35年間使い続けている「聖クリストフォロス(クリストファー)」のキーホルダー



2014年3月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。






35年間使い続けているキーホルダー(聖クリストフォロス『旅行者の守護聖人』)



聖クリストフォロス・・・大きくて深い河の渡し人として働いていた巨人の彼は、ある子どもを背負って渡り始めます。しかし

この子どもは河を進むごとにどんどん重くなり、やっとの思いで対岸にたどり着きますが、この子どもこそイエス・キリストで、

彼が感じた重みはイエス・キリストが背負っていた世界の重みそのものでした。



35年前、東京で一人暮らしをしていましたが、このキーホルダーは銀座の教文館に立ち寄り購入したものです。当時の私

にとって3000円位した高価な買い物でしたが、何故か惹きつけられていました。



あれから5回ほど家を移り、その家々の鍵はいつもこのキーホルダーにつながれていましたが、家を出るときは今でも

ズボンのポケットに入っています。



しかしこの35年間、このキーホルダーに描かれた聖像画をじっくり見ることはあまりなかったように思います。中世ヨーロッパ

では旅人たちに信奉されただけではなく、洪水や疾病、そして嵐などから人びとを守護する聖者としても広く祈りの対象となり、

この聖像画を見た者はその日のうちには死ぬことはないという信心もありましたが、それを思い起こすことなど殆どありませ

んでした。



35年間、意識されることなくいつも傍にいたキーホルダー、1週間前から何故かこの聖像画が気になり見つめてしまいます。



3月11日のこともあるのでしょうが、新たな旅立ちを促しているのかも知れません。



話は変わりますが、旅の守護としてインディアン(アメリカ先住民)が大切に使っているものはターコイズ(トルコ石)という

青緑色の石ですが、世界各地にはそれぞれの風土を象徴するお守りがあるのでしょう。





June | 2012 | Rileybrad's Blog




「聖者の事典」エリザベス・ハラム編 鏡リュウジ・宇佐和通 訳 柏書房
より以下引用



旅の安全 クリストフォロス

年代・・・3世紀の人物?

