
「聖地アッシジの対話 聖フランチェスコと明恵上人」
河合隼雄&ヨゼフ・ピタウ
藤原書店 より引用



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本書 はじめに 河合隼雄 より引用
私にとってまったく思いがけない幸運な機会に恵まれ、有難く感謝しているが、 どうしてこのような機会に恵まれたのかを、はじめに紹介しておきたい。本文に あるとおり、私は鎌倉時代の名僧、明恵の『夢記』に惹かれ、書物さえ書いた のだが、その明恵と聖フランチェスコの類似性を指摘する人があった。そこで、 聖フランチェスコの伝記などを読み、なるほどと思うことも多かったが、本格的に 取り組んで一書を書くほどには熟していなかった。ところで、私の『明恵 夢を生 きる』を読んでインスパイアされ、日本舞踊家の西川千麗さんが「阿留辺幾夜宇 和」という舞踊を創作された。公演を見せていただいて私は深く感動したが、「こ れを、アッシジの聖フランチェスコ教会で踊られると素晴らしいことでしょう」と半 ば独り言のように千麗さんに申し上げた。もちろん、私としては実現の可能性を ほとんど考えずに言ったのだったが、何と、千麗さんは、それを実現されることに なった。その経緯も興味深いが省略するとして、千麗さんのアッシジでの公演に 私も参加し、明恵についての解説を語ることになった。その機会をとらえ、藤原書 店の藤原良雄社長とのアレンジでこの対談が実現することになった。ピタウ大司 教は日本に長く居られた方だが、当時はヴァチカン内の要職についておられ、こ のような対談が可能になったことが何だか奇跡のような気さえする。内容は本文 を見ていただくとわかるとおりだが、何しろ日本語で対談できたのも有難く、明恵 と聖フランチェスコのことのみならず、宗教と平和ということについても話し合えた ことは非常に嬉しいことであった。私がかねがね考えている、日本人は西洋近代 に生まれた個人主義を取り入れようとしているが、キリスト教の倫理観を抜きにし てしまって利己主義になるおそれがある、という点で、日本のこともよくご存知の ピタウ大司教様と、つっこんだお話ができて有難いことであった。この問題は、日 本人がよほど真剣に考えねばならないことである、と思っている。世界中に異なっ た宗教を信じる人がいて、その人たちが平和に共存していくためにはどうすればい いのか。この難しい問題に関しても、極めて率直な話し合いをすることができた。こ れらを参考に、日本の皆様が、平和や宗教ということに対する考えを深めて下さる と、まことに幸いである。
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はじめに 河合隼雄 明恵上人の生涯 聖フランチェスコの生涯
第1部 聖フランチェスコと明恵上人 1 夢・自然・女性・・・・明恵 河合隼雄 明恵上人と聖フランチェスコの関心 身体の拒否と捨身 根源に直接向かう姿勢 自然に対する両者の態度 女性との関係と戒律 善妙をめぐる解釈 奇蹟の問題と明恵の合理的精神 2 カトリックの新しい風・・・・聖フランチェスコ ヨゼフ・ピタウ 愛される聖フランチェスコ フランチェスコの現代的意義 信仰体験と学問 神の贈りものとしてのクララ 詩人・聖フランチェスコ 「小さき者」として生きる 教会は「母親」のようであれ 3 戦争の時代のなかで 河合隼雄 ヨゼフ・ピタウ 平和のために働いたフランチェスコ 奇蹟とは何か 「私の姉妹」としての死 フランチェスコの目でみた現代社会
第U部 今、宗教と平和について考える 河合隼雄 ヨゼフ・ピタウ 1 宗教間の対話と協力のために 諸宗教間の対話 国連に正しい力を アッシジにて共に祈る 第二ヴァチカン公会議での決定 地上における平和 祈りとゆるし ヨーロッパの罪を認める イスラム教との対話 対話の構図 2 宗教から倫理へ フランチェスコの精神に倣う 倫理の失われた時代の家庭教育とは 人間はひとりではありえない まず重要なのは「人間としての教育」 宗教から学ぶ日常生活の指針 貧しさの価値と倫理 法律に依存した社会 アッシジに集い、そこから発する
対談を終えて ヨゼフ・ピタウ (附)聖フランチェスコと明恵上人 略年譜 聖フランチェスコ大聖堂で「明恵」を舞う 聖地アッシジでの公演の後に 西川千麗
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