祈りの翼


Safely Darling pics of fatima

ファティマの聖母マリア



1970年前後に作られたファティマのスライド写真

「Brunner & C.-COMO
Printed in Italy」

50年近く経った現在、スライド写真は全て赤く変色しております。

私自身が色の修正をしたものと、スキャナーから読み込んだ

原版の両方を掲載します。




パウロ6世の像と十字架



「奇蹟の聖地 ファチマ」矢代静一・文 菅井日人・写真 より以下、抜粋引用。


仲よし


さて、「太陽の奇跡」をその目で見とどけた群集たちは、熱狂的にルチアの言を信じるようになりましたが、かと

いって、めでたしめでたしで終わったわけではありません。反宗教主義者たちは、逆に、「この事件は、神父たちが

小さな子供たちを丸めこんで仕組んだぺてんだ!」と、いよいよ迫害を加えるようになってしまったのです。



そうこうするうちに、フランシスコとヤシンタは「スペイン風邪」にかかってしまいました。たちのよくない流行病です。

兄は妹に言います。



「僕たちはマリア様がおっしゃった通り、まもなく天国に召されるんだ。その前に、僕がどんな罪を犯したか、覚えて

いたら教えてくれないか、ヤシンタ」



妹は思い出そうと一生懸命です。



「そうね、お兄ちゃんは、お父さんのお金をくすねて、ハーモニカ買ったことがあったわ。ええと、それから・・・

隣村の子供に石を投げていじめたこともあったわ」



「ああ、その二つだったら、前に告解したけど、もう一度、お祈りして謝ろう。『イエス様、マリア様、あなた方を

悲しませてごめんなさい』」



死が近づいているというのに、ほんと、いじらしいものです。でも、フランシスコは体が弱りきっていたので、祈る

ことはできません。そこでルチアとヤシンタがロザリオを唱えてあげました。



「ルチア、ありがとう。僕は一足先に天国へ行くけど、もう、君のことは覚えていないと思うよ」



一つ年上のルチアはお姉さんぶって励ましました。「なに言っているの。天国に行くんですもの、忘れる筈ないわ」

「そうだね、僕は君のこと忘れない!」



フランシスコは10歳でこの世を去りました。ルチアは後年述べています。「彼を失った深い苦しみは、私の心を

貫いた棘でした。でもそれは、永遠に至るまで、いつまでも谺(こだま)する懐かしい思い出です」





葡萄と牛乳


ヤシンタも、兄の死から2年後の1920年になくなりました。いいえ、このかわいらしい殉教者には、カトリック的に、

帰天・・・天に帰ったと言うべきでしょう。10歳でした。病が重く食欲もなくなったころ、ヤシンタのお母さんは栄養を

つけさせようと、大好きな一房の葡萄(ぶどう)を持ってきました。


するとヤシンタは「葡萄はいらないわ、牛乳を飲みます」と言いました。牛乳は大嫌いだったのになぜ? ヤシンタ

は答えます、「ほんとうは葡萄がとても食べたいの、牛乳なんてちっとも飲みたくない。でも、この犠牲をイエス様に

捧げたいんです」。ほんと、いじらしいようなものです。犠牲と言えば、病の床についても、ヤシンタはずっと、あの

苦行帯を着けていました。ルチアがそれを発見すると、「お母さんにはないしょ、ないしょ、心配するから」。その綱

には血がにじんでいました。



ヤシンタとフランシスコの墓は、いまはファチマの聖堂内に安置されています。






Devocion de los Cinco Primeros Sabados [que pidio la Virgen de Fatima] ≫ Foros de la Virgen Maria


Francisco e Jacinta proclamados santos pelo Papa Francisco - MoveNoticias


Pope makes 2 Fatima children saints on centenary of visions | The Berkshire Eagle | Pittsfield Breaking News, Sports, Weather, Traffic

フランシスコ,、ヤシンタの兄弟のお墓 教皇フランシスコ


ジャシンタ・マルト - Wikipedia より以下、引用。



ジャシンタ・マルト(本名:ジャシンタ・デ・ジェズス・マルト Jacinta de Jesus Marto あるいはヤシンタ・マルト 

1910年3月11日−1920年2月20日)は、ポルトガルのファティマにおける聖母出現の目撃者の一人で、カトリック教会の

福者である。同じく目撃者の一人でカルメル会修道者として長命したルシア・ドス・サントスの従妹にあたり、2000年

5月13日にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって、兄のフランシスコ・マルトとともに列福された。