祝日・・・7月25日

崇敬・・・中世では広い地域で信奉されていた。17世紀になると衰退したが、20世紀になって甦った。1969年に
地域典礼となる。

他の守護分野・・・洪水、疫病、嵐。



クリストフォロスについてわかっていることは、彼が小アジアで殉教したということだけである。現在のトルコ

北方のビテュニアにある教会が450年ごろ彼に献じられた。それ以外の話は伝説だが、なかでもいちばんよく

知られているのは、彼がオフェロという名の恐ろしい姿をした巨人だったという話だ。オフェロは若いころ、黒

馬に乗る騎士の姿をした悪魔に仕えていたが、この悪魔が白い十字架を見て逃げ出したのをきっかけにして

キリストを探しはじめた。



オフェロをキリスト教に導いた隠修士は、彼を川のそばに住まわせ、旅人たちのため、川の渡しの仕事をさせ

た。これが、旅人のための祈りの対象とされるゆえんである。



ある嵐の晩、彼は子供を背負って川を渡っていた。この子供は先を進むにつれて重くなっていき、やがて彼は

腰を折って背負わねばならぬほどになってしまった。対岸に着いたとき、背中に乗っていた子供は自分がイエ

ス・キリストであることを明らかにし、オフェロに対してこれからはクリストフォロスと名乗るよう申しつけた(クリ

ストフォロスというのはギリシャ語で『キリストを背負う者』という意味である)。イエスはまた彼に川をもう一度

引き返すように命じ、持っていた杖を地面につきさすように言った。地面に埋められた杖からは翌日花が咲き、

ナツメヤシが実を結んだ。



クリストフォロスは小アジアのリュキアで福音を広めたとも伝えられている。彼はここでローマの神々への信仰

を拒否して投獄され、獄中生活を送っている間に彼を誘惑しようとした女性ふたりを改心させた。



彼には死刑判決が下され最初は火あぶり、そして次は矢による死刑が決行されたが、いずれの刑からも傷ひ

とつ受けることなく生還し、最後は首をはねられ殉教した。



クリストフォロスは中世において、旅人たちに信奉されただけではなく、洪水や疾病、そして嵐などから人びとを

守護する聖者としても広く祈りの対象になった。クリストフォロス信仰は17世紀になって衰退したが、20世紀に

空陸の旅行者の守護者として劇的なカムバックを果たす。



パリでは、シトロエン自動車工場に近い教会がクリストフォロスに献じられている。おかげで彼への信仰は1969

年、地域典礼に降格されても今日まで生き残るのだが、これは彼の姿を見た者はその日のうちには死ぬこと

はないという信心にもとづいている。さまざまな教会で、表玄関の近くや入口に面した北壁をはじめ、信者の目

につきやすいところに、いろいろなクリストフォロスの絵画や像、表象が飾られているのは、こうした理由による。







「聖者伝説 365日、あなたを守護する聖人たちのものがたり」茅真為 著 学習研究社
より以下引用。



キリストを担う者・・・聖クリストフォロ


カナンの地にレプロブスという大男がいました。レプロブスは大変な力持ちで、自分の力に自信を持ち、強いも

のに憧れていました。彼はこの世でいちばん強い者に仕えたいと思い、自分が仕える主人を探していました。



そのころ、彼はカナンの王の評判を聞き、王様こそもっとも強い力の持ち主であると信じて、王のところに赴きま

した。そして、自分を家来にしてくれるようにと頼んだのです。王は喜んで彼を宮廷に召しかかえ、身近に置いて

仕えさせました。



あるとき、宮廷に吟遊詩人が招かれて、王に歌を聞かせていると、その歌のなかに「悪魔」という名が出てきま

した。王はその名を聞くたびに、恐ろしそうに額に十字の印を切るのでした。レプロブスは不思議に思い、なぜ

そのようなことをするのか、その印にはどんな意味があるのかと、王に尋ねました。



王はなかなか答えようとはしません。そこで、レプロブスが「教えていただけないのならお暇をいただきます」と

いうと、王はようやく「わたしは悪魔にとりつかれるのが怖いのだ。だから十字の印を切るのだよ」と教えてくれ

ました。



レプロブスはカナンの王が悪魔を恐れていることに失望し、それなら王よりも強そうな悪魔に仕えることにしよう

と思いました。彼は王に別れを告げ、悪魔を探しに出かけました。そして荒野にさしかかったとき、騎士の一団

に出会いました。



そのなかの隊長らしき人物がレプロブスに「どこへ行くのか」と尋ねました。レプロブスは「自分は悪魔を探して

いる。悪魔に仕えたいのだ」と答えました。すると、騎士は、「おまえが探しているのは、このわしのことだよ。わし

が魔王だ」といいました。レプロブスは嬉しくなって、この魔王に仕えることにしました。



こうして、悪魔の一団と旅しているうちに、ある街道にさしかかりました。街道の入口には十字架が立っています。

魔王は十字架を見ると恐ろしがって、こそこそ逃げだし、街道を避けて回り道をしていこうとしました。



