「ちいさな労働者 写真家ルイス・ハインの目がとらえた子どもたち」

ラッセル・フリードマン著 千葉茂樹 訳 あすなろ書房









これは今から100年前のアメリカの姿である。しかし児童労働それは現代でもまだ世界

各地に存在し、子供たちの未来を奪い続けている。私自身も小学生低学年のころ、強制

ではなく自ら進んで母親の内職の手伝いをしていたが、その次元とは全く異質な世界が

この文献に写し出されていた。学校にも行かず、朝から晩までただひたすら僅かなお金を

稼ぐために生きている子供たち。上野英信氏の「追われゆく坑夫たち」の中の一枚の子ど

もの写真を見た衝撃、それと同じような悲しみと怒りを感じてならなかった。この「ちいさな

労働者」という文献に紹介されている写真は、教育者でもあったルイス・ハインが子供たち

の窮状を救うため全米児童労働委員会の取材カメラマンとして撮ったものである。そして

これらの写真が人びとの目を子どもの権利に向ける一つのきっかけとなってゆく。もしこの

子供たち全てが学校に行ける環境の下で、そして子どものままでいる権利の下で育ったら

どんな人生を歩めたかと思うと、胸が痛くなる。写真に写っている100年前の子供たち、す

でにこの世にはいないかも知れないけれど、彼らの目の底で訴えかけているものを私たち

は決して忘れてはいけないのだろう。

(K.K)






