アシジの聖フランシスコとシモーヌ・ヴェイユ




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アシジの聖フランシスコシモーヌ・ヴェイユ

フランシスカン・ミニ霊性(1)

ローレンス・カニングハム著

翻訳者 山川晃子 発行所 聖フランシスコ修道院(桐生)


シモーヌ・ヴェイユは英国で自由フランス人民とともに働いていたが、1943年、自らに課した飢えのために

死んだ。彼女は定期的におそわれる肺結核の発作のために衰弱していたにもかかわらず、ナチス・ドイツ

占領下で生活していた同胞に配給される量の食物以外に決して食べようとはしなかった。現代の最も熱烈な

神秘家の一人に数えられていた彼女の生命は、このようにして終りをとげたのであった。




シモーヌ・ヴェイユはフランスで生まれ、エコール・ノルマルに学んだ(彼女は入学試験では首席を占め、その

ときシモーヌ・ド・ボーヴォワールは二位であった)。その後はフランス各地のいなかの学校で哲学を教えた。

彼女はまた、種々の左翼の組合活動に参加し、労働者たちの日々の生活に直に触れようとして、一時は実際

にフランスの工場に入って働いた。スペイン動乱の時は騎士的な正義感から戦いに参加したが、戦線に出る

や負傷し、フランスに戻らねばならなかった。イタリーに旅行した際、彼女はカトリック教会と接する機会を得、

そこではじめて祈りの生活というものを味わった。さらにマルセイユのドミニコ会士ペラン神父や、神学者として

また作家として有名なギュスターヴ・ティボンらとの交友によって、キリスト教に対する見識をいっそう深めていっ

た。だがヴィシー政府の反ユダヤ人政策によってフランスを追われ、カサブランカおよびニューヨークを経て、

ロンドンに赴いた。




彼女のぼう大な著作はその死後出版され、不屈の魂をその知的理想の中に、そして癒されることのない魂を

その神秘思想の中に見ることができる。彼女は神とこの被造世界との間に隔っている距離(従ってこれは「神

の死の神話」と呼ばれている)を痛いほどに感じながら、それでもなお全身全霊の願いと祈りをこめて神を待ち

望んだのであった。カトリックの伝統を深く愛しながらも、彼女は決して教会の門をくぐらなかった。ペラン神父

への手紙に書いているように、「教会の敷居の外側に立ち止まる」ほうを選んだのである。



ある意味で、シモーヌ・ヴェイユは腹立たしいほど難解な人物といえる。シャルル・ムレーやモーリス・フリード

マンといった一部の学者たちは、彼女の作品にはグノーシス的な色彩が強く認められると言っている。また、

彼女の生き方や思想には無理にそうであろうとした不自然な真面目さがあって嫌だ、という人もいる。彼女の

作品や霊性に対する感情が相反するものではあるとしても、とにかく彼女に関心が注がれていることに変りは

ない。彼女の崇拝者や熱愛家は後を断たず、その種類は様々である。T・S・エリオットは「根を持つこと」の英

訳に感動的な序文を寄せているし、マルチン・ブーバーは、アメリカのユダヤ教神学院で彼女の神秘主義につ

いて講義し、後に「岐路に立って ユダヤ教に関する三つの小論文」と題して出版した(1952)。最近ではマルコ

ーム・ムーゴリッジ、スーザン・トーブス、スーザン・ソンタグ、ロベール・コール、ダニエル・ベリガン等の種々の

作家達が彼女について書いている。さらに最近の話では、彼女の作品が劇として上演されているということで

ある。



これは私個人の考えだが、シモーヌ・ヴェイユは、たとえ如何に難解で手こずらせる人物ではあっても、今後も

真面目な宗教思想に何らかの影響を必らずや及ぼしつづけることと思う。何故なら、彼女は、現代人の脳裏に

焼きついていた幾多の問題点に、あのように全身全霊で取り組んだ人だからである。神の死が喜こばれる時代

に神を追い求めること、ヒロシマ、ダツハウ、ソンミ村事件を生んだ文化の中に何か根となる人間的なものを訴

えてゆこうとすること、正義と慈悲とを、霊的な深さを失わずに、社会的な次元で証しすること、こうした問題に彼

女は真剣にぶつかったのだった。シモーヌ・ヴェイユの生涯が現代のもう一人の偉大な英雄的殉教者、ディート

リッヒ・ボンヘッファーの生涯に結びつけられたものも決して偶然ではなかった、と私は考える。




シモーヌ・ヴェイユにこうした幾多の真面目な関心が寄せられているのに、その彼女に霊的な影響を与えたアシ

ジの聖フランシスコや、霊的な成長の過程でフランシスコを知ったことにより彼女の地位が聖化されたことに対し

て関心を向ける人が何と少いことか、と私はしばしば不思議に思ったものである。それは、現代において聖フラン

シスコがあまりにロマンチックに描かれすぎ、彼の「まじめさ」が見落とされてしまったからではなかろうか、という

気が私はする。私達は狼に説教したかれの話は覚えているが、アルベルナ山での出来事(聖痕)を忘れていると

