公開されていないバチカン宮殿奥の芸術


Karol Wojtyla: o beato dos jovens


 

ここに紹介する写真は私と妻が1985年、イタリアに旅行した際、法王ヨハネ・パウロ2世

に日本語を教えた西山達也神父さんに案内してもらった時のものです。これらの多くは

一般の方の入場が許されていないものですが、その芸術には目を奪われてしまいまし

た。その後、私は教会から離れてしまいましたが、心の何処かにはキリスト教の持つ深

い霊性にひざまずいているのかも知れません。このバチカン宮殿にも光と闇が存在して

いたことは、確かなことだと思います。しかし、その中の小さな一つ一つの芸術作品の中

に魂の暖かい温もりを聴くことが出来たように思います。私達が案内してもらった場所は

バチカン宮殿の中でもほんの限られた場所でしかありません。そこにはヨハネ・パウロ2

世が祈る部屋や小さな祭壇、そして2000年前の最初の殉教者聖ステファノの顔半分

が拷問された跡が残る首(腐敗しておりません)などがありますが、その全てをフィルムに

収めることは出来ませんでした。宗教的にも文化的にもこのバチカンに刻まれた美術品は

世界
的にも優れたものであるかも知れませんが、このような美をいつも自分の中で再創造

して
ゆく探求も忘れてはならないことだと思っています。インディアンと呼ばれる先住民族の

方たちが、世界の、そして大自然の美のありのままの姿を、濁りのない心の鏡で見ていた

ように。最後に私自身、写真に関しては全くの素人ですので鑑賞に耐えるものでは
ないと

思っています。その点、お許しください。またこれら1985年に撮った写真を2011年
にスキャン

したのですが、26年の空白のためかネガが劣化していました。しかしそれでも
これらの中に

映し出されている美までは損なわれていませんでした。当時の記憶を辿りながら少しずつ

充実させていこうと思っています。




 

 



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ヨハネ・パウロ二世の祈りの部屋にあったと記憶して

いますが、十字架のないイエス像。これは法王自らが、

十字架を背負わなければならないことを意味していま

す。
またこの部屋の近くに最初の殉教者ステファノの

の首が
ガラスに収められていました。顔半分がひど

い拷問の痕を
残しているもので、2000年たっても腐

敗しておらず計り知れない苦痛の中で亡くなったこと

はその表情でわかります。同行したご年輩の女性の

方はその表情を見て嘔吐されそうになりました。この

ステファノの遺体がバチカン奥に隠されることなく、

毎日法王が通る廊下に置かれていること、それは

この十字架のないイエス像と共に、法王という立場

にある人間に自らの立場・信仰は何かと常に何かと

常に問いかける存在であるのかも知れません。


 


