AllPosters


アイヌ&奄美・沖縄





知里幸恵 「アイヌ神謡集」岩波文庫より引用

大正十一年三月一日



その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。  

天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく

生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであっ

たでしょう。



冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせ

ず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白

い?の歌を友に木の葉の様な小舟を浮かべてひねもす魚を漁り、花咲く

春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀る小鳥と共に歌い暮らして蕗

(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み、紅葉の秋は野分に稲揃うすすきをわけて、

宵まで鮭とる篝(かがり)も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円(まど)

かな月に夢を結び、嗚呼なんという楽しい生活でしょう。



平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転

をなし、山野は村に、村は町に次第々々に開けてゆく。



太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々

として暮らしていた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たちの

同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり、しかもその

眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の

輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わか

ず、よその御慈悲にすがらねばならぬ。



あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・・それは今の私たちの名、なんと

いう悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。



時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残

の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強

いものが出て来たら、進みゆく世と歩を並べる日も、やがては来ましょう。

それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。 



けれど・・・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通じる為に

用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらの

ものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょう

か。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。



アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある

毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな

話の一つ二つを拙い筆に書連ねました。



私たちを知って下さる多くの方に読んでいただくこと事が出来ますならば、

私は、私たちの同族先祖と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に

存じます。



 



AllPosters


「銀のしずく」館(知里幸恵記念館)(仮称)建設に向けて

知里幸恵(青空文庫)


 
 


私が18歳のとき、一人で北海道各地を旅したことがあり、阿寒湖の近くだったかアイヌが

住む近くのお土産やで興味半分に「ここはアイヌの人が住んでいるんですか?」と中年の

女性の店員に聞いたことがある。その女性が半ば警戒したような様々な感情が入り混じっ

た眼で一瞬私を睨んだような気がした。私はこの時初めて自分がアイヌに関して何も知ら

ず、そして彼らが辿ってきた歴史に何か隠されたものがあると感じ、そんな軽はずみな質

問をした自分を恥ずかしく思った。それから月日が流れアメリカ先住民インディアンの言葉

にひかれるようになったのだが、何故か日本の先住民族、アイヌや奄美・沖縄の人たちの

ことを積極的に知ろうとはしなかった。


奄美は幼少の頃育ててくれた土地だし、あの時のアイヌの女性の眼は時々私の脳裏を

かすめていたのだが。遠くの国のインディアンの悲惨な歴史や精神性に関心を持ち、世界

各地の先住民のことを知る途上で、アメリカと全く同じ差別的な政策が日本に移入されアイ

を苦しめていた事実を初めて知った自分。無知とはなんと恐ろしいことだろう。自分の足元

でインディアンと同じ歴史が繰り広げられ、その豊穣な精神性が過去の記憶になりつつ

あった。私たちの祖先やその隣人がアイヌの人たちにどのようなひどい仕打ちをしてきた

か。私自身の足元で行なわれていた迫害、遠い国のアメリカのインディアンたちが受け続

けてきた迫害の歴史が、この日本でも行なわれていたという事実。「美しい国、日本」「単

一民族、日本」、冗談ではない。何が美しいのか? 伝統文化、宗教をことごとく破壊し、強

制移住させてきた日本人の何処が美しいのだろう。言葉や文化、宗教が違う先住民族が

おりながら、日本は単一民族と言い張る下劣な人間が何故いるのだろう。


確かに国家権力と結びつく前の原始神道の価値観は、アイヌ、奄美・沖縄と共通した多く

のものがあり、それが現代も生き続けてきたことは唯一日本の救いなのだが、その反面、

その母体であるアイヌの全てを破壊してきたのも日本人であることを私たちはどのように

感じるべきなのだろうか。


この「アイヌ&奄美・沖縄の言葉と文献」をインディアンの項目に置きます。インディアン

や先住民に関心を寄せる人が、日本の先住民にも眼を向けて欲しいと願うからです。

まだまだ未熟な項目ですが、少しずつ充実していければと思っています。

(K.K)


「アイヌの宗教や世界観は、日本文化の根底をなしている宗教や世界観であり、それ

を読む人は、自らの魂と思想の根底を見る思いがするにちがいない。アイヌ文化研究

は、日本文化研究のもっとも重大な要点であり、全ての日本人に関わりをもっている

のである。」  梅原猛・・・・「アイヌ、神々と生きる人々」藤村久和著より引用













AllPosters

当サイトは、Amazon(新品、古本)のアフィリエイトに参加しています。
古本においては、Amazonが一番充実しているかも知れません。
 

またブラウザ「Firefox」ではリンク先が正常に表示されない場合があります。


アイヌ&奄美・沖縄の声

アイヌ川村シンリツ・エオリパック・アイヌの言葉
アイヌ萱野茂(萱野茂アイヌ記念館館長)の言葉
アイヌ小田イトの言葉「妹、障害をもった和人のもらい子」


アイヌ&奄美・沖縄の文献


「アイヌ神謡集」知里幸恵 アイヌが置かれた苦境の中で、重い心臓病をもつ19歳のアイヌの
少女が命を懸けて美しい記憶の言葉を残した名著。
「ユタ」の黄金言葉 沖縄・奄美のシャーマン(ユタ)たちが語る貴重な神の声
日本の深層
縄文・蝦夷文化を探る
差別されてきた蝦夷・アイヌこそ日本の深層であることを探る
火の神の懐にて 古老を通して語られるアイヌの祈りと慈愛に満ちた豊かな世界観
日本人の魂の現郷 沖縄久高島  「母神」を守護神とする古代人の魂が継承されてきた久高島、この
 島の祭祀の多層な場面を30年近く記録してきた貴重な文献。  
写真集 世界の先住民族
 危機にたつ人びと
先住民族と呼ばれる方たちの血と涙に満ちた魂の悲痛な叫び
先住民族
 地球環境の危機を語る
世界各地の先住民族の言葉一つ一つにほとばしる生命の輝き
炎の馬 アイヌの伝承世界に息づく豊穣な魂を綴った民話と神話集
アイヌ学の夜明け アイヌの古老や研究者との対談から人類のあるべき姿が見える
知里幸恵「アイヌ神謡集」への道 知里幸恵、神謡集の魅力を各界で活躍する33人の人々が熱く語る
アイヌの碑 アイヌ民族の文化伝承に生涯を捧げている著者の自叙伝
21世紀に残したい沖縄の民話 沖縄各地から聴取した七万話から選ばれた次の世代への贈り物
奄美 神々とともに暮らす島 奄美の神々と共に生きる美しい自然の姿を収めた写真集。
沖縄の宇宙像 古老から聞いた死と誕生、引導渡し、生贄、厄除けなどを語りつくす
沖縄文化論 忘れられた日本 画家・岡本太郎が沖縄に日本のあるべき姿を見い出そうとする名著
夜明けへの道 新大陸発見から続く残酷な歴史を世界各地の先住民が語る
アイヌの昔話  昔話の世界には、遥か昔からの先祖たちの伝言が込められている。 
神女(シャーマン)誕生
徳之島に生まれた祝女の記録
シャーマンとして生きる覚悟、そこに至るまでの心の苦悩と葛藤。
アイヌ、神々と生きる人々 アイヌの精神世界を、誕生、成長、老から死へと再現し紹介する
アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ
 伝承の知恵の記録
アイヌに継承されてきた一人の女性による産婆術、治療のための
 特殊な掌、薬草、整体手法、シャーマンの技量をその言葉と共に紹介
「アイヌの霊の世界」 偏見と誤謬に満ちたアイヌの信仰こそ日本文化の基層を支えている
奄美学 その地平と彼方(未読) 奄美の人が奄美を認識し自己を規定していく奄美学、その意味を問う 
アニミズムという希望(未読) 屋久島において生涯を終えた山尾三省による大学での講義録。
図説 世界の先住民族(未読) 世界各地の先住民族の叡智を130点を超える写真・図版で紹介
サルウンクル物語
 アイヌ民族シリーズ
祖父が遺したウパシクマ(言い伝え)、著書の文集をまとめた物語
アイヌのイタクタクサ
 言葉の清め草(未読)
アイヌの生き方や知恵・神話を、言霊を守り続けてきた萱野茂が語る







