「私たちはどこから来たのか 人類700万年史」NHKカルチャーラジオ・科学と人間 馬場悠男・著








内容紹介より引用


つねに歴史は塗り替えられる

人類の進化と日本人の形成過程について、最新の研究成果を交えてわかりやすく解説。

類人猿とヒトの決定的な違いや、ネアンデルタール人と現代人がどう結びつくのか、また、

科学技術の発達により有力視されていた説が覆った瞬間など、教科書からは見えてこ

ない研究の最前線を紹介する。


 


本書より引用



十数年前まで、ヨーロッパの研究者たちは、私たちと同じような表象能力のある精神、つまり「現代人の心」は

ヨーロッパで誕生したと思っていた。なぜなら、フランスのラスコーやスペインのアルタミラなどの、2万~1万年

前の洞窟壁画があまりにも表現力豊かで、ヨーロッパ以外の同時代の遺跡には似たような絵画は見られな

かったからだ。それは、充分にヨーロッパ人のエリート意識をくすぐった。



ところが、2002年に、はるかに離れた南アフリカからとんでもない発見が報告された。海岸の崖に形成された

ブロンボス洞窟で、約7万5000年前の堆積層から、中石器時代の(槍先などの)石器だけでなく、斜め格子模様

の傷があるオーカーの塊が見つかり、さらに、孔の開いた小さな貝殻が何ヶ所かでまとまって発掘されたのだ。



オーカーは、赤褐色(黄色もある)の酸化鉄化合物であり、赤い顔料として、今でも錆止めのペンキに使われて

いる。彼らは、これを削って動物の油を混ぜ、お化粧をしていたのだろう。あるいは、血の色を連想させるので、

死者を埋葬するときに再生を願って遺体にばらまいたことだろう。それは来世を意識していたことになる。オー

カーに刻まれた格子模様は、最古の抽象芸術だという解釈もあるが、所有者の印かもしれない。



小さな貝は1cmほどの巻き貝で、とても食料にはならないが、貝殻は真珠色に輝いている(もちろん、発見され

た貝殻は今では風化して茶色に変色している)。貝殻は薄くて脆いので、孔を開けるのは現代の錐を使っても

かなり難しいという。しかし、ブロンボス洞窟の住民は石の錐で注意深く孔を開けていた。糸でつないで首飾り

か腕輪にしていたことは疑いがない。つまり、お洒落をしていたのだ。現在でも、ダイヤモンドの指輪をするの

は、その価値を他人が理解できるからするのであって、それは、他人が自分と同じ心を持つことを認識していた

証拠である。



したがって、この時期に、私たちの祖先は、他者にも自分と同じ生涯があることが認識でき、優しさと思いやり

の心が生まれていたことは明白である。



この洞窟の発掘を指揮したのは北欧系の南アフリカ人で、身長2mの巨漢、クリストファー・ヘンシルウッドで

ある。彼はこの地域の農場主の息子であって、子どものときにこの洞窟で遊んでいたという。成長して考古学者

になり、発掘したら、大発見をしたというわけだ。この報告を受けたヨーロッパの研究者たちは、当初は、1925年

にアウストラロピテクス化石の発見を聞いたときと同じように否定的な反応をした。しかし、すぐに、現代人の心

が、ヨーロッパではなくアフリカで数万年以上も早く芽生えていた証拠を認めざるを得なかった。その後、オー

カーは14万年ほど前の地層からも発見されている。








サピエンスは、5万年ほど前に西アジアから東ヨーロッパに侵入し、徐々にネアンデルタール人を西へ西へと

追いやり、約4万年前にイベリア半島で最後のネアンデルタール人を消滅させてしまうことになる。彼らが現代

ヨーロッパ人の祖先であり、1868年に、最初に化石が発見されたフランスのクロマニョン洞窟にちなんで、

クロマニョン人と呼ばれる。クロマニョン人がネアンデルタール人を圧迫したのは、体力ではなく、優れた頭脳

と文化のためだったと考えられる。それは、考古学的な証拠から明らかである。たとえば、クロマニョン人は、

離れた地域との交易で良い石材を手に入れ、使用目的ごとに分化した多用な石器を作った。さらに、石器の

技術革新が数千年ごとに起こった。それに対して、ネアンデルタール人はほとんど技術革新をしなかった。

(例外として、シャテルペローン文化の発達がある)。



ただし、クロマニョン人にも弱点があった。それは肌の色が濃かったので、日差しの少ない北西ヨーロッパで

は、子どもがクル病になってしまうことだった。旧人のハイデルベルゲンシスがヨーロッパに侵入したときと同じ

問題が起きたのである。もちろん、徐々に肌の色の薄い子どもが増えて、おそらく数千年から1万年のうちに、

いわゆる白人に近くなって、北西ヨーロッパで暮らすことができたのだろう。



厳寒のシベリアに住んだ人々は、1万5000年ほど前には、ベーリング陸橋(氷期のため海水面が下がり、

ベーリング海あたりにできた陸地)を通ってアメリカ先住民になった。そこには、広大な原野・草原と無尽蔵の

