「アッシジの修道院」

世界の聖域14 講談社








聖フランシスコおよび修道院のことを、かなり詳しく豊富な写真とともに紹介する。

(K.K)








本書「聖フランチェスコの悲願」下村寅太郎 より抜粋。


しかし、フランチェスコの兄弟団においては、貧困そのものが理想であり目的であり、これに

よって「キリストの模倣」を実践することであったから、絶対的必須のものであった。しかし貧困

はいかにして、何故に、しかく重要なものとして要求されるのであるか。所有は、物をもつこと

は、物に頼ること、物に依存することである。無一物になることは無力になることである。頼る

べき何ものもないことである。真に貧しく、真に卑しい者になることである。しかしそれによって

彼には一切のものが「与えられた」もの、「賜物」になる。すべてのものが恩寵となる。乞食をし

施しを受けるのは神から受けるのである。真の無所有は神の外に頼るもののないこと、一切の

ものから開放されて神に絶対的に憑依することである。その故に貧困生活が宗教的生活にな

る。単に内心においてするのでなく、「実例」において生きること、実証することである。一切を

捨てることによって、一切のものが「与えられたもの」になり、一切のものと兄弟となり姉妹と

なる。「兄弟なる太陽」、「兄弟なる風」、水、火、大地、すべてわが兄弟、わが姉妹となる。

フランチェスコは最後に「死」をも「わが姉妹」と呼んで太陽讃歌に加えた。死をも否まず、これ

を悦び迎えた。「聖者は歌いながら死を迎えた」と伝記者は記している。フランチェスコの「太

陽の讃歌」は貧困無所有によって享受した歓喜と感謝の讃歌である。しばしばロマンチック

な詩、自然美の発見、汎神論的自然観、ルネッサンスの先駆等々と解釈されるが、それは

単に歌詞からの極めて表面的な解釈にすぎない。この讃歌の歌われたフランチェスコの境位

は、到底このような解釈を容れるものではない。フランチェスコは43歳で死ぬのであるが、

その2年前、アルヴェルナの山中で、40日間の断食をして、「聖痕」(スティグマ)---

キリストと同じ両手両足脇腹の傷---を受け、歩行も出来ず驢馬に乗って、気息奄々として

アッシジに辿りつき、芝の小屋に病弱の身をよこたえた。すでに殆ど盲目になり、野鼠が顔

の上を跳梁して、眠ることも祈ることも出来ない病苦の裡から、死を前にして歌い上げられ

た文字通り「深淵からの」頌歌が太陽の讃歌である。苦痛を耐え忍ぶのは道徳であって、

苦痛を歓喜とすることが真の宗教である(W・ジェームス)。本来のフランチェスコは、沈思瞑

想の聖者でなく、敏感多感の詩人型の聖者であり、感動が直ちに歌となるような天性の人

であり、「キリスト教トルバドール」と称せられる性格の人であったが、しかし「太陽の讃歌」

は不断のこの種のものではない。荘重にして沈痛の調子がある。天上と地上の一切の被

造物が荘重に歓喜をもって列記され、これに対する同胞的親愛感が表白され、宇宙詩が

叙情詩化されている。宗教的恍惚が宇宙的規模にまで昂っている。徹底した貧困無一物

の底で、失明---光まで貧困の中---で、光が讃美され、光の恩寵が歌われているので

ある。これをこそ宗教詩と呼ぶべきであろう。キリストと同じように「聖痕」を受けたことも、

「キリストの模倣」の最後の徹底ではなかったか。これを「奇跡」とするか、フランチェスコ

自身による「模倣」とするかは解釈の問題である。・・・・・・・・・・・・・・・・・


 


目次

序・・・・柳宗玄

本文・・・・長塚安司

第1章 聖地アッシジの誕生

ウンブリアの山々と平野

古代の遺跡

中世の古き面影

胎動する町


第2章 聖フランチェスコの生涯

その足跡

13世紀の板絵

図像と伝記

肖像


第3章 サン・フランチェスコ聖堂とその美術

聖堂の建立

最初の画家たち

上堂の装飾

14世紀の壁画


第4章 現在の町と信仰

町の隆盛とその後

再生

アッシジの日々


総論・・・・聖フランチェスコの悲願・・・・下村寅太郎

年表

地図

サン・フランチェスコ聖堂

図版目録








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