Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress) Hopi maiden |
AllPosters 太陽に祈りを捧げるホピ族の男性とホピの女性たち ホピのシールドマーク。 全ての人種(黄、赤、白、黒)をひとつにして大地といのちを守り、 この地球のバランスをしっかりと保つ、という意味が込められている。
ホピの祈りが世界に届くことを 海をこえて たとえ自分たちを憎む人々のためにさえ 私たちは祈る 私たちが兄弟姉妹のように生きられる日が いつの日にか来るように 世界のすべての人々に 私の愛と敬意が運ばれることを ホピはその日のためにこそ 偉大なる精霊からホピというその名を与えられたのだ ホピ それは平和という意味である |
ドキュメンタリー映画「ホピの予言」 ランド・アンド・ライフ制作本編 「ホピの予言」宮田雪監督 1986年作品 75分 付録 「浄化の時代を迎えて―ホピの伝統に生きるマーチン・ゲスリスウマ氏に聞く―」 2004年作品 25分 販売価格 10,000円 (送料390円)
ヒロシマ、ナガサキに投下された原子爆弾は、アメリカ・インディアン最古の民、 ホピ族の聖地から掘り出されたウランから造られたものだった。その彼らの間 には、数千年の昔から、偉大なる聖霊から与えられた謎の予言の石版がある。 そして、そこには驚くべきことに「灰のびっしりつまったヒョウタン」と呼ばれたヒロ シマ、ナガサキの原爆投下を始め、第一次、第二次世界大戦、更には、来たる べき人類とこの文明の破滅と再生が予言されているのだ。いま、彼らは、その 予言の中に告げられた人類存亡の最終的危機と、それを乗り越える道を、世界 の人達に映画を通して訴え始めたのだ。この映画は、監督の宮田雪が、ホピ族 を代表する予言のメッセンジャー、トーマス・バニヤッカに出会ったことによって 始まり、約七年の歳月を経て、完成した。第十二回のアメリカ・インディアン・フィ ルム・フェスティバルで最優秀ドキュメンタリー大賞を受賞し、日本ばかりでなく、 アメリカ、ヨーロッパでも上映され大反響を呼んでいる。1986年作 75分 (ビデオの解説より引用)
〒657-0817 神戸市灘区上野通1-2-35-312
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Infinitus Possibilis: Hopi. ホピの預言(予言)に関する文献 「ホピ 神との契約 この惑星を救う テククワ・イカチ という生き方」 この惑星を救う テククワ・イカチ という生き方 トーマス・E・マイルス+ホピ最長老 ダン・エヴェヘマ 林陽訳 徳間書店 「インディアンの夢のあと」北米大陸に神話と遺跡を訪ねて 徳井いつこ著 平凡社新書 「ホピの太陽の下へ 女三人、アリゾナを行く」 羽倉玖美子 著 辰巳玲子 協力 野草社 「生命の始まりから浄化の日まで ホピ物語」 ダン・カチョンバ(ホピ・太陽一族) 北山耕平訳 ランド・アンド・ライフ発行 非売品 「ホピ ・ 宇宙からの予言」 ルドルフ・カイザー著 林陽解説 木原悦子訳 徳間書店 「ホピ・宇宙からの聖書」 フランク・ウォーターズ著 林陽訳 徳間書店 「スピリットの器」 プエブロ・インディアンの大地から 徳井いつこ著 地湧社 「ホピ的感覚」 預言された「浄化の日」のメッセージ 小原田泰久 著 KKベストセラーズ ホピ族の長老トマス・バニヤッカ、マーティン・ガスウィスーマから日本人への伝言 雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」を参照されたし 雑記帳「魅せられたもの」1997.6/20「霊的な戦士」を参照されたし 「心に響く言葉」1997.6/20「シアトル酋長の言葉」を参照されたし デキストラ(ホピ族の著名な女性陶芸家)の言葉 一 二 ホーク・フー・ハンツ・ウォーキングからの手紙 ホピに関する文献 「蛇と太陽とコロンブス」 アメリカインディアンに学ぶ脱近代 北澤方邦著 農文協 「ホピ・精霊たちの台地」 アメリカ・インディアンからのメッセージ 青木やよい著 PHP研究所 「子どもの神秘生活」 生と死、神・宇宙をめぐる証言 ロバート・コールズ著 桜内篤子訳 工作舎 「ホピの聖地へ」 知られざる「インディアンの国」 北沢方邦 著 東京書籍 「ホピ銀細工」 マーガレット・ライト著 岡山徹・監訳 仁井田重雄・訳 バベル・プレス 「ホピの国へ」 アメリカインディアンに学ぶ 青木やよい著 廣済堂文庫 「ホピ語辞典」 アメリカ・インディアン ホピ族の言語 戸部実之 泰流社 「蛇儀礼」 北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ アビ・ヴァールブルク著 加藤哲弘訳 ありな書房 「輝く星」 ホピ・インディアンの少年の物語 ジョアン・プライス著 北山耕平訳 地湧社 |