思う。そこで、ヴェイユの著作の数多くの翻訳者であり、すぐれた学者でもあった故リチャード・リースは「シモーヌ

・ヴェイユは聖フランシスコをずいぶん称賛していたが、そのフランシスコの最もフランシスコらしい部分に欠けて

いた」と書いて、彼女がシャンソンを歌ったり、小さな動物たちに話しかけたり、自然界の特質を愛することがな

かったことを指摘している。なるほどこの事実に異論はないが、私がこの小冊子の中ではっきり示したいのは、

シモーヌ・ヴェイユが聖フランシスコに負う所が大きいこと、そして、彼女がそこから学んだものは彼女の霊的生活

を形作ってゆく上で実質的且つ造形的な役割をなしていた、ということである。



シモーヌ・ヴェイユとフランシスコの息吹との最初の出会いは、1937年に彼女がイタリーを訪れたときである。ロー

マ、そしてフロレンスを訪ねて後、彼女はアシジに赴いた。その町それ自体が彼女の心を魅了し、神ご自身が、聖

フランシスコのあの嬉々とした解脱の精神にふさわしい付随旋律を奏でるために、その御手を「これらの幸福にみ

ちあふれた野原と、人の心を揺り動かす素朴な小聖堂」とに触れられたように、彼女は感じたのであった。聖フラン

シスコの足跡を辿ろうとするときにはいつも、「聖フランシスコの小さき花」を手引きとして読んだものだ、と彼女は

友人のジャン・パステルナークに宛てて書いている。彼女は健康を害していたにもかかわらず、カルチェリまで歩い

てゆき、そこで、「純粋な歓喜」を体験した。



しかしこのアシジ訪問は、審美的に申し分のない体験であっただけでなく、はるかにそれ以上のものであった。実

に、彼女の人生の転機ともいうべきことが起こったのは、アシジに滞在中のことだったのである。彼女はその出来

事を、数年後にペラン神父へ宛てた手紙の中に書いている。



「聖フランシスコが折にふれ祈ったといわれる、12世紀ロマネスク風の小さなサンタ・マリア・デリ・アンジェリ(ポルチ

ウンクラ)の聖堂の不思議な清らかさと静けさの中で一人佇んでいたとき、生まれてはじめて、私よりも強いある者

が、ひざまずくことを私に強いたのでした。」



この手紙によって、シモーヌ・ヴェイユが祈ったのはこれがはじめてであったことがわかるし、これが深い霊性生活

の新しい出発点となる最初の正式なジェスチュアであったことがうかがえる。アシジのでのこの出来事は、その翌年

ソレムのベネディクト修道院での偉大な霊的体験の前兆となるものであった。彼女はこのときのことを後に「キリスト

自身がくだって来て、私をとらえた」と記している。アシジに赴く前の彼女の著作にも、神に引かれていることをほの

めかす断片的な言葉は確かに各所にみられたが、彼女の個人的な生活に、ある種の献身せずにはおれない切迫

した気持ちが表われたのは、祈りへの招きというアシジでの具体的な体験が体験がはじめてであった。



しかし、シモーヌ・ヴェイユの注意を惹いたのはアシジの自然的風土ばかりではなかった。彼女はフランシスコその

人の生活を熱愛する熱心な生徒であり、彼女の手紙や覚え書きからもわかるように彼女は「聖フランシスコの小さき

花」や幾種類もの彼の「伝記」、そしてダンテの「天国」の中のフランシスコに関する一節もよく読んで知っていた。

マリー・マドレーヌ・ダヴィーが書いているように、シモーヌ・ヴェイユは清貧の観念と、そこから来る完徳の追求と神

の探求というものを聖フランシスコの具体的な生き方から学んだのである。



シモーヌ・ヴェイユは心の寛さと憐れみ(思いやり)とは、完全なる自己犠牲の精神を育てていった人にのみ与えられ

ることを確信していた。この「自己の放棄」こそは、彼女の表現を借りるならば、人をして恩寵を求め、重力を超越せし

めるかの自由を創造するものであった。自己犠牲に由来するこの自由は彼女の考えでは、どのような貧しさにも負け

ぬ絶対に不屈の精神につながるものであった。シモーヌ・ヴェイユは聖フランシスコについての理解を深めてゆくうち

に、「貧しさの目安になるものは、内的、精神的自己犠牲の外的な表れ以外の何ものでもない」ことを確信するに至っ

た。完全な自由は貧しさを通して得られるとする考えを一貫した生き方の中に具体化し得たという点で、聖フランシスコ

は彼女により、完全に自由な人の理想像であった。こうして、彼女は「聖フランシスコの小さき花」の中に、パンと水を

一人の兄弟と分かちあるという、自由と清貧を完全な形でとらえた美しい場面を見出した。



アシジに留まっている間中、この清貧の姿がたえず彼女の脳裏に焼きついて離れなかった。ジャン・パステルナークに

宛てた一通の手紙の中で彼女は、自分がダンテの「天国」に登場する貴女清貧の一節を読みながらどんなに心を動か

されたか、また、「マリアが下に留まっていた時従容として勇ましく彼女がキリストと共に十字架に登った」の一節にどれ