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バチカン宮殿の中で最も感銘を受けた壁画。これを

描いたのは左の写真の盲目の画家であり、隣の妻

が助
けながら完成させたものです。大きな天井一面

この
壁画は描かれていますが、写真はその一部分

を撮ったものです。私は覚えていなかったのですが、

妻はこの壁画は見る位置によって絵が変化すると

いう説明を覚えていました。画家にとって失明という

致命的である障害を、彼の妻は常に傍にいて助けた

のです。私自身絵は大好きです。特にシャガール、

ルオーは好きですが、この盲目の画家の壁画ほど

感銘を受けたものはありません。それはまさに二人

が起こした奇跡の結晶を見たからかも知れません。



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歴代法王が使っていた各国元首との接見の間

と、その壁に掛けられている絵。これらの絵は

何年もの間、海中に沈んでいたものを引き上

げたものですが、不思議なことに原形をとどめ

ていたという由緒あるものです。ただ何故これ

らの絵が海中にあったのか、誰かに略奪され

捨てられたのか、それとも船で運ぶ途中に何

らかの災難に会い沈没してしまったのか。ま

た捜す意図をもって発見されたのかそれとも

偶然発見されたのか、説明を受けたのかも

知れませんが思い出せません。いずれにせ

よ、このような貴賓室とでもいうような部屋に

置かれているには、大きな理由があるのかも

知れません。








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法王ヨハネ・パウロ二世が個人的な礼拝をした

祭壇。ポーランド出身のヨハネ・パウロ二世に

とって、ヤスナ・グラの聖母(黒い聖母)は特別

な存在でした。ですから私的な礼拝に使うこの

祭壇に、ヤスナ・グラの聖母(黒い聖母)の絵を

置かれたのだと思います。写真右側にこの絵が

飾られているのがわかるかと思います。尚、法王

に選ばれた1979年、そして1983年と1991年には

ヤスナ・グラを巡礼されています。ヤスナ・グラは

毎年500万人以上の巡礼者が訪れる有名な聖地

です。



左下の写真は法王ヨハネ・パウロ二世の祈りの

部屋です。ヨハネ・パウロ二世はいつもここで祈ら

れ、時にはそれが何時間も続くことがあったそう

です。





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回廊に描かれた絵画、そして彫刻。恐らく

美術に関心がある方にとっては、美の宝庫

と言っても過言ではないかも知れません。

左下の写真は制作年など不詳の屏風絵。



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回廊の天井画。どの天井にもこのような

絵と彫刻が刻まれ、その繊細なタッチに

驚かされてしまいました。






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回廊に描かれた壁画。部屋が暗く鮮明には

撮れていません。もちろんフラッシュをたくこ

とは出来ず、当時ASA(感度)400のフィルム

でここに紹介する写真全てを撮っています。




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新法王が新たに選ばれたとき、歴代法王は先ず

右の写真の窓から外に出て、サンピエトロ広場に

集まった多くの群衆に祝福を与えます。左の写真

は案内してくださった西山達也神父様と妻で、左下

の写真はバチカンを訪れていた日本人を神父様

が呼びとめられ、一緒にバチカンの中を案内して

くださった時のものです。



右下の写真は天正10年(1582年)、九州のキリ

シタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名

代としてローマへ派遣された4名の少年(天正遣欧

少年使節)がこの門を通ってバチカンに入ったと

説明を受けた覚えがありますが、記憶が正しいか

どうか自信がありません。



西山神父様のことを少し話そうと思います。神父

様は児童養護施設で育てられました。その後神学

校に入りますが、前途有望な神学生とは言えなか

ったようです。神父になりバチカンで短波ラジオの

日本語放送を担当するようになりましたが、ある

日のこと、法王ヨハネ・パウロ二世に突然呼ばれ

たそうです。西山神父様はどんなことで怒られる

るのだろうと不安で一杯でしたが、ヨハネ・パウロ

二世から「あなたは今日から私の日本語の先生

です。」と言われます。その時「何故私が?」とい

う戸惑いと驚きの衝撃だったようです。ヨハネ・

パウロ二世が来日する前の話ですが、その後も

ヨハネ・パウロ二世と西山神父様は交流を深めら

れ、バチカンの中を自由に歩くことを許されたそう

です。その頃、バチカンを旅行された方の中には

西山神父様のお世話になった方が多いと聞きま

す。バチカン、そしてアッシジの巡礼の旅を助けて

くださった西山神父様、そしてイタリアに旅立つ前

に神父様が養護施設にいた時の指導員であった

小西さんからも深いお話が聞けたことを感謝して

います。



この旅行の時、私は27歳の若造であり、これらの

芸術そして信仰の重みをしっかりと受け止めるこ

とは出来ませんでした。そして今の私はというと、

やはり昔と変わっていないのではと思い知らされ

ています。






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「田舎っぺ神父のローマ見聞記」

文章:西山達也 表紙・挿絵・装丁:十時庵 発行者:松下晴美 定価:1,200円(送料別)

本書の詳しい内容並びに注文は「日本語を話しつづけたローマ法王と田舎っぺ神父」

サイトを作られた松下晴美さんまでお願いします。この本は1979年頃から1982年にかけて

書かれたローマ見聞記を一冊の本にしたもので、西山神父様のユーモアたっぷりの筆と

挿絵に心が和みました。またヨハネ・パウロII世との出会いやそれぞれの教会などが持つ

深い意味など興味深かったです。もしローマに行く予定がある人は一見の価値があるか

と思います。バチカンを案内する西山神父様の人柄に触れて、案内してもらった多くの観

光客がカトリリックを身近な存在として受け留めたのかも知れません。ただ、西山神父様

らしいところは、何が何でも出会った人をカトリックに入信させればいいというものでなかっ

たことです。西山神父様かそれとも違った方からかは思い出せませんが、このような話を

聞いたことがあります。ローマにある旅行会社の日本人の女性社長だったでしょうか。西

山神父様の人柄に触れて、洗礼を受けたいと申し出たそうですが、西山神父様はその申

し出を直ぐに受けなかったそうです。何故なら、彼女の今の生き方、仕事ぶりが既に神の

み旨に適っていると感じていたからです。この視点は、人間を見る優れた洞察力、そして

人間の弱さを真に知る人でなければ生まれてこないかも知れません。そんな西山神父様

から見て私なんかは「あんなろくでもない若造なんか案内したのは時間の無駄じゃった」と

見抜いていたことでしょう。最後に、この本を発行してくださり、また上のサイトを創ってくだ

さった松下晴美さんに心から感謝したいと思います。下の文はこのサイトから引用させて

いただきました。

(2011年9月3日)