生涯


父はマニュエル・マルト、母はオリンピア・マルトで、当時のポルトガルでは典型的な素朴な少女で、無学ではあった

がカトリックの口承伝統はよく知っており、従姉のルシアとともに羊の番をして働いていた。ルシアの手記によれば、

兄のフランシスコは穏やかな性格で、やや音楽的で思索的な傾向があったのに対して、ジャシンタは優しく、少し情緒

的であった。彼女は甘い歌声と踊りの才能を持っていたが、ルシアやフランシスコとともにファティマでの聖母の出現

を見るようになると、それら娯楽に供することが罪の機会になると考え、音楽も踊りも止めるようになった。こうした

体験をするにつれての彼らの基本的な性格は、共通点を持っている。兄のフランシスコは、世界の罪のためにイエズス

様(イエス・キリスト)を慰めたい、と一人で祈ることを好むようになり、ジャシンタは聖母の三度目の出現時の、地獄の

恐ろしい幻視の影響を非常に強く受けた。彼女は、聖母が導いたとして、痛悔と償いを通して罪人の回心を願う必要を

確信するようになった。三人の子供たち、中でもフランシスコとジャシンタは厳しい苦行をその死まで実践した。



なおジャシンタの遺体は死後、1935年と1951年の二度にわたって掘り返されたが、顔の箇所はまったく腐敗を免れて
いた。



闘病と死


ジャシンタは兄とともに、1918年にヨーロッパを席巻したスペイン風邪と呼ばれたインフルエンザに罹ったが、二人と

も何ヶ月もの間、聖体拝領に与り祈りの時を過ごすため、教会に通うことに固執し、天使に教えられたように地に頭を

つけて跪いて祈り続けた。兄のフランシスコは病院での治療を断って家で安らかに死に、一方ジャシンタは延命の為、

家族に無理やり連れて行かれ、入院した。病気は化膿し肋膜炎に発展し、手術で、しかも無麻酔で二本の肋骨を切断し

なくてはいけなくなったが、彼女は痛みに耐え続けた。心臓の状態から麻酔を全く使えず、凄まじい痛みに苦しんだが、

彼女はそれを多くの罪人の償いのために捧げた。ジャシンタは苦しみながら、従姉のルシアに「隠れたイエスを迎える

ことができずに死ななければならないのでしょうか」と嘆いたとされる。1920年2月19日、彼女は告解を聴いてくれて

いた病院所属の司祭に、聖体拝領と病者の塗油をお願いした。翌日死ぬだろうから、と。しかし、司祭は病状は決して

深刻ではなく、翌日には回復しますよ、と答えた。次の日に、ジャシンタは亡くなった。彼女は、自分は一人で死ぬで

しょう、と前から言っていたが、その通りの形で亡くなった。看護婦さえ、傍にはいなかった。



ジャシンタとフランシスコは、オウレンの共同墓地に埋葬されたが、現在ではファティマのバジリカの中に改葬されている。



列福


1946年中には列福請願が始まり、1935年と1951年の二度、ジャシンタの遺体は掘り起こされたが、顔の箇所はまったく

腐敗を免れていた。2000年5月13日、教皇庁の調査委員会はジャシンタと兄のフランシスコを福者であると宣言し、こうし

て彼女は、殉教者以外では最も幼い列福者となった。 長命したルシアはその伝記の中で言っている。ジャシンタは、

聖母の出現の他にも、多くの私的啓示を得ていた、と。あるものは、群衆が外で醜く叫び、窓からは石が投げ込まれる

中、教皇が部屋で一人で祈っている、というものであり、他にもジャシンタは言及する。非常に大勢の人達と一緒に、

汚れなき聖母の御心に祈る教皇様を見た、と。第三の秘密について尋ねられたルシアは、それらは非常に物悲しく、

苦しみに満ちた教皇様についての、まさにジャシンタの言うようなものであった、と答えている。



「可哀そうなパパ様、罪人の為にお気の毒な!(Coitadinho do Santo Padre, tenho muita pena dos pecadores! )」



