Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)




サラワク州先住民のムータングが国連総会で読み上げるはずだった原稿

1993年「国際先住民年」を宣言した国連総会議場でのムータングの演説

詳しくはサラワク・キャンペーン委員会(SCC)のホームページを参照されたし


 


サラワク州先住民のムータングが国連総会で読み上げるはずだった原稿

岩波ブックレット「先住民とともに生きる」ベス・リシャロン著より引用


マレーシア、サラワク州のダヤックの人々に変って、1993年を先住民

の年とすることを決定してくださったことに対して国連に感謝したいと思

います。冷たい夜との長い闘いののちに、ようやく緑の山々の上に日

が登ったのだ、そうであってほしいと私は願っています。この願いを私

は世界中から集まった先住民の同胞たちと共有するものであります。





この先住民年は私たちに希望を与えてくれます。しかし、同時に私たち

ひとりひとりが自問しなければなりません。先住民年に十分な支援と資

金を与えられているのかどうかと。なぜ私が、有力にして誉れ高い皆様

の前で演説するために、ニューヨークまでの航空運賃を工面するために

私が四苦八苦しなければならなかったのでしょう。もし、一般の人たちの

耳に達しなければ、この国連のキャンペーンは一体どんな効果があるの

でしょうか。





私はサラワクから来ました。サラワクはマレーシアの州で、ボルネオ島

にあります。サラワクの面積はブラジルの二%にも達しませんが、世界

の熱帯産木材の三分の二以上を現在生産しています。伐採の割合を

現在の半分にしても、サラワクの原生林のすべては2000年までに消

滅してしまうでしょう。伐採が進むと、その地域ではサゴヤシや藤や医

療用植物は姿を消してしまします。野生の豚はいなくなってしまいます。

ということは、私たちが食べる肉もなくなってしまうということです。私た

ちの多くは現在飢えています。有毒な表皮を持つ木が切り倒されて、

川に流れ込み、魚を全滅させてしまいます。汚染された土地の泥が川

を汚し、それによって私たちは病気にかかり、飲料水を得られなくなっ

てしまいます。埋葬地に印をつけておいても、材木会社は平気でブルド

ーザーで埋葬地を押しつぶしてしまいます。私たちの気持ちなどなんと

も思っていないのです。何百という墓地がこうして破壊されてしまいま

した。そのことで抗議すると、彼らはわずかな額のお金を補償だとい

って渡そうとしますが、これは私たちにとって侮辱でしかありません。

祖先の体とひきかえに、お金を受け取るなんてことができるでしょうか。





材木の切り出しのおかげで私たちに進歩と開発がもたらされているの

だと政府はいいます。しかし、私たちが目にする開発は、ほこりっぽい

伐採道路と再定住用キャンプだけです。彼らがいう開発とは、飢え、依

存心、無力感、そして私たちの文化の破壊と私たちの同胞の失意でし

かないのです。材木の切り出しは私たちの雇用をつくり出しているの

だと政府はいいます。しかし、この雇用は森がなくなると同時になくなっ

てしまいます。10年もすれば仕事はまったくなくなってしまうでしょう。

それとともに私たちの命を何千年にわたって支えてきてくれた森もな

くなってしまうのです。どうして私たちに仕事が必要なのでしょうか。

私たちの父や祖父は政府に仕事をくれと頼む必要などありませんで

した。失業などというものはありませんでした。大地と森を糧にして生

活していたのですから。生活は楽しく、余暇は十分にあり、飢えること

も困ることもありませんでした。しかし、企業の仕事となると、何ヶ月も

連続して家族から離れて暮らさなければなりません。おかげで何世代

にもわたって家族とコミュニケーションをつなぎ合わせてきた大切な輪

が切れようとしています。企業の仕事はペナンの人びとを消費経済の

中に巻き込もうとしています。消費経済を受け入れる態勢になっていな

い人たちを。





ペナンやケラビットやそのほかのダヤックの人々は森を家だと考えて

います。泥棒が自分の家に入っていくのを見たら、自分の所有してい

るものを守ろうとするでしょう。私たちが長いあいだ伐採業者に抗議に

抗議してきたのも同じ理由からなのです。私たちの抗議が聞き入れて

もらえず、材木切り出し用道路の封鎖に踏み切ったのも、そうした理由

からなのです。1987年以来、平和的な抗議行動に参加したという理

由で私の同胞が逮捕され、投獄されてきました。あるとき、私の知り合

いの老人が警察官にこう聞きました。「どうして、自分の土地の道路を

自分で封鎖する権利がないのか」と。警官はこう答えました。「ヤヤサ

ン、サラワクが森の木を伐採する許可を持っているので、土地はその

会社のものだ」。すると、老人はこういったのです。「そのヤヤサン・サ

ラワクとはだれなんだ? その人が本当にこの土地を所有しているの

なら、過去60年間にわしが狩りをする途中で、一回も出会ったことが

ないというのは、どういうことだ?」





七人の子どもを抱えた女性があるとき私のところにやってきて、こう

いいました。「いまの伐採を見ていると、まるで大木が私の胸に落ち

てきたみたいな気になるんです。よく真夜中に目がさめるんです。

夫と子どもの将来のことについて話し始めると、止まらなくなるんで

す。いつも、いったいいつになったらこの伐採が終わるのだろうっ

て自分に問いかけるんです」





