「愛蔵版DVD BOOK 生きて死ぬ智慧」

文・柳澤桂子 画・堀文子 小学館


 







本書 「あとがき」 より引用



生きるという悲しいことをわれはする草木も鳥も虫もするなり



この歌は、私の心の奥から絞り出された叫びである。四六年間の結婚生活のうち、三六年を病み

苦しんだものの真実の心である。



私の病気は、悲しいことに発病後三〇年も経ってからようやく「周期性嘔吐症」と診断された。毎月

一回のひどい頭痛と嘔吐で起きていられなくなり、それが何日も続いた。腹痛もひどかった。近年

さらに詳しい診断の結果、セロトニンという神経伝達物質の不足による全身性の病気とわかった。

現在は病気であることが認められ、激しい嘔吐と頭痛、腹痛は薬で抑えられている。しかし、セロ

トニンの不足という現実は、いろいろな形でからだを冒し、いまなお普通の生活は望むべくもない。



分子レベルの病気であるのに、医師は画像診断で目に見えないから、じつに三〇年もの間、異常は

ないといい続けたのである。すべては私の気のせいにされ、私が病気を作り出しているといわれた。

家族にもそのように説明され、家族もそれを信じた。



当時、私は夫の単身赴任で筑波(茨城県)におり、私は二人の子供と養父母を抱えて、研究者として

勤めていた。私は病気などしていられる状態ではなかったのである。けれども現実は過酷であった。

病気そのもののつらさよりも、病気と認めない、私の人格を否定するような医療がつらかった。医師

からも家族からも責められて、私は孤独だった。つらくて涙さえ出なかった。



生きることのあまりのつらさに、私の心は唯一の残された救いの源と思われた宗教へと向かった。

しかし、私は日曜ごとに礼拝に行くだけのような宗教より、もっと深いものを求めていた。どうすれば

いいのかわからないまま、私は自分で本を読んで勉強することにした。キリスト教や仏教やいろいろ

な宗教書を読み、必死に考え抜いた。



そうして私はまず発見したことは、私が大きな誤りを犯していたということであった。私は、宗教という

のは、牧師さんや和尚さんに話を聞いていただいて、解決の方法の助言や慰めをいただくものと思っ

ていた。その場合、牧師さんや和尚さんは、まず神や仏に祈るように諭されるであろう。しかし、私の

たどりついた宗教というものは、そういうものとはまったく異質の、不思議な脳の状態であった。「悟り」

と仏教でいう状態である。



自我を削り取り、削り取っていくと、突然ジェット機が雲海を抜けた瞬間にも似た、真っ青な空に出た

ような感覚に陥る。そこには幸せしかない。それは一瞬のできごとである。



私は実際にこのようなことを経験してみて、信仰心や悟りは生命科学で説明できるのではないか・・・・

と非常に興味をもつようになった。おそらく二一世紀の終わりまでには、宗教は生命科学で説明がつく

であろうと思う。それは特殊な脳の状態ではなかろうか。たとえば、エンドルフィンのような脳内快感物質

が多量に出て、脳をふだんとまったくちがった状態に導くというようなことも考えられる(科学的解釈とい

う意味では、私が般若心経の心訳のもとにおいた「粒子」という考え方についても多くのご質問を受けた

が、これについては拙著『いのちの日記』で詳しく説明させていただいた)。



哺乳類の脳は、カイコやイモムシのように体節からできている。そのようにしてできてきた細胞は、神経

成長因子の働きで成長し、いろいろな刺激を受けながら発達する。私は何万年という昔から、人間の脳

細胞のなかに、偉大なものに畏敬の念を感じ、それに祈りを捧げる神経細胞の萌芽があったであろうと

考える。七万年前にネアンデルタール人が花を供えて死者を葬ったということがわかっているが、私たち

の祖先は、おそらく太陽にひざまずき、雷鳴におののき、雨乞いをし、自然をあがめてきたのであろう。



そのような遺伝子をもって人間が成熟していくときに、最後にたどりつくのが「悟り」の世界であると私は

思っている。したがって、そのような遺伝子が環境から適切な刺激を受けることが、人間の成熟にとって

必要である。



日本の戦後教育は宗教を否定してきたが、私はこれを諒として追認することはできない。私自身の体験

からも、宗教あるいは倫理教育は不可欠なものであると信じて疑わない。太古の祖先以来、人間はその

ような救い・癒し・成熟をもたらしてくれる心の教えを渇望し続けてきたにちがいないのである。深い精神性