Goldwater Master Photographer Becoming is Superior to Being (大きな画像) ホピ平和宣言 |
本当のバハンナ・・・・映画「ホピの予言・浄化の日」製作の途上から 宮田雪 「夜明けへの道 はじまりの500年に寄せて アメリカ先住民は語る」より引用
映画「ホピの予言」の続編ともなる「浄化の日」という記録映画の製作を始めて4年になります。 浄化の日は、ホピの予言の最後のステージと言われているもので、撮影は今ホテヴィラという 伝統派の最後の砦と言われる村を中心に、進められています。アメリカという外国からの、絶え 間ない圧力の結果、それまでホピの最も古い村オライビ村の中で、白人の生き方を受け入れる 人と伝統に従う人たちの間に分裂が生じ、ユキウマという一人の指導者が、ホピの予言に従う 人達を引き連れて、現在サード・メサと呼ばれている砂岩台地の上に、新しい村としてホテヴィラ を作ったのです。今からおよそ86年前の1906年の事です。
ユキウマは、アメリカ政府がホテヴィラに移住した人々の子供を政府の学校に通わせる事や、 政府の方針に従う事を強要する宣誓書にサインを命じた時も、敢然とそれを拒否し村人全員と 投獄され、足に鉄の球をつけられてハイウェー建設の強制労働を強いられ、アルカトラス刑務所 を始め生涯の多くを牢獄で過ごしましたが、それでも決して政府の要求に従わなかったと言われ ています。その非暴力、不服従の精神は、インドのマハトマ・ガンジー翁を思い起こさせます。
ユキウマは、グレイト・スピリットの教えの上に立ち、この世界の始まりにグレイト・スピリット(マー サウ)から与えられた予言を実現させるのを目的として、ホテヴィラ村を創設しました。しかし現在、 そのユキウマの意志を受け継ぐ、伝等派の人々の数はめっきり少なくなりました。多くの人々は、 アメリカの主流的な生き方を受け入れ、毎月の儀式の多くも破壊されました。電気も引かれ、子供 達は政府の作った学校に通い、若者たちの間にはアルコール中毒が蔓延しています。しかしそれ でも、ほんのひと握りになりましたが、依然としてアメリカという外国の支配に徹底して不服従を貫 き、予言の実行のために働いている人がいます。
88年に亡くなったデヴィッド・マニャンギ翁もその一人でしたが、彼は国連へ予言を伝える事をひと つの使命としました。マーサウは、いつの日にかホピ族の土地から東の方向に高い「雲母の家」が 作られ、そこに世界中の指導者達が様々な問題を解決するために集まる日が来るだろう、という事 を伝えてきました。雲母というのはガラスのように透明な鉱物で、昔はホピの人々の家にはこの雲 母が使われていましたが、この「雲母の家」というのは建物の全面にガラスが使われているニュー ヨークの国連の事を意味しています。予言に従ってきたデヴィッド翁らホテヴィラの長老達は、「灰 のびっしりつまったヒョウタン」(原爆)がヒロシマとナガサキに投下された事を知った時に、予言を外 の世界に伝える事と同時に、「雲母の家」にメッセージを伝えに行く、ひとつの警告として受けとめま した。
マーサウは、ホピはそこに4回足を運び、4度その建物の扉を叩くだろう、と告げていました。です から過去40年にわたり、ホテヴィラ村の伝統派の長老達は、ニューヨークへ旅をしその扉を叩き、 またホピ独立国からの公式文書を国連に送り続けてきました。国連は、第1次世界大戦後、白人、 黒人、黄色人種を代表するそれぞれの独立国により結成されたものですが、しかしながら赤い人々、 つまりアメリカ先住民はこの連合の扉の中には入れられませんでした。とりわけホテヴィラ村の伝統 派の人々は、ホピ族がアメリカという外国と一度も条約を交わした事のない歴史をもとに、独立国と して、国連の中で一国として発言する事を主張してきました。1848年に、アメリカとメキシコの間で 締結された「グアダルビ・ヒダルゴ条約」でも、ホピ族は独立した主権国家として、大地の所有権も 認められているのです。ですから、アメリカ合衆国がその主権を侵害している事は明らかなのです が、今日まで国連はホピを独立国として認める事を拒否し続け、その扉は閉じられたままできました。