 

既読の文献
各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。

 

この文献の詳細ページへ 「アイヌ神謡集」
 知里幸恵 編訳 岩波文庫


これ程に悲しみを湛えた序文を、そして文字通り命をかけて成し遂げたかった
アイヌに伝わる伝承物語の中に息づくアイヌの豊穣な精神性を見て心を揺さぶ
られてしまった。大正時代に出版されたこの文献は、アイヌの人にとって自己の
アイヌとしての基盤を世に認めさせた最初の文献であったが、それでもアイヌへ
の差別はその後も続いていくこととなる。アイヌの悲惨な歴史の中で知里幸恵は、
幼少の頃の美しい思い出を糧に、その精神性をこの文献を通して語り継ぐ使命
を感じていたのだろう。「アイヌとして生きる」そして生きた知里幸恵のこの文献は
私の心の中でいつまでも消えることの無い熱い炎を燃やすだろう。

「銀のしずく」館(知里幸恵記念館)(仮称)建設に向けて
知里幸恵(青空文庫)

 
 
  この文献の詳細ページへ 「アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ 
    伝承の知恵の記録」
 
     青木愛子 述 長井博 記録 樹心社

青木愛子さん(1914年3月10日〜1995年10月24日)は、古代から継承されてきた
産婆術だけに留まらず、診察・治療のための特殊な手、そしてウエインカラ(何で
も見える千里眼)を通してシャーマン的な役割を担ってきた方である。愛子さんの
ウエインカラは、初対面の人と対座した時だけでなく、電話の相手でもその人の
過去と未来がわかる特殊な力を持っていた。それは相手の血液の赤血球や白血
球の流れがまるで顕微鏡を見ているように見えることも意味していた。

愛子さんの産婆術に関しては本書に詳しく書かれているが、驚くべきことは5代目
の愛子さんに継承されたこの秘伝は1756年(宝暦6年)フィリピンのパギオシティー、
イゴロット族の聖地アシュラムから始まっていることである。この初代の産婆さん
の名前は天静一(テンシンイチ)と言うが、その出身地など不明である。そしてこの
男性がアイヌに来て結婚し、産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしなが
ら、夫婦で北海道各地のアイヌコタン(村)を巡回したという。

この南の島からの秘伝と聞くと、ハワイ先住民の呪術師(カフナ)たちが行ってい
た秘術
として知られている「ホ・オポノポノ」とアイヌには何か共通点があるのかも
知れない。ハワイ先住民のカフナは、エジプトのピラミッド文明時代、国内情勢が
悪化したため、最高の宝(呪術の秘法)を守るためエジプトを脱出し祖国(ポリネ
シア)に辿り着いた民だという説がある。

またこの説では、カフナ12部族のうち10部族がインド洋経由で各地に秘術を植え
付けたが、祖国帰還の途中で日本にも渡り、古神道の呪術の基礎を据えたとい
うのである。時代は異なると思うが、イスラエルの12部族のうち失われた10部族
を考えると、この数字はただの偶然なのか、それとも何か意味を持っているのだ
ろうか。

私自身1980年頃かつてマルコス政権下のフィリピンのスラム街など、同級生や
シスター達とフィリピンに行ったことがあるが、その旅行中にパギオにも立ち寄っ
たことがあり、パギオの近くだったか記憶があやふやだが、森に住む先住民の
方にも会ったことを思い出す。その時は経済開発の名の下に住む場所を奪わ
れていく先住民の現状を見ただけだった。

話は随分それてしまったが、青木愛子さんの後を受け継いだ長井博さん、そして
長井さんの次女へと途絶えることなく継承されていることに感慨深いものを感じて
ならない。

(K.K)



赤ちゃんは喜びながら生まれてくる

青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて
来た産婆術(イコインカル)、診察、治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(ク
スリ)、整体手法、あるいはシャーマンとしての技量(ウエインカラツス)をも駆使
(ウエポタラ)して、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍した。

本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見て、その言葉の一つ一つを丹念
に記録した、アイヌの信仰と文化の実態に迫る伝承の知恵の書。
(本書・帯文より引用)



見えないはずのものが見える
死者の霊が見える。例えば愛子の親しい友人が交通事故で死亡した。死亡して
から四十九日の間は、その友人の霊が愛子の処に遊びに来るのが見えて、対話
する。愛子にとっては日常的なことなので恐ろしいという気持ちは起きない。四十
九日が来ると、既に死亡している友人の親族の霊が友人の霊と一緒に現れて歌
をうたったりする様子が見え、その声も聞こえる。これは四十九日で終る場合で
ある。

この場合、愛子の親しい友人でなくとも、死者の霊を見ることがあり、四十九日を
過ぎた者の霊を見ることもある。これは完全にポクナモシリ(地獄)に堕ちている
霊であると解釈している。いわゆる自縛霊のことである。自縛霊は人間に限らず、
犬や猫等の動物である場合もある。

一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く
見える人が多い。何も見えないほど暗い人もある。暗い人の過去現在をウエイン
カラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚醒剤、物欲
の強い様子が見える。明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に対して尽く
している様子が見える。ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、
無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有し
ているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。

(本書より抜粋引用)

五代目継承者の愛子は父ウトレントク、母ウコチャテクの第七子四女である。
以上を簡単に整理すると、青木愛子に伝わるアイヌイコインカル(助産術)や
テケイヌ等は、ルソン島のイゴロット族のアシュラム(聖地)から運ばれている
ことになる。アシュラムの方にはヒーリング(心霊技術)が歴代継承され、既に
他界したが、トニー・アグパオアが現れて、その手術の真偽が世界的な話題に
なったようだ。真偽の問題を論ずる趣味は筆者にはないが、聴診器も注射も
メスも使わずに手当てを行なう特殊な掌をアイヌ語でテケイヌと呼ぶことを報告
しておきたい。二代目、三代目はヤマモンベツコタンに、四代目、五代目は
二風谷に定住した。初代以降五代目まで、アイヌの信仰と文化の中で人生を
送っている。しかし、アイヌと結婚した者は、現在までの調査では四代目ウコ
チャテク一人が判明しているだけである。
(本書より引用)


「ウテキアニ(育みわかちあう愛) 青木愛子ババの一周忌に思う」
を参照されたし


 
 

この文献の詳細ページへ 「ユタ」の黄金言葉 
沖縄・奄美のシャーマンがおろす神の声 
西村仁美 著 東邦出版


シャーマニズム、これは人類最古の宗教的あるいは医学的、心理的なもの
の源泉であるが、それをどのように自分の中に構築しようとも、摩訶不思議な
神秘的な次元に立っており、それに近づくことさえ出来ないのを感じる。また
シャーマニズムが持つ特性として、ある一つの教義に縛られることがないため、
それぞれの土地の風土や、そこに生きる人々の集合体としての意識(無意識
を含む)の指向性により、多種多様な形のシャーマニズムが世界各地で存在
してきた。しかし、形は異なるにせよシャーマンは自然の神々と人間を結ぶ架
け橋であり、それを通して、人々は霊的な教えに触れ、心と体を癒されてきた。
「ユタの黄金言葉」という、沖縄・奄美のユタ(シャーマン)11名の言葉を集め
たこの文献に登場するユタの多くが女性であり、その召命は自ら選んだもの
や世襲制ではなく、文字通り神の召しだしによって選ばれた特性を持つ人た
ちである。このようなシャーマンとしての特性は、世界中においても、奄美
沖縄にしか見られないものかも知れない。ユタは自然の神々や亡くなったた
祖先を実際に見たり、それらの声を聞いたりすることが出来る。そして心や
体の悩みをもって相談に来る人に対して、語りかける霊の声を代弁し助言す
るのである。この行為は悩んで苦しんでいたりする人を助けることであり、
相談者の心をあるべき方向への導くものである。しかし、現代においてたとえ
召しだしを受けても、ユタの道が険しいものであるため、その声に素直に従う
人は少ない。実際この本で紹介されている11人のユタの殆どが「なりたくて
ユタになったのではない。出来るならなりたくなかった」と述懐している。
シャーマニズム、かつて世界中のシャーマンは多くの迫害を受けながらも
現代に生き残ってきた。昔NHKでも特集された著名なシャーマン、パブロ・
アマリンゴ
は言う。「よい呪術師にとって重要な三つの要素は、まず第一に
謙虚なこと、そして愛があること、それから高い霊性を持っていることだ。
呪術師は学ぶための謙虚さ、悦びをもたらすための愛、よりよく生きるた
めの霊性を備えなければならない。さらに、勇気があって強くなくてはいけな
い」。奄美・沖縄ユタの言葉を聞いていると、紹介された11名全てのユタがこ
の3つの要素を持っていることに気づく。そして私たちもその視点を持って
生きていくことを求められているのだろう。そこにこそシャーマンが私たちに
伝えたい真実があるのではないだろうか。