ほど感激したかを語っている。貴女清貧のようにキリストとともに十字架にのぼることこそ自分に与えられた使命なのだ

と、シモーヌ・ヴェイユはいつも感じていた。事実彼女は、自分は十字架を見ると嫉妬の念におそわれるのだ、とかなり

はっきりの述べたことがある。



シモーヌ・ヴェイユがアシジの自然環境のもつ直接的な影響力にただ単に圧倒されたと考えては誤りであろう。彼女は

それ以来つねに、フランシスコの精神に注意をそそいだ。彼女が自己犠牲と清貧をきわめて重大に考えていたという

事実は、彼女の著作からも生き方からも充分に裏づけられる。アシジを訪れて後かなり経ってから、彼女は自分の生活

を反省しながら回想ノートに次のように記している。



「一番良いことはおなかをすかせた乞食になって、もの乞いをして歩き、もらったものをさらに人と分ちあうことだ。・・・

聖フランシスコは、秘密を守ることという誓い以外は立てない秘密の修道会を創立すべきだったかもしれない。・・・こう

いったこを実際にやらないで、ただ話すだけというのは、いともたやすいことだ。」



清貧の精神から湧れ出るおおらかさと自由は、神のみ旨を喜こんで果たそうとする心構えを生む。神のみ旨を果すとい

うことは、必らずしもそれを理解しているという意味ではない。しかし神のみ旨を果すことは、自己犠牲と自由のもう一つ

の形態なのである。シモーヌ・ヴェイユにとって、自由と自己犠牲とそして神のみ旨への服従との調和を完璧な形で実現

した人は聖フランシスコであった。



「私達は神のみ旨について思い違いをするかもしれないが、自分で神のみ旨にかなっていると信じることなら、神は

私達にそれをすることを望んでおられるのは確かだと言えるのではないか。・・・聖フランシスコは自分で石がサン・ダミ

アノまで運ぶように命じられたと思っていた。確かに彼がそう思い込んでいた間は、神も彼に石を運ぶことを望まれた

のだ。」



私個人の考えを必要以上に述べるのは控えるべきであろう。シモーヌ・ヴェイユは東洋の宗教やプラトンに熱中し、マイ

スター・エックハルトや十字架の聖ヨハネを深く研究したが、そうしたことが彼女の霊的知的成長に最も深い影響を与え

たことは疑う余地がない。また、彼女の霊性はアシジの貧しき人よりもむしろキエルケゴールのほうに近いというのも確

かである。だが、それと同時に、彼女の魂を完全に形成するに至った強力な因子をさらに突き詰めて考えてみれば、誰

しも、彼女とフランシスコの息吹との触れあいを思い浮かべるにちがいない。特に、徹底的な貧しさと十字架上の主との

完全な合体を心の底から強く求めていたフランシスコは、彼女にとって大きな存在であったであろう。何故なら、彼女が

生まれてはじめて感じたあの祈りたいという衝動は、フランシスコの息吹から得たものであり、神のみ旨を果すという完全

な自由を勝ち得るためには、どうしても自己犠牲がなければならぬとの直観的な信念も聖フランシスコによって強められ

たものであったからである。宗教的関心を深めはじめた最初のころ、フランシスコは彼女にとって、キリスト教が信ずるに

値するものであること、そしてキリスト教は霊的成長の無限の可能性を秘めていることを示す生きた証であった。



以後、彼女はフランシスコの秀でた特異性をつねにその意味で評価し、味わった。彼女はきわめて明瞭に、しかも美しく

その気持ちを述べている。「聖フランシスコを除いて、キリスト教は自然界の美をほとんど失いかけている」と。彼女は聖

フランシスコの生き方の中に宗教的体験の真髄を直観的に感じとった。それはすなわち、被造世界を神から与えられた

真の恵みと考え、隣人に対する、神の愛に根ざしたあたたかいおもいやりを自分のうちに育てることができる、ということ

なのである。彼女はこのことをペラン神父に宛てた手紙の中に簡潔に書いている。それは聖フランシスコに対するふさわ

しい讃美の言葉であると同時に、シモーヌ・ヴェイユが自分の人生において勝ち得ようとしたことをすべて表わしているとも

いえるのである。



「私達はカトリック(普遍的)でなければならない。つまり、完全な現実(真理)に通ずるもの以外、この世の何ものにも

執着してはならないのだ。昔は聖人ならば誰でもこのことを暗黙のうちに了解していた。そして彼等は、神とその被造

世界に帰すべき愛と、その被造世界に包まれた小さなすべての存在に対する責任とをふさわしい関係においてとらえ

ることができた。聖フランシスコと十字架のヨハネはこのような聖人であったから、本当の詩人となれたのだと思う。」



彼女がこのことを如何に痛切に感じていたかは、ペラン神父に宛てた手紙をよめばわかると思う。「私はアシジの聖

フランシスコを知るようになったときから、彼を愛せずにはいられなくなったのです。」










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