を養う適切な教育環境があたえられないことは、子供の成長にとって不幸である。では、どのような教育が

適切か。私は生命について、その進化の過程と機構を教えることが、とくに重要であると考えている。



生命が誕生してから四〇億年。その間に八回以上も地球は大変動にさらされて、生命は大絶滅を起こして

いる。隕石の衝突により、地球は燃え上がり、海は煮えくりかえり、蒸発して塩が残ったが、その塩までも焼

けてしまうような大事件が起こっているのに、わずかな生命が生き延びたのである。またあるときは、地球の

温度が下がって全球凍結が訪れた。地球のすべてが凍ったとき、わずかに流れ出る高熱の湯のおかげで

少数の生物が生き延びた。いまから二億五000万年前の大絶滅は一番規模が大きく、地球上の生物の

九五パーセントの種が絶滅したという。私たち人類の祖先は、生き残った五パーセントのなかに入ったので

ある。



もし奇跡という言葉が、この世でたったひとつの不思議にしか用いられないならば、いま、いのちが存在して

いる事実そのものを挙げるしかない。一個の生命が発生してくる過程もまた神秘に満ちている。これらを知れ

ば知るほど、子供たちは自分がいかに奇跡に満ちた存在であるかを理解するであろう。そして、他のいのちの

たいせつさにも思いを馳せるであろう。このような教育こそ、いま求められていると私は考える。



宗教に親しみ、あるがままの自分を受け容れられるようになった人は、苦しみを受け容れることができる。とく

に老いの苦しみは、言葉ではいいあらわせないような寂しさと苦しさを伴う。このようなときに、あるがままの自分

を受け容れる修行をつんでおくことは、これからの社会にとって、ぜひとも必要なことであると思う。この本とDVD

が、日本人の心を養うために少しでも役立てば幸いである。



本書の製作にあたって、小学館の沢田芳明氏、NHKの千田創氏にたいへんお世話になった。心から感謝申し

上げる。



2006年3月

 

 



命と原子力共存できぬ

~ 3・11からの再生 ~生命科学者 柳澤桂子

Aloe*Wing 命と原子力共存できぬ ~ 3・11からの再生 ~ 生命科学者 柳澤桂子 から引用しました。



これまで命や環境に関する本を50冊余り出しました。そろそろ執筆がつらくなり、人生最後の本のつもりで、

地球温暖化と原子力発電の恐ろしさについて書きました。その原稿を仕上げて整理をしていた3月11日、

福島第一原発事故が起きてしまいました。



最初に強調したいのは、わたしたち生物と原子力は、共存できないということです。生物は40億年前に誕生

し、DNAを子どもに受け渡しながら進化してきました。



DNAは細胞の中にある細い糸のような分子で、生物の体を作る情報が書かれています。わたしたちヒトの

細胞は、DNAを通じて40億年分の情報を受け継いでいます。DNAは通常、規則正しくぐるぐる巻.きになって

短くなり、染色体という状態になっています。



生物の生存は誕生以来、宇宙から降り注ぐ放射線と紫外線との闘いでした。放射線も紫外線もDNAを切っ

たり傷をつけたりして、体を作る情報を乱してしまうからです。



一方、細胞にはDNAについた傷を治す「修復酵素」が備わっています。ヒトの修復酵素は機械のように複雑

な働きをします。しかし、大量の放射線にさらされると、酵素でも傷を修復できず、死に至ることがあります。



ヒトが短時間に全身に放射能を浴びたときの致死量は6シーベルトとされ、短時間に1シーベルト以上浴びると、

吐き気、だるさ、血液の異常などの症状が表れます。こうした放射線障害を急性障箸といいます。しかし0.25

シーベルト以下だと、目に見える変化は表れず、血液の急性の変化も見られません。



ところが、そうした場合でも細胞を顕微鏡で調べてみると、染色体が切れたり、異常にくっついたりしている

ことがあります。また、顕微鏡で見ても分からないような傷がつき、その結果、細胞が分裂停止命令を無視

して、分裂が止まらなくなることがあります。



それが細胞のがん化です。がんは、急性障害がなくても、ずっと低い線量で発症する可能性があるのです。

しかも、がんは、進行して見えるようにならないと検出できませんから、発見まで5年、10年と長い時問がか

かります。いま日本人の2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで亡くなります。なぜこんなに多いのか。



