「われわれはなぜ死ぬのか 死の生命科学」

柳澤桂子 著 草思社





本書 帯文 より引用


生命の歴史についてはよく語られてきたが、死の歴史についてはこれまではほとんど

語られてこなかった。生き残りをかけた生命の進化は、同時に死の機構をも進化させ

てきたのだ。なぜ老化がおこるのか、死は生命にとってどのような役割を果たすのか?

死の本質に迫る!


柳澤桂子・・・1938年東京生まれ。お茶の水女子大学を卒業後、コロンビア大学大学院
を修了。慶応義塾大学医学部助手、三菱化成生命科学研究所主任研究員をつとめる。
78年、病に倒れ、83年同研究所を退職。現在はサイエンスライターとして、生命科学の
立場から「生命とは何か」と問いつづけている。『お母さんが話してくれた生命の歴史』(岩
波書店、産経児童出版文化賞)、『卵が私になるまで』(新潮選書。講談社出版文化科学
出版賞)、『二重らせんの私』(早川書房、日本エッセイスト・クラブ賞)、『遺伝子医療への
警鐘』(岩波書店)など多数の著書がある。

柳澤桂子さんのホームページ 「柳澤桂子 いのちの窓」


 


本書 「死とは何か」 より抜粋引用


私たちの寿命は、受精の瞬間から時を刻みはじめる。産声をあげる10ヶ月も前から、私たち

は死に向けて歩みはじめるのである。しかし、その歩みは、はじめから崩壊に向かっているの

ではない。1個の受精卵は60兆個の細胞に増え、人間という小さな宇宙を形成する。脳が発

達して、喜怒哀楽を感じ、考え、学習する。自意識と無の概念は死へのおそれを生みが、死へ

の歩みは成熟、完成を経る歩みである。100年に満たない死への歩みのなかで、私たちには

自分を高める余地が残されている。




死は生の終着点のように思われているが、決してそのようなものではない。死は生を支え、

生を生み出す。受精の際には、たくさんの精子が死に、残された1つの精子によって生命が

誕生する。1つの生のためにおびただしい数の死が要求されている。死は生とおなじように

ダイナミックである。




生命の歴史のなかでは、生と死はおなじ価値をもつ。生きている細胞より、死んだ細胞の数

の方がずっと多いという意味において、それは死の歴史であるともいえる。36億年の生命の

歴史のなかに編み込まれた死を避けることはできないし、それは避けてはならないものであ

る。死によってこそ生は存在するのであり、死を否定することは生をも否定することになる。




多細胞生物にとって、生きるとは、少しずつ死ぬことである。私たちは死に向かって行進する

はてしなき隊列である。36億年の間、書き継がれてきた遺伝情報は、個体の死によって途絶

える。個体の死は36億年の時間に終止符を打つ。生殖細胞に組み込まれた遺伝情報だけが

生きつづける。




このように見てくると、私たちの意識している死というものは、生物学的な死とはかなり異質な

ものであることがわかる。生物学的な死は36億年の歴史を秘めたダイナミックな営みである。

それは適者生存のためのきびしい掟である。



一方、私たちの意識する死は人間の神経回路のなかにある死である。それは意識のなかの

死であり、心理的な死である。死は私自身の問題であり、親しいものに悲しみをあたえる。そ

れは36億年の歴史とは無関係な感情であり、むしろ静的なものである。




一方、脳死問題などに代表される医学的な死は、生き返ることのできない点を見きわめると

いうことをもっとも重視する死である。どこまで壊れれば、修理不能であるかという意味での死

である。ポイント・オブ・ノー・リターン、すなわち死である。そこには、生物学的な死がもつ36億

年の歴史の重みもダイナミズムもない。また、人間の死がもつ深い感情も排除されている。




尊厳死を考えるにしろ、安楽死を考えるにしろ、死の生物学的な側面、心理学的な側面を十分

