
![]() |
ことはありません。盤はアフリカのケニアで作られたもの で材質はソープストーンです。駒は骨製(何の骨かはわ かりません)で、第二次世界大戦の終戦時に売られてい たものと聞いています。それぞれ別々に購入したもので すが、私にとっては駒と盤が見事に調和しています。 実用的という面では一番重宝しているものです。またこの 駒は、アビラの聖テレジアが昇天した10月4日という日 に偶然届けられたもので、私にとっては貴重なものです。 |
![]() |
のショーウィンドウに飾られていたもので、盤の色彩 や重厚感に魅せられ購入したものです。ただリュック に入れ日本に持ち帰ったのですが、盤や駒が割れて しまいました。一度は捨ててしまおうかと思ったほどの 損傷を受けてしまいましたが、なんとか修復したもの がこれです。実用的にはそれほど使うことはありませ んが、今の私にとって思い出が刻まれた最も大事な チェス盤と駒です。 |
このページの一番最初の写真は「ルイス島のチェス」です。とても魅力ある駒
で、ハリー・ポッターの映画でも登場してきます。「チェス」増川宏一著よりこの
ルイス島に関する記述を紹介します。「ルイスの駒は1831年にスコットランド
北西のヘブリディーズ諸島のなかの一つのルイス島で偶然発見されたので、
発見地の地名により「ルイスの駒」と名付けられた。制作年代は1200年頃と
推定され、本来は四組の駒であったのか8個の王と8個の女王の駒があり、
全部で78個という大量の駒であった。このうち11個はエジンバラのスコット
ランド考古博物館に、67個は大英博物館に展示されている。一群の駒はい
ずれも海象(せいうち)の牙で作られ、どの駒も表情豊かな彫りが特徴である。
王の駒は玉座に坐り、膝の上に横たえた剣を両手で持っている。大臣とみな
される駒は長い上衣を着け、右手を右頬にあて左手は右に伸ばして右肘を
支えている。僧正の駒はカソリックの司祭冠をかぶり、右手に笏杖を左手に
聖書を持っている。騎士は髭面で左手にキリスト教の象徴である十字架を描
いた楯を持ち、鞍の飾りや馬のたてがみも細かく刻まれている。歩兵だけは
人物像でなく、楯や角のある立方体で表されている。これらの駒も製作者の
名前は不明である。ルイスの駒は発見されると、ただちにその精巧な美しさ
はヨーロッパ中に知られるようになった。たとえば、H・F・マスマンの「ドイツに
おける中世の駒の歴史」(1839)に図示して紹介されている。このなかで兜
の形、紋章、手の組み方、駒に彫られた文様などが詳しく分析されている。
「ルイスの駒」は宮殿の遺構や寺院の廃墟から発掘されたのでなく、城塞や
修道院の秘宝として伝世されたものでもなかった。ルイス島の海岸から袋詰
めで発見された。それゆえ発掘当初から様々な憶測がなされた。バイキング
の遊戯具という風説も流れたが、ルイス島は海上交易の中継地として古くか
ら利用されていたので、当時の危険の多い貿易に従事していた「商人が砂丘
に隠した」(講談社版“世界の博物館・大英博物館”)という見解もみられる。
文献上の記録や由来を裏付ける資料もなく、それだからこそ様々な考察が
なされている。研究者達は、スコットランドで発見されたとはいえ、「ルイスの
駒」は北欧で作られたと推定している。この駒の発見により一世紀以上も前
の1715年に、ノルウェーのトロンドハイム近くのムンクホルムで、「ルイスの
駒」と極似した駒が発見され、現在コペンハーゲン国立博物館に所蔵されて
いることを知ったからである。ムンクホルムの駒はわずかに損傷しているも
のの様式も「ルイスの駒」と同じで、特に玉座の背後にあるケルト文様は
完全に一致している。コペンハーゲン国立博物館は15世紀のオランダ王室
のコレクションも所蔵しているが、このなかにも「ルイスの駒」と同じ型の駒
が含まれている。しかし、これらの駒は「ルイスの駒」のような劇的な発見と
は異なり、全く報道されなかったので、ごく少数のチェス研究者以外には知
られていなかった。近年のコペンハーゲン所蔵の駒を調査する過程で確認
されたのは、「ルイスの駒のグループ」といえる一連の駒と、これらを製作し
た工房が北欧に存在していたという事実である。同時代のロシア北方から
出土した駒に比べると、いかに北欧で優れた職人が活動していたかが明瞭
である。」