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「火の神の懐にて」 
ある古老が語ったアイヌのコスモロジー 
松居友 著 小田イト 語り 洋泉社


アイヌの古老、小田イトさんの素朴な語り、その深い慈愛と祈りに満ちた
世界観という気泡が、深い泉の底から静かに浮かびあがり、いつしか私の
心に弾んでいた。このアイヌ並びに先住民族の方々の視点なくして、どの
ように未来を語れるというのだろう。私たちの遥か太古に刻まれた記憶を
呼び戻すこと、それは自分自身が何者であるかを知る旅であり、未来へ
の礎であることを改めて教えてくれるものである。そして昔から語り継がれ
てきた伝説や神話が、どれほど深く子供の心を豊かに育んできたのかを
思い知らされてしまう。本書がまた優れている点は、児童文学の世界に長
い間関わってきた著者ならではの暖かい語り口と、スエデンボルグなどと
対比しながら展開する奥深さにもあるのだと感じられてならない。

北海道を終いの住処ときめた著者が、ひとりのアイヌの古老とじっくり膝
をまじえ、話を聞いた。その古老の語ることばや生き方のなんと黄金のよう
にきらめいていることか。死と葬儀と引導渡し、臨死体験と死後霊、鮭の霊
送り、熊送り、一匹の蝿も神になるなど、神々と人間の交歓を描いて、アイヌ
の精神文化と豊かな世界に私どもを誘ってくれる。(本書 帯文より)

私は、イトばあちゃんのなかにきらめくミクロコスモスをできるかぎり忠実
にマクロコスモスの中でとらえ、多くの人々に共感し理解していただくために、
だれにでもわかる描写で再現するために最大限の努力をしたつもりです。
この作品の目的は、あくまでもこのイトさんの言葉からあふれる事実をふま
え、その言葉のなかにコンカニ(黄金)のようにきらめくコスモロジーをできる
だけ浮き上がらせて描写することであり、大上段にかまえてアイヌ文化とは
何かを解説するものではありません。ですからこの作品は、いわゆるアイヌ
文化研究者による調査報告とは異なります。アイヌ文化のような偉大な精神
文化は、記録として博物館や図書館の片隅に保存されることも必要ですが、
新たな時代の思想として復活されることこそが必要であると思うのです。
(本書 まえがきより)

 
 




 
この文献の詳細ページへ 「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る 
梅原猛 著 佼成出版社

かつて蝦夷の末裔と呼ばれ、偏見を持たれてきた東北地方。しかしそこ
に残るお寺・遺跡や祭、そして歴史を紐解くと、かつて日本全国にあった
縄文文化を色濃く残していることがわかる。それは文学においても東北
出身の石川啄木・太宰治・宮沢賢治の感性が生まれた土壌を探る旅でも
あった。梅原猛氏はアイヌの文化に触れたときの確信を、この東北地方の
旅でも再認識させられ、そこに日本の原風景を感じとるのである。また
大陸から来た弥生人の倫理観が、如何にして縄文文化を席巻したかの
考察をしている。本書を通して、縄文土器の芸術の素晴らしさを初めて
理解した芸術家の故・岡本太郎氏と同じく、梅原猛氏の感性の素晴らしさ
と洞察力が発揮された文献で、多くの日本人に是非読んでもらいたいと
思う。



原日本文化への旅立ち(本書より引用)

東北人は、長いあいだ、心の中に、密かなる誇りをいだきながら、蝦夷の
後裔であることに、耐えてきた。そして自分が、アイヌと同一視されることを
頑強に拒否してきた。蝦夷は人種的概念ではなく、ただの政治的概念に
すぎない。そして、「蝦夷はアイヌではない」そういう結論は、東北人にとって
のぞましい、はなはだ願わしい結論のようであった。このような願わしい結
論にそって、東北を、古くから倭人の住む、古くから稲作農業が発展した
国と考える見解が、戦後の東北論の主流であったように思われる。それは
東北人を後進性の屈辱から救うものであったとしても、かえって東北特有の
文化の意味を見失うことになると思う。

蝦夷の子孫であることが、蝦夷の後裔であることが、なぜわるいのであろう。
アイヌと同血であり、同文化であるということを、なぜ恥としなくてはならない
のか。日本は平等の国家である。幕末に戦った二つの権力、薩長方も徳川
方も、平等に日本国民としての権利と義務をもっているのではないか。倭人
と蝦夷の対立はもっと昔のことなのである。その昔の対立が、なぜ現代まで
差別になって生き続けねばならないのか。蝦夷の後裔であること、アイヌと
同血であることを、恥とする必要はすこしもないのである。むしろ、日本の文
化は、蝦夷の文化、アイヌの文化との関係を明らかにすることによって、明ら
かになるはずである。

私のこの旅は、ほんの短い期間の旅である。芭蕉は、『奥の細道』の旅に5ヶ
月を要した。私は公務の都合で、10日しかこの旅に使うことはできなかった。
もとより、前にも何度か東北の各地を訪れたことはある。このささやかな旅で
私は、東北文化のほんのわずかしか触れることはできなかった。しかし、見方
が変われば、うわべを見ただけでも、やはりその解釈は変わってくる。このささ
やかな「紀行記」が、今後の東北論の出発点になり、今後の新しい「原日本文
化論」の基礎になることを願うものである。

 
 

この文献の詳細ページへ 「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」 
比嘉康雄著 集英社新書


沖縄の精神文化を語る上で、久高島の祭祀を知れなければ沖縄のこと
を口に出すことは許されないかもしれない。そう思えるほどの濃厚な精神
文化、祭祀の姿が、本書を通して読者の目の前に繰り広げられる。30年
近くもこの精神文化を追いつづけ、西銘シズさんを初めノロたちの信頼を
受けた著者が彼女たちから託された想い。それは現代文明の荒波の前
に崩れ去ろうとしている久高島の精神文化や祭祀を後世の人たちに伝え
ることだった。日本人の根っこを知るうえで貴重な一冊であり、私たちは
この精神文化の豊穣さから何を学ぶべきなのだろうか。

沖縄本島の東の海上に浮かぶ小さな島・・・・久高島(くだかじま)に、琉球
王朝よりはるか昔、古代人の心情から生まれ、「母神」を守護神とみる祭祀
の形があった。それは、ノロをはじめとする女性神職者たちによって担われ、
今日まで継承されてきている。12年に1度の大祭「イザイホー」、海の神が
鎮まる海岸で豊漁を祈り草束を振るう神女や、海の彼方にある魂の原郷
ニラーハラーの神となって登場する神女の威厳に満ちた姿が、かずかずの
祭祀を彩っている。30年近くも琉球弧の祭祀を追いつづけてきた著者が、
久高島祭祀の多層なシーンをカメラとペンで記録した。30余枚の写真とと
もに、古代人の鎮魂のありようと伝える貴重な一冊。(本書より引用)

 
 
  この文献の詳細ページへ 「アイヌ、神々と生きる人々」 
藤村久和著 小学館ライブラリー



私たち日本人とアイヌを対比しながら、それを人生の各場面において
平易な言葉で紹介する好著である。アイヌの古老の信頼を得て古来から
受け継がれてきたアイヌの伝統・精神世界を分かりやすく教え、今なにが
失われ、なにが求められているのか考えさせられる文献であり、アイヌの
ことを知りたいと願う人には最良の部類に入る文献かも知れない。