に考慮する必要があるのではなかろうか。36億年という想像を絶するような長い時間を生殖細

胞を通して受け継がれてきた遺伝情報が消滅する瞬間としての死、生命の大きな流れからそれ

て、死の運命を負わされた細胞が形成する固体が消えていく瞬間としての死、そこに宿る意識

の受けとめている死、その人を取り囲む人々の感じている死など、死はけっして脳波が平坦に

なった状態だけでもなく、心臓が止まる瞬間だけでもない。




いのちには36億年の歴史の重みがあり、100年の意識の重みがあり、その人をとりまく多くの

人々に共有されるものであるという側面がある。死は生命の歴史とともに民族の歴史、家系の

歴史、家族の歴史、個人の歴史すべてを包容するものである。このように大きな視点で生や死

をとらえなければ、人間は死を私物化して意のままに支配し、かぎりなく傲慢になるであろう。



36億年の生命の歴史のなかに時をおなじくして自己意識と無を認識する能力をあたえられ、

死の刻印を押されたものとして、また、死をおそれることを知ってしまったものとして、おたがい

に心を通わせ合い、深く相手を思いやることが、生の証のように思えるのである。




死ばかりでなく、老いもまた避けることのできない私たちの運命である。個体の寿命がのびた

ことによって、老いの苦しみを感じる期間も長くなっている。老いていく人々の苦しみを思いやる

とともに、そこから多くのものを学びたいと思う。




私たちは、死を運命づけられてこの世に生まれてきた。しかし、その死を刑罰として受けとめ

るのではなく、永遠の解放として、安らぎの訪れとして受け入れることができるはずである。ま

た、死の運命を背負わされた囚人として生きるのではなく、誇りと希望をもって自分にあたえ

られた時間を燃焼し尽くすこともできるはずである。




今日も私たちは死にむかって一日を歩んだ。夕日に向かってその一日を思うとき、死への一日

としての重みにたえる時を刻んだということができるであろうか。




 
 


本書 「おわりに」 より抜粋引用


この原稿を書きはじめたのは、夏の盛りであった。原稿を書きつづけるうちに蝉が死に、

こおろぎが死に、蝶が死に、紅葉の季節になった。病床で、かつて見たあの紅葉、この紅葉

と思いめぐらすと、紅葉の一樹一樹を流れるいのちのうめき声が聞こえてくるような錯覚に

捕らわれる。




樹の幹を通して、いのちは連綿とつながっているが、ちょうど生殖細胞系列から分化の道を

あたえられた私たちとおなじように、そこに生える葉は、一年かぎりの寿命である。陽あたり

のよい場所に生えて美しく色づく葉もあれば、まだ青いうちに風に吹きちぎられる葉もある。




散りどきが近づくと、葉のつけ根に離層と呼ばれる組織ができ、葉が散る準備は整えられる。

そして、美しく色づいた葉は音もなく散っていく。もし、紅葉の一葉ひと葉が散る苦しみに声を立

て、嘆き悲しんだらどうであろうか。となりの葉が散った寂しさと悲しみの涙にむせんだらどうで

あろうか。紅葉した山は葉のうめきで全山揺るがされるであろう。紅葉は音もなく散ってほしい

と思う。




同様に自然のなかの一景として眺めたとき、人間の死もまた静かであってほしいと願う。美しく

色づいた葉が秋の日のなかにひらひらと舞っていく。葉の落ちたあたの樹の梢には、冬芽の準

備がはじめられる。死はそれほどにも静かなささやかなできごとである。




36億年の間複製されてきたDNAは、私の生の終わりとともにその長い歴史の幕を閉じようと

している。その一部は子や孫のからだのなかで複製されつづける。36億年間書き継がれた

詩は、最後の一行を生殖細胞に残して私とともにこの世から消え去ろうとしている。




生命の歴史の一瞬に存在し得た軌跡を思うとき、私は宇宙のふところに優しく抱き上げられ、

ジプシー占いの水晶玉のように白く輝いて、宇宙の光に融和しつくすのである。




 
 