私的啓示


ルシア・ドス・サントスの手記によると、よく知られたファティマの公的出現とは別に、上述のようにジャシンタ自身は個人

的に何度か聖母や近未来、あの世等を目撃している。初回は1917年夏であり、もうすぐ起こる次の戦争とする第二次

世界大戦について気にかけ、大勢の人が死に、その殆どが死後地獄に堕ちる、と物思いに沈んだ。二回目は1918年

10月で、自身が一人で苦しんで死ぬことを予言し、一方で聖母が天国に連れて行く約束をしてくれたことに安堵した。

また聖母の無原罪の御心を通じた信心がいかに大切か強調した。三度目は、戦争、地獄、司祭と統治者、キリスト教的

徳について詳しく話し、戦争は世の罪に対する神の罰以外の何物でもないとして、もし人々が生き方を変えないなら

最初の罰がスペインに下されるであろうと予言し、それはスペイン内戦として実現した。また、他のどの罪より人を地獄に

招いてしまうのは肉欲の罪です、死後の地獄は一度そこに落ちたら永遠に抜けられず、永遠の意味を理解したら人は

自分の生き方を変える為になんでもするでしょう、と発言した。また、教会は流行と無関係です、私達の主はいつでも

同じですから、と流行を追う人々に警鐘を鳴らした。 また沢山の結婚が良い結婚でないので、主は喜ばれず、祝福され

てもいない、とも言っている。公的出現中も1917年7月13日、彼女はルシア、フランシスコとともに、聖母から、地獄の炎

やそこで燃えた炭火のように透き通った姿になって、絶望の叫びをあげながらただ不安定に業火の中を舞うだけの人や

悪魔の姿を見せられて、戦慄し、しばしば話題にしていた。こうした地獄のビジョンは、ファティマの三つの啓示のうちの

第一部分とされる。



「私は、教皇様が、大きな家にいらっしゃるのを見ました。テーブルの脇に跪いていらっしゃいました。手を顔に当て

て泣いていらっしゃったのです。家の外には、たくさん人がいて、その中のある人たちは、教皇様に石を投げつけて

いました。教皇様を呪ったり、罵ったりしている人たちもいました。お可哀想な教皇様! 私達は、教皇様のために

たくさん祈らなければいけません。

私たちの主は、とても悲しんでいらっしゃいます。だってマリア様が、主は、すでに酷く傷つけられているのだから、

もうこれ以上傷つけてはいけないと私たちに言われたのに誰も気にしないんですから。人々は、同じ罪を犯し続けて

います。」



「マリア様は、御子がこの世の上に振り上げた腕をもう止めることが出来ません。償いをしなければなりません。もし

人々が生き方を変えるのなら、主は、この世を許してくださるかもしれません。しかし、もしそうしなければ、天罰が

下るでしょう。もし人々が、生き方を変えないのなら、今まで経験したことのも無いような天罰が世界に下されます。



マリア様は、教会の中でのおしゃべりを嫌われます。



マリア様は、世界に戦争と争いがたくさんあるとおっしゃいました。戦争は、世の罪に対する天罰以外の何物でも

ありません。



他のどの罪よりも、多くの魂を地獄に落としてしまうのは、肉欲の罪です。



司祭たちは、教会のことに専念しなければなりません。司祭たちは、純潔を大事に、とても大事にしなければなりません。

司祭たちや修道者たちが長上や教皇様たちに不従順である時、彼らは、酷く神様に背きます。



私たちの主がお喜びにならないファッションが流行するでしょう。神に仕える人たちが流行を追ってはなりません。

教会は流行と無関係です。私たちの主は、いつでも同じですから。



私たちの主の教会を迫害する者達は、呪われます。教会を煩わさず、聖なる信仰に自由を与える政府は、神の祝福を

受けます。」



1920年、闘病のさなか9歳になる直前の彼女は、12歳であったルシア・ドス・サントスと、イエスと聖母の信心について

議論し、下記のように言っている。



「もうすぐ私は天国に行きます。あなたはここに残って、世界にマリア様の汚れなき御心の信心を広める神様の望みを

知らせることになります。あなたがこれを話す時が来たら、逃げ隠れしてはいけません。神様はそのお恵みをマリア様

の汚れなき御心を通じて私達に下さること、人々はマリア様の助けを願うべきであること、イエス様の聖心はマリア様

の御心もご自分と同様に尊敬されることを望んでいらっしゃること、人々はマリア様の汚れなき御心から、平和を祈り

求めなければならないということ。これらをみんなに伝えなさい。神様はマリア様に世界の平和をお委ねになったのだ

から。私の胸の中で燃えているこの炎をみんなの心に分けてあげたい。イエス様の聖心とマリア様の汚れなき御心を

こんなに愛することができるようになる、この炎を。」



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