わたしは、アメリカの核実験やチェルノブイリ原発事故などで飛散した放射性物質が一因ではないかと疑っ

ていますが、本当にそうなのかそうでないかは、分かりません。この分からないということが怖いのです。さら

に、放射線の影響は、細胞が分裂している時ほど受けやすいことも指摘しておかなければなりません。



ぐるぐる巻きになっているDNAは、細胞分裂の時にほどけて、正確なコピーを作ります。糸を切る場合、ぐる

ぐる巻きの糸より、ほどげた細い糸の方が切れやすいでしょう?胎児や子どもにとって放射能が怖いのは、

大人よりも細胞分裂がずっと活発で、DNAが糸の状態になっている時間が長いためです。



わたしは研究者時代、先天性異常を研究し、放射線をマウスにあてて異常個体をつくっていたので、放射能

の危険性はよく知っていました。1986年、チェルノブイリ原発事故が起きた時、わたしはいったい誰が悪いの

だろうと考えました。原子力を発見した科学者か。原子力発電所を考案した人か。それを使おうとした電力

会社か。それを許可した国なのか。



いろいろ考えて、実はわたしが一番悪いのだと気付きました。放射能の怖さを知っていたのに、何もしてい

なかった。



そこで88年、生物にとって放射能がいかに恐ろしいかを訴えるため、「いのちと放射能」(ちくま文塵)を書き

ました。原発がなせダメなのか。第一に、事故の起こらない原発はないからです。安全性をもっと高めれば

よいという人がいますが、日本の原発も絶対に事故は起こらないといわれていました。福島の事故で身に

しみたはずです。



第二に、高レベル放射性廃棄物を子孫に押しつけているからです。処理方法も分からない放射能のごみを

残して、この世を去る。とても恥ずかしいことです。10年もしたら、みんな福島のことを忘れてしまうのではな

いかと心配です。



原発がないと困る人はたくさんいます。政治家は電力会社から献金を受け、テレビ局や新聞社は電力会社

の広告を流しています。原発は地元の町や村に雇用を生み、交付金などで自治体財政を潤します。それら

は生産すること、お金をもうけることです。いくらもうけても、原発事故で日本に住めなぐなったら何にもなら

ない。どうして政治家が気付かないのか不思議です。わたし一人の力は小さく、原発はなくなりません。



「福島のために何かしたい」とおっしゃる方はたくさんいます。ただ、福島産の物を買ってあげるとか、そうい

うことでしょうか。「自分」というものを考えてみる。生命とは何かをしっかり考えてみる。



そういう、根本的なことが大事な気がしています。それが福島のためであり、子孫のためになると思います。

繰り返します。生物と原子力は共存できません。原発は絶対にやめるべきです。



(聞き手 細川智子 道新11.8.29.)




美に共鳴しあう生命






2012年3月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

写真は「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」柳澤桂子著より引用



私が尊敬する人で仏教にひかれている人は多い。宮沢賢治、哲学者の梅原猛さん、生命科学者

の柳澤桂子さんなどがそうである。



しかし葬式仏教の姿や住職が高級外車に乗り、ロレックスの金時計などしているのを見ると、本来

の仏教とはかけ離れたものになっているのではないかと感じていた。



ただ、前の投稿にも書いたが職場の同僚が高野山に出家したときから、仏教にたいしての自分の

無知がいろいろな偏見に繋がっているのではないかと思うようになっていた。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者だったが、原因不明の病気で36年もの間苦しみ自殺も考

えたという。しかし彼女が一般の人向きに書かれた遺伝子に関する本は高い評価を受ける。そん

な彼女が書いた「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」は、自身が研究してきた遺伝子という科学の