本書より引用


ハインはカメラを抱えて街に出て、ふだんは表に出ることのない悲惨な環境のもと、安い

賃金で長時間働かされている大人や子どもたちの姿を撮影しました。薄ぎたない狭い部

屋で大家族が暮らし、働くさまを写真に撮るために、エレベーターなどない高層の安アパ

ートの階段をのぼりつめることもしょっちゅでした。ある夜、5人の家族がキッチンのテー

ブルについて、薄ぐらい灯油ランプの下でワスレナグサの造花を作るようすを撮影しまし

た。「アンジェリカは3歳、花びらをばらばらにし、花心をさしこみ、茎にのりづけしていきま

す。1日に540個の花を作るのですが、それはたったの5セントにしかなりません」 ハイン

はそう報告しています。5セントといえば、せいぜいパンをひとつ買えるか買えないかといっ

た金額です。



ハインが訪れたほかの安アパートには、バラの造花を作っている家族もありました。「朝

の8時から夜の8時、9時まで家族総出で働きづめに働いても、できあがるのはせいぜい

150本、1、2ドルにしかならないのです」 ハインはそう書いています。 「造花作りは安い

仕事です。こんな安い仕事をするのは、わたしたち以外にはいないでしょう。 この家族

の母親はそう語っています。



こうした撮影の対象を通して、ハインは自分の目で見た貧しさと悲惨な状況に心を揺さ

ぶられ続けました。写真を通して社会的な不公正を正し、弱者への同情の気持ちを表現

したいという信念が彼の中に生まれました。



1908年、全米児童労働委員会は、ハインに子どもの不法な労働をなくすキャンペーンの

ための専属のカメラマンになってくれないかと申し出ました。子どもからの搾取というこの

時代の最大の問題のひとつに対して、カメラを武器に闘ってほしいというこの申し出を大

きなチャンスと考えたハインは、エチカル・カルチャー・スクールに辞表を提出しました。

しかし、気持ちは子どもたちを思う教師のままでした。ハインはそのときの心境をこう語っ

ています。「わたしは教育者としての努力の対象を、教室の生徒から世界中の子どもたち

に広げたにすぎません」








ルイス・ハインは貧困の中で死んでいきました。彼の死に注意をはらう人もほとんどいま

せんでした。しかし、その後、彼の評価は高まり続け、今日では、アメリカが生んだ偉大な

写真家の一人として認められています。彼の残した写真は、アメリカの歴史を語る大切な

記憶として受け継がれていくことでしょう。彼の写真は、ほとんど労働が現在よりもはるか

に過酷だった時代に、幼い子どもが大人と同じように働いていたことを思い出させてくれる

でしょう。



左ページの写真を見てください。80年という時間の向こうから、カリフォルニア州の紡績

工場で働く一人の少女が私たちのことをまっすぐに見つめています。彼女の瞳は、残酷

なほどきびしい労働につく少女の苦しみを訴えかけてきます。しかし、ハインはこの一枚

の写真の中に、彼女の人間性と、威厳と生命力をもとらえているのです。



あるとき彼の友人が、ハインがとらえた子どもたちは、どうして美しいのだろうとたずねた

ことがあります。それに対してハインはこう答えました。 「わたしはただ、美しい子供たち

を写しただけです」 おそらく彼は、子どもの気持ちをとらえる方法を知っていたのでしょう。

おそらく彼の微笑み、やさしい言葉、手のぬくもりが、彼が子どもたちの仲間であることを

知らせたのでしょう。彼はすべての子どもの中に美を見いだし、子どもたちは彼を信頼し

きって、彼の向けるレンズに応えたのです。



ルイス・ハインがとらえた働く子どもたちの姿は、アメリカの良心をゆさぶり、法律の改正

をうながしました。彼の旧式の箱型カメラと共感にあふれる目が、アメリカ人の意識を根

底から変え、アメリカという国のあり方をも劇的に変えたのです。




 


本書 著者あとがき より引用



ルイス・ハインが全米児童労働委員会のために写真を撮りはじめた当初は、工場でも

炭鉱でも街頭でも農場でも、子どもたちを雇うことは、アメリカではごくありふれたことで

した。いくつかの州でには児童の労働を制限する法律がありましたが、ほとんどの場合、

もともとそれほどきびしいものではない上に、取り締まりもゆるやかでした。子どもたち

を搾取から守る常識となる基準はなかったのです。



変化は長く苦にがしい闘争の末、ゆっくりと訪れました。1912年のアメリカ児童局の設立

は大きな突破口となりました。この政府機関は、働く子どもの労働条件を調査し、児童労

働の廃絶へと世論を動かしました。全米児童労働委員会が進めたキャンペーンとルイス・

ハインの説得力あふれる写真のおかげで、アメリカ人の多くが、政府は本気で子どもの

福祉を考えるべきだと信じるようになり、政府がそれに応えたのです。



それ以後、社会の改善を目指す人びとは、すべてのアメリカの子どもに平等に効力をも

つ児童労働法の制定に向けて、連邦議会と法廷でエネルギーを傾けるようになりました。



1916年と1918年の二度にわたって、議会はこのような法律案を通過させましたが、二度

とも最高裁判所で却下されてしまいました。このような法律は各州の州権をおかすことに

なるし、“子どもが労働契約をかわす自由を奪う”と判断したからです。



1924年、議会は全米に適用される児童労働法案を通過させました。しかし、この法案は

子どものあつかいについて国家の権力が地域にまでおよぶことに反対するグループに

よって、なきものとされました。彼ら圧力団体は、多くの州で法案の通過を妨げ、10年後

には葬り去ってしまったのです。



児童労働は、1930年代なかばの大恐慌の間に下火になりはじめました。失業の嵐が吹

き荒れ、大人までが、それまで子どもがやっていた賃金の低い仕事を請け負うようになっ

たからです。それと同時に、この時期、大きく力をのばした労働組合が、断固として子ど

もを雇うことへの反対を打ち出すようになったこともひとつの原因です。また、産業界自身

も、より高い教育を受けた労働者を必要とするようになり、児童労働はじょじょに消えて

いったのです。



児童の労働を規制する国法は、1938年になってようやく定められました。フランクリン・デ

ラノ・ルーズベルト大統領が署名した労働基準法には、すべての州の労働者に適用され

る最低賃金と労働時間の上限が定められていると同時に、児童の労働についての制限

ももりこまれていました。この法律により、工場および炭鉱は、16歳未満の子どもを雇うこ

とを禁じられました。



1949年、議会はこの法律での制限を商業的農業、輸送業、通信業、公益企業などにも

広げる修正を行ないました。また、それ以外の職業についても、16歳未満の児童が就学

時間中に働くことを禁じ、放課後や休日の労働時間にも制限を加えました。



全米児童労働委員会が設立した1904年とくらべると、今日までに状況は飛躍的によくな

りました。しかし、現在でも、児童の労働は完全になくなっていません。今日でも、移民し

てきたばかりの家庭では、人知れず母親の横でつらい仕事にたずさわる子どもたちや、

農場から農場へと渡り歩く50万人ともいわれる非常に貧しい子どもたち、法律で禁じられ

た仕事についていたり、学校に行かずに長時間働いている何十万という子どもたちがい

ます。



全米児童労働委員会は現在でも児童労働法を守らせるために闘い、子どもたちの権利

と尊厳を促進するために闘い続けています。委員会では、1985年以降毎年《ルイス・ハイ

ン賞》という賞を設け、ハイン自身と同じようにアメリカの子供たちの生活を改善するため

に尽くしている人を表彰し続けています。


 
 


