「フランシスコ アシジの聖なる人」

カトリック映画演劇連盟出版部

フランシスコ会(日本管区本部)協力







1980年にアメリカで発行された漫画で辿る聖フランシスコの物語を翻訳したもの

ですが、子どもでも読むことが出来、なおかつ格調高さを感じるものです。

(K.K)








ところで、学問はこれまで、主に僧籍(司教・司祭・修道僧)や貴族たちの間で盛んでし

たが、これからはこの新しい都市生活者、つまり商工業者の中に根をおろすようにな

ります。これが新しいインテリの誕生であり、当時の大学の興隆と結びつきました。こ

のインテリたちにキリスト教を教えることは、当時の司祭にとっても大変なことでした。

なぜなら、牧者よりも羊の方が知識においてまさるということにもなりかねなかったの

で。それまで学問のなかった人びとが、ここにきて聖書に親しみ、それを理解し、そし

て他の人びとに教えようとする気運が高まってくるのは当然の成行きでした。やがて

商工業が盛んな地方で、キリスト教を再宣教する運動が始まりました。この宗教運動

は、またたく間に南フランスや北イタリアで広がりました。そして、この運動のリーダー

たちは司祭ではなく、アマチュアとも言える商人たちが主でした。この人びとは聖書

を読む中に、キリストの貧しい生き方に感動し、キリストの教えを広める使徒たちの

生き方も、その貧しさにあったことに気がつくと、自分たちの宗教運動を「使徒的・

福音的運動」と呼ぶようになり、世間の人たちもこれに同調し、かなりの人がこれに

参加しました。ところで、聖フランシスコの生活の仕方も、外から見るかぎりでは、

このキリストの教会の改革しようとする人びとの運動とはさほどちがいはありません

でした。とすると、両者のちがいはどこにあったのでしょう。フランシスコの場合、彼

は自分を小さき兄弟とみとめることで、物質的には所有物を一切もたず、清貧の生

活に徹し、精神的には謙遜をきわみまで推しすすめました。ところが、改革を自負す

る人びとは、自分たちだけが清貧を完全に守り、しかも福音的に生きていると誇り、

それによって有産階級や教会と世俗の権威を否定する方向に走り出したのです。そ

して最後には、教会とその権威、とくに教皇や司教の権威を認めないところまでいっ

てしまいました。これに反してフランシスコの場合は、この両者に絶対の服従を誓い、

教会を自分たちの最愛の母として仰ぎ、これに奉仕するのを最終の目的としました。

たしかにこの当時、教会の内部は腐敗し、その士気はゆるんでいました。と言うの

も、彼らが世俗の影響をあまりにも受けすぎていたからです。教皇や司教の住まい

はまるで王侯の宮殿か館のようになり、修道院も土地や財産(その大半は寄進され

たものでしたが)を抱えこんで、生活も華美に流れ、福音の言う貧しさは見当たらな

いありさまでした。前に述べた福音運動家たちは、そこを激しく攻撃したのです。と

ころが、フランシスコはこの教会の権威たちをキリストの代理者として尊敬し、彼ら

の生活の改善を辛らつなことばや鋭い舌によらず、むしろ祈りと自らの苦行で神に

代願したのでした。この柔和で謙遜な小さき兄弟たちの生き方は、地上の平和と

キリスト者の一致に大きく貢献しました。あの運動家たちによって引き起こされた社

会の反目と、教会分裂のもくろみは、やがて人びとからうとまれるところとなり、この

運動もしだいに衰え消えてゆきました。ヨーロッパの内と外で、またキリスト教の内部

でさまざまな激しい動きがありましたが、フランシスコはそのようなことにはわずらわ

されることなく、ひたすらキリストの福音を世に広めることに専念しました。彼の場合

は、理論よりも実践を尊びました。このことは、彼の回心の時にすでに兆したもので

した。人びとをキリストのもとに導くためには、まず自分がキリストと同じくなる必要

があるというのが、彼の信念でした。そこでキリストと同じように祈り、断食し、また

苦行と徹夜に励みました。彼の説教は、以上のことをほんとうに実行したものだけ

ができる、説得力と人びとを回心に向わせる力をもっていました。


本書「聖フランシスコとその時代」石井健吾神父 より引用


 







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