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序文
東京大司教 白柳誠一
アシジの聖フランシスコの時代は、商業が盛んになり、人々は物質的豊かさを享受していたと
聞いております。そうした中にあって、神の摂理はフランシスコを全くの貧しさに召されたのでし
た。人々から見放され、あざけられることを最高の喜びとし、何も所有せず、ひたすら愛と平和
を説き、太陽も小川もすべてを友として自然のうちに生きたフランシスコ。その精神は今日にも
深い意義をもつものといえましょう。
現代の日本を見るのに、物質文明ははなばなしく、人々は平和を謳歌しております。しかしそこ
には同時に人間性の無視、自然破壊、愛の不毛、さまざまな欲望があるわけで、フランシスコの
精神にほど遠いものがあります。
このたび、フランシスコ生誕800年を記念して、菅井日人氏の写真集「聖フランシスコはいま」が
公刊されることになりました。今の物質的には豊かな、しかし迷える日本が正しい道を進んで行く
ためには、もう一度フランシスコの精神を考え直さなくてはならないと思います。これを映像をもっ
て示された著者のご努力に、心からの敬意をはらいます。
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フランシスコとクララ
小さき兄弟たち
日本カトリック管区長協議会会長 佐藤啓一
イタリアには、数多くの霊場がある。その中で群を抜いているのは、もちろんローマである。
次に言われれば、むろんアシジを上げる。理由は、説明するまでもなく、この町が13世紀に生
んだ不世出の二人の聖人、フランシスコとクララのためである。
アジアの西端イスラエルに生まれたキリスト教が、グレコ・ローマンの世界で育ち、1200年の
歳月を経て、当時の社会を代表する二つの階層(貴族と町民)から出た、この二人の男女に
よってヨーロッパ独自の聖性、すなわち福音的・使徒的生活と清貧の実戦という、真にキリス
ト教的な大輪の花を開かせたのである。
花といえば、フローレンスと呼ばれたあの15世紀イタリア・ルネッサンスの巨人たちを輩出さ
せたトスカーナの町を思い起こす。歴史をひもとく時、このトスカーナとフローレンスが確かに
芸術と学問を育てる環境をもっていたことがわかる。
ひるがえってアシジを考える時、その環境、つまりウンブリアの大自然は、フランシスコと彼
の後につづく小さき兄弟たちという、13世紀の中世キリスト教界のみならず、現代にまで世界
的に影響を及ぼす霊性の巨人たちを生み育てる素地をもっていたことも、また確かである。
不肖私も、役目柄一度ならずこの地に杖をひき、数旬を過ごす機会をもったが、その折感じ
たことは、訪れる だれをも ひきつけずにはおかない大自然の美しさ、すばらしさであり、こ
の環境にして始めて、フランシスコ的人物や精神が生まれ育つことができるということである。
さてこの度、菅井日人氏が聖フランシスコの生誕800年を記念して、ファインダーを通し、今日
のアシジを映像にする中で、在りし日のフランシスコの姿を浮かび上がらせる、写真集の発刊
を知り、小さき兄弟の一人として、この美しい映像によって一人でも多くの方が、フランシスコと
アシジを知っていただくことを念願しつつ、おの快挙のお祝いの言葉に代えさせていただくもの
である。
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聖フランシスコ生誕八百年記念出版に寄せて
コンベンツァル・聖フランシスコ会 日本管区長 橋口佐五衛門
“聖フランシスコ生誕八百年”といってもほとんどの日本人には関係のないことかもしれない。
しかし、それだからこそ、本書の意味は大きいと思うのである。八百年前のフランシスコは、
どんな場所で生活したのか、どんな自然を愛したのか、は本書によって想像することができ
る。フランシスコがどんな人で、何をめざして生きたか、を知れば知るほど、フランシスコを好
きになる人は多いと思う。
フランシスコを生み、育てた町アシジの風物は、八百年前も今も、ほとんど変わりがないとい
われる。兄弟である太陽、姉妹なる月、と自然をこよなく愛したフランシスコは、今日かまびす
しい自然保護運動の、さしずめ、先駆者といってよいだろう。また、貧しい人たちやライ患者
に手を差し伸べたフランシスコは、今はやりのボランティア運動の先駆けともいえよう。
本書の特色の一つは、アシジのバジリカ(大聖堂)の壁画が納められていることである。ジオッ
トの壁画が、これほど多数、まとめて、カラーで紹介されるのは、日本では、おそらく初めてで
はなかろうか。しかも、壁画の一点、一点には、石井神父さまの、行きとどいた解説もほどこさ
れているのもいい。
海外旅行者の大部分が、花の都・パリ、ロンドン、ローマ、といった大都市を回るが、アシジ
のような田舎町に、足をとめる日本人は少ない。最も、日本からアシジまで足を運べる人は、
そう多くはないだろう。本書はアシジに行かれない人にとっては、格好のアシジ案内書といえ
る。居ながらにして、アシジの旅行気分にひたれるからだある。
菅井日人さんは、洗礼名にフランシスコを持つ、聖フランシスコの大ファンだ。この若いカメラ
マンの情熱が、本書を出発点として、更に、すぐれた作品になっていくことを心から願っている。
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撮影後記
フランシスコ 菅井日人
1979年8月、初めてアシジを訪れた時に受けた深い感動! ウンブリアの美しい自然を通し、
聖フランシスコの愛と平和を感じる写真にしたいという希望でいっぱいになりました。翌1980年
4〜5月、本格的に取材をはじめましたが、その年の春はイタリアにまだ太陽がないという、恵
まれない時でした。
長かった冬が終わり雲間から待ちにまった強い太陽がさしこむと、今まで冷たくて長雨で、すさ
んでいた私の心が一気に吹き飛んでしまいました。喜びで力の続くかぎり、気違いのように野山
をかけめぐり、町や教会や修道院のすみずみと春の訪れをともに喜ぶ人々の姿を夢中で撮っ
ていました。
同年秋10月4日の聖フランシスコの祝日の後も自分自身の霊性を深めるたまにラベルナ山や
アシジにとどまり、祈りと共に撮ることをおぼえました。太陽の歌と平和の祈りを思い浮かべ、
聖フランシスコの足跡をたどればたどるほど写真を撮る作業を通して苦しむことは、いつか本当
の喜びを知ることができると確信し、聖フランシスコを通し、キリストを通じて神を身近に感じるこ
とができたのです。この不思議な神への祈りの自己の意識体験をくりかえすうちに、私たちの住
む現代社会は、あまりにも物質のみにとらえられがちで、自分あるいは自分たちだけ幸福にな
ればと思う人も多いということに気がついたのです。私の写真を通して、いくらかでもこの聖フラ
ンシスコの清貧、愛と平和が私たちの心に問いかけてくれるよう祈りつつ。
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