本書 訳者あとがき より引用



“アメリカを変えた”とまでいわれる写真家、ルイス・ハインの生涯、いかがだったでしょうか。



元教育者としての子どもへの責任感と、社会的な不公正を許せない正義感、そして何より、

子どもたちへ寄せる深い愛情を内に秘め、カメラを武器に、巨大な相手にたったひとりで立

ち向かったルイス・ハイン。



ハインの写真をじっと見つめていると、子どもたちの表情の向こうから、彼らの声が聞こえて

くるような気がします。写真には写っていない生活の隅ずみまでが、見えてくるような気がしま

す。それがハインの写真の持つ力です。ハインの写真は、やがてアメリカの世論を動かし、

子どもたちを苦境から救う大きな力となったのです。



今では豊かさの象徴に思えるアメリカで、ほんの100年もたたない過去に、子どもたちが過酷

な労働にさらされていた事実を知って、おどろいた人も多いでしょう。しかし、世界に目を向け

れば、たくさんの子どもたちがきびしい労働に耐えている状況は、その後も一向に改善された

とはいえません。



「世界各地で、1億から2億人の子供たちが、労働についている。労賃は安く、危険で長時間

労働だ。日本に昔あった「女工哀史」の世界である。国際労働機関(ILO)は15歳未満の児童

労働を禁止する。しかし、先進国に低賃金でしか太刀打ちできない途上国にとって児童労働

はなくせない。」 1995年4月28日付け『朝日新聞』夕刊より



朝日新聞に掲載されたこの記事の日付にご注目下さい。これは決して昔の話ではなく、今日

この日にも、世界中で進行している現実なのです。そして、その中には、家族や住む家さえも

ない子供たちもたくさんいます。



「世界の大都市では、路傍で暮らすいわゆるストリートチルドレンが増え続けている。ユニセフ

(国連児童基金)の推定によれば、3000万以上の子どもが靴をみがき、小物を売り、残飯をあ

さり、あるいは物盗りをして暮らしているのである。」 『ストリートチルドレン』国際人道問題独立

委員会報告 草土文化刊



子どもが持つ最低限の権利を守るために、強い信念を持ち、あきらめることなく、忍耐強く行動

を重ねるルイス・ハインのような人物は、昔も今も変わりなく求められているのかもしれません。



1996年7月 千葉茂樹




 

ルイス・ハインが撮った子どもたちの写真の一部



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2012年2月10日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



イギリスのチェス雑誌「Chess Monthly」1995年8月号表紙より引用

チェスの写真の中では前に投稿したチェ・ゲバラと並んで心に残るものの一枚です。



この子供の表情を見ていると、この写真を撮ったカメラマンの技量は勿論のこと、人間的な

暖かい眼差しをも感じてしまう。



100年前に子供の写真を撮りつづけたルイス・ハインは児童労働の過酷な実態を世間に問

い続けました。そしてその写真が大人の心を少しずつ動かし児童の権利を獲得するまでに

至ります。



ルイス・ハインは貧困のうちに亡くなりますが、今日では、アメリカが生んだ偉大な写真家の

一人として認めらるようになっています。



☆☆☆☆



「ちいさな労働者 写真家ルイス・ハインの目がとらえた子どもたち」ラッセル・フリードマン著

より以下引用。



あるとき彼の友人が、ハインがとらえた子どもたちは、どうして美しいのだろうとたずねたこと

があります。それに対してハインはこう答えました。 「わたしはただ、美しい子供たちを写し

ただけです」 おそらく彼は、子どもの気持ちをとらえる方法を知っていたのでしょう。おそらく

彼の微笑み、やさしい言葉、手のぬくもりが、彼が子どもたちの仲間であることを知らせたの

でしょう。彼はすべての子どもの中に美を見いだし、子どもたちは彼を信頼しきって、彼の向

けるレンズに応えたのです。



☆☆☆☆



現在世界では、まだ1億から2億人の子供たちが労働を強いられています。「子供が子供の

ままでいられる社会」を早く実現できるようにと願っています。



最後に、私自身に関してですが上階(マンションです)に住む子供の足音に眠りを妨げられ

「うるさいガキだな、親はどんな教育をしとるんかい(あれ、これは大阪弁かな?)」と思って

しまうのもまた事実なんですね、あ〜あ。



☆☆☆☆



(K.K)



 







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