「1981年2月、ローマ法王として歴史上はじめて、極東日本に来られたヨハネ・パウロII世は、

東京と長崎でのミサと、広島における「平和スピーチ」をすべて美しい日本語で話され、私

たちに深い感動を与えました。カトリック信者が、親しみと尊敬を込めて呼ぶところの「パパ

様」は、1980年12月4日から出発前日の翌年2月15日まで、まいにち日本語を勉強されたの

です。お手伝いをされたのは、コンベンツアル聖フランシスコ会の西山達也神父様です。

当時、修道会のローマ本部に派遣され、バチカン放送日本語課のアナウンサーでした。神父

様は46歳、今は亡きパパ様も溌剌とした60歳でした。1980年12月3日、前触れもなく突然バチ

カンに呼び出され、日本語教授を命じられた西山神父様は、パパ様の日本訪問が無事終え

られてからも、1994年に日本への帰国命令が出るまで、バチカンの毎週の謁見時に日本人

巡礼団に対するパパ様の日本語スピーチのために、先生役を13年間果たされたのです。」




 



 



このヨハネ・パウロ・二世の写真は1987年頃、

知り合いの岡田さんが撮影したものです。

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の声をおさめた世界初めてのCD

「アバ・パーテル」が復活祭に先駆けて全世界で発売されました。

魂を深い祈りへの次元へと導いてくれる素晴らしいCDです。また

教皇自身が様々な疑問に応える文献「希望の扉を開く」も出版さ

れています。詳しくは女子パウロ会のホームページへ







新しく法王になったフランチェスコT世

バチカン市国のシスティナ礼拝堂を紹介するサイト

バチカン市国の美術館を紹介するサイト

バチカン市国を探索するサイト




開港後日本最初の聖堂 カトリック山手教会





2013年3月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。


 



ローマ法王の祈りの部屋の壁にあるイエス像。



神学的に難しいことはわかりませんが、このイエス像から感じる眼差しは、キリスト教に限らず

宗教の根源的なものを現しているように感じてなりません。



十字架がないのは、法王自らが十字架を背負わなければならないことを意味しているそうです

が、この眼差しが持つ重み、その重みを私にはまだ感じられないでいます。




 

2013年3月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。


http://www.facebook.com/papamfranciscum

以下、引用します。


☆☆☆☆


(CNN) ローマ法王フランシスコはイースター(復活祭)を前にした「聖木曜日」の28日、ローマ市内にある少年院で

「主の晩餐のミサ」をささげ、罪を犯して収容されている少年少女の足を洗った。



ミサはローマのカサル・デル・マルモ少年院で行われ、法王は少年少女の足に水を注ぎ、白いタオルでぬぐってキス

をした。



主の晩餐のミサはこれまでローマ大司教の聖堂であるサンジョバンニ・インラテラノ大聖堂で行われるのが慣例だった。

フランシスコ法王はこれを少年院で行うことで、また1つ慣例を破ったことになる。ローマ法王庁によると、法王は極め

て質素なミサを強く希望したという。



少年院の入所者から法王へは、院内の作業で作った木製の十字架と膝つき台を贈呈。フランシスコ法王はイースター

の卵と、ハトの形をしたイタリアの伝統菓子を全員に配る。



同少年院には14〜21歳の約50人が収容されている。法王が足を洗う若者は、さまざまな国や宗教の入所者の中か

ら選ばれ、女性2人とイスラム教徒2人が含まれていた。



この日午前にサンピエトロ大聖堂で行われたミサには、フランシスコ法王と共に枢機卿や司教など2000人以上と、

カトリック信者1万人以上が参列した。



☆☆☆☆


 

2013年3月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。





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新しく法王になったフランチェスコT世の写真(他のサイトより引用)ですが、フランチェスコという名前は13世紀に生きたアッシジの

聖フランシスコ(フランチェスコ)
から頂いたものと聴き感慨深いものを感じてなりませんでした。



また新法王フランチェスコT世の言動を見ると、アッシジの聖フランシスコに愛された弟子ジネプロを彷彿させる単純さや、ユーモア

の美徳が宿っているように感じてしまいます。



私にとって聖人とは、自分がどんな逆境にあろうと、人の喜びを喜び、人の悲しみを分かち合うことが出来る、ある意味とても単純な

人のことを指すのかもしれません(私には中々難しいですが)。



このような方は世には広く知られていなくても、案外身近にいるのかも知れませんね。



☆☆☆☆





2012年1月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「ルルドの奇跡」で有名な聖ベルナデッタ(1844年〜1879年)の写真です。