レプロブスが「なぜ、街道をまっすぐいかないのか」と尋ねると、魔王はしぶしぶこう答えました。「キリストという名

のひとりの人間が、十字架につけられた。わしはその十字架を見ると恐ろしくて、逃げださずにはいられないのだ」



レプロブスは、魔王が恐れるキリストこそもっとも強いものだと考えて、悪魔たちと別れ、キリストを探しにでかけま

した。



けれども、キリストは見つかりません。長い間探しまわって、レプロブスはとうとうキリストの教えを説いている、ひと

りの苦行者のところにやってきました。そこで、キリストのことを尋ねると、苦行者は「おまえが探している王は、おま

えに断食と苦行を求めておられる」と答えました。レプロブスは「自分はそんな苦行はできない。もっとほかのことを

要求してほしい」といいました。



すると苦行者は「それならキリストに絶えず祈りを捧げることが必要じゃ」といいました。しかし、今度もレプロブスは

答えました。「わたしは祈りなんか知らないから、そんなことはできそうにもない。もっとほかのことを要求してもらい

たい」



「それならば」と苦行者はいいました。「あそこに大きな河がある。大勢の人びとが旅の途中、その河を渡ろうとして

難儀し、急な流れに巻き込まれて命を落とすこともある。おまえはからだも大きいし力持ちだ。あの河のほとりに腰

をすえ、河を渡ろうとしている人びとを運んでやってはどうじゃ。そうすれば、おまえが仕えたいと願っている王キリ

ストで出会えるときがくるじゃろう」



「それくらいのことならわけない」とレプロブスは思いました。彼はさっそく河のほとりに小屋を建て、人びとを渡して

やることにしました。旅人や通行人があると、彼は手に1本の棕櫚(しゅろ)の枝を杖代わりに持って、人びとを肩に

乗せ、河を渡ってゆきました。



それから何日かたった、ある夜のことです。レプロブスが小屋で休んでいると、小さな子どもの声で「小屋から出て

きて向こう岸へ渡してください」と呼ぶのが聞こえました。彼は起き上がって外に出ましたが、あたりにはだれもいま

せん。小屋に戻ると、ふたたび声が聞こえました。しかし、2度目に外に出たときも、人影は見つかりませんでした。



3度目にも声が聞こえてきたので、彼はもう一度外に出てあたりを見回しました。すると、岸辺に小さな子どもが立っ

ていました。子どもは彼に向こう岸へ渡してくれるようにと頼みました。



レプロブスはその子どもを肩にかつぎ、棕櫚の枝を手にして、流れのなかに入っていきました。河の深みに入って

いくと、子どもはだんだんと重くなってきました。その重さはまるで鉛のようで、いかな力持ちのレプロブスといえども、

このまま行けば河のなかに沈んでしまうのではないかと思ったほどです。



彼は苦労してようよう子どもを向こう岸へ渡しました。そして、背中からその子を下ろすと、「やれやれ、おまえさんの

おかげで危ない目にあったよ。たとえ全世界を背負ってもおまえさんほどには重くはなかったろうに」といいました。



すると子どもが答えました。「レプロブスよ、おまえは全世界を担っただけではなく、世界の創造者をもその肩に担っ

たのだよ。わたしがキリストであり、おまえが仕えようと望んでいた王なのだ。わたしが真理を語っている証拠を見た

ければ、元の川岸に戻ったとき、その杖を小屋のわきの地面にさしておくことだ。翌朝、杖は花を咲かせ、実を結ぶ

だろう」そういうが早いか、子どもの姿はたちまち彼の目から消えてしまいました。



レプロブスはいわれたとおり、杖を地面にさし小屋に入って休みました。そして翌朝、起きてみると、いわれたとおり、

その杖には葉が茂り、花が咲き、実がなっていました。



これによって、レプロブスはキリストを信じ、キリストに仕える者となりました。その名も「キリストを担う者」という意味

のクリストフォロに改めたのです。



その後、クリストフォロはリチアの国のザモスという町に布教に行きました。その町で祈っていると、彼は人びとから

怪しまれて捕らえられ、法廷に引きだされて殴られました。そのとき、彼は「もしわたしがキリストを信じる者でなかっ

たならば、すぐにでも腕にものをいわせて仕返ししてやるものを」といって、持っていた杖を地面につき立てました。

すると、杖はたちまち芽を吹き、緑の葉が生い茂る木となったのです。この奇跡を見て、多くの人びとがキリストを

信じる者となったということです。



クリストフォロは荷物の運搬にたずさわる人びとや旅行者の守護の聖人として仰がれていますまた、棕櫚の枝に花

が咲き実を結んだという伝説から、造園業や果樹園の所有者、農民などにも仰がれいます。この聖人は聖画像

(イコン)のなかに、幼な子キリストを肩にかついで河を渡る姿で描かれています。そこに棕櫚の木が描かれている

場合もあります。







「ビジュアル版 世界お守り大全 Body Guards」デズモンド・モリス著 鏡リュウジ監訳 東洋書林
より以下引用。



聖クリストフォルス( ST CHRISTOPHER )