政府の高官はあるとき私に、開発を進めるには、だれかが犠牲にな

らなければならないといいました。私はこういってやりました。「どうし

て私たちがいつもその犠牲を払わなければならないのですか。もう

十分なものを差し上げたではありませんか。私たちはすでに貧乏にな

り、社会の周辺に押しやられてしまっています。もう犠牲にするもの

は、命以外何も残っていないのですよ!」





私たちの暮らし方を守ろうとすると、環境保護主義者だとか、盗人だ

とか、裏切り者だとか、テロリストだとか呼ばれてきました。私たちの

生命は企業が雇ったごろつきによって脅かされています。女性が村

に侵入してくる伐採労働者によってレイプされることはしょっちゅうで

す。企業は森を利用して金持ちになっていくのに、私たちは極貧の

中で暮らさなければならない状況に追い込まれています。





いま私たちの置かれている状況は、急流に落ちて、泳げない子どもと

同じです。子どもは大声で叫んで、だれかに助けてもらおうと、腕を差し

出しています。もし、その手をつかんでくれる人がいなければ、その子ど

もは確実におぼれてしまうでしょう。だから、私は、国々の政府を統括

する政府である国連が最善を尽くして、自国の政府によって脅かされて

いるすべての先住民を支援してくださるように要求いたします。国連は

加盟国に対して、世界の民族の中で一番弱く、無防備な人々の人権と

経済権を回復するよう強く要請すべきです。





あなた方が応える前に、その人々が死ななければならないのでしょう

か。国連がその人々との救援にかけつける前に、戦争が始まり、街頭

に血が流されなければならないのでしょうか。私たちは絶望的な状況

にありながら、暴力を避けてきました。私たちは平和的な抗議手段しか

用いてきませんでした。平和という大義に殉じる、この国連という機関

が平和的な人々の嘆願に耳を貸さないのはなぜなのでしょうか。





私の国、ならびに他の開発を進めている国々に対して、私は申し上

げます。近代化の競争の中で、われわれはわが同胞の人たちの古

い文化と伝統を守らなければなりません。われわれはヨーロッパ文

明がつくり出したあの進歩のモデルに盲従すべきではない。富んだ

先進諸国をうらやましく思うことはあっても、その富が非常に大きな

犠牲の代償としてもたらされたものであることを忘れてはなりません。

富んだ世界は大きなストレス、汚染、暴力、貧困、精神的空虚さに

悩まされています。





先住民の社会の富はお金や物にあるのではなく、共同体や伝統や

特別の土地の一部であるという感覚、そういったものにあるのです。

世界は単一の文化に向かってまっしぐらに進んでいます。私たちは

立ち止まって、多様性の美しさについて考えてみなくてはなりません。

先住民年1993年を、平和の年に、血を流す森や存続を脅かされて

いる文化を取り戻す年にしようではありませんか。1993年が自らの

メッセージを、ボルネオの森深くまで、夜更けに忍び泣きながら、子

どもたちの時代が自分たちの時代とは違った時代になっているよう

にと祈る、ひとりの女性のもとにまで伝えることができるように努力

しようではありませんか。


 
 


1993年「国際先住民年」を宣言した国連総会議場でのムータングの演説

「写真集 世界の先住民族 危機にたつ人びと」アート・デイヴィッドソン著

鈴木清史+中坪央暁訳 明石書店より引用


次にムータングを見たのは、1993年を「国際先住民年」と宣言する、ニューヨークの

国連総会会場だった。順番がくるとかれは立ち上がって演壇に向かい、各国代表が

並ぶ円形の総会議場を見渡して話し始めた。「マレーシア政府は、われわれに進歩と

開発をもたらすと言います。しかし現実にあるのは、ほこりっぽい伐採道路と再定住

キャンプだけです。かれらの言う進歩とは、わたしたちにとっては飢餓、従属と無気

力、文化の破壊、民族の退廃でしかないのです。政府は雇用も創出できると言うが、

そんな仕事など間違いなく森と一緒に消えてしまうでしょう」。かれは続けた。「ある政

府高官がかつてわたしに、開発のためには誰かが犠牲にならなくてはと言いました。

なぜ、それがわたしたちなのでしょうか? すでにわたしたちは、余りに多くを差し出

しました。すっかり困窮し、社会の片隅に追いやられました。これ以上犠牲にするも

のは、命しかありません。生活を守ろうとしただけなのに、わたしたちは環境保護主

義者、反逆者、テロリストとまで呼ばれました。わたしたちの生命は、企業が雇った

暴力団によって脅かされています。女性たちは村に入り込んだ伐採労働者に乱暴

されています。企業が森から利益をはぎ取る一方で、われわれは貧困の中に閉じ

込められているのです」。ムータングは一瞬、言葉が続かなかった。こみ上げる思

いで、かれの声はかすれていた。「みなさんが応えてくれる前に、わたしたちは死に

絶えてしまうのでしょうか。国連の援助が来るまでに、流血を見なければならないの

でしょうか。どんな絶望的な状況にあっても、わたしたちは暴力を避け、平和的な手

段だけで抵抗してきました。平和に奉仕する国連のみなさんが、どうかこの平和な

民族の訴えを聞いて下さるようお願いします」。


「魅せられたもの」 1999.1.30 「未来を守る無名の戦士たち」を参照されたし。








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