「シモーヌ・ヴェーユ最後の日々」

ジャック・カボー著 山崎庸一郎訳 みすず書房 より引用








本書より引用



〈シモーヌは、だれもついてゆくことができない山頂のうえで、ふたたび孤独な自己と向き合う、

山をよじのぼり、つづいている一筋の道をたどりながら、彼女はそれらの道程のひとつひとつ

において、おなじ主題、おなじ問題、おなじ解答を見出してきた。だが、目的地にたどりつきつ

つある現在、それらすべては単純化されてくるように思われるのだが、中心のみが不動で

ある。そのまわりを廻っている歩みはたえず半径をせばめている。なぜなら終局に近づきつ

つあるからである。〉



シモーヌ・ヴェーユの思想はすぐれた素質のもつ意識のドラマともいうべきものであり、その発展

は驚くべき一貫性を有している。彼女においては思索と実践が分かちがたく結びついた統一体を

なしており、内面の発展を理解するためには、その生涯を知ることが不可欠であろう。本書は先

に刊行され、最良の伝記と評価された、同じ著者による「シモーヌ・ヴェーユ伝」の補足をなすもの

である。



1942年6月のマルセイユ出港から、ニューヨークを経て、翌年8月に亡命先ロンドンで悲劇の死を

遂げるまでの15ヶ月間は、ヴェーユの最大の文学的活動の時期であった。ヴェーユの思想の

独自性への深い理解と、緻密な資料・証言蒐集から生まれた本書は、この最後の日々に光を

当て、短かりし生涯を通じてつねに真理のみを追究した稀有の魂の内面のドラマを描き出す。




 


本書より抜粋引用



「死ぬにはすばらしい場所だわ!」と、彼女に当てられた病室に入ったとき、シモーヌは語っている。

病人は窓がフランスのほうに開いていることを歓んだ。ベッド番号は107で、個室が半円形状にならん

でいる病棟中央部の二階にあった。屋根つきの廊下からそこに近づくことができた。前方には、真中

を砂利道で分けられた芝生がひろがり、その道は向こう側が樹で縁取られた広い牧場まで伸びてい

た。しかし展望は、そのかなた、透視画的効果をもつ地表と、きまった時刻に、ロンドン=ダヴルズ間

を走る列車の煙がたなびく遠い台地とのほうにひろがっていた。そして、なだらかな傾斜をなす他の

いくつもの丘が、牧場と衝立をなす木立が交互するなかを、地平線まで、かすかに段をなしながら

つづいていた。



大地と空とが接し合うその陵線のかなたに、シモーヌ・ヴェーユは、窓外の展望と過去のなかで連なり

合うフランスの田園を思い描くことができたはずである。すなわち、彼女が乾草つくりをやったサン=

マロ・ド・ラ・ランドの牧場、甜菜を《引き抜いた》キャロン・ド・グロンの農場、葡萄摘みの折に地面に

じかに横にならずにはいられなかったサン=ジュリアン・ド・ペイロラの葡萄畠を。さらにまた、それら

甦った情景のかなたには、おそらく、この世のものではない光のなかに、いまや彼女を待っている

あるじがかつて連れて行ってくれた《屋根裏部屋》からながめたことのある、《材木を組んだ足場》や、

《船から荷おろしている》河が見えるかの都市があったことだろう。



食物を摂取しないために、シモーヌ・ヴェーユの体力は急速に衰えていった。毎日彼女を見舞ってい

たジョーンズ夫人は、甘い菓子などで食欲をそそろうとしたが、少量のシャンパンを飲ませることが

できただけだった。まえまえからものを食べたがらなかったのだが、アシュフォードへ移されてからは、

それがかたくなに拒否する態度に変わったのだ。治療に当たったブロデリック博士も、見舞いにやって

きたロバーツ博士も、彼女の抵抗をなだめることはできなかった。そういう戦いに疲れて、彼らは彼女

の思うとおりにすることを、すなわち食べないことを許可したのである。



この許可は死の宣告とおなじだった。しかしながら、フランス人の食糧事情をともに領ち合おうとする

その意志は、シモーヌ・ヴェーユにとって、あるアプリオリなことがらを正当化する口実となっていた。

彼女が苦しんでいた食思欠損の病的効果は、つねに彼女の精神であった犠牲の精神と相乗されて、

いつもおのれがのぞんでいた種類の死を彼女に与えることに役立ったのだ。自分は他人が生きるた

めに死んでゆくのだと思われていたのではあるまいか?



