
「古都アッシジと聖フランシスコ」
小川国夫・文 菅井日人・写真 講談社




著者のとても素朴な感性から紡ぎ出される聖フランシスコへの想いには、静かな共感と
感動さえ覚えてしまう。また写真は「聖フランシスコの世界」でもその美しい映像を撮った
カトリックの写真家・菅井日人氏によるものであり、小川国夫氏の文と共にアッシジの祈
りに満ちた世界に読者をひきこむだろう。尚、この文献は1985年に刊行されたものだ
が、新たに装幀され出版されたものである。
(K.K)

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に登って行った時のことでした。空が一転にわかに暗くなり、嵐になりました。非難するため、 聖フランシスコの隠遁した岩の洞穴に入って祈ったり暗い中のローソクの明かりで撮ったり していました。外はみぞれまじりの大雨で仕方なく聖堂に、また行ってみました。正面祭壇の 一段も二段も高いところに美しい聖母像だけが見えました。聖母像の箱の中に明かりがつい ていたので、何とか三脚なしにカメラを手で固定して撮ろうとしていました。聖堂内はほとん ど真暗な状態でしたので私は聖母像だけに集中していました。と突然、私が向っている暗 がりの左側の小窓に黄金色の光が当たっていました。その明るい光は背後から照らして 聖フランシスコの像を浮かび上がらせたのです。びっくりしました。それまで聖母像だけで 聖フランシスコの像に全く気付いてませんでしたから、考えると、あるべき太陽は嵐の中で すし、私のうしろにあるはずがなくきっと急に太陽がでて、光線が岩に反射しているのでしょ う。聖堂内は私一人で、もう音一つなく神秘的な空気がただよっていました。ここに神様が いると感じて、鳥肌が体中に立ちました。その後ひざまずき祈りながら、聖母マリアと聖フ ランシスコを二つ一緒に撮ることに成功しました。聖堂の外に出ると、思った通り、今まで の嵐はうそのように静まり、雨水の流れた岩山に一本の大きな木の十字架が立ってい て、雲一つなく澄みきった青空に、美しい夕日が輝いていました。まるでその夕日は沈み ゆく前に、もう一度すべての光を惜しみなく注ぐかのように、キリストに最も近く生きた、 聖フランシスコを讃えているかのように見え、先程の洞穴での祈りと、不思議な聖堂で の祈りの答えだったのかも知れません。その夜、再びみぞれが降りさまざまの感動と ともに頭はさえわたり、一晩中、寒さの中で眠ることすら惜しかったのでした。神は何と 偉大で恵み深いのでしょうか。神の姿にもっとも似せて造られた人間とは、一体何もの なのでしょうか。人間の生きる価値として一番大切なものは何なのでしょうか。アッシジ の聖フランシスコのように、富も名誉も財産も捨て、貧しくとびきり豊かな心を持って生 きることができないものでしょうか。「天に宝をつみなさい、あなたの宝のあるところに、 あなたの心もあるのだから。そこでは虫もくわないし、また盗人もいない」。言葉という のは言うにやすく実行にむずかしいことですが、写真という小さな仕事を一つ一つ大切 にやりとげます。どうか聖フランシスコの精神が私の中で生きつづけ、平和の道具とし てあなたに使っていただけるなら、こんなに幸せなことはありません。 (菅井日人・・・・本書「心のふる里」より引用)
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キリスト教のルネッサンス・・・・小川国夫 (本書より引用)
り硬直に陥ったりしていました。鋭敏なフランシスコは、だからこそ、イエスと自分、聖書 と自分の直接な結びつきにあこがれたのです。キリスト教のルネッサンスを求めたとも いえます。やがて十五世紀に盛りあがるエラスムスやダ・ヴィンチのルネッサンスも、こ のフランシスコの運動とは無縁ではありません。それもまた、キリスト教精神に対する反 逆などではなくて、本来キリスト教に包含されている豊かな人間の観念を解き放つところ から始まったのです。この意味で、フランシスコの出現は黎明でした。フランシスコは大 物ですから、見極めのつかないような要素をたくさん持っていて、中には、甚だしい矛盾 と思える考え方が一人の中に包みこまれています。破滅を求めているのか創造を求め ているのか、判断に迷うような言葉もあります。しかし、この矛盾のゆえに人間味を、そ の大きなスケールを感じさせます。合理的な人よりもはるかに魅惑的なのです。私が 最初にアッシジに行った時には二八歳でしたし、フランシスコについて何も知りません でした。今よりも知りませんでした。彼のことを思っても、優しく寛容な人柄が感じられ るだけで、アッシジの空気をそのまま彼の雰囲気のように思いこんで浸っていただけ でした。しかし、それだけのことが忘れられないのです。だれにも語りかけ、感化し、 決して裏切らない人物がここにいると漠然と思っていただけでした。
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自然を讃美する・・・・小川国夫 (本書より引用)
いるが、これとて自分で手に入れたものだ。ところがあなたたちの衣服は自分で心配した ものではない。あなたたちは透明な声で鳴くが、それもまたいい声になろうとしてなったわ けではなく、神様がくださったものだ、素直なあなたたちには、大きな恵みがある。フラン シスコにとって、聖書の言葉はそのまま実感でした。自然を自分の見方で見て、詩にしま したから、素朴な人々に影響を与えました。後世のアッシジの信心詣りは、そこへ行って 自然を讃美するということでもありました。別にむつかしいことを考えなくてもいい、フラン シスコ的な自然のふところに抱かれようということでした。フランシスコが文学者として、 信仰と関係なく、高く評価されるのは、ウンブリアの自然に対して決定的な見方を創り 出したからです。わが日本でも、山川草木花鳥風月を万葉集ではどう詠ったか、芭蕉 はどう詠ったかを知ることによって、われわれの自然を見る眼は深まってきましたし、 遂にはそれが決定的なものになったのです。この比較で申しますと、われらの古典の 詩人たちが、清らかさから始まって、わび、さびなど諦念を感じさせるのに対して、フラ ンシスコのそれは、ひらすら自然を讃える喜びの歌の感が強く、ダイナミックな情感に あふれているように思えます。
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地図 心のふるさと・・・・菅井日人
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