマン的伝統を持つ民族集団は何千とある。そこで、その民族の中のシャーマンをでき

るだけ多く取り上げ、本書全体を通じて、読者に彼らの住む村の光景や音やにおいまで感じ

取っていただけるようにと配慮した。(本書・はじめにより)





この文献の詳細ページへ 「マヤ文明 聖なる時間の書」 

現代マヤ・シャーマンとの対話

実松克義著 現代書林



マヤ民族、それは私たちにどのような想像を植えつけていただろう。マヤンカレンダー、

驚くべき天文学的知識を持った偉大な天文学者、ブルホ(黒呪術)、そして人間の生贄

の儀式の存在など多くの謎に満ちた世界。しかしマヤ文明の根底に流れている神話、

アメリカ大陸最大の神話「ポップ・ヴフ」を紐解く時、彼らの驚くべき世界・宇宙観が見え

てくる。この神話によると人間の生贄の儀式が復活した時代は、第五段階と呼ばれた

退廃の時代であり、現代はその時代よりも重大な危機を迎えている第七段階に位置し

ていると言われている。立教大学社会学部助教授である著者は、グアテマラに暮らす

マヤの末裔・シャーマンを6年にわたって現地調査し、多くのシャーマンとの対話を通し

てマヤンカレンダーに代表される彼らの時間の捉え方を解き明かす。それは時間その

ものが生命を持った創造的存在であり、調和の思想だった。そこには人間の生贄の

儀式など存在しない世界・宇宙観が横たわっている。本書は本格的マヤ神秘思想研究

の第一級の書であり、あるべき未来の扉を開く鍵をも提示している。



マヤ人にとって時間とは必ずしも連続的なものではない。それは人間生活にさまざまな恩恵を

与えてくれるエネルギーであるが、同時に時と場合によっては生命や社会そのものをも破壊し

かねないおそろしい存在であった。神秘の扉を開ける鍵ではあるが、その本質は極めて気まぐ

れで凶暴なのである。そして時間は地上に生きる全ての生命に絶対的な影響力を持つ。それ

はちょうど食料が生命の生物学的な維持を保証するように、宇宙における人間の存在を根底

から支えるものだ。初めに時間は過去を意味する。それは消し去ることのできない過去の営為

の集積である。しかし時間はまた未来をも意味する。何故なら過去はその強い影響力によって

未来を左右するものだからだ。そして時間とは現在そのものである。そこでは時間は実際に現

実世界を創り出している。したがってマヤ的な宇宙観では過去、現在、未来という単純な区分

はあまり意味を持たないことになる。言い換えるとわれわれが今生きているこの現在とは過去

から未来に及ぶ全ての時間を含んでいる。そこにあるものは宇宙の全存在である。このよう

に、「時間」をとらえてきたマヤの時間思想は文明化された現代日本社会に生きるわれわれに

とってどういう意味があるのだろうか。現代の日本社会において最も支配的であるのは西欧

文明に起源を持つ科学的時間概念である。この時間概念は時間を生命の内容とは全く無関

係に、直線的に流れる抽象的存在としてとらえる。その産物である時計は経過する時間を精

密に計測し、その貴重さを数量化してわれわれに教えてくれる。だが同時にそれはわれわれ

を無機質に、機械的に縛るものでもある。われわれは文字通り、毎日を時間に縛られて働き、

学び、あるいは生活している。われわれはまた、年齢によって生き方を規定され、あたかも時

間の奴隷ででもあるかのように年老いていく。その意味では、科学的時間概念とはわれわれ

から本来の人間性と自由を奪う意識にすぎない。もちろんわれわれの中にも依然として古代

から続いている日本的時間感覚が存在する。それはこの世界の全てが生成流転の中にある

という意識である。この日本化した仏教思想から生まれた時間概念は独特の美しさを持つ無

常感の哲学を生み出した。こうした時間意識においては世界とは未来永劫に変化を繰り返す

存在である。ここでは時間とは虚しくうつろうもの、そして二度と帰らぬ生の象徴である。マヤ

の時間概念はそうしてわれわれの時間観に対して、第三の道とでも呼べる時間思想を提示

しているのかもしれない。それは時間をより積極的に意味づけようとする試みである。世界