群を抜いて旅人に人気のあるボディガードは聖クリストフォルスである。今日ですら、数え切れないほどの人々が、

聖クリストフォルスのメダリオンを首のまわりにかけたり、大切に小銭入れや札入れやハンドバッグの中にしまい

こんだり、車の中に吊るしておいたりする事なしには・・・どんな短いものであれ・・・旅行に出ようとしないだろう。

聖人の像を目にするものは誰であろうと、その日のうちに死ぬことはないと信じられているのだ。



このように幅広く使われているお守りでるにもかかわらず、我々は聖クリストフォルスについてわずかしか知らない。

彼の伝説を簡単に紹介しておこう。



彼は強くて、醜くて、髭面の「犬顔」の巨人で、大きな杖をたずさえる姿で表わされる。彼の幼名はオッフェロといった

が、しばしばレプロバスとも呼ばれた。生まれ故郷のカナンの地で強力な王のもとで働いていた。彼の王が悪魔に

おびえているのを見て、自分の忠誠心をひるがえす決意をし、代わりに悪魔のもとで働くようになった。しかしある日、

悪魔がキリストと呼ばれる何者かをひどく恐れていることに気がついた。そして彼は、すべての王の中で最も強い

そのひとを探す旅に出た。キリストを探し出すことには失敗したが、とある隠者に、目的をとげる最高のチャンスは、

危険な河のほとりにひとりで住み、渡ろうとする人々を助けてあげることだと忠告をうけた。



オッフェロはこの忠告に従って、幾歳月かを激しい流れの浅瀬のほとりにひとりで住んだ。旅人たちを急流を渡して

やることなど、5〜7メートルの背丈があった彼にとっては雑作もないことであった。しかしある日、小さな少年が土手

の上までやってきて彼に助けを求めた。彼は子供を肩に乗せ、水の中を歩いて渡りはじめた。河の中ほどまで来た

とき、彼は子供のとんでもない重さに喘ぎはじめ、このままでは二人とも溺れてしまうのではないかと考えた。子供は

オッフェロに説明した。この方の上に世界のすべてを背負っているから、だから僕は重いんだよ。オッフェロがこの

言葉の意味を理解し、この子供がキリストであり、キリストは世界のすべてを支えているのだと知った瞬間、少年は

突然姿を消した。



この寓話は明らかに、キリストの力を受け入れれば我々の肩から大いなる荷が取り除かれるであろうという考えを

示しているが、聖クリストフォルス自身については、ほとんど何も語ってくれない。歴史的には、彼は3世紀にローマの

神々をあがめる事を拒否して首を切られた殉教者として記録されている。これは紀元250年頃、ローマ皇帝デキウス

統治下の小アジアのリュキアで起こったことだと考えられている。その他知られていることはほとんどなく、教会の権威

者たちは近年、彼は12世紀の魅力ある作り話の登場人物にすぎないと結論をくだした。その結果、1969年に彼は

聖人日(西方教会では7月25日、東方教会では3月9日)は教会暦から消し去られた。しかし、彼はきわめて魅力

ある存在だったので、大衆は彼の降格を完全に無視した。彼のお守りは、旅行の際に起こりうるたくさんの危険を

防いでくれるものとして身につけられ続けている。



そしてそれから、字通り「キリストを運ぶ者」という意味のギリシャ語のクリストフォレスに由来した聖クリストフォルス

は、今日でも世界中に旅人の守護聖人として認められている。彼は北アメリカ、メキシコ、アイルランド、そして(バチ

カンによる彼の格下げにもかかわらず)イタリアで最も人気のある聖人である。加えて、もっと昔は、この聖人の

魔除けは疫病、嵐、水から守ってくれるともいわれていた。



1970年代のアメリカで、聖クリストフォルスのメダルが若い男女の間で恋のお守りとして用いられる新しい流行が

起こった。彼らが恋に落ちたなら、お互いに聖クリストフォルスのネックレスを贈りあうのだ。メダリオンの伝説的な

作用、旅の間の加護を表わすのと同じように、それは誰かと約束をしたということを公然と誇示することであった。

その関係が終わりを告げたならば、ネックレスは返されることになっていた。この慣習は南カリフォルニアのサー

ファーの文化として始まり、またたく間に北米中に広まった。



開港後日本最初の聖堂 カトリック山手教会 に戻る。


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