
Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
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松居友 著 小田イト 語り 洋泉社より引用
「アイヌの人って優しいというか、子ども捨てられているのをみると放っておくことができないんだね。 ここにも何人もの和人の人おるの、自分ではそのこと知ってても、じぶんはアイヌだといっているけ どね。昔は和人でも生活がゆるくなかったからね。町でも生活がゆるくない人なんかすぐにアイヌの 所に子どももってくるんだよね。アイヌの人なら拾ってちゃんと育ててくれるってしっているんだよね。 それだから、一軒の家に二人ももらって育てる人、二人どころかNさんのお兄さんのところなら、女二 人、男が三人かな。赤ちゃんできないからもらって育てた。女の子たちに世話になって亡くなったけ ど。ほんとに昔だったらずいぶんもらい子してるからねえ。うちの亡くなったじいさんも子ども好きと いうかなんていうか、じぶんの孫も何人もおるのに、どっかの人赤ちゃんつれてきたらもらって育て ておったけど、そうやってもらってくれんかといったらやっぱりもらわないではいないんだよね。これ だけは気がやさしいんだとおもうんだよね。人の子どもでも、なんもお金がなくてももらって育てるっ ていう気持ちになるからね。区別しないで可愛がってね。どんな子どもでも同じ魂があるのに捨てる ということが、子どもがかわいそうにおもうんだよね。」 アイヌの方々にとっては、こと子どものこと になりますと、貧乏であろうが豊かであろうが、他人の子であろうが自分の子であろうがあまり関係 がないのです。イトさんの一家は、貧しく生活も苦しいほうでしたから、本来はもらい子するほどの 経済的なゆとりはなかったはずです。それでもイトさんは妹が欲しくて欲しくてしょうがなかったので、 くり返し母さんに頼みました。母さんはだいぶ迷ったようでありますが、とうとう一人の不幸な幼い和 人の女の子をさがしてくれました。その子がサトという名の妹で、今は亡くなってイトさんにとっては 母さんとともにもっとも忘れがたい人になるのです。イトさんが、人一倍いっしょうけんめい働いた 理由は、苦労している母さんの姿を目のあたりしていることも一つですが、自分で面倒をみようと 決心した妹のサトのためでもあったのです。サトさんが不幸な子であった理由は、イトさんのところ に来る前にかなりひどく虐待されており、来たときにはすでに知能障害をもっていたことにあるの です。「わし、女で一人だったから、妹ほしかったんだよね。それだから、親戚の家でもみんなもら い子して育てたりするから、どっかに女の子くれるとこあったら、もらってもらってって親にせめた ね。ほいだら、千歳にあんまり暮らしのいい人ではないけど、女の子をくれたいという人あるって 聞いて、それでもらったんだけどね。そこの家でも、よそでもらった子なんだけども、じぶんたち の生活に困るもんだからなんとかして殺したいとおもったんじゃないの。ほして後で聞いたんだけ ど、足火傷させたっていうの。足の指もこっからこうなかったの。そしたら、火傷で頭に上がった んだね、あんまり頭じょうぶでなかったんだその子。ほだけどわし、ほしくてほしくてあったから、 可愛がって育てていたのね。その子をもらったのはわし十四、五歳のとき。わしより十歳小さい んだよね。三っつか四っつの子をもらったの。だけど指焼けて、親指あるけどあとなかったんだ もの。」 イトさんは、まだ幼いサトちゃんを心から可愛がりして育てていくのでありますが、しだ いに大きくなるにしたがって、その子が知恵遅れの子であることを知るのです。医者にたずね ると、火傷が原因だろうというのです。しかし、妹が知恵遅れであるとわかっても、イトさんの妹 に寄せる愛情が失せるわけではありません、それどころか今まで以上に大切に妹を育てていく のです。「ほしたら今度は、少し大きくなってみたら、なんか頭がへんだということがわかったの。 ほいだってほしくてもらったものどうすることもできないから、やっぱり可愛がってたの。できるも んならなんべんもいいものをかってきせたり、服つくって着せたりして可愛がっとったんだ。」 これこそが人としての道だと思うのでありますが、私にとって興味深いのは、なぜイトさんをはじ め多くのアイヌの方々が、じつに純粋にほとんど何の抵抗もなく民族が違うどころか、いわれなく 自分たちを差別してくるような和人の子どもを、憎しみもなく受け入れて分け隔てなく育てる気持 ちになれたかということなのです。