1997.2.5

「ネイティブ・アメリカン=叡智の守りびと」
スティーブ・ウォール+ハービー・アーデン著 船木アデル みさ 訳 築地書館
実はこの本を読む前に、
モーリス・ズンデル神父
の言葉を集めた「内なる福音」という本
を読んでいた。現在「沈黙を聴く」「日常を神とともに」の三冊が出版されているが、このあ
らゆる現存に神の栄光を感じて生きた人の言葉は、三位一体の神の姿を忠実に表現して
いるのかもしれないと思うことがある。お互いを与え尽くすそれぞれの存在を。もしアッシジ
の聖フランシスコやズンデル神父の言葉が多くの人に体現していたならば、これほどの先
住民族に対しての迫害や虐殺が行われたであろうか。十字架上のイエスに、人間が思い
思いに勝手に神学やら教義やらの衣を幾重にも着せ、その「無限の自己の譲渡」の姿を覆
い隠しているのではなかろうか。勿論、私自身に「愛」について語る資格など全くないことを
承知の上で、このような傲慢な言葉を書いている。アメリカ・インディアン達は、これらのこと
を、それも殆どのものが、「偉大なる霊」の存在を日々の生かされているという現実から感
じ、感謝と祈りの日々を送って来たのだ。聖書という文字からではなく、神から贈られたあ
らゆる存在を通して。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は結婚する直前にカトリックの洗礼を受けたが、今は教会に行くことはできない。それは
アメリカ・インディアンの精神文化に触れたことが、一つの要因であるのは事実だ。キリスト
教は聖書というフィルターを通してしか人間・自然界を見ることが出来なくなったのだろう
か。アメリカ・インディアンは、存在そのものの背後にあるものを感じた。決してフィルター
を使おうとはせずに。どちらが真理に対して誠実な態度であるのか。動物学者のシートン
が言っているように、「レッドマン(アメリカ・インディアン)の信仰は普遍的であり、基本的
であり、根源的であり、本当の意味での宗教である。」・・・・・・・・・・・・・
この書「ネイティブ・アメリカン叡智の守りびと」は、現代に生きる各部族のインディアンの
長老達の言葉を伝えている。長い時代に渡って、白人、キリスト教により迫害されてきた
彼らの言葉は、悲痛な響きとともに、これからの未来の社会に向けての勇気を奮い立た
せる迫力を持っている。是非とも多くの人にこの偉大な言葉に触れてほしい。・・・・・・・・
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ズンデル神父とアメリカ・インディアンに共通しているのは「沈黙」である。ズンデルは次の
ように言っている。「聴くこと! 何よりも貴い、何よりも希な、しかし、何よりも必要な行為。
いのちの深淵をあかしてくれるのは、ただ沈黙だけである。」 首長ルーサー・スタンディン
グ・ベアは次のように書き記している。[ 最初のアメリカ人(訳注=先住民族 を指す)は
は謙虚な自尊心を持っていた。その性格にも教えにも霊的にも傲慢さは見られなかった。
言葉をみごとにあやつるものは語らぬ被造物より優れている、などと考えたりはしなかっ
た。それどころか、それはわざわいをもたらす才能と思われていた。最初のアメリカ人は
沈黙を深く信じていた。沈黙は完全な平衡のあかしであるから。沈黙とは、体と精神と魂
が完璧な釣りあいをとっていることである。自己を保っている人は、葉の一枚たりとも動か
ぬ木のように、小波ひとつ立たない輝く池のように、つねに静かで、実存のあらしに揺すぶ
られることがない。無学な賢者の考えによれば、もしあなたがその人に「沈黙とは何か」と
尋ねるならば、その人は、「沈黙とは大いなる神秘!」「聖なる沈黙はそのお方の声!」と
答えるであろう。もしあなたが「沈黙のもたらすものは」と問うならば、その人は、「自己
抑制、真の勇気、堅忍不抜、尊厳、そして崇高。沈黙は人格にとって隅の親石である。」と
いうであろう。]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たとえ宗教が違うとも「目覚めた人」の言葉には、共通の深い神への理解が見られる。しか
し、その理解を多くのものが共有していたアメリカ・インディアンに現在の私は心を傾けて
いる。「有りて在る者」とは誰なのか。その具体的な名前を知りたいのかも知れない。しか
し、その答えは生涯かかっても見出すことは出来ないかもしれない。またそんなことが意味
あることなのかも、今の私にはわからない。ただ、チベットのある賢者が言った言葉が響い
てならない。「実在、真理、生命、神、永遠、すべてを包み覆う愛-これらは、みな、同じ一つ
のものなのだよ。真理をみつけることは君には出来まい。なぜなら、私的真理を掴んだ瞬間
に、それはすでに真理ではなくなっているからだ。われわれは、生きている限り探究し続け
なくてはならないのだ。人生が決まりきったものであれば、そこに何の意味があろうか?
人は人生に揺すぶられれば揺すぶられるほどよいのだ。決して満足に陥ってはならない。
特に、自分自身に対して」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・