「聖クララ伝 沈黙と記憶のはざまで」 マルコ・バルトリ著 を参照されたし








「聖フランシスコとその時代」ベラルド・ロッシ著 より引用


クララの生活はその名のとおり、周囲を輝きで魅了していました。彼女は神の摂理による

ものでしたし、やがて現れることになるもう一人の傑出した女性もそうでした。それはフラン

シスコの生活の中で霊的な意味でも相互補完的な意味があり、貴重なもので、霊感の源

でもありました。彼女らはフランシスコたちの心理に均衡を与え、理想に向けての励ましと

もなりました。


クララは甘美で気高いキリスト教の理想を実現しました。それは彼女の人格に強く根ざし、

修道院を襲おうとしたサラセンの軍隊にも勇敢に向かっていくほどでしたし、フランシスコと

クララを一致させていた「至高の貧しさ」という理想を緩和するように諭した教皇に対しても

毅然とした態度で立ち向かわせました。また、クララはフランシスコにとってこの上ない良き

協力者でもありました。クララは、サン・ダミアーノ聖堂での隠れた生活の中にありながら、

世界を祖国として選び、当時知られていた地の果て(エジプトからスペイン)にまでも行き、

ハンセン病患者から王、教皇からイスラム教徒、物ごいからスルタンに至るまで社会のあ

らゆる階層を知りたいと願っていたフランシスコに貴重な助言を与えています。


アシジのクララについては、フランシスコの生活とのかかわりに沿った範囲でしか話すことが

できません。しかしながら、ここで、教皇ピオ12世が1958年2月14日にクララをテレビの保護

の聖人にしたことを思い起こすのは有益だと思われます。実際、彼女の『列聖記録』と『伝記』

にあるとおり、聖クララは死の前年(1252年)に、サン・ダミアーノ修道院において病の床にあ

り、起き上がることができませんでした。降誕祭前夜、姉妹たちは聖務日祷のため小聖堂へ

行く前にクララにあいさつをしに来ました。一人部屋に残ったクララは寂しさに襲われます。そ

して涙ながらに祈ります。「主よ、なぜわたしは姉妹たちと一緒に祈り、降誕祭を共に喜び祝う

ことができないのでしょうか」。主はそれに大いなる奇跡をもって答えられます。クララは歓喜

のうちに自分の敬愛する師父の近くにいたのです。しかも、その周りではアシジの兄弟たち

や市長や多くの人々が降誕祭の深夜ミサにあずかっていました。それは彼女の寝ている横

の壁があたかも映画のスクリーンのようになってリアルタイムで、教会において今まさに行わ

れていることを見聞きしたのでした。祈り、かつ歌っている兄弟たちの姿や聖堂に飾られてい

る馬小屋、ろうそくの光に照らされた人々の喜びと感動に満ちた顔、香をくゆらせながら黄金

色の祭服をまとって祭壇でミサをささげる司祭などを見ることができたのです。そして司祭が、

「ミサ聖祭を終わります。行きましょう、主の平和のうちに」と言うと、壁は元のように暗くなった

のでした。


クララは聖人でしたが、その心と感受性において真の女性でもありました。フランシスコの姿が

人々に親しみのあるものになり、絵画を通して定着したものになったのに対して、クララの絵画

はごくわずかで、あまり人々の注意を引きませんでした。しかし、アシジのクララ会修道院には

クララがプルチウンクラ聖堂でばっさり切った髪の毛が今日に至るまで保存されています。波

打つ金髪の束はクララの穏やかな女性像と霊的深さをほうふつさせてくれます。


 


聖フランシスコと共にアッシジに生きた聖女クララの遺体。

死後740年近くたったが、その遺体は空気に触れて黒くなり

ミイラ化しているが腐敗は免れている。聖フランシスコの精神

を最も体現した人として知られ、神によって強く結ばれた二人

の心の軌跡にはこの世とも思われぬ芳香が満ち満ちている。

後年、この二人の関係を邪推する本が出版されたが、この

聖クララの奇跡としかいいようがない腐敗しない遺体は、二人

の真実の姿を雄弁に語りかけている。

(K.K)


「聖女クララ」 舟越保武 作 成川美術館(箱根)







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