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「Assisi」日本語案内書より
聖フランシスコは1181年から1182年の冬、アッシジの裕福な商人ピエトロ・
ベルナルドネを父とし、ピカと呼ばれたヨアンナを母として生まれました。イエズ
ス・キリストと同じように、馬小屋で生まれたと伝えられ、今もその場所はチャ
ペルとして残っています。若い時は、世の常の若者のように、金に任せて青春
を楽しんでいましたが、18歳の時、アッシジといつも力を争っていた大都市ぺ
ルジアとの戦争に参加し、敗れて捕虜となりました。やがてアッシジに帰りま
すが、あるとき病気になったのがもとで、1205年から1209年にかけて精神
的危機に落入ってしまいます。しかし次第にそれを乗り越えて行き、ついには
後にフランシスカン理想と呼ばれるものを育てあげるのでした。・・・・・
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十字軍に加わって、スポレトの町に泊ったとき、キリストの示しに出会い、この
世の主君に仕えるより神に仕えることを選び、サン・ダミアノ教会で祈りをして
いたとき、そこに掛っていた十字架から「私の教会を建て直せ」という声を聞
き、壊れた教会を見つけては修理に励んでいました。しかし、これが精神的
な意味で教会を建て直すことであることに気がついたフランシスコは、イエズ
スの教えを徹底的に生きること、つまりイエズスが生活したように生活する事
の決心をします。この世の財産を投げ捨て、貧しい生活に徹して生きるフラン
シスコを見て、やがて人々は彼を「ポベレルロ」(貧しき人)と呼ぶようになり
この言葉は今でも聖フランシスコの代名詞になっています。・・・・・・・
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あらゆる圧迫にもくじけず、人々に改心を勧め、「平和と愛」を説くフランシスコ
の姿に人々は胸を打たれ、彼の生活に共鳴する者も12人集まります。そこで、
フランシスコはローマ法王の認可を受け、「小さき兄弟会」または「償いの会」と
呼ばれる会の創立に踏み切りました。そのころの最初の修道院が(というより
豚小屋でした)アッシジの駅からほど遠くない所にあるリボトルト教会です。12
11年には、現在大きな教会の中に包まれているサンタ・マリア・デリ・アンゼリ
に移りましたが、ここが聖人の生涯を通じて最も愛しい場所、修道会の中心、
そしてついには聖人の帰天の場ともなりました。聖人の活動はイタリア国内だ
けに留まらず、会員をトルコに派遣するかたわら、自分も殉教の熱にもえて
トルコに出掛けて布教しています。・・・・・・・・・・・・・・・・・
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1212年には、聖クララを始めとする女性のための修道会も創立しました。一般
に「クララ会」と呼ばれているのがそれです。1221年以後は、フランシスコの内
面が、ますます神に高められて行く過程を見ることができます。1224年9月17
日、つまり死の2年前、ベルナ山でイエズス・キリストに倣い、40日40夜の断食
をし黙想をしていたとき、フランシスコはキリストと同じ傷を両手両足そしてわき腹
に受けました。フランシスコにとって、目に見えるもの、手に触れるものすべてが
神のみ業であり、人間にとっては兄弟であるという心の高見にまで達しました。
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ここから有名な「太陽の賛歌」が生まれるのです。「太陽なる兄弟、姉妹なる月」
と自然を呼んだフランシスコは、死さえも「姉妹なる死」と喜んで迎えます。こうし
て1226年10月3日の夕暮、まずアッシジからサンタ・マリア・デリ・アンゼリ(ポ
ルチウンクラともいいます)に運ばせる途中、かってライ病院があったあたりで担
架を止めさせ、アッシジの町を祝福した後、サンタ・マリア・デリ・アンゼリで息を引
きとりました。最後の最後まで、イエズス・キリストに倣うことを心掛けたフランシ
スコは死に方さえもキリストに倣い裸で地面に横たえてくれるよう願いました。
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すべてを捨て去ることを命じたフランシスコでしたが、人間的な暖かさを失わな
かった彼は、会員たちの憩いの場、故里として、このサンタ・マリア・デリ・アン
ゼリだけは所有することを拒みませんでした。フランシスコの姿を、生き方を今に
伝える「聖フランシスコの小さき花」という本の中には、どれほどこのポルチウン
クラ(サンタ・マリア・デリ・アンゼリ)が登場することでしょう!・・・・・・・
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DVD「Beavers」より
私が聖フランシスコにひかれたのは、キリストと同じく貧しく生きることに徹した
ということと同時に、限りなく人間以外の他の生命に対して慈愛を持ち、その
存在自体が、彼にとって大きな歓喜であり、感謝の気持ちを起こさずにはいら
れないものであったということによる。全てのものを放棄したが故に、逆にあら