聞くところによりますと別の地方でも、子どもをアイヌの方々の ところに捨てた事実は、じつにたくさんあるのです。なかにはアイヌの方々にわが子をあずけて おいて、その子が手がかからなくなった頃にそっとわが子に近づいて、盗むように取り返した例 もけっこうあるのです。そうした人は、アイヌの方々の愛を、まるで利子のつく銀行口座にわが子 を預けるように思っていたのでありましょうか。またある方のお母さんは、札幌でいたいけな子ど もが捨てられているニュースを聞き、いたたまれなくなって和人の子どもをもらいに行っているの です。しかもお母さんがもらってきた子どもを、結婚して間もない娘さんご夫婦が引き取って、その 方のご主人はその後不幸にも事故で亡くなられるのでありますが、その方はたいへんな苦労を なさりながらもお一人で娘を大切に育てあげ、やがて娘さんは結婚して、その方もお孫さんに囲 まれて幸せに暮らしていらっしゃるのです。たしかに開拓の人々の暮らしは貧しく、楽ではなかっ たことでありましょう。しかし、それならば金持ちといわずとも、せめて多少は裕福な和人のところ に子どもを引き取ってもらえばいい。それにもかかわらず、決して裕福ではない、むしろ金銭的 にはもっと貧しい暮らしで、しかも子だくさんのアイヌの方々の所へ子どもをあずけて逃げるよう にして帰っていった。なぜにそうのようなことをしたかといいますと、これはもうアイヌの方々の底 知れない愛情、自他を顧みない愛情を信頼していたからに他なりません。アイヌの方々がなぜ そのような広い愛情を持てたのか、それはひとえにその豊かな心によるところのものだと思われ ますが、その礎となった考え方はどのようなものでありましょう。少なくともいえることは、アイヌ の方々の場合、他人の子どもはよそ者であるといった考え方があまり強くないのです。たとえば その子が身寄りがない場合、人の子は自分と無関係だから関わらないといった考え方がなく、 たとえ生活が多少苦しくても民族が異なろうとも人種が異なろうともできるかぎりは育ててやりた いという気持ちに自然となるのです。なぜそのような気持ちになるかといいますと、ひとえにアイ ヌの方々の持っている愛の力の強さによるものですが、その愛をささえているのが、子どもは すべて神の国からこの世に訪れた授かりものだという考え方であるようです。いやたしかにどん な人でもそのような考え方を多少は持つのでありますが、アイヌの方々の場合はその範囲が けたはずれに広いのです。たとえば神々の国では、人間も動物も同じ姿をしていて、動物は カムイであっても畜生ではない。動物を蔑んで見るようなことはありません。ですから熊の子 でも身寄りがないときは、神からのあずかりものとして人間の子以上に大切に育てたりもする のです。とりわけ赤ちゃんのときなどは、乳房を含ませて飲ませたりしながらわが子以上に 大切に育て、時が来ると盛大に祭って神の国にいる母親のもとに送り返したりもしたのです。 それが熊送りと呼ばれるイヨマンテの考え方であるのです。このように人間と動物の間です ら、大きな分け隔てがないのですから、人間どうしの場合も善い者と悪い者の区別はあっても いわゆる差別はないようです。まして赤ん坊は、神々が肉の衣をまとってこの世に降りてきた 姿にほかならない、それが誕生であるのです。ですから民族が異なっても、あの世からこの世 に生まれた神々をどうして差別できましょう。アイヌの方々にとって、赤ちゃんや子どもは神の 世界に最も近い存在として自他を超えて大切にされるのです。このように生まれたばかりの 赤ん坊は、霊的に神に一番近い存在ですから、神々の国のことを覚えていたり、大人の目に は見えない霊たちに対しても敏感に反応するといわれています。とりわけおかしな霊たちがや ってくるとまっさきに気がついて泣きだすのは、必ず赤ん坊であるのです。このように万事を 神々の世界の高さで考えるなら、自分の子と他人の子といった区別すらも消えて子どもたち を分け隔てなく育てる気持ちになったのです。「人の子どもでも、なんもお金がなくてももらっ て育てるっていう気持ちになるからね。区別しないで可愛がってね。どんな子どもでも同じ魂 があるのに捨てるということが、子どもがかわいそうにおもうんだよね。」 イトさんのこの 言葉の背景には、先祖がつちかってきた世界に対する深い思想が秘められているように 思えてなりません。
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