食肉資源があった。彼らは、警戒心のない動物を狩り、人口を増やしながら、わずか1000年ほどでアメリカ大陸

最南端にまで到達した。アメリカの古生物学者、ポール・マルティンは、この活動を戦争の「電撃戦」に喩えた。



サピエンスによって最後に開拓されたのは海洋である。対岸が見渡せるような狭い海なら、小舟や筏でも渡る

ことができる。しかし、はるかに離れた陸地を目指して航海して、もし見つからなければ戻ってくるという遠洋航海

のためには、大きな舟とナビゲーションの技術が必要である。およそ4500万年前の台湾や中国南部の人々は、

そのような技術を発達させながら、東南アジア島嶼部からオセアニアに拡がっていった。1500年前には、ハワイ

やイースター島にまで到達し、さらに南アメリカに行って、サツマイモの種芋を持ってニューギニアに戻った人々

もあった。1000年ほど前には、ニュージーランドや、はるか西のマダガスカルにまで到達した。








その後、研究が進んで、渡来系弥生人は、優れた生産技術によって、自らの人口を増しながら、北部九州

付近から周辺に拡大し、相当程度に人口が増えてから、ゆっくりと縄文人の子孫と混血していったことが明白と

なった。結果として、私たち日本人は、全体としては、文化的にも遺伝的(生物学的)にも、渡来系弥生人の影響

を強く受けているといえる。



古墳時代には、日本列島の中央部では渡来系の人々と縄文系の人々との混血が渡来系の人々の割合が多い

状態で進んだが、周辺では縄文系の人々の影響が色濃く残っていた。なお、古墳時代末期から平安時代にかけ

ては、オホーツク文化人が樺太から北海道北東部にやってきて、縄文人の子孫と部分的に混血したが、顔かた

ちにはほとんど影響を与えなかった。



現在の日本列島では、北部九州から関西を中心とするほぼ全国に渡来系弥生人の子孫と縄文人の子孫が

均等に混じり合っているわけではなく、周辺部ほど縄文人の影響が強いことは、形態学的な特徴だけでなく、

遺伝学的な特徴の研究でもはっきりしている。北海道では、縄文人の影響が強いアイヌの人々が3万人ほど

住んでいる(各地にも散らばっている)。南西諸島では、縄文人と渡来系弥生人の影響がおよそ半々の琉球人

が住んでいる。三つの集団とも、おおもとは縄文人だが、大陸から渡来した人々の影響をどれだけ受けたかに

よって、顔や身体の特徴が徐々に違ってきたのであって、その過程で、築いてきた文化も違っている。



したがって、日本人は単一民族ではなく、三つの民族によって構成されている。なお、圧倒的に人口の多い本土

日本人は、過去にアイヌと琉球人を迫害したことを忘れてはならない。








これから先、文明崩壊に向かっている世界全体を救うことができるだろうか。資源が枯渇するにつれて、人種・

宗教などによる対立がさらに顕著になる(なっている?)。博愛や良心などの倫理観が破綻する(している?)。

現実に戦争が起きる(起きている?)。強大で資源を持つ国や民族は、近縁度に応じて連合を形成し、弱小で

資源のない国や民族を見殺しにする、あるいは抹殺するかもしれない。実際に、欧米はアフリカが自滅する前

にできるだけ搾り取ろうとしている。最近、中国もそれに参加した。



では、どうすれば、欲望充足装置の暴走を止めることができるのか。困難なのは、快適な生活という欲望の対象

を体験した、あるいは見てしまった人々に、どのように生活水準の低下を納得させるかである。それには、理念

と力の両方が必要だろう。日本は、力はないが、理念は提示できるし、ひょっとすると、自分たちだけなら実行

できるかもしれない。



日本が、自然と共存する文明縮小モデルのロードマップを作り、世界に先駆けて提唱し、理念的イニシアチブ

を取ることはできる。そして、何らかの形で実行しながら、アメリカをヒーローになれるぞと説得できれば、素晴ら

しい。そんなことは、世界中のどの国でも実行できないとの批判があるだろう。仮に政治家が実行しようとして

も、国民の大反対に遭うに違いない。その通りだろう。



ただし、もし、世界中で唯一実行できる国民があるとすれば、日本人だろう。真面目で、辛抱強く、教育程度が

高く、全体のために何をするべきかを理解し、自らを律する日本人なら実行できるかもしれない。ばかばかしい

と思うかもしれないが、私は提案している価値はあると思っている。なお、「2052 今後40年のグローバル予想」

のランダースは、ドイツがわずかながら実行できる可能性を指摘している。ドイツ人も日本人も一致団結して

目標に向かうのが得意な国民である。




美に共鳴しあう生命





U-Th dating of carbonate crusts reveals Neandertal origin of Iberian cave art | Science