藤村久和君のこと・・・・解説にかえて 梅原猛 より引用 
人の一生を変えてしまうような出会いは、そう人生に何度もないが、私は
藤村久和君とそのような出会いを数年前にもった。私は、日本の基層文化
を解く鍵がアイヌ文化にあると漠然と考えていたが、藤村君との出会いに
よってそれはまちがいないと確信し、今その仮説を追究中である。私の日本
文化論は、藤村君との出会いによって、新しい展開を得たのである。藤村君
は、いわば私の学問的恩人の一人なのである。

藤村君は、まだ若い前途洋々たるアイヌ研究者であるが、彼の研究方法は
たいへん変わっている。アイヌ語をしゃべり、アイヌの伝承をよく知っている
アイヌのじいちゃんばあちゃんを見つけると、彼はそこに通いつめ、便所掃
除までして、そのじいちゃんばあちゃんと親しくなり、その結果、じいちゃん
ばあちゃんは藤村君を信用して、それまで誰にも語らなかったアイヌの伝承
を語るのである。そして、彼はそれを一所懸命に学び、ついにその古老の
ように、アイヌ語でユーカラをうたい、アイヌのカムイノミの儀式を自ら行なう
ことができるようになるのである。それは、従来の同情と侮蔑の混ざった目
でアイヌを見、一段高い所からアイヌを研究する学者たちとは全く異なった
研究の仕方である。

今まで、アイヌは日本人と全く異なった人種であり、その結果、言語も文化も
宗教も全く異なった民族であると考えられてきた。しかし、これは全く大和
民族の傲慢さが生み出した考え方であることが次第にわかってきた。アイヌ
は土着の日本人であり、アイヌ文化は、日本の土着文化がもっともはっきり
残存したものとして、日本文化と深い関わりをもっている。自然人類学にお
いては、この考え方は、明らかにされてきた。言語学や民俗学の研究は、
まだそこまでいっていないが、私は、二十一世紀までにはっきり実証される
と思う。この藤村君が、長い間のアイヌの人たちと尊敬と愛情に満ちた交わ
りを通じて知りえた、アイヌの宗教や世界観は、日本文化の根底をなしてい
る宗教や世界観であり、それを読む人は、自らの魂と思想の根底を見る思
いがするにちがいない。アイヌ文化研究は、日本文化研究のもっとも重大な
要点であり、全ての日本人に関わりをもっているのである。どちらかといえば、
ものを書くことをおっくうにしていた藤村君が、多年の研究の結果を一冊の本
にしたことは、まことに喜ばしい。

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「写真集 世界の先住民族 危機にたつ人びと」 
アート・デイヴィッドソン著 鈴木清史+中坪央暁訳 明石書店


本書を以下の人びとに捧げる。
民族と土地と生活を守るために、闘いながら死んでいった
先住民族の人たちに。
世界中の子どもたちに。
世界の人びとが自分たちの生活様式で生きていくことが
できることを知ってもらうために。
(本書より・アート・デイヴィッドソン)


この名著から世界各地の先住民族と呼ばれる人びとの魂の叫びが聞
こえてくる。この中にはインディアンを始めとして、アマゾン、アンデス、
チベット、アイヌ、サラワク、インドネシア、アボリジニ、ブッシュマン、トゥ
アレグなど数多くの先住民族がおり、今日どのような現実に置かれてい
るのかを現地の先住民族の声と共に訴えている。その多くは文明人と
いわれる大地を憎む人々の野蛮さや傲慢さにより、絶滅寸前に追い込
まれている。一説によると現在でも世界各地で毎年約25万人の先住民
の方たちが殺されており、先住民独自の言葉の多くが次の世代には消
えてなくなっていくことだろう。そしてそれは私たち文明人の未来をも奪う
ことになってしまうことを意味していることに気づきさえしない。先住民族
は物質文明の流れに乗れず溺れていった悲運の民族などではなく、私
たちの未来を語る上での試金石なのである。このかけがえのない先住
民族の方たちの視点を失うこと、奪い取ることこそ、自らのそして未来の
世界・子孫への殺戮そのものなのであり、この世界を破滅へと導いてい
くものだろう。しかしこの私たちに何が出来るというのだろう。余りにも
複雑化してしまった現代文明の中で、そしてその歯車の一部として動い
ている自分自身を振り返るとき、その無力感に囚われてしまうのも事実
だ。ただ、次の世代を荷う子どもたちに先住民族の方たちの視点・魂が
宿ることを願っていきたい。たとえどのような世界が待ち受けようとも、
このような魂と共に生きる子どもたちが、あるべき姿をした新しい世界を
創造してゆくに違いない。

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「先住民族 - 地球環境の危機を語る」 
インター・プレス・サービス編 清水和久訳 明石書店


世界各地の先住民族が訴える現代の危機的状況。それは民族とし
ての消滅を意味しているだけでなく、地球に生きるすべての生命が脅
かされいる姿をも明らかにする。本書には世界の16の先住民族の声
が紹介されいるが、その一つ一つがとても重く心に沈んでいく。彼らの
声がこの正反対に突き進んでいる文明社会から、生命の輝きを取り戻
し、大地と空にあるべき道の指標として響き渡る日が来るのだろうか。

したがって、環境の悪化を問題にするときは、西側の文化と西側以外
の文化とを明確に区別するのが正しい。伝統的な社会の文化は支配的
な開発のパラダイムに目立った影響を与えてこなかった。また、そうした
パラダイムの適用による直接の結果としての環境の悪化に対しても、こ
れという影響は及ぼさないできた。伝統的文化は西側文化とは反対に、
自然を神聖視している。その価値体系は環境危機を招いた消費謳歌
主義とは無縁であり、いわば何光年も遠く離れている。にもかかわらず、
伝統的社会の立場は環境に関する国際的議論では無視されている。
その立場が採択される決定に反映されることを全く許されないでいる。
さらに、非西側の文化が人類の大多数を代表しているという事実を考慮
するならば、参加と情報の両面で、巨大な真空が存在することはあきら
かである。本書の目的は単純明白である。伝統的社会、母なる大地、
母なる地球というその哲学、人類と自然の関係についての哲学、伝統的
生活様式の根底にある価値体系、天然資源の乱開発の結果と影響、
環境破壊への対処の仕方などを提示する。 --- これが本書の目的で
ある。(本書・編者まえがきより)

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「炎の馬」 
アイヌ民話集 
萱野茂著 すずさわ書店


自然とともに生きたアイヌの暮らしと精神文化の源流を伝承する30の
物語を収録する。アイヌが語りアイヌが記録した貴重なウウェペケレは
アイヌ初の国会議員となった萱野茂氏の代表作であるにとどまらず、先住
民族の方達が持つ豊穣な魂をより深く理解できる架け橋である。多くの
大人がこの非常に美しい物語を、未来を担う子供たちに読んであげること
を切に願っています。アイヌの精神文化を詳しく知りたい方は松居友氏の
「火の神の懐にて」並びに梅原猛氏の「アイヌ学の夜明け」を参考にしてい
ただけたらと思います。また著者、萱野茂氏の半生を記した書として「アイヌ
の碑」などがありますが、絵本では沙流川を舞台にした竜神カンナカムイが
語る「火の雨 氷の雨」があります。

神話学者のジョセフ・キャンベル「私たちには、時間という壁が消えて奇跡
が現れる神聖な場所が必要だ。今朝の新聞になにが載っていたか、友達は
だれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるのか、そんなことを一切
忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。本来
の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所だ。
これは創造的な孵化場だ。はじめは何も起こりそうにもないが、もし自分の
聖なる場所をもっていてそれを使うなら、いつか何かが起こるだろう。人は
聖地を創り出すことによって、動植物を神話化することによって、その土地
を自分のものにする。つまり、自分の住んでいる土地を霊的な意味の深い
場所に変えるのだ。(「旅をする木」星野道夫著より引用」

