
「祈りの木」
高田宏・文 阿部幹雄・写真 飛鳥新社
木には個性があり長い歳月を生きた老木には存在感、風格があるのだ。
人間にとっての十年が樹木にとって一年、人間と樹木の時間の速さの比率
は十対一ではないか。百歳の人に風格が漂うのと同じく樹齢を千年も重ね
れば、個性的な存在感が滲み出る。ロシア人は「森は元気を与えてくれる。
疲れたら森へ行き大木を抱きしめなさい」と言う。老木と向き合ううちに力
が漲り“安らかなる心”を得たように思う。撮影が終わると拍手を打ち老木
に祈りを捧げる。自然に感謝し僕を支えてくれる家族の健康と幸せ、そして
生と死のはざま、山の世界で亡くなった友たちの霊安らかなこと、遺族の
行く末の平穏を祈るのが習慣だった。そうやって撮影した老大木の写真か
ら四十本を厳選し、高田宏さんが豊かな経験から味わい深い文章を書い
て下さり、飛鳥新社の笹浪真理子さんの尽力で一冊の本になった。僕は
嬉しく思う。(本書・おわりに 阿部幹雄 より引用)
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同行してくださった元小学校長が、昔この木のうろに全校生徒17人を連れて
入ったものだと言っておられたが、その大きなうろにはコンクリートで埋めらて
いる。それはまだいいのだが、地上3、4メートルのところで、二つに分かれ
ている幹の一本に、黒い鋳物の蓋がかぶせられている。落雷か強風で折れ
た幹を水平に刈り取って、直径二メートルはあろうかという巨大な円盤をかぶ
せ、そこから四本の太い金属支柱が地上へ降りている。そのほかに十数本
のやぐら状に組んだ木柱も枝の支えに立てられていて、このトチノキはまるで
抽象彫刻のオブジェさながらだ。サイボーグの木だ。幹や枝のあちこちに、
傷穴を埋めたコンクリート様なつめものがある。無惨であった。滑稽であっ
た。焼畑跡地が森に還っているなかに、この巨木だけが工事現場のような
足場や支柱にかこまれ、金属部分を黒光りさせて立っていた。大きなお世話
だ。奈良時代が始まる前後に都からはるか遠い白山のふもとに芽を出して、
静かに生きてきた木だ。焼畑出作りに人びとがやってくるようになっても、こ
の大木は手をつけられなかった。人びとは大量のトチの実をありがたく拾
い、仕事の骨休みに木陰でやすらいだ。そしてこの木がとうとう死期を迎え
ようとするとき、死なせないための手当てがほどこされたのだ。静かで長い
一生の最後になって、そんな姿にされている木があわれであった。この偉大
な老木に自然死を、と願ったものである。尊厳を保ったまま天寿を全うした
いだろうに、申訳ないことだと心が痛んだ。
(本書・天寿 より引用)
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「触ることからはじめよう」という作者の想いが、どのページの端々
にもあふれているサイトである。書道家としても、また英会話の
先生としても活躍されている高橋さんは、その異なる学びの中に
おいても「出会いに触れる」ことを見つめながら教えておられる。
そして「空の路地」の樹の写真、高橋さんの視点から樹を眺めた
ことがなかった私にとっては新鮮な驚きであると共に一つの発見
であり、「ことばつれづれ」などのエッセイに見られるような深い
洞察をさりげなく日常の言葉でやさしく語りかけてくれる姿勢には、
作者自身の人間としての成熟度を感じられてならなかった。