ネアンデルタール人が描いた6万4800年以上前の壁画



Neanderthals were artistic like modern humans, study indicates - Bintroo

1913年の論文に掲載されたスペインの洞窟壁画を写した絵=サイエンス誌提供





ネアンデルタール人が描いた? 世界最古の洞窟壁画:朝日新聞デジタル より以下引用。


スペイン北部の世界遺産のラパシエガ洞窟の壁画が世界最古の洞窟壁画であることが国際研究チームの調査でわかった。

現生人類は当時欧州におらず、絶滅した旧人類ネアンデルタール人が描いたものとみられる。22日付の米科学誌サイエンス

電子版に発表された。



研究チームはラパシエガ洞窟など3カ所で動物や手形などの線描の部分に含まれる天然の放射性物質を高精度な年代測定法

で調べた。三つとも6万4800年以上前に描かれたものだとわかった。



現生人類がアフリカから欧州にやってきたのは4万~4万5千年前とされる。1万数千年前のアルタミラ洞窟(スペイン)や約2万

年前のラスコーの洞窟(フランス)など、これまでの洞窟壁画はすべて現生人類が描いたと考えられてきた。



4万年前に描かれたスペイン北部のエルカスティーヨ洞窟の壁画がこれまで最古とされてきたが、さらに2万年さかのぼる古い

洞窟壁画と確認されたことで、研究チームは「すでにいたネアンデルタール人が描いた洞窟壁画だ」としている。ネアンデルタール

人は現生人類に近い種で、約40万年前に出現し、4万年~2万数千年前に絶滅した。



ラパシエガ洞窟の壁画には線を組み合わせたはしごのような図形もあった。抽象的な考えを具体的な形で表す「象徴表現」の

可能性がある。人類の進化に詳しい佐野勝宏・早稲田大准教授は「象徴表現は現生人類のみが生まれつき持つ固有の認知能力

という考えが多数派だった。今回の年代が正しければ、ネアンデルタール人にもこの能力があったことになる」と指摘している。





2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ)

(大きな画像)

実物の「縄文のヴィーナス」はこちら



土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。



今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の

高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。



今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって

知ったことだが)。



殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が

刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。



アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を

取り出し母親に抱かせた。



それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。



また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の

時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。



このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い

悲しみと再生の祈りが込められていると記している。



「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。



縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。



過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。




 

2012年6月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「巨大な化け物に立ち向かう光の戦士」・・・自宅にて撮影



ギリシャ神話のなかで、ペルセウスアンドロメダ姫を助けるときに利用したメドゥーサは、見たものを石に

変える目と毒蛇の髪をもつ怖ろしい存在として語られてきました。



これに対して興味深い思索があります。「森を守る文明・支配する文明」安田喜憲著から引用しますが、

5月7日に投稿した「縄文のビーナス」に見られるように、土偶の全てが大きな目を持っていたわけでは

ないと思います。しかし、安田氏(京都大学教授)の視点はギリシャ神話とは全く異なった古代の世界観、

その視点をこの現代に問いかけているのではないでしょうか。それはメドゥーサの蛇に関しても同じこと

が言えるのだと思います。



☆☆☆☆



この森の生命と同じように、人間の生命もまた死してのち、再生したいという願いが、目に対する信仰を

生み、巨大な目の土偶を作り、メドゥーサの伝説を生んだのである。



私たちをじっと見つめる巨大な土偶の目やメドゥーサの目には、森のこころが語られていたのである。



それは、古代の人々が森に囲まれて生活してことと深くかかわっていると思う。



古代の人々が深い森に囲まれて生活していた頃、自分たちをじっと見つめる大地の神々の視線を感じた。



その森が語りかけるこころに対して、人々は畏敬の念を込めて、巨大な目を持った像を造形したのである。



大地の神々の住処である森。



しかし、こうした人間を見つめる目を持った像は、ある時期を境にして作られなくなり、あげくの果てには

破壊される。



メドゥーサが神殿の梁からゴロリと落とされ、イースター島のモアイが引き倒され、三星堆の青銅のマスクが

破壊され、燃やされた時、そして縄文の土偶が作られなくなった時、それは森が激しい破壊をこうむったり、

消滅した時でもあった。



森がなくなり森のこころが失われた時、人々は自分たちを見つめる巨大な目を持った像を作らなくなった

のである。



私は、その時に一つの時代が終わった気がする。



森のこころの時代の終焉である。日本では、縄文時代に3000年以上にわたって作り続けられた巨大な

目を持つ土偶が、弥生時代に入ると突然作られなくなる。



その背景には、森と日本人との関係の変化が深くかかわっていたと考えざるえない。



弥生時代の開幕は、大規模な森林破壊の開始の時代でもあった。



水田や集落の拡大の中で、平野周辺の森は破壊されていった。



こうした森の破壊が進展する中で、縄文人が抱いていた森のこころが次第に失われていったのであろう。



☆☆☆☆




(K.K)



 

2012年5月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




「縄文のビーナス」 2012年4月国宝に指定 (写真は他のサイトより引用)



高さが45センチもあるこの土偶は約4500年前のものと言われており、縄文時代

土偶の中では最大級のものです。



平成4年、山形県舟形町の西ノ前遺跡から出土したこのビーナス、その造形美に

は心打たれるものがあります。



縄文時代に思いを馳せ、このビーナスを作った人のことを想像してみたいものです。




(K.K)




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