しかし90年の湾岸戦争の直前、長老達の通訳者でトーマス・バニヤッカ氏と国連の副事務総長との 会見により、その扉が徐々に開かれ始めました。92年7月、国連からの正式の要請状が、トーマス氏 のもとに送られてきました。それによれば、93年の「国連国際先住民族年」の始まりの儀式を、ホピ族 の祈りにより始めたいというもので、もしこれが実現すれば、予言された国連の扉は開かれたことにな るでしょう。
ホピ族は、予言に従い二つの大きな目的を携えて、国連の扉を叩き続けてきました。そのひとつは 「本当の白い兄弟」を探す事であり、国連に集う世界の指導者達に浄化の日の予言を警告する事で あり、更にはホピ族のみならず全てのアメリカ先住民の大地で起こっている破壊を正す事にあります。
ホピ族の言葉で、白い兄弟つまり白人は「バハンナ」と呼ばれています。これはひとつには、甘い言葉 でホピを誘惑する二つの舌をもつ欲の深い兄弟であり、今日ホピの伝統を破壊し、石炭の採掘などの 大地の破壊を推し進める人々の事ですが、ホピ族は長い間、「本当のバハンナ」が帰ってくるのを待ち 続けてきました。「本当のバハンナ」は、予言によれば「浄化の日」に初めて、ホピに浄化をもたらすも のとして帰ってくると言われており、しかも彼が帰ってくる時には、一枚の聖なる石版を携えてくる、と 伝えられています。
現在、ホテヴィラ村とオライビ村に、それぞれ四枚の石版が管理されています。この石版は、いずれも 古代にマーサウから彼らの祖先に授けられたもので、本当のバハンナが帰ってくると言われている石 版は、これらと共通しているものだと信じられています。
90年の12月、その石版の内ホテヴィラ村で管理されていた石版が、外の世界に示されるという出来事 が起こりました。この石版は、火氏族(ファイアー=コーコップ・クラン)が保持していたもので、ホテヴィラ 村の創設者であるユキウマが、いつも腰に巻きつけた袋の中に入れ、投獄された時さえも身体から離そ うとはしなかった、と言われるものです。この石版はこれまでに三度、ホテヴィラ村から外の世界に公式 に示された事があります。
1911年にユキウマが、ワシントンにタフト大統領を訪ね、石版がコロンブスがやってくる以前からホピ に存在するもので、ホピの大地に対してマーサウから与えられた権利の証である、と大統領に伝えた 時が最初です。
二度目にこの石版が示されたのは、1941年、第2次世界大戦の最中でした。石版は、ユキウマの子供 にあたる太陽氏族のダン・カチョンヴァに受け継がれていました。第2次世界大戦で、多くのインディアン 達が徴兵されましたが、ホピの若者の中から徴兵登録を拒否する者達が現れ、連邦裁判所で刑の申し 渡しを受ける事になり、ダン・カチョンヴァは、なぜ若者達が徴兵を拒否するのかという疑問に応えるため に、この石版を公開したのです。当時の「アリゾナ・リパブリック紙」がその時の模様を「ホピの予言は何 世代も前に石版に記されたもので、白人には解読する事はできない。ホピの長老達は白人達が互いに 敵対して闘うようになる事をずっと以前から知っていた。予言は、ホピが武器を持ってこの白人の闘いに 加わる事を、厳重に戒めている」と伝えています。実際にもホピの若者達の中には、徴兵拒否者として何 年も刑務所に服役する事になった者もいて、トーマス・バニヤッカ氏もその一人であり、彼は懲役7年の刑 を受けニューメキシコの刑務所で刑に服しました。
そして90年に石版が示されたのが、三度目になります。石版は、ユキウマの甥にあたる火氏族のマーティン・ ゲスリスウマ氏が管理していましたが、その年の冬、湾岸戦争が始まる直前に彼は、畑で蛇や蛙や冬には決 して咲かない花を発見し、それらの一連の出来事が、石版に告げられていた浄化の日の前兆であったために 石版を外の世界に公開したのです。公開した場所はニューメキシコ州のサンタフェ州庁舎で、彼がサンタフェを 選んだ理由は、そこがスペインによって最初にできたヨーロッパの首都であり、そこにオリジナルな原住民の 大地に対する権利をはっきりと証明する記録があるはずだと考えたからです。