命と原子力共存できぬ

~ 3・11からの再生 ~生命科学者 柳澤桂子

Aloe*Wing 命と原子力共存できぬ ~ 3・11からの再生 ~ 生命科学者 柳澤桂子 から引用しました。



これまで命や環境に関する本を50冊余り出しました。そろそろ執筆がつらくなり、人生最後の本のつもりで、

地球温暖化と原子力発電の恐ろしさについて書きました。その原稿を仕上げて整理をしていた3月11日、

福島第一原発事故が起きてしまいました。



最初に強調したいのは、わたしたち生物と原子力は、共存できないということです。生物は40億年前に誕生

し、DNAを子どもに受け渡しながら進化してきました。



DNAは細胞の中にある細い糸のような分子で、生物の体を作る情報が書かれています。わたしたちヒトの

細胞は、DNAを通じて40億年分の情報を受け継いでいます。DNAは通常、規則正しくぐるぐる巻.きになって

短くなり、染色体という状態になっています。



生物の生存は誕生以来、宇宙から降り注ぐ放射線と紫外線との闘いでした。放射線も紫外線もDNAを切っ

たり傷をつけたりして、体を作る情報を乱してしまうからです。



一方、細胞にはDNAについた傷を治す「修復酵素」が備わっています。ヒトの修復酵素は機械のように複雑

な働きをします。しかし、大量の放射線にさらされると、酵素でも傷を修復できず、死に至ることがあります。



ヒトが短時間に全身に放射能を浴びたときの致死量は6シーベルトとされ、短時間に1シーベルト以上浴びると、

吐き気、だるさ、血液の異常などの症状が表れます。こうした放射線障害を急性障箸といいます。しかし0.25

シーベルト以下だと、目に見える変化は表れず、血液の急性の変化も見られません。



ところが、そうした場合でも細胞を顕微鏡で調べてみると、染色体が切れたり、異常にくっついたりしている

ことがあります。また、顕微鏡で見ても分からないような傷がつき、その結果、細胞が分裂停止命令を無視

して、分裂が止まらなくなることがあります。



それが細胞のがん化です。がんは、急性障害がなくても、ずっと低い線量で発症する可能性があるのです。

しかも、がんは、進行して見えるようにならないと検出できませんから、発見まで5年、10年と長い時問がか

かります。いま日本人の2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで亡くなります。なぜこんなに多いのか。



