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に日本語を教えた西山達也神父さんに案内してもらった時のものです。これらの多くは 一般の方の入場が許されていないものですが、その芸術には目を奪われてしまいまし た。その後、私は教会から離れてしまいましたが、心の何処かにはキリスト教の持つ深 い霊性にひざまずいているのかも知れません。このバチカン宮殿にも光と闇が存在して いたことは、確かなことだと思います。しかし、その中の小さな一つ一つの芸術作品の中 に魂の暖かい温もりを聴くことが出来たように思います。私達が案内してもらった場所は バチカン宮殿の中でもほんの限られた場所でしかありません。そこにはヨハネ・パウロ2 世が祈る部屋や小さな祭壇、そして2000年前の最初の殉教者聖ステファノの顔半分 が拷問された跡が残る首(腐敗しておりません)などがありますが、その全てをフィルムに 収めることは出来ませんでした。宗教的にも文化的にもこのバチカンに刻まれた美術品は |
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いますが、十字架のないイエス像。これは法王自らが、 十字架を背負わなければならないことを意味していま |
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描いたのは左の写真の盲目の画家であり、隣の妻 |
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と、その壁に掛けられている絵。これらの絵は 何年もの間、海中に沈んでいたものを引き上 げたものですが、不思議なことに原形をとどめ ていたという由緒あるものです。ただ何故これ |
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祭壇。ポーランド出身のヨハネ・パウロ二世に とって、ヤスナ・グラの聖母(黒い聖母)は特別 な存在でした。ですから私的な礼拝に使うこの 祭壇に、ヤスナ・グラの聖母(黒い聖母)の絵を 置かれたのだと思います。写真右側にこの絵が 飾られているのがわかるかと思います。尚、法王 に選ばれた1979年、そして1983年と1991年には ヤスナ・グラを巡礼されています。ヤスナ・グラは 毎年500万人以上の巡礼者が訪れる有名な聖地 です。 部屋です。ヨハネ・パウロ二世はいつもここで祈ら れ、時にはそれが何時間も続くことがあったそう です。 |
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美術に関心がある方にとっては、美の宝庫 と言っても過言ではないかも知れません。 左下の写真は制作年など不詳の屏風絵。 |
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絵と彫刻が刻まれ、その繊細なタッチに 驚かされてしまいました。 |
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撮れていません。もちろんフラッシュをたくこ とは出来ず、当時ASA(感度)400のフィルム でここに紹介する写真全てを撮っています。 |
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文章:西山達也 表紙・挿絵・装丁:十時庵 発行者:松下晴美 定価:1,200円(送料別) 本書の詳しい内容並びに注文は「日本語を話しつづけたローマ法王と田舎っぺ神父」の サイトを作られた松下晴美さんまでお願いします。この本は1979年頃から1982年にかけて 書かれたローマ見聞記を一冊の本にしたもので、西山神父様のユーモアたっぷりの筆と 挿絵に心が和みました。またヨハネ・パウロII世との出会いやそれぞれの教会などが持つ 深い意味など興味深かったです。もしローマに行く予定がある人は一見の価値があるか と思います。バチカンを案内する西山神父様の人柄に触れて、案内してもらった多くの観 光客がカトリリックを身近な存在として受け留めたのかも知れません。ただ、西山神父様 らしいところは、何が何でも出会った人をカトリックに入信させればいいというものでなかっ たことです。西山神父様かそれとも違った方からかは思い出せませんが、このような話を 聞いたことがあります。ローマにある旅行会社の日本人の女性社長だったでしょうか。西 山神父様の人柄に触れて、洗礼を受けたいと申し出たそうですが、西山神父様はその申 し出を直ぐに受けなかったそうです。何故なら、彼女の今の生き方、仕事ぶりが既に神の み旨に適っていると感じていたからです。この視点は、人間を見る優れた洞察力、そして 人間の弱さを真に知る人でなければ生まれてこないかも知れません。そんな西山神父様 から見て私なんかは「あんなろくでもない若造なんか案内したのは時間の無駄じゃった」と 見抜いていたことでしょう。最後に、この本を発行してくださり、また上のサイトを創ってくだ さった松下晴美さんに心から感謝したいと思います。下の文はこのサイトから引用させて いただきました。 (2011年9月3日) 「1981年2月、ローマ法王として歴史上はじめて、極東日本に来られたヨハネ・パウロII世は、 東京と長崎でのミサと、広島における「平和スピーチ」をすべて美しい日本語で話され、私 たちに深い感動を与えました。カトリック信者が、親しみと尊敬を込めて呼ぶところの「パパ 様」は、1980年12月4日から出発前日の翌年2月15日まで、まいにち日本語を勉強されたの です。お手伝いをされたのは、コンベンツアル聖フランシスコ会の西山達也神父様です。 当時、修道会のローマ本部に派遣され、バチカン放送日本語課のアナウンサーでした。神父 様は46歳、今は亡きパパ様も溌剌とした60歳でした。1980年12月3日、前触れもなく突然バチ カンに呼び出され、日本語教授を命じられた西山神父様は、パパ様の日本訪問が無事終え られてからも、1994年に日本への帰国命令が出るまで、バチカンの毎週の謁見時に日本人 巡礼団に対するパパ様の日本語スピーチのために、先生役を13年間果たされたのです。」 |
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知り合いの岡田さんが撮影したものです。
「アバ・パーテル」が復活祭に先駆けて全世界で発売されました。 魂を深い祈りへの次元へと導いてくれる素晴らしいCDです。また 教皇自身が様々な疑問に応える文献「希望の扉を開く」も出版さ れています。詳しくは女子パウロ会のホームページへ
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2012年1月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
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