は時計の機械的な動きによって無機質に流れるものでもなければ、また無常に過ぎ去って

全てを無にするものでもない。それは世界に生命の息吹を与える創造的なエネルギーなの

だ。それは無限に流れるものではあるが、同時に繰り返されるサイクルでもある。それは

まず、ヴィクトリアーノ・アルヴァレスが言ったように、より高い次元を目指す根源的な螺旋

運動なのである。(中略) われわれは現在古いミレニアムが終わって、新しいミレニアムが

始まる人類史の転換点に立っている。ただ残念ながらこの転換点はあまり幸福なものとは

言えないようだ。現代の文明社会は問題だらけであり、根本的な意味で世界は今や重大な

危機に瀕している。そしてこの時期は奇しくも現在のマヤの世界の時間が終わろうとする

時期とほぼ重なっている。これは偶然であるとはいえ、極めて象徴的である。われわれは

今根底から生命の意味について考え直す時期にさしかかっているのかもしれない。マヤ人

は生命の神秘を深く哲学した民族である。彼らはその根本的解答を天体の運行に象徴さ

れるような宇宙的展開の中に求めようとした。そして「神としての時間」という唯一無二の

思想に到達したのである。その哲学の全貌は神秘的で、完全には理解できないにしても、

それは何故かわれわれの思考を刺激する。それはまた生きているとは何かと問いかける

ことでもある。(本書 第15章 神としての時間 より引用)





この文献の詳細ページへ 「母なる風の教え」

   ベア・ハート著 児玉敦子訳 講談社   



ベア・ハート(ムスコギ・クリーク族長老)は1918年に生まれ、長い修行時代を経て

メディスン・マンとなる。しかしその過程の道において、文明人には奇跡としか表現す

ることが出来ない現象を自らの体験を交えてさりげなく語っており、この分野に関心

を抱く方にはとても興味深いものがあるのだろう。ただ本書の素晴らしさはそんな

摩訶不思議なことにあるのではない。謙虚・勇気・忠誠心・慈愛に満ちた彼自身の

人生そのものに、正にそこにこの偉大な聖なる魂を感じてならない。勿論私自身が

次のような状況に置かれたとき、とても彼のように祈ることは出来ないだろう。それ

は私とは比べるもなく深い慈愛に立っている人だけしか言うことが出来ない言葉で

あり、メディスン・マンとして生きることを決意した人間からの伝言である。「わたし

はこれまでに、ありとあらゆる職業の人々、なんらかの形で傷ついた人々と関わっ

てきて、物事を正しい方向に導くように努力してきたが、養子であるバビーが殺され

たときほど、まじない師としても人間としてもつらいことはなかった。そのような試練

に、人はどう立ち向かうのか? わたしは息子を殺した若者たちに、遠くからでも

災いを及ぼすことができるような力を持っている。だがそんなことをしたら、息子の

命を奪った人間と同じになってしまう。聖なるパイプは、復讐に使ってはいけないこ

とになっている。そうしたことは、すべて神の手に委ねなくてはならないのだ。わた

しは心から神に祈った。“わたしは彼らのしたことを許すことができませんが、その

若者たちもまたあなたがお造りになったものです。愛について語るのなら、すべての

人類を愛さねばなりません。あなたにはわたしの状況がおわかりだと思います。わた

しは息子を愛していたので、今回のことを個人的に受け止めてしまっています。本

当は、あなたのようにその若者たちのことも愛したい、でもできないのです。ですか

らあなたにお願いします。わたしを通して、あなたが彼らを愛し続けて下さいますよ

うに。そうすればわたしにも、あなたの愛の働きを理解することができるでしょう。

---- ただ言葉で語るだけでなく、実際の体験として」。





この文献の詳細ページへ 「奄美 神々とともに暮らす島」

   濱田康作 著 毎日新聞社   



美しい自然に抱かれ、精霊や神々と響き合って暮らす島人たちの表情は

生気に満ちている。死や闇の世界が身近にあるからこそ、生はいっそう輝く

のだ。大島、加計呂麻島、与路島、徳之島・・・。失われた日本の原型が、

ここにある。(本書 帯文より)