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「アイヌ学の夜明け」 
梅原猛・藤村久和 編 小学館ライブラリー


哲学者として著名な梅原猛氏とアイヌの研究者として有名な藤村和久氏、
並びにアイヌの古老、ヨーロッパのアイヌ研究者との対談から、アイヌ文化
の真の姿を垣間見ることができる。また現代においてこのアイヌ文化の持
つ視点の重要さを考える時、それは合わせて人類の未来のあり方を探る
ものともなっていくに違いない。インディアンを始め先住民族共通の視点が
この日本にも存在していたことを、そして私たち一人一人のの血の中にも
この太古からの記憶が残っていることを改めて再認識させてくれる文献で
ある。

私はやはりみんな死ぬと同じあの世にいけるというアイヌの人たちの考え
方は、いいと思いますね。キリスト教や仏教のようにあの世にいって裁判を
されて、地獄や極楽へいかされるとう考え方は、どうもいやですね。この世
の恨みをあの世ではらすということですから、これは人間のあさましい考え
方です。それに対してアイヌや沖縄の他界には地獄も極楽もない。本来、
人類の他界には、地獄も極楽もなかった。それは農耕や牧畜をやるように
なって、貧富の差や差別が発生し、そして都市や国家が発生する。そこで
人生がどうしようもなく苦しくなる。その逃げ道としてあの世での地獄とか極楽
を考えるようになったのです。だから貧富の差のない狩猟採集社会の段階に
おいては、人類は地獄も極楽も考えなかったと思う。たとえば浄土真宗で、
とにかく南無阿弥陀仏さえとなえれば極楽へいって仏になれるという考え方が
でてきて、それ日本で多くの人の支持をえた背景には、やはり仏教以前の
日本には、だれもが等しく同じあの世へいけるという、アイヌや沖縄に今も
残っている信仰があったからだと思います。だから日本人はどこかで、だれ
もが同じように極楽にいけると思っているのでしょうね。
梅原猛・・・本書「アイヌの古老に訊く」対談より引用

 
 
この文献の詳細ページへ 「アイヌの霊の世界」 
藤村久和 小学館


全編対談という形式でアイヌの霊の世界、宗教観を掘り下げようとする力作
である。梅原猛、河合隼雄、そして京都大学の地理学・人類学、心理学、哲学、
動物生態学、社会学、民俗学の専門家がアイヌに深く関わってきた藤村久和
氏との対談を通してアイヌの文化について語り合ったのを収録した文献である。
特に梅原猛氏は言語学、宗教儀式などを通してアイヌ文化にこそ日本文化の
基層があることを問うている。



アイヌ文化はやはり宗教文化です。宗教に関心をもたないとアイヌ文化はわか
らない。金田一さんなど宗教に関心をもたない。その点バチェラーはちがってア
イヌの宗教に強い関心をもっているけれども、アイヌの宗教を物神崇拝の一語で
片づけている。みな物神崇拝だという。ところが、たとえばアイヌの熊祭を見ると、
たいへん興味深い考え方で、これはヨーロッパ人にはちょっと理解できない。カム
イは天の一角に住んでいる。そのカムイがたまたま熊の仮面をつけて現れた。だ
から熊を育て、それを殺すことによってカムイを熊という仮面から解放して神その
ものに帰す。その儀式をまちがえると神に帰せないかもしれない。どうせ帰すなら
ば喜ばせて帰さなければいけない。喜ばせて帰さないとまた熊になってこの世に
現れてこない。これは熊の本質は神で、われわれの見る熊は熊という仮面をか
ぶった神の仮象であるという、そういう観念に裏づけされていると思う。

ところがそういう観念はヨーロッパにはないのです。あったとしてもずっと昔になく
なった。ヨーロッパには犠牲という観念しかない。中国でもそうです。儒教では牛を
殺してささげる。犠牲としてささげる。ヨーロッパでもそうですね。だからアイヌの熊が
神であって、それを殺すことによって神に帰すという観念は、とても中国流の宗教
観念でも、キリスト教の観念でも理解できないものなのです。これはたいへん深い
考え方だと思う。日本人の心の底にはそういう考え方があるのではないかと思う。

(梅原猛 本書より引用)

 
 

この文献の詳細ページへ 「アイヌの碑」 
萱野茂著 朝日文庫


アイヌの文化伝承に多大な力を注いでいる著者の半生を綴った書であり、
幼い頃の辛く悲しい思い出から如何にアイヌ文化伝承に目覚めていったか
を語ったものである。著者は小学校卒業後、山子などの出稼ぎをしながら
アイヌ民族としての自覚と誇りを持つようになり、アイヌ民具を収集すること
から文化伝承の道を歩み始める。そしてその貴重な収集物は、1972年
「二風谷アイヌ資料館」に収蔵されることになる。また著者はアイヌの民話を
まとめた「ウエペケレ集大成」などで菊池寛賞、吉川英治賞を受賞し、現在
もアイヌ語のCD−ROM辞典や民話を集めたCD−ROMなどを世に送りだ
している。アイヌ文化が根絶されようとしている現実に危機感を持ち、その
活動は今でも(1926年生まれ)衰えを知らない。1999年には「アイヌ語語り
部育成へ育英資金」を設立し、「言葉こそ民族のあかしだ」とのもとに後継者
育成への資金協力を広く求める活動を始めた。著者自身、アイヌ語をアイヌ
民族のお年寄りから話を聞き取って学んだが、その多くは亡くなり後継者不足
が早急で深刻な問題として今問われている。「(年を考えれば)正直、焦ってい
ます。ぼけないうちは頑張るが、いつまでもそうとは限らない。一人でも二人で
も、育英資金に賛同してくれればうれしい」と語る著者の活動に賛同される方は
次の振り込み先までお願いします。
苫小牧信用金庫平取支店の普通預金口座145306
「萱野茂アイヌ語育英資金」

これは「本」ではない。何万年の歴史を生きてきたひとつの民族、ひとつの
文化が、いま正に風前の灯にある、その灯を消すまいと、必死に祈り、戦い、
怒り、しかし静かに語る魂・・・・憤死した先祖たちが萱野氏というアイヌを通し
て全日本人に呼びかける「声」そのものだ。本多勝一 本書より引用

 
 

この文献の詳細ページへ 「奄美 神々とともに暮らす島」 
濱田康作 著 毎日新聞社


美しい自然に抱かれ、精霊や神々と響き合って暮らす島人たちの表情は
生気に満ちている。死や闇の世界が身近にあるからこそ、生はいっそう輝く
のだ。大島、加計呂麻島、与路島、徳之島・・・。失われた日本の原型が、
ここにある。(本書 帯文より引用)


奄美の美しい自然と、そこに生き、祈る人々を撮った素晴らしい写真集です。
写真も素晴らしいのですが、序文にある「奄美・・・現代と古代が同居する“すべ
てが美しい島”」を書いた小林照幸さんの言葉がまた比類なき輝きを湛えてい
ます。この言葉を読んで改めてこの写真の数々を見ると、よりその深みが肌を
通して理解できるのではないでしょうか。少し長くなりますが、この小林さんの文
を掲載しましたのでお読みくだされば幸いです。私の父は船乗りでしたので、
ユタが真剣に海に祈りを捧げている姿が心に残ります。この奄美で幼少の頃を
過ごした大ばか者の私は、本当は幸せ者かもしれません。多くの人にこの写真を、
そして言葉を見て読んでもらいたいです。

 
 
  この文献の詳細ページへ 「知里幸恵 『アイヌ神謡集』への道」 
財団法人 北海道文学館 編



各界で活躍する33人が、知里幸恵そして「アイヌ神謡集」への熱い想いを
語った本格論集ですが、この中には「付編 知里幸恵 東京での129日 小野
有五 編)という知里幸恵の手紙や日記などに収められた幸恵自身の言葉が
収められている。知里幸恵という存在が如何に後世の人々に多くの影響を与
えたか、その意味を知ることができるであろう。