昨日(1月10日)の投稿は少し気合が入りすぎたかなと思いますが、今日も少しだけ真面目に、

長くなりますのでお付き合いください。



私は教会を離れた身です。それは教会が悪いのではなく私自身の弱さ、未熟さがそうさせた

のだと断言できます。話は前後しますが、私は結婚する1ヵ月前にカトリック教会で洗礼を受

けましたが、それはアッシジの聖フランシスコを通してキリスト教に惹かれていたからだと思い

ます。



新婚旅行で、このアッシジ、そしてバチカンを巡りました。当時バチカンにはヨハネ・パウロ2世

に日本語を教えていた西山神父さんがいました。私の妻の知り合いで西山神父さんを知って

いる方がおり、その紹介で私たちは、バチカン宮殿の立ち入りを許可されていないところまで

案内してもらいました。



アッシジでは聖フランシスコゆかりの地を巡礼しました。このアッシジで強く心に残っているのは、

聖フランシスコに語りかけた十字架、彼ら兄弟会の心の故郷ポルチウンクラという小さな礼拝

堂、そして聖フランシスコの精神を最も体現したと言われる聖クララの遺体です。



聖クララの遺体は黒くミイラ化しているものの、死後750年経っても腐敗を免れています。写真

の聖ベルナデッタも死後130年経っても腐敗していません。この「腐敗しない」体というものをど

う捉えていいのでしょう。ちなみに教会には沢山の聖人がいますが、その全てが腐敗しないと

いうことではないのです。アッシジの聖フランシスコもそうですし、前の投稿で紹介したピオ神父

もその遺体は腐敗していました。



この答は一人一人違うのかも知れませんし、現代科学では説明できなくとも将来その秘密が

解明される時が来るかも知れません。ただ当時の私は深く考えもせず不思議な光景だとしか

見ていなかったように思います。バチカン宮殿の奥にあるヨハネ・パウロ2世の「祈る部屋」に

は十字架のないイエス・キリスト像がありました。西山神父さんは「これは法王自らが十字架を

背負わなければならないことを意味している」と説明されておりましたが、この部屋の近くの廊

下に最初の殉教者ステファノの遺体(首)がガラスケースに置かれていました。



私自身歴史には詳しくないのですが、紀元後35年か36年に聖ステファノは石打ちの刑に処せ

られます。そしてそれから約300年後のホノリウス帝の時にステファノの遺体が発見されます。

恐らくそれ以降は人目に触れさせずにバチカンに保管されていたのだと思います。その遺体

(首)は腐敗していませんでした。ただ顔の半分にひどい拷問を受けた跡が残り、耐え難い苦

痛のうちに絶命したことがわかります。しかしこの遺体も十字架のないイエス像と同じように

法王自らが負わなければならない責務を思い起こさせるためなのだと感じてなりませんでした。



聖ステファノ、聖ベルナデッタ、聖クララの腐敗しない遺体をどのように解釈したらいいのでしょ

う。それは神からの伝言であると私は感じています。ただ、その伝言から何を受け取るかは一

人一人に託されているように思います。



最後に私に関してですが、キリスト教の霊性と先住民の霊性が合い交わるところを捜している

のかも知れません。1492年のコロンブスのアメリカ大陸上陸から500年以上にも渡る、先住民

の辿ってきた長き苦難の道にキリスト教も深く関わってきました。その疑問が頭から離れない

でいるのかも知れませんが、ただそんな探求に意味があるのかもわかりませんし、私みたい

なろくでもない野朗がやること自体滑稽なことであり、必ずどこかで挫折するとは思います。そ

んな私でも、心の拠り所としているのは、アウシュビッツで亡くなった無名の女性の魂なのかも

知れません。それを紹介して終わりにします。



☆☆☆

それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。「私をこんなひどい目に遭わしてくれ

た運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。 「なぜかと言いま

すと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを

追っていなかったからですの。」その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそ

こにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外

を指した。外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。病人の寝台の所に屈んで外

を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた一本の緑の枝

を見ることができた。「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。私は一寸まごついて彼女の

言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか?不思議に思って

私は彼女に訊いた。「樹はあなたに何か返事をしましたか?-しましたって!-では何て樹は言っ

たのですか?」 彼女は答えた。「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。

私はいるのだ。永遠のいのちだ。」

フランクル「夜と霧」より引用

☆☆☆



(K.K)


 

2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)



 


2013年6月10日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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「死者のための祈り」(長崎・平和祈念像 写真は1998年1月6日に撮ったものです。)



もう10数年前のNHKの番組で、病院に入院している一人のおばあさんが紹介されていた。



おばあさんの一人娘(小学生)は原爆で亡くなり、それ以降おばあさんは一人で生きてきたが、

当時のことを語ろうとせず、1枚残った女の子の写真を大切にされていた。



時が止っている、そう感じてならなかった。



平和祈念像は神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に

伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めて

作られた。



祈りの想いや手が、自分の外へと向くことができたらと思う。



「主よ、みもとに召された人々に、永遠の安らぎを与え、あなたの光の中で憩わせてください。」

詩篇130



 







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