奄美の美しい自然と、そこに生き、祈る人々を撮った素晴らしい写真集です。写真も

素晴らしいのですが、序文にある「奄美・・・現代と古代が同居する“すべてが美しい島”」

を書いた小林照幸さんの言葉がまた比類なき輝きを湛えています。この言葉を読んで

改めてこの写真の数々を見ると、よりその深みが肌を通して理解できるのではないで

しょうか。少し長くなりますが、この小林さんの文を掲載しましたのでお読みくだされば

幸いです。私の父は船乗りでしたので、ユタが真剣に海に祈りを捧げている姿が心に

残ります。この奄美で幼少の頃を過ごした大ばか者の私は、本当は幸せ者かもしれま

せん。多くの人にこの写真を、そして言葉を見て読んでもらいたいです。





この文献の詳細ページへ 「ユタ」の黄金言葉

   沖縄・奄美のシャーマンがおろす神の声   

   西村仁美 著 東邦出版   



シャーマニズム、これは人類最古の宗教的あるいは医学的、心理的なものの源泉であるが、

それをどのように自分の中に構築しようとも、摩訶不思議な神秘的な次元に立っており、それ

に近づくことさえ出来ないのを感じる。またシャーマニズムが持つ特性として、ある一つの教義

に縛られることがないため、それぞれの土地の風土や、そこに生きる人々の集合体としての

意識(無意識を含む)の指向性により、多種多様な形のシャーマニズムが世界各地で存在し

てきた。しかし、形は異なるにせよシャーマンは自然の神々と人間を結ぶ架け橋であり、それ

を通して、人々は霊的な教えに触れ、心と体を癒されてきた。

「ユタの黄金言葉」という、沖縄・奄美のユタ(シャーマン)11名の言葉を集めたこの文献に登場

するユタの多くが女性であり、その召命は自ら選んだものや世襲制ではなく、文字通り神の召し

だしによって選ばれた特性を持つ人たちである。このようなシャーマンとしての特性は、世界中

においても、奄美・沖縄にしか見られないものかも知れない。ユタは自然の神々や亡くなった

た祖先を実際に見たり、それらの声を聞いたりすることが出来る。そして心や体の悩みをもっ

て相談に来る人に対して、語りかける霊の声を代弁し助言するのである。この行為は悩んで

苦しんでいたりする人を助けることであり、相談者の心をあるべき方向への導くものである。

しかし、現代においてたとえ召しだしを受けても、ユタの道が険しいものであるため、その声

に素直に従う人は少ない。実際この本で紹介されている11人のユタの殆どが「なりたくてユタ

になったのではない。出来るならなりたくなかった」と述懐している。

シャーマニズム、かつて世界中のシャーマンは多くの迫害を受けながらも現代に生き残ってき

た。昔NHKでも特集された著名なシャーマン、パブロ・アマリンゴは言う。「よい呪術師にとって

重要な三つの要素は、まず第一に謙虚なこと、そして愛があること、それから高い霊性を持って

いることだ。呪術師は学ぶための謙虚さ、悦びをもたらすための愛、よりよく生きるための霊性

を備えなければならない。さらに、勇気があって強くなくてはいけない」。

奄美・沖縄ユタの言葉を聞いていると、紹介された11名全てのユタがこの3つの要素を持って

いることに気づく。そして私たちもその視点を持って生きていくことを求められているのだろう。

そこにこそシャーマンが私たちに伝えたい真実があるのではないだろうか。





この文献の詳細ページへ 「神女(シャーマン)誕生

   徳之島に生まれた祝女2万6000日の記録   

   松堂玖邇 著 フォレスト



松堂玖邇が体験した神仏との語らい、そして預言。その信憑性云々に関しては、

霊性などない私が言葉をはさむことは許されないが、ただシャーマンとしての自覚

が芽生えるまでの心の苦悩や葛藤を描いた本書は、ユタが神からの呼び出しに

応えていく心の軌跡そのものであり、その語り口は見聞きした者を強くひきよせる

不思議な力を持っている。心の揺れを実直に、そして何も装飾しないで語る著者

自身の誠実で謙虚な態度、それはシャーマンに共通するものであり、共同体やそ

こに生きる人間のため自己犠牲的な覚悟を選んだ者だけが発することを許され

た言葉の重みを感じずにはいられない。


シャーマニズムとは、はるか太古の時代に自然界の森羅万象を畏れ敬い、絶対的なもの

として捉えた人々の一つの心性とも言えるものです。大自然は生きとし生けるものに空気

を与えたり与えなかったりという差別はしません。自然の恵みの中に、自然そのものとして

存在し、その波動を自らの内に受け入れて生きて行く、そのような人間の最古層の能力の

一つがシャーマニズムと呼ばれるものです。それは現在の組織化された宗教が発生以前

の原初的な形といえます。既存の制度化された宗教は民族の利害と結びついてほぼ二千

年を経た今日、実態としては空洞化し形骸化してしまいました。ところがいますべてを地球

規模で考えなければならない時代となり、そのような形骸化された宗教では世の中を変え

る力に成りえなくなってしまったのです。だからこそ、原初の力を秘めたシャーマニズムが

復活しなければならないのです。そして、神仏のエネルギーは生きた天性のシャーマンの

エネルギーによって保たれ続けられます。

(本書 あとがき より抜粋引用)







Bear's Belly - Arikara

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)

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