幸恵にとっては、婚約者、村井との結婚が最大の問題であった。村井家が
農家であるが故に、そこでの過酷な労働を恐れて、生母ナミは結婚に反対し
たのであったが、人並みに結婚し、子供をつくり幸せな家庭を築くということ
自体が、これまでのようにユカラを必死に書き記す生活からの離脱を意味する
ことを、幸恵はもとより感じ取っていたはずである。金田一のいる東京へ出かけ
るという行為そのものが、幸恵の心の底では、ただ幸せな家庭を夢見る村井
への裏切りであり、彼の愛を踏みにじるものであった。

アイヌ語と日本語の完全なバイリンガルとして育った幸恵の特異性。それは
つきつめれば、生母と養母、アイヌとヤソという彼女が背負ったそもそもの
二重性に由来する。日本人とも、また同族の大多数とも異なってしまうその
ような己れの特異性をすべて切り捨て、幸恵が幼なじみのマテアルにふと
もらしたように、ごく普通のアイヌとして、同じアイヌと普通に結ばれることが
人間としてのいちばんの幸せだと思う気持ちと、それらすべての異質性を、
神が自らに与えたこの上ない恵みとして受け入れ、生きる限りそれを輝かさ
ねばならぬという使命感。19歳の幸恵はこの二つの方向のあいだで最後まで
揺れ続け、その答えを知るために、自分の体は東京の暑さに死ぬかもしれな
いと覚悟したうえで、村井と登別の両親を振り切り、東京への旅に賭けたのだ。

どちらも自分。厳然としてある己れの姿である。だが、その二つは、おそろしい
ほどに全く正反対の方向をさして、未来へと続いている。ほんとうの自分とは
何者か、どちらがほんとうの自分なのか、その問いは、すべての若者に、否、
どれほど年を重ねたものにとっても、常に重くのしかかる。それから目をそむ
けず、答え続ける者だけが、真に人生を生きた者といえるのであろう。幸恵の
19年の人生が私たちを打つのは、まさにその故である。

( 本書 生きる意味 知里幸恵とキリスト教 小野有五 より抜粋引用)
 
 

この文献の詳細ページへ 「沖縄の宇宙像」 
池間島に日本のコスモロジーの原型を探る 
松居友著 洋泉社


死後、霊魂はどこへ行くのか?近代が喪ってしまった悠久の時間が沖縄・池間
島にはゆったりと流れている。そこに住まう古老が格好の聞き手を得て、余すと
ころなく語りつくした。死と誕生、引導渡し、ヤナムン、ニライカナイ、生け贄、そし
て厄除け・・・・を。古老の聞き書きにアイヌ・シベリア等の少数民族のシャマニズ
ムなどと重ねながら比較検討し、総合する労作。十年の歳月をかけ遂に完成。 
(本書 帯文より引用)

科学は、地球が太陽の周りを回っていることを証明したが、逆にそれは昔から
伝わってきた生と死を巡る様々な儀式やその土台となる宇宙像・死生観を過去
の遺物にしてしまったのかも知れない。そして過去の世界観で生きてきた古老が
いなくなる現実の中で加速度的に遺物への道を突き進んでいる。著者は言う、
「しかし、科学的な宇宙像が支配する時代において、あきらかに非科学的である
宇宙像を再構築する意味がどこに
あるのであろうか。そこにははたして、現代に
も通用する重要なメッセージが含まれて
いるのであろうか。もし、含んでいるとした
ならば、何であろうか。明らかに迷妄である
古代の宇宙像に、ひょっとしたら今も
消えることのないある真実があり、その真実が21
世紀から始まる新たな時代の
新たな宇宙観を形成するための重要な要素になるとした
ら、何であろうか。いつ
かこうした点についても書きたいと思うが、この本では、あえて
そうした問題には
触れていない。その答えは、ここでは読者一人ひとりにゆだねたい。」
本書はこの
新たな宇宙像との接点を見出すためにも、古代の宇宙像をこと細かく記録した
労作であり、古老がいなくなりつつある現代において、その持つ意味は大きい。

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「沖縄の文化論 忘れられた日本」 
岡本太郎著 中公文庫


過酷な歴史の波に翻弄されながらも、現代のわれわれが見失った古代日本
の息吹を今日まで脈々と伝える沖縄の民俗。その根源に秘められた悲しくも美
しい島民の魂を、画家の眼と詩人の直感で見事に把えた、毎日出版文化賞受賞
の名著。


この名著は1959年、敗戦後のアメリカ占領下にあった沖縄を画家・岡本太郎
が半月かけて旅し、その受けた想いを綴った文献である。生命が放つ眩しいほど
の輝きとは何だろう? そんな根源的な問いを抱きつづけてきた岡本太郎が投げ
かける痛烈な非難は、日本舞踊、歌舞伎、神道、仏教など形式化・形骸化された
ものに向けられ、日々の生活の中で息づいている沖縄の宗教や踊りのそれと
比較されている。真剣に命と向き合い、そして芸術と向き合ってきた岡本太郎でし
か書けない名著であり、その言葉は50年経った今でも斬新であり、根源的な問
いかけを私たちに投げかける。

 
 
 

この文献の詳細ページへ 「21世紀に残したい沖縄の民話 21話」 
文・遠藤庄治 絵・安室二三雄 琉球新報社


沖縄各地から聴取した七万話の民話の中から、沖縄県民の方たちが選んだ
21話を紹介し、それぞれの民話の背景を詳しく解説している。子供たちにとって
読みやすい絵本に仕上がっており、この民話が出来た背景を知ることによって、
より深く沖縄の文化や生活を感じることが出来るかも知れない。


21世紀の架け橋(琉球新報社代表取締役社長 宮里昭也)沖縄は「民話の
宝庫である」とよく言われます。話者も、内容も、その数も、全国の中で群を抜い
ています。まさに悠久の彼方から時空をこえて、口承されてきたものが民話です。
その豊かな民話を発掘しつづけてきたのが、遠藤庄治氏を代表とする沖縄民話
の会の活動です。その存在なしに、「民話の宝庫」もないのです。語る人、伝える
人がいて残ったのです。記録して作業と、活用していく努力。それらが民話の豊か
さを支えているのです。(中略) 21世紀を担う子供らに、豊かな郷土の文化を
知ってもらい、語り継ぐことによって、21世紀の架け橋になってほしいと思います。
この民話集が、広く県民の間で活用してもらえるよう願っています。
(本書より引用)

 
 
  この文献の詳細ページへ 「アイヌの昔話 ひとつぶのサッチポロ」
萱野茂 著 平凡社


昔話、それは自分自身が主人公になって、何を感じ何を考え何を為すのかを
問わずにはいられない。子どもへの躾や教育、それは親や教師などから押し付
けられたものだと、自我の欲求との折り合いがつくはずもない。ただ、それが自
分自身が主体的に、そしてその昔話の世界がまるで子どもの心の世界に溶け
込んでしまったら、その昔話に宿る教訓は子どもの力となり生きる指針をも与え
るものになるのかも知れない。民族が太古の昔からの経験を通して、次の世代
に引き継がなければならない大切なものを伝えていく。まるでそれは太古の生
きた人間からの贈り物であり、彼らが生きた証でもあるのだろう。私たちは、こ
の昔話に込められた想いを感じることが出来るのだろうか。

アイヌの人々の間で口伝えに語り継がれてきたウゥェペケレ(昔話)、20話。
悪い根性を懲らす痛快な、よい生活の作法を教える温かな話の中に、人間と
自然と神とが自在に交流し共生する世界のあり方を告げる。

 
 

この文献の詳細ページへ 「神女(シャーマン)誕生」 
徳之島に生まれた祝女2万6000日の記録 
松堂玖邇 著 フォレスト


松堂玖邇が体験した神仏との語らい、そして預言。その信憑性云々に関して
は、霊性などない私が言葉をはさむことは許されないが、ただシャーマンとして
の自覚が芽生えるまでの心の苦悩や葛藤を描いた本書は、ユタが神からの呼
び出しに応えていく心の軌跡そのものであり、その語り口は見聞きした者を強く
ひきよせる不思議な力を持っている。心の揺れを実直に、そして何も装飾しない
で語る著者自身の誠実で謙虚な態度、それはシャーマンに共通するものであり、
共同体やそこに生きる人間のため自己犠牲的な覚悟を選んだ者だけが発する
ことを許された言葉の重みを感じずにはいられない。