視点、そして何より闘病の苦しみの中から般若心経を自分の視点で捉えなおしたものだった。



何か日本人として遅すぎはしたが、ブッダのことをもっと知らなければならないと感じている。



☆☆☆☆



私たちは生まれながらにして、仏性、神性を善とする考えをもっていると思います。



私たちの意識の進化の方向は、他人をたいせつにする方向に向いているのです。



あるいは、自己本位であることが、私たちの本来の性格であると思うこともあるかもしれませんが、

私たちは、自己中心性を超越して、他人のために尽くすことに喜びを感じるよう成熟しつつあるの

だと私は思っています。



そのような視点から見て、これから人間たちの前途に大きく立ちふさがるのは、科学のまちがった

使い方です。



人間のつくったホルモン作用攪乱物質や放射能によって、私たちの地球は汚染され、生物が住め

ないような状態になってしまうかもしれません。



子孫が、そのようなことで苦しまないように、われわれは全力を尽くすべきです。



地球上のどこにも闘いのない、思いやりに満ちた人間社会をつくることができるよう願っております。



「永遠のなかに生きる」柳澤桂子著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2013年1月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(写真は他のサイトより引用)



1991年に刊行された柳澤さんの「意識の進化とDNA」を最近読みました。2004年に生命科学者としての

視点を踏まえながら般若心経に迫った「生きて死ぬ智慧」は注目を集めましたが、土台はその十数年前

に芽生えていたのですね。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者でしたが、その後原因不明の病気で、36年間闘病生活を強いら

れます。生命科学者としての目、そして自殺も考えた心の痛み、この2つが彼女の死生観の根底にある

と思います。



「意識の進化とDNA」は彼女の専門分野の遺伝子に限らず、心理学、哲学、芸術などの底流にある関連

性について、二人の男女の会話を通して小説風に書かれた読みやすい本です。



彼女は言います。「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己である」と。そして意識の進化は「自己を否定

して、宇宙と一体になる。これが“悟り”すなわち宗教の世界である」と考えます。



私自身、“悟り”がどのようなものかわかりませんが、彼女の言う意識の進化は、必ずしも生命に多くの美

を宿すことにつながっていないような気がします。



私たち日本人の基層として位置づけられるアイヌの人々、彼らは縄文時代の世界観を受け継いだ人々

でした。果たして昔のアイヌの人々と現代人、どちらが多くの美を宿しているのでしょう。



美、あるいは美を感じる心とは何でしょう。それは、私と他者(物)との「へだたり」への暗黙の、そして完全

な同意から産まれるものと感じますし、「純粋に愛することは、へだたりへの同意である」と言うヴェイユ

眼差しに共鳴してしまいます。



動物や植物、太陽や月、天の川と星ぼしたち。



現代の私たちは科学の進歩により、この「へだたり」を狭くしてきました。しかし、その一方で峡谷は逆に深

くなり、底が見えなくなっているのかも知れません。それはこの世界の混沌とした状況によく似ています。



世界屈指の古人類学者のアルスアガは、「死の自覚」が今から40万~35万年前のヒト族(現生人類では

ありません)に芽生えたと推察していますが、「死」という隔たりを自覚したヒト属にどんな美が宿っていた

のでしょう。



私は星を見るとき、あの星団はネアンデルターレンシスが生きていた時代に船出した光、あの星は大好き

な上杉謙信が生きていた時代、などと時々思い浮かべながら見るのが好きです。



そこで感じるのは、柳澤さんが問いかけている「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己」に近い不思議な

感覚でした。



意識の進化にはいろいろ議論はあるかも知れませんが、柳澤さんの眼差しには宇宙創世からの大きな時

の流れそのものを感じてなりませんでした。






柳澤桂子 | 話題の本 | 書籍案内 | 草思社 より画像引用


「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」文・柳澤桂子 画・堀文子 英訳・リービ英雄 小学館

「いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる」柳澤桂子著 小学館

「われわれはなぜ死ぬのか 死の生命科学」柳澤桂子著 草思社

「柳澤桂子 いのちのことば」柳澤桂子著 集英社

「永遠のなかに生きる」柳澤桂子著 集英社

「意識の進化とDNA」柳澤桂子著 集英社


柳澤桂子さんのホームページ 「柳澤桂子 いのちの窓」

心に響く言葉(2011年7月3日)・柳澤桂子(生命科学者)の言葉


美に共鳴しあう生命







夜明けの詩(厚木市からの光景)

美に共鳴しあう生命

祈りの散文詩集

神を待ちのぞむ(トップページ)

天空の果実

ブッダ(仏陀)


美に共鳴しあう生命