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アッシジの聖フランシスコが亡くなった時(1226年10月3日未明)の天空
とても不思議なことですが、太陽を中心として水星、金星、地球、火星、木星、
土星が十字架の形に並んでいます。青い星が多くの生命の母なる地球です。

Stellla Theater Pro
1226年10月3日未明のアッシジの星空です。
1225年夏頃から聖フランシスコの目は悪くなり始め、亡くなるこの日はほとんど見えな
い状態でしたが、アッシジの街には満天の星からの光りが舞い降りていたことでしょう。

フランシスコが亡くなった所に立てられた記念教会の壁画。

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ラウデ(賛美)と呼ばれるひばりがたくさん、フランシスコの臥す住まいの屋根の上、あまり 高くないところで飛び交い始めた。鳥たちはぐるぐる輪になって飛び回り、さえずった。祝福 されたフランシスコと共にいて、フランシスコについてこのようなことを書いてきたわたしたち は、フランシスコが次のように言うのを何度も聞いたことがある。「もし、わたしが皇帝にお 話できるとしたら、神の愛のために、またわたしのたっての願いのために、どんな人もわた したちの姉妹であるひばりを捕獲したり害をしたりしてはならないという法令を定めてくだ さるよう懇願します。同じように、市長や町や村の領主たちも毎年のご降誕の祝日には、 そのような祭日にふさわしく住民に麦粒か何かを市や町の外の道ばたにまかせ、とくに わたしたちの姉妹であるひばりや他の鳥たちに、何か食べるものを与えてほしいと思いま す。また、聖母があの夜、牛とろばの間にある飼葉おけにお置きになった神のおん子を敬 うために、ご降誕の夜は、兄弟である牛とろばに飼葉をたくさんやるはずです。さらに、主 のご降誕の祝宴を開く時は、富んでいる人は貧しい人に、おなか一杯食べられるだけのも のが与えられるように配慮しなければならないのです。」祝福されたフランシスコは、どの 祭日よりも大きな敬いを込めて主のご降誕を祝った。他の祭日も、主がわたしたちの救い のためにお働きになったことを記念するが、祝福されたフランシスコがよく言っていたよう に、まず、主がわたしたちのためにお生まれになったからこそ、わたしたちの救いは成就 されたのである。だから、フランシスコは、キリスト教徒が皆、その日にはわたしたちのた めにご自身をお与えくださったかたの愛を思って、主のうちにあって喜んでほしいと願って いた。だれもが貧しい人たちだけでなく、動物や鳥にも寛大に喜んで与えなければならな いのだ。祝福されたフランシスコは、ひばりについてこう言っている。「姉妹であるひばりは 修道者のように、頭巾をつけていて、謙遜な鳥なのです。ほんの少しの穀粒が動物の糞に 混じっていれば、ついとはじき出して食べます。飛んでいる時は、地上のことを軽んじ、いつ も天上のことに思いをはせ、善良な修道者のように、主をほめたたえます。その上、羽の 衣は土の色をしていて、この点でも修道者に良い手本を見せてくれます。修道者ははなや かな上等の布の着物を着るのでなく、むしろ冴えない土のような色を選ぶべきだからで す」。祝福されたフランシスコは、今言ったことを姉妹であるひばりの中に見ていたので、 ひばりをこよなく愛し、ひばりを見ることが喜びだったのである。・・・・・・・・・
「フランシスコと共にいた わたしたちは」あかし書房より
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なかった。くりかえしアンジェロとレオーネは、彼に太陽の歌をうたってやらねばならなかった。 くりかえし病人は「ほめられよ、わが主よ、姉妹である死によって!」という最後のところをくり かえした。それから、臨終の時がきたら、また裸にしてもらい、裸で地面に寝たままで死ねる ようにと、修道院長に求めた。金曜日が過ぎ、土曜日(10月3日)となった。医者が来ると、 永遠の生命への門はいよいよいつ開かれるのか、と彼は尋ねた。兄弟たちに、灰を頭にま いてくれるように頼んだ --- 「やがてわたしはちりと灰以外の何物でもなくなるだろう」 夕方 彼はまた異常な力で歌いだした。それはもう太陽の歌ではなくて、「われ声を出して主に呼ば わり」に始まる詩篇第一四二だった。十月の夕やみが迫り、ポルチウンクラの周囲の森の 深い静寂の中で、かたずをのんで耳を傾ける弟子たちに囲まれて、詩篇を唱えた -------
われ声を出して主に呼ばわり、 声を出して主に請い求む。 われはそのみ前にわが嘆きをそそぎだし、 そのみ前にわが悩みを表す。 わが霊魂わがうちに消えうせんとする時も、 おんみわが道を織りたまえり。 人われを捕えんとて、わが行く道に罠を隠せり。 われわれが右の手に目をそそぎ見れど、一人だにわれを織る者なし。 われには逃げ道なく、またわが霊魂をかえりみる人なし。 主よ、われおんみを呼ぼう、われいわん、おんみはわが望み、 生ける者の地にてわがうべき分なりと。 願わくはわが嘆願にみ心をとめたまえ、われいたく卑しめられたればなり。 われを迫害する者より救いたまえ、彼らはわれに優りて強ければなり。 願わくはわが霊魂を牢獄より解き放ち、われにみ名を賞賛せしめたまえ。 義しき者はおんみがわれに報いるを待てリ。
フランシスコが祈っているうちに、庵の中は真っ暗になった。彼の声がやんだ時、死の静けさ が忍びこんだ --- この声がもう破ることのない静けさが。アシジのフランシスコのくちびるは 永久に閉じた。フランシスコは歌いながら永遠の中へ入って行った。だがみまかった神の歌 い手への告別のあいさつとして、その瞬間、庵の上に、不意に高いさえずりが響いた --- 最後のあいさつを告げたのは、聖フランシスコのよき友ひばりだった。
「アシジの聖フランシスコ」イエンス・ヨルゲンセン著 永野藤夫訳 講談社より
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