シャーマニズムとは、はるか太古の時代に自然界の森羅万象を畏れ敬い、
絶対的なものとして捉えた人々の一つの心性とも言えるものです。大自然は生
きとし生けるものに空気を与えたり与えなかったりという差別はしません。自然
の恵みの中に、自然そのものとして存在し、その波動を自らの内に受け入れて
生きて行く、そのような人間の最古層の能力の一つがシャーマニズムと呼ばれ
るものです。それは現在の組織化された宗教が発生以前の原初的な形といえ
ます。既存の制度化された宗教は民族の利害と結びついてほぼ二千年を経た
今日、実態としては空洞化し形骸化してしまいました。ところがいますべてを
地球規模で考えなければならない時代となり、そのような形骸化された宗教で
は世の中を変える力に成りえなくなってしまったのです。だからこそ、原初の力
を秘めたシャーマニズムが復活しなければならないのです。そして、神仏の
エネルギーは生きた天性のシャーマンのエネルギーによって保たれ続けられ
ます。(本書 あとがき より抜粋引用)

 







未読の文献

各文献の前のをクリックすると表紙・目次並びに引用文が出ます。

  この文献の詳細ページへ 「図説 世界の先住民族」 
ジュリアン・バージャー著 綾部恒雄 監修 
やまもとくみこ・速水洋子・金基淑・細谷広美・森正美・葛野浩昭 訳 
明石書店


本書は、一個人でも先住民族の正義のために貢献できるという信念に基づ
いて書かれている。先住民族の社会を破壊したという責任は、全部とはいわ
ないが、少なくとも一部は裕福な人々が負うべきである。政府、銀行、法人は
主に市場の需要に応じるために、往々にして先住民族に不利な政策を施行
したり、あるいはそういう体制を支援したりしてきた。電動ノコギリを握るのは
消費者の手なのである。だが普通の人々が無力だということはない。それぞ
れの声は小さいかもしれないが、他の人々と合わせれば、強力な権力機構
にさえその声を聞かせることができる。もし、あなたが何かをしたい、あるい
はもっと知りたいと思うのならば、本書の巻末に掲載された組織はあなたの
支援を歓迎するであろう。「図説 世界の先住民族」は、先住民族の寄稿者、
人権問題の専門家、関心をもつ人類学者、報道関係者など多くの人々やグ
ループによる共同作業で誕生した。皆の共通した目的は先住民族の関心事
を忠実に反映することであった。それは多分、各々の専門分野だけで成し遂
げるのは不可能な仕事であろう。本書の計画、著述、編集のすべてにわたっ
て先住民族の人々が深く関わってきた。本書は、著者が何年にもわたって森
の村や僻地、町のスラム、国連の会合、その他多くの場所で先住民族の人々
と分かち合ってきた彼らのさまざまな状況や意見を、すべて集約しようと試み
ている。これは多くの人々の仕事であるが、その文責は編集者にある。もし誤
りや誤解があるならば、それはひとり編集者にのみ帰されるべきものである。
(本書 著者はじがき より引用)

 
  この文献の詳細ページへ 「アイヌ民族シリーズ 増補版 サルウンクル物語」 
川上勇治著 すずさわ書店


本書 あとがき 川上勇治 より引用 
昭和45年(1970)から書き始めた私のウパシクマ(言い伝え)集、『サルウ
ンクル物語』が出版されたのは、昭和51年でした。文中に書いてありますよ
うに、父母、祖父母が亡くなってから幾年月、私にとっては、忘れることの出
来ない長い苦闘の連続でした。私たち兄弟を、無事に一人前に養育してく
れた老夫婦の祖父母に対して、孫のわたしがせめてもの供養になれば、と
書き綴ったのが、このウパシクマ集であります。しかし、考えてみると、私の
書いたものが、一冊の本として活字になるということは、想像もしておりませ
んでした。幸いにして、最初に書いた祖父のウパシクマを、北海道の文化誌
にとり上げていただき、次に東京から柳田国男の研究誌に載せていただき
次に平取町史の一頁に掲載され、さらには姫田忠義氏の御好意で、この
祖父のウパシクマと他、私の文集の一部とを合わせて、サルウンクル物語
というタイトルをつけて、近畿日本ツーリストが出している「あるく、みる、きく」
という雑誌に載せていただきました。このような経過をたどり、多くの人達の
温かい御支援によりまして、私の幼稚な文章が世に出る運びになったので
あります。この本は、著者自身が言うのはおかしいのですが、わりあい好評
でした。どこかで病む人があれば見舞いに行き、誰かが死んだという知らせ
があれば、どんなに自分の仕事がいそがしくとも、五里も六里もの道を歩い
て、アスッタサ(とむらい)に行き、火事になって住む家を失った人には、
コタン全員総出で、新しい家を作って贈り、食べ物、着る物を持ち寄って助
け合い、和人にだまされても、うたがうことを知らず、人を裏切らず、神々を
敬い、ウウェペケレや、ウパシクマで、子供達に人の道を教え、自然と対話
しながら、本当に貧しいながらも、人間らしい生活を続けてきたのが、沙流
川すじの各コタンに住んでいた、エカシ(爺さん)、フチ(婆さん)達でした。
現在は、文化も進み、私達ウタリ(同胞)の生活もいちじるしく向上して参り
ましたが、それと同時に、人の心は乱れ、自分さえよければ他人はどうなっ
てもかまわない、つまり義理人情うすい人が多くなってきたような気がします。
そのような中で、私の書いたこの本が、昔のアイヌの精神文化の一端を知る
よすがになれば、本当に幸せだなあと思います。

 
  この文献の詳細ページへ 「アイヌのイタクタクサ―言葉の清め草」 
萱野茂 著 冬青社


本書 まえがき 萱野茂 より抜粋引用 
平成12年北海道功労賞を受賞の折りに、妻れい子が夫である茂の側面を、
と依頼を受けて書いた「ベレー帽にわらじ履き・・・・妻が見た茂の側面」をこ
の本の中に収録させていただきました。創作民話「穴の空いた丸木舟・・・・
エカシの知恵」、この話は少年時代に測量労働者として山を歩き、そのとき
に年上のアイヌの小父さんが、教えてくれた話を思い出しながら書きました。
「カムイになったハンカチ」は半分以上は実話ですが、丸木舟の横棒の入れ
方を、ハンカチに語らせながらさりげなく若者たちに伝えたいと思って書いた
ものです。本の題名に選んだ、アイヌの“イタクタクサ=言葉の清め草”で祓
い清める、この言葉は私が大好きな言葉で、いままでこの言葉を、この話を
大切に暖めていましたがここへ載せました。アイヌの自然観については、シャ
ケを獲りに行く場合、一緒に行く人を“チェプコイキクスアラパアンロー=魚を
苛めに行きましょう”という言い方で誘います。山狩りに行くときは、山にいる
獲物の総称を“チコイキプ=私たちが苛めるもの”、という言い方をするその
根底には、魚に対してあるいはシカやクマに、ごめんなさい、私たちアイヌは
あなた方を苛めて、その肉を頂戴して命をつないでいるのです、と感謝とお詫
びの心を常に忘れないように心掛けているものです。アイヌ語の面白さ、色の
イロいろの項ではどのような描写で色のイロを表現するか、具体的な例を挙
げながら並べてみました。アイヌと神々との関わりについては、樹木それぞれ
に名前を付けるにも、役に立つ木かそうではないかによって、ありったけの
敬称をつけるか、普通の木とするか決めるという具合に、アイヌの側から見る
神も、神そのものが絶対的な存在ではなく、役に立つか立たないかによって
のもので、神は常にアイヌの目の高さにあるものと考えていました。この小さ
な本の中味は、アイヌ民族の心の一断面でありまして、文化の総てでないこ
とは言うまでもありませんが、ほんの少しでも知ってもらえれば望外のしあわ
せです。お読み下さった方が、うちの村、二風谷へ遊びに来て下さることを、
心待ちにしつつ、まえがきに代える次第であります。