わたしは、アメリカの核実験やチェルノブイリ原発事故などで飛散した放射性物質が一因ではないかと疑っ

ていますが、本当にそうなのかそうでないかは、分かりません。この分からないということが怖いのです。さら

に、放射線の影響は、細胞が分裂している時ほど受けやすいことも指摘しておかなければなりません。



ぐるぐる巻きになっているDNAは、細胞分裂の時にほどけて、正確なコピーを作ります。糸を切る場合、ぐる

ぐる巻きの糸より、ほどげた細い糸の方が切れやすいでしょう?胎児や子どもにとって放射能が怖いのは、

大人よりも細胞分裂がずっと活発で、DNAが糸の状態になっている時間が長いためです。



わたしは研究者時代、先天性異常を研究し、放射線をマウスにあてて異常個体をつくっていたので、放射能

の危険性はよく知っていました。1986年、チェルノブイリ原発事故が起きた時、わたしはいったい誰が悪いの

だろうと考えました。原子力を発見した科学者か。原子力発電所を考案した人か。それを使おうとした電力

会社か。それを許可した国なのか。



いろいろ考えて、実はわたしが一番悪いのだと気付きました。放射能の怖さを知っていたのに、何もしてい

なかった。



そこで88年、生物にとって放射能がいかに恐ろしいかを訴えるため、「いのちと放射能」(ちくま文塵)を書き

ました。原発がなせダメなのか。第一に、事故の起こらない原発はないからです。安全性をもっと高めれば

よいという人がいますが、日本の原発も絶対に事故は起こらないといわれていました。福島の事故で身に

しみたはずです。



第二に、高レベル放射性廃棄物を子孫に押しつけているからです。処理方法も分からない放射能のごみを

残して、この世を去る。とても恥ずかしいことです。10年もしたら、みんな福島のことを忘れてしまうのではな

いかと心配です。



原発がないと困る人はたくさんいます。政治家は電力会社から献金を受け、テレビ局や新聞社は電力会社

の広告を流しています。原発は地元の町や村に雇用を生み、交付金などで自治体財政を潤します。それら

は生産すること、お金をもうけることです。いくらもうけても、原発事故で日本に住めなぐなったら何にもなら

ない。どうして政治家が気付かないのか不思議です。わたし一人の力は小さく、原発はなくなりません。



「福島のために何かしたい」とおっしゃる方はたくさんいます。ただ、福島産の物を買ってあげるとか、そうい

うことでしょうか。「自分」というものを考えてみる。生命とは何かをしっかり考えてみる。



そういう、根本的なことが大事な気がしています。それが福島のためであり、子孫のためになると思います。

繰り返します。生物と原子力は共存できません。原発は絶対にやめるべきです。



(聞き手 細川智子 道新11.8.29.)




美に共鳴しあう生命






2012年2月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

20億年後の地球の想像図



手前に見えるのが地球、右に見えるのが太陽、画面に大きく映し出されているのがアンドロメダ

座大銀河(M31)
です。



実はアンドロメダ座大銀河と私たちの天の川銀河は30億年後には衝突すると考えられています。

現在二つの銀河は秒速約300kmという速さで近づきつつあり、上の画像は衝突する10億年前

(今から20億年後)の姿です。



20億年後、もし人類がいたら天空に壮大な眺めを目にすると思いますが、太陽系にとっては衝突

により銀河の端に飛ばされてしまいます。



そして二つの銀河が完全に合体する50億年後には、赤色巨星となった太陽がその寿命を終え

ようとし、地球を含む他の惑星も飲み込まれていることでしょう。



アンドロメダ座大銀河は、肉眼でも見ることが出来ます。私の住んでいる厚木でもぼぅとながら

確認することが出来ます。ただ、写真集で見るような鮮明な姿ではありません。



今見ているアンドロメダ座大銀河の光は230万年前のもので、アフリカで生まれた初期の人類

アウストラロピテクスが生きていた時代に旅立ったものです。人類はこの頃から石器を使用し

たようです。



日本では丹沢山地の巨大噴火(250万年前)がありました。これは1707年の富士山・宝永噴火

に匹敵する大噴火で、当時は海だった関東平野一帯に火山灰が降り積もり、平野の土台を形

成する厚い地層の一部をつくったと言われています。



また約200万年前には、フィリピン海プレートにあった伊豆半島がアジアプレートにある本州に

衝突し、富士山が生まれたと言われています。



☆☆☆☆


「われわれはなぜ死ぬのか 死の生命科学」柳澤桂子著 より引用



36億年の間複製されてきたDNAは、私の生の終わりとともにその長い歴史の幕を閉じようと

している。その一部は子や孫のからだのなかで複製されつづける。36億年間書き継がれた

詩は、最後の一行を生殖細胞に残して私とともにこの世から消え去ろうとしている。



生命の歴史の一瞬に存在し得た軌跡を思うとき、私は宇宙のふところに優しく抱き上げられ、

ジプシー占いの水晶玉のように白く輝いて、宇宙の光に融和しつくすのである。



☆☆☆☆



(K.K)



 



柳澤桂子 | 話題の本 | 書籍案内 | 草思社 より画像引用


「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」文・柳澤桂子 画・堀文子 英訳・リービ英雄 小学館

「いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる」柳澤桂子著 小学館

「愛蔵版DVD BOOK 生きて死ぬ智慧」文・柳澤桂子 画・堀文子 小学館

「柳澤桂子 いのちのことば」柳澤桂子著 集英社

「永遠のなかに生きる」柳澤桂子著 集英社

「意識の進化とDNA」柳澤桂子著 集英社


柳澤桂子さんのホームページ 「柳澤桂子 いのちの窓」

心に響く言葉(2011年7月3日)・柳澤桂子(生命科学者)の言葉


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