医師たちは、採用された口実にも、予見されるその結果にも注意を払わなかった。どっちみち短い

生存期間しか許されていない患者にたいして、強制手段・・・それは効果が疑わしく、彼らがけっして

用いない処置だった・・・に訴えることはできなかった。当時の医学で可能だった唯一の治療方法で

ある気胸を彼女が拒否したとき、取り返しのつかない決定がすでにミドルセックスにおいてなされて

しまっていたのだ。いまとなっては、外科的処置を考えるには彼女はあまりにも衰弱していた。そして、

なにものもも彼女を救うことはできなかったのだ。



まもなく彼女は、ほとんどいつも眠っているといった印象を与えるようになる。ほとんど口をきくことも

できない。8月22日の日曜日、クロゾン夫人が見舞いにやってきたが、その折シモーヌ・ヴェーユは、

じゃがいものピューレをつくってくれるようにたのんでいる。「ねえ、母がつくってくれていたような

じゃがいものピューレよ。それならきっと食べられるわ・・・。」 このねがいはクロゾン夫人を感動させ、

夫人はいそいでそれに応じようとした。しかしシモーヌ・ヴェーユはすこしもそれを食べようとはしな

かった。



シモーヌ・デーツもおなじ日に彼女を見舞っているが、彼女はつぎのような別れの言葉を述べている。

「あなたもわたしとおなじように、神さまが裁ちそこなった布切れなの。でも、わたしのほうは、もうすぐ

裁たれたままでいることはなくなるわ。合わせられて、ひとつにされるはずだもの。」



衰弱は増大しつつあった。8月24日の火曜日、夜の10時半に静かに彼女は息を引き取った。




 

目次

まえがき


ニューヨーク、およびロンドンにおけるシモーヌ・ヴェーユ

マルセイユ出発(1942年5月14日)

ニューヨーク(7月6日から11月9日)


ロンドン(1942年12月14日から1943年8月17日)

自由フランス軍のもとで

イギリスの発見

亡命が果てしないものとなるとき

ミドルセックス病院(4月15日から8月17日)


アシュフォード(1943年8月17日から8月24日)


書誌

T 書誌および註で用いられた略記号


U マルセイユ出発後に執筆されたシモーヌ・ヴェーユの著作

A マルセイユからニューヨークに向かう旅の途次

B ニューヨークにおいて

C ロンドンに於いて


V シモーヌ・ヴェーユに関する研究書





本書 訳者あとがき より引用


シモーヌ・ヴェーユは、『神を待ちのぞむ』のなかにもはっきり言明しているように、その

生涯を通じて真理のみ追究した。しかし彼女のいう真理は、「厳密な意味では知性の領域

である」と同時に、「真理がわれわれのところにくるとすれば、それは外部からだけくる。そ

れはいつでも神からくる」ものとしてとらえられている。すなわち、不可知論ないしは仮定

的不信仰という前提から出発した彼女は、一方においては、真理にたいする知性の関係

をきわめて重視し、アプリオリなもの、暗示的なもの、感覚的なもののすべてを拒否し、あ

らゆる知的可能性の探求に誠実さを賭けたのであるが、他方においては、神から直接に

くだってくる真理にかんしては、願望、注意、服従の効力を信じ、この効力は、[知的]真理

の領域では無効であると考えていた。そして、この個人的立場から打ち樹てられた準則

は、知性と心情との双方の自律性を保障し、前者にたいしては饒舌にいたるほどの旺盛

な発言を許し、後者にたいしては沈黙と待機を強制したのであるが、このような厳格な二

分法の是非はともかくとして、彼女にかんするかぎり、心情の秩序への啓示、すなわち、

パスカルのそれにも比較すべきキリスト経験へと通じていることは事実である。しかし、

彼女においては、その体験以後も、強力な知性の働きは、しばしば矛盾に突き当たりな

がらも、それを突き抜けようとして、その活動をやめることがなかったし、このユダヤ女性

の固いうなじは、信仰さえあらゆる矛盾に踏み迷う領域、なかんずく、教会の権威、教義、

秘跡、救霊をめぐる問題にかんして、けっして頭をたれようとはしなかったのである。ところ

で、このような最後の心戦がおこなわれてゆく時期は、マルセイユからニューヨーク、さら

にロンドンと場所を移しながら、シモーヌ・ヴェーユが心身を擦りへらし、死に向かって一直

線にすすみつつあった時期でもある。大戦を通じて、神の退去の結果として重力のみが

支配することになった世界(パスカルなら逆に、原罪による神なき悲惨さの世界と言うで

あろう)は、愛と正義とは無縁の力のメカニスムによって、ますますその残忍さを顕在化

しつつあった。かつて、ローマ帝国の犯罪的暴力のすべてがキリストに突きあたり、そ

の十字架において純粋な苦しみと化したように、シモーヌ・ヴェーユもまた、力の抑圧に

苦しむ人びとの不幸と同一化しようとしてフランス本国派遣を執拗に嘆願し、それが拒否

されると、食思欠損と病いとによって一挙に死のなかに落ちこんでゆくのである。この死

をまえにした最後の時期、彼女の言辞に如実にうかがわれるように、彼女の知的自我

の習慣的メカニスムは、若干の逸脱とも呼ぶべきものを伴いながら、ときには解決不可

能な神学的問題をめぐる非現実的な雰囲気のなかで、いぜんとして運動していたかも知

れない。だがその反面で、彼女が実践した「愛の狂気」は、衰えてゆく肉体のなかで自我

の発言を徐々に封じてゆき、彼女の心情は意識せずして神に満たされていなかったとだ

れに断言しうるであろうか。真に内的な劇は立ち入る権利はないという意見も原著者は

はっきり表明しているが、われわれは本書のなかに、以上の線に沿った解釈の方向を

うかがうことができるし、この方向は、ヴェーユの包括的理解にも重要な因子となりうる

ものと考えられる。この点は、貴重な新資料と提出とならんで、本書の忘れてはならぬ

価値であろう。









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