
「白夜のチェス戦争」
ジョージ・スタイナー著 諸岡敏行訳 晶文社

後手になったが、著者のジョージ・スタイナーはわが国にも広汎な影響力をもつ
批評家で、現在までにつぎのような著作を発表している。「トルストイかドストエフ
スキーか」(白水社)、「悲願の死」、「われらの主の年」、「言語と沈黙」(せりか書
房)、「脱脱却の知性 文学言語革命論集」(河出書房新社)、「青鬚の城にて」
(みすず書房)。スタイナーの批評活動については既訳書ですぐれた解説がなさ
れているため、ここは7番目の著作が異色著者による観戦記のたぐいではないこ
とを強調するだけにとどめておこう。かれのスケッチはつぎの構成をとる。世界選
手権の背景(第一節)。歴代チャンピオンのプロフィール(第二節)。ボリス・スパス
キーの競技歴とひととなり(第三節)。ボビー・フィッシャーの競技歴とひととなり(第
四節)。このふたりがあいまみえたときの紛糾した事態(第五節)。しかし、これら
はあまりにも安易な要約というものだ。なにしろ節ごとに伏線が張りめぐらされ、緻
密な----あたかもチェスの差し手を読むような----筆致で影の本論へとはこばれ
るのである。スタイナーのしごとの主要なテーマは言語現象を多様な角度から探求
することにあり、チェスもむろんそのなかにふくまれる。無類のチェスきちがいであ
るスタイナーは、現代の鋭敏な精神をもつ批評家であるスタイナーの発条(ばね)
いがいのなにものでもない。かれの目はまず数学、音楽とチェスの相互関係に向
けられる。三者に共通するものはなんなのか。この三つの分野だけが思春期まえ
に創造的な成果をあげてしまえるのは、いったいなぜなのか。「それらの豊かな内
容、それらに与えられた史的社会的制度の総計にもかかわらず、音楽、数学、そし
てチェスは輝かしいばかりに役立たぬものである。・・・・それらは思想的にとるに足
らぬものであり、無責任なものである。それらは外界に関係し、現実を裁決者とす
ることを拒否する。それらの魅力の源泉はここにある。・・・・それらは“世界に相対
して自らを築きあげ”、ばかげて、まったく無益で、実に無味な諸形式を考え出す
ことのできる人間独自の能力のことを物語っている。こういう諸形式は現実に対し
て無責任であり、したがって、ほかに例を見ないほど、死という陳腐な権威も冒すこ
とができないのである。・・・・死は競技に打ち勝つが、そうすることで、たとえ瞬間的
であっても、まったくその支配権の外にある規則に従うことになる。恋人たちはむし
ばみくる時の足並みをとどめ、世界を追い払おうとチェスをする。・・・・死一般を追放
し、鎖されて結晶した領域に人間たちが浸るということこそ、チェスを主題とする詩人
や小説家が自分のものにすべき事柄なのである。なくてはならぬ些事というこの醜
聞、逆説は心理的に信用できるものとせねばならぬ。このジャンルにおいて成功し
たものはめったにいない」(前出『王たちの死』) 第六節はこのめったにない成功
例であるウラジーミル・ナボコフの『ルージン防御』によって導かれていく。
(本書 訳者あとがき より引用)

訳者あとがき(訳者解説)のページより引用