ゆる存在が神の栄光を現わしていると気づかされたのかも知れない。彼が話
し始めると、鳥たちがが彼の周りに集まり、じっとその話を聴いていたというこ
とは、他の生命との間に垣根を作ってしまった現代に生きる多くの人にとって
信じられないことかも知れない。しかし、そんな彼を通して私はカトリックにひか
れていった。これは私の勝手な憶測だが、聖フランシスコは存在そのものの
背後にあるものを感じたのではないだろうか。聖書というフィルターを通してで
はなく、存在そのものの重みに耐える人であったからこそ、鳥たちは何の恐
れもなく、彼の許に近寄ることができたのではないか。自分の存在を何らの
偏見・フィルターを使わずに、あるがままに見てくれる、認めてくれる人であっ
たが故に。そしてそこに創造主への歓喜と感謝があったが故に。・・・・・
彼の目は真に澄みきった鏡を持ち、何の曇りもなく、あらゆるものを映し出す
ことができた奇跡の人と言えるかもしれない。しかし、キリスト教は分裂と破
壊をこの地上にもたらすことになる。傲慢な人間優位が支配し、他の生命は
人間の奴隷と化してしまう。現代に生きる我々は多くの殺戮・破壊を目にし
ている。地球は傷つけられ、未来への子孫に対する責任・義務を放棄してい
るとしか思えないし、また多くの先住民族への迫害は目を覆うものがあった
のではないだろうか。確かに現在のキリスト教(カトリック)は積極的に異文
化を認め、その中に宿っている霊性を神からのものとして受け止めようとして
いる。だが、これほどまでにあるべき道から遠く離れてしまったのは何故な
のだろう。人間と他の生命の間に横たわる底が見えない崖は誰が掘ったの
か。イエス・キリストが十字架上で身に受けた五つの傷、そしてその同じ傷
を聖フランシスコもアルヴェルナ山で受ける。彼の悲痛な祈りに対して、十字
架にかけられたキリストが現れ、フランシスコは神から目に見える聖なる印(
聖痕)を受けたのである。神はフランシスコを愛し、フランシスコのように、見
なさいと言っているのではないだろうか。それが私たち人間のあるべき姿で
あると。私にはそう感じてならないのだ。決してフィルターを使わない生き方
を神は望んでいられるのではないだろうか。たとえそれが聖書というフィルタ
であっても、それが存在そのものの姿を覆い隠すものであるなら、それは神
から遠く離れているものではないかと思う。私が教会から離れてアメリカ・イ
ンディアンにひきつけられたのは、このような目を聖人だけではなく、多くの
アメリカ・インディアンが共有していた事実に神の息吹を感じていることによ
るのかもしれない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1997.5.4
次の関連項目も参照されたし。
「魅せられたもの」1999.1.30 「未来を守る無名の戦士たち」
「心に響く言葉」1997.9/29
「ウォーク・イン・ビューティ」
「魅せられたもの」1997.3/30
「野生の鹿と出会って」
わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。 太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。 わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。 月と星はあなたのけだかさを受けています。 わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。 風はいのちのあるものを支えます。 わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。 水はわたしたちを清め、力づけます。 わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。 火はわたしたちを暖め、よろこばせます。
わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。 大地は草や木を育て、みのらせます。 神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、 病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。 終わりまで安らかに耐え抜いく者は、あなたから永遠の冠を受けます。
わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。 この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。 大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。 神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。 第二の死は、かれを損なうことはありません。 神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、
感謝します。
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