 
 
  この文献の詳細ページへ 「アニミズムという希望」 
講演録・琉球大学の五日間 
山尾三省著 野草社


いずれにしても、アニマというひとつの概念、精霊、命、霊魂、そういうものを
テーマにして、これから五日間の話をしていきたいと思っております。それには
いろんな理由があるんですけれども、ひとつには、日本の神道というのはアニ
ミズムというものに立脚している宗教です。日本の神道については、またお話
する機会があると思いますけれども、沖縄あるいは奄美、屋久島を含めて、い
わゆる南西諸島と呼ばれている風土にいちばん息づいている宗教といいます
か、宗教と呼ぶのが嫌いであれば、息づいている生活形態、文化といいますか、
それはアニミズムというものに基づいているとするのが、適当ではないかと思う
からなんです。(中略) ぼくはお隣の鹿児島県の屋久島という島に住んでいま
すが、その島は杉が大変よく知られています。原生林に入っていって、天然の
巨大な杉があちこちに見られる奥岳に行けば、ただそれだけで、何かあるもの、
を与えてもらえます。何ともいえないいい気持ちといいますか、深い気持ちとい
いますか、力感といいますか、そういうものを与えられます。そういうことが日本
および世界のどこの地域に行っても、それぞれの風土に無限に秘められている
わけです。そういう事物が世界には無限に存在しているんですね。それを森羅
万象といいます。森羅万象の中には、生命として、精霊として、霊魂としての
アニマが宿っています。そういう原初心性としての感受性をアニミズムというん
ですね。森羅万象のうちにはアニマが宿っているという考え方をアニミズムとい
います。
(本書より引用)

 
  この文献の詳細ページへ 「奄美学 その地平と彼方」 
「奄美学」刊行委員会編 南方新社


序 奄美学 その地平と彼方 
山下欣一さんの大学退職に寄せた奄美からの発信として 刊行委員会

今、私たちは「奄美」に暮らしています。ここでの「奄美」とは、奄美諸島を構
成する八島の島々の総称としてあることを、ひとまず確認しておかなければ
なりません。このように特定して語らねば、この「奄美」という言葉が多様な
意味を喚起していくことになるからです。むしろこうした揺らいだ言葉としての
ありようこそが、島嶼地域社会のありのままを含意しているのだと言ってい
いのかもしれません。そして、それぞれの位置からこの「奄美学」を介して、
私たちは様々な表現を試み、またそれらを深めようとしてきました。こうして
この「奄美」を介して表現を試みる私たちにとって、大切な友人として、躊躇
なく山下欣一さんの名前を挙げることができるでしょう。その山下さんが、
大学退職というひとつの節目を迎えることになりました。事改めるまでもなく、
「奄美」から拡げられていった民族研究の足跡は、計り知れない大きさと
なって積み重ねられてきました。それ以上に、私たちの身近へと届けられた
「奄美」からの、そして「奄美」へのこれまでの発信によって、どれほど私た
ちは知の勇気を、刺激を、そして挑発を受けてきたことでしょうか。1974年
(昭和49年)、「奄美の人が奄美を認識し、自己を規定していく、奄美学を
確立する時期にきている」とした問題提起は、鮮烈な問いとなって響きまし
た。他方にヤポネシアを論じる島尾敏雄さんが対峙しての二人の議論は、
確かに「奄美」を鍛える熱い言葉となっていったことを忘れません。それ以降、
私たちは「奄美学」という言葉に、『奄美」のアイデンティティーを語る可能性
を見てきたことも確かです。そして今、山下欣一さんの新たな出発に際して、
私たちもこの発せられた問いに改めて向き合うことによって、今この時の歩
みを新たにしてみたいと考えています。二十一世紀のパスワードのようにし
てあるグローバリゼーション、その世界の一元化への対抗として多文化主義
が主張されています。しかし、その土地に育まれたとする地方の文化的特殊
性を強調するだけでは、新しい知の構築とはなりません。むしろ日本の中で
周縁化されることで、「奄美」を特殊なものとして自己主張するあまり、逆に
普遍的な日本を強化するような陥穽にはまる危険性に気付いておくべきでも
あるのです。この間、「奄美」という言葉が多様な意味を生み出してきました。
では「奄美学」を介して私たちは何を明らかにしてきたでしょうか。またそこ
には何が欠落していたでしょうか。こうしたひとつひとつを明確にしていくこと
が、新たな歩みには必要だと考えています。「奄美」固有の文化や価値観が
あると語ることによって、どれだけ日本を、そしてその近・現代を相対化でき
たでしょうか。私たちが、ここに掲げるように「奄美学 その地平と彼方」とす
るのは、こうした問いとともに新しい「奄美」の知のあり方を考えていこうとす
るからです。そしてこのことが、一人の知の旅人としての山下さんと私たちの
「奄美」を介した結びつきを、また知の友情を表現していくことになると考えて
いるのです。(本書より引用)


アイヌ語語り部育成への育英資金設立について 


北海道日高支庁平取町(びらとりちょう)の萱野茂・二風谷(にぶたに)アイヌ資料館長(七二)

=前参院議員=が二十二日、アイヌ語の語り部を育てる「萱野茂アイヌ語育英資金」を設立した。

「言葉こそ民族のあかしだ」と主張する萱野さんは、後継者育成への資金協力を広く求めている。

道内に住む人が、企業の広報誌に載った萱野さんのインタビュー記事を読み、アイヌ語の伝承に

かける萱野さんの熱意に感動し、百万円を寄付した。萱野さんも五十万円を出し、計百五十万円

の資金でスタートした。アイヌ文化振興法ができても、アイヌ語への支援不足に批判的な萱野さん

は、寄付に触発されて、独自の後継者づくりに踏み切った。「踊りや料理などへ補助金の支援が

あっても、アイヌ語自体への補助金は不十分だ」と話す。十七年ほど前、自力で木造のアイヌ語

教室を建てた。ほとんどが、講師の手弁当や生徒たちの熱意で運営してきた。一期生だった小学

生たちは、もう社会人や大学を卒業する年ごろになっている。現在、子供の部に二十五人、大人

の部に四十五人が在籍する。資金を資料代や生徒たちの交通費などに充て、生徒たちが学びや

すい環境づくりを進めたいという。萱野さんは約四十年間、アイヌ民族のお年寄りから話を聞き取っ

て学んだが、その多くは亡くなってしまった。お年寄り、そして萱野さんに続く、後継者を萱野さん自

身が強く望んでいる。萱野さんは「(年を考えれば)正直、焦っています。ぼけないうちは頑張るが、

いつまでもそうとは限らない。一人でも二人でも、育英資金に賛同してくれればうれしい」と話してい

る。育英資金の振り込み先はここです。(1999年1月22日 朝日新聞ニュース速報より引用)

苫小牧信用金庫平取支店の普通預金口座145306「萱野茂アイヌ語育英資金」。


アイヌ文化交流センター(財団法人 アイヌ文化振興・研究推進機構)がアーバンスクエア八重洲

に出来ました。「舞踊、音楽、工芸品など、古来よりアイヌ民族が長い時間をかけて育み今に伝え

てきた伝統文化には、私たちが忘れかけている素朴な美しさやたくましさが溢れています。当セン

ターは、多くの方々にアイヌ文化について知っていただくことを目的として、アイヌ伝統工芸品など

の常設展示のほか、セミナー、ビデオ鑑賞会の開催、インターネットや図書資料による情報提供

などを行っています」。JR東京駅八重洲南口・徒歩5分、営団地下鉄京橋駅・徒歩5分。平日21

時(入館は20時まで)まで開いています。お問い合わせの電話・03−3245−9831で詳しいこ

とを聞いていただけたらと思います。







Selawik girl

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)

美に共鳴しあう生命

ホピの預言(予言)

神を待ちのぞむ

天空の果実

神を待ちのぞむ トップページ

アメリカ・インディアンに戻る

最初に戻る

サイトマップ


AllPosters