1996.12.8

「愛」
「愛」がわたしに来いと命じたのにわたしのたましいはしりぞいた。
罪とけがれにまみれているので。
でも、「愛」はそれをいそいでさとり、わたしが躊躇しているのを見て、
わたしがはいって行くとすぐに、
わたしのそばに寄り、やさしくたずねてくれるのだった、
わたしに何が欠けているのかと。
わたしは答えた、わたしはここにいてもよい客でしょうかと。
「愛」は言った、おまえもそうされるだろうと。
わたしは恩知らずの悪者ではないのですか、ああ、愛するかた、
わたしはあなたの方へ目を上げることもできない者です。
「愛」はわたしの手をとって、ほほえみながら答えた、
その目をつくったのはだれだ、このわたしではないのか。
そのとおりです、主よ、わたしがその目をくもらせたのです、わたしの汚辱を、
行くにふさわしいところへ行くままにしてください。
しかし、おまえは知らないのかと「愛」は言う。その罪を負うた者がいることを。
愛するかた、わたしはこののち、あなたにお仕えいたします。
まあ腰をおろしなさいと「愛」は言う。わたしの食べ物を味わっておくれ。
そこでわたしは、腰をおろして、食べたのだった。
ジョージ・ハーバート(George Herbert 1593-1633) イギリスの詩人
「シモーヌ・ヴェイユ
その極限の愛の思想」 田辺 保 著 講談社現代新書より
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シモーヌ・ヴェイユはこの詩を次のように表現している。
「わたしの知らない間に、この詩の吟唱が祈りの効能をもつようになっていた」そして
「このような吟唱をしていたときに、・・・・キリストご自身が下ってきて、わたしを
とらえたもうた」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・