かつてホピの土地にやってきた最初のバハンナは、スペイン人でした。彼らの目的は伝説上の七つの黄金 の都市を探す事にありましたが、彼らはホピの人達の痩せた土地と質素な生活振りを見るとガッカリして、 一度はメキシコに戻ります。しかし、1581年以降、再びホピの土地を支配しにやってきます。ホピ族ばかりで はなく、現在のアリゾナ州からニューメキシコ州にかけて、スペインによる恐怖時代が続いたために、ホピを 含むプエブロ達が団結して一大蜂起し、スペインを追い出すという時代がありました。その時にスペイン人が、 ホピ族の石版や土地に対する権利に関して記録していったと伝えられていて、その記録が最初の首都であ るサンタフェに管理されているはずだと考えたからです。
マーティン氏は、現在地球上の生命を脅かしている様々な問題の根本的な原因は、権力によってもたらさ れる大地に対する概念にあると述べました。スペインの侵略に始まる近代文明は、大地に対する所有の概念 に基づいています。しかしマーティン氏ら伝統派のホピ族は、グレイト・スピリットからの許可に基づいて、大地 の世話人としてホピに植えつけられた者達であり、大地は保護され、管理されるものと考えています。ホピ族 のようなオリジナルな先住民族達はいずれも同じような理由により、地球上のそれぞれの大地に住まわされ、 グレイト・スピリットにより、それぞれの生命のバランスを保つ事に対する特別な役割を担ってきました。マー ティン氏は、サンタフェ州庁舎で「この石版は、コロンブスがアメリカ大陸にやってくるずっと以前からホピに 存在し、彼らが決して放棄する事のなかった、大地に対する古来からの権利の証である」と語ったのです。
彼はその記者会見の中で、ホピ族が古代にグレイト・スピリットから授けられた、この石版と同じ石版を持って いる兄弟(本当のバハンナ)が、世界のどこかにいるはずであり、もしその人達と力を合わせる事ができれば 世界の浄化の大きな力となる、とも述べました。石版を公開した目的のひとつは、このもうひとつの石版を探す ためでもありました。
予言によれば、昔ホピの弓氏族に二つの石版を持つ双子の兄弟がいました。兄弟は話し合い、弟がマーサウ を探す旅をしてマーサウを発見したらその場所に留まり、兄が来るのを待つ約束をし、兄の方は弟と別れた後、 東に向かい太陽の昇ってくる所まで旅をし、そこで弟からの連絡を待つ約束になっていました。
ダン・カチョンヴァは、この二人の約束について、こう語っています。「その時弟は、兄が帰ってきて自分を助け てくれるのを、心待ちにしているかもしれない。というのも、生活の型の変化が、やがて弟の率いる人々の生き る道、ウェイ・オブ・ライフそのものを崩壊させてしまう事は明らかだったからだ。もしその時に兄が帰ってこなけ れば、彼らは間違いなくこの地球の表面から消し去られてしまうに違いない。わしらが未だにグレイト・スピリット の教えの上にしっかりと立っているのは、そのためなのだ。未だにわしらは遠く東の方を望んでは、なるべく早く そのお方が帰ってきてくれるように祈り続けている。弟は兄にあらかじめこう言ってあった。『大地も変わり、人も 変わるでしょう』と。『しかし』と弟は続けた。『しかしたとえ、そうなっていたとしても、決して心を迷わせたりしない で下さい。兄さんなら私達を見つける事ができるはずです。たくさんの人達が、やがてマーサウの与えられた 生き方から離れていくでしょう。しかし、たとえほんのひと握りになったとしても、あのお方の教えに誠を誓う私達 は、この家に留まります。昔から変わらないこの髪の形、家々の造り方、村の作られ方とその村がのっている 大地の形、そして何よりもこの生き方、全てが今のまま、きちんとしている事でしょう。あなたはそれによって、 私を見つけるのです』」
このホピの地に留まっている弟を助けるために、石版を携え帰ってくる本当のバハンナと呼ばれる兄は、赤い 帽子か赤い衣を身につけているとも伝えられています。彼は、携えてきた石版とホピに管理されていた弟の 石版を並べて世界中の人々に示し、彼らが互いにグレイト・スピリット、マーサウから使命を受けた兄弟である 事を示す、と言われています。そしてこの本当にバハンナは、ホピである弟を助け、コロンブスがアメリカ大陸 に上陸して以来、過酷な扱いを受けてきた全てのアメリカ先住民の兄弟達に、真実の正義をもたらすのです。 それにより、コロンブスというバハンナがアメリカ大陸に上陸して以来続いてきた不正に対して、グレイト・スピ リットによる偉大な浄化がもたらされる、とも言われています。
