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上野英信(1923-1987) 岩波書店
戦後日本には「貧困」があった。地の底の炭坑では人間が石炭を掘っていた。
石炭から石油へのエネルギー転換の時代を背景に、日本資本主義を最底辺で
支えた筑豊の中小炭坑の悲惨な実態を暴いた1960年8月初版の本書は、怠慢
と飽食の現代を痛撃し続ける戦後ルポルタージュの古典である。(本書より)
「地獄極楽、いってきたもんのおらんけんわからん。この世で地獄におるもんが地獄じゃ」
娘のころは父につれられて、結婚してからは夫とともに、うまれた娘が大きくなるとその娘
をつれて、一生を暗黒の地底で働きつめたひとりの老婆がいつもこう呪文のようにつぶや
いていた言葉を、私は忘れることができない。私のききあやまりではない。彼女は決して
「この世の」とはいわなかったし、まして「この世の地獄が地獄じゃ」などとはいわなかった。
彼女はあたかも「この世で悪魔を見るものが悪魔だ」とでもいうような調子でたしかに「この
世で地獄におるもんが地獄じゃ」といっていた。そうだ、私にとって問題であるもの、それは
「この世の地獄」ではなくて、「人間そのものとしての地獄」であり「地獄そのものとしての
人間」である。・・・・・・・上野英信 同著より
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「泥のように眠った混沌たる意識の底に沈むゆめはなにか・・・・・・・。
血膿にかたまった顔をふせて身動きもせずたたずみつづける子の、
胸にあてられた両手の指の孤独が、たえがたくわたくしの胸をかき裂
いて黒い怒りをにじませる。」上野英信(写真・文とも本書より)
このルポルタージュは昭和30年代の九州の筑豊の炭坑を記録に留めた
ものである。昭和30年代というと、 私の幼少期の頃であり、そして私も
筑豊からそう遠くない佐世保で生まれたが、この本を読みながら幾度も目
頭が熱くなったのを思い出す。後年、NHKのある番組で生前中の上野英
信氏が紹介され、次のように語ったのを鮮明に覚えている。「時間を惜し
むな、金を惜しむな、命を惜しむな」、このような人だからこそ、地の底に
降り立ち高度経済成長を「暗闇」で支えた彼らの悲惨な生活に黙ってい
ることが出来なかったのだと思う。上野氏の本と、ほぼ同じ時期に土門拳
が
「筑豊のこどもたち」という写真集を出しているが、これは土門拳の
原点ともいうべきリアリズム写真の名著である。