赤い帽子か赤い衣を着た「本当のバハンナ」とは、一体誰の事なのでしょうか。第14世ダライ・ラマ貌下を法王 と仰ぐ、チベットの人達の中から現れる、と言う人達もいます。76年にチベットのベン・ゴマリング・リンポチェ師が ホテヴィラ村を訪れ、デヴィッド・マニャンギ翁ら伝統派の長老達と長時間にわたり、その互いの精神世界や予言 について会談したのを始めとして、79年にはダライ・ラマ貌下との会見や、チベット仏教界の指導者達との交流も たびたび行なわれるようになりました。近くには92年11月、マーティン氏とラマクンガ・リンポチェ師、ラマ・タイシ・ リンポチェとの会見も行なわれる予定です。
現在、撮影が進められている記録映画「ホピの予言・浄化の日」は、この世界のどこかにいる本当のバハンナに あてた、ホピへの帰還を告げるメッセージ、といえるのかもしれません。
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A Koskimo house Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
ワタリガラスの伝説 「森と氷河と鯨」星野道夫 文・写真 世界文化社 より引用。
今から話すことは、わたしたちにとって、とても大切な物語だ。だから、しっかりと 聞くのだ。たましいのことを語るのを決してためらってはならない。ずっと昔の 話だ。どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森 をつくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。人々は森の 中に座り、どうしていいのかわからなかった。木は生長せず、動物たちも魚た ちもじっと動くことはなかったのだ。ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中 から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスはじっと見つめていた。すると 一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。彼の嘴は素晴らしく長く、それは 一羽のタカだった。タカは実に速く飛ぶ。「力を貸してくれ」 通り過ぎてゆく タカにワタリガラスは聞いた。あの火の玉が消えぬうちにその炎を手に入れ なければならなかった。「力を貸してくれ」 三度目にワタリガラスが聞いた 時、タカはやっと振り向いた。「何をしたらいいの」 「あの炎をとってきて欲し いのだ」 「どうやって?」 ワタリガラスは森の中から一本の枝を運んでくる と、それをタカの自慢の嘴に結びつけた。「あの火の玉に近づいたなら、 頭を傾けて、枝の先を炎の中に突っ込むのだ」 若者は地上を離れ、ワタ リガラスに言われた通りに炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び続け た。炎が嘴を焼き、すでに顔まで迫っていて、若者はその熱さに泣き叫 んでいたのだ。ワタリガラスは言った。「人々のために苦しむのだ。この世 を救うために炎を持ち帰るのだ」 やがて若者の顔は炎に包まれ始めた が、ついに戻ってくると、その炎を、地上へ、崖へ、川の中へ投げ入れ た。その時、すべての動物たち、鳥たち、魚たちはたましいを得て動き だし、森の木々も伸びていった。それがわたしがおまえたちに残したい 物語だ。木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを 見つめている。そのことを忘れるな。これからの時代が大きく変わってゆ くだろう。だが、森だけは守ってゆかなければならない。森はわたしたち にあらゆることを教えてくれるからだ。わたしがこの世を去る日がもうすぐ やって来る、だからしっかり聞いておくのだ。これはわたしたちにとって とても大切な物語なのだから。
(クリンギットインディアンの古老、オースティン・ハモンドが1989年、死ぬ 数日前に、クリンギット族の物語を伝承してゆくボブをはじめとする何人 かの若者たちに託した神話だった。この古老の最後の声を、ボブはテー プレコーダーに記録したのだ。
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