
カール・ラーナー Karl Rahner (1904-1984)
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下書はこの公会議で行なわれた宣言を神学的に読み解くことができる貴重な 文献である。キリスト教を信じていない人びと(他宗教を信仰している、無神論 者)は決して神の「救い」(現世的なものや死後の天国)から離れているもので ないことを宣言した画期的なものである。ただプロテスタントの中でも保守的な 教会ではこの考え方に強く反発している。宗教というフィルターを通して見るの ではなく、そこに立ち、生きている人間を実在として感じること、そのありのまま の重さを受け止めることこそ宗教の原点だと私は思わずにはいられない。大地 に根っこをはり、根っこが地下水に辿りつく、これが宗教が宗教としての真の価 値を持つのではないだろうか。宗教という側面に存在する自己満足や陶酔に 陥ることなく、あるがままの存在を自分の魂に降ろすことこそ求められている のではないだろうか。 2009.7.28
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「人間の未来と神学」
カール・ラーナー 著 稲垣良典 訳
中央新書
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暗黙のキリスト教・・・・これは無記名のキリスト教と言いかえてよい・・・・とは、 義とされ恩寵のうちに生きていながらも、まだはっきりと福音が説かれるのに接し たことがなく、したがっておのれを「キリスト信者」と呼ぶような立場にない人間、 そのような人間の状況を言いあらわすものである。あとで詳しく述べるように、 このような人間が存在することは神学的に疑いようがない。このような状況を 「暗黙のキリスト教」と呼ぶべきかどうかは第二義的な問題である。しかしこのよ うな表現の真に意味するところが理解されたならば、先の問いにたいしてなんの 躊躇もなく肯定の答えを与えることができるであろう。 (中略) つまり公会議は、 正常な大人において、無神論が自覚的にかなり長い期間にわたって(極端な場合 には死にいたるまで)保持されていても、そのことは当の不信仰者が道徳的に罪過 があることを立証するものではない。(中略) 第二に、一般的なキリスト教の原理 からして、われわれは、このような無神論者が神の前において明らかに重大な罪過 を犯している、などと裁く権利を有していないのである。
(中略) しかし、公会議後のこんにち、カトリック司牧神学はもはや、「かたくなな」 無心論者にたいしてさえも、あたかも相手が愚か者か悪漢であるかのような感情 をもって接することはできないのである。むしろまったく新しいアプローチをとって、 公会議にならい(21節)つつ、現代無神論の真の原因はどのようなものかを問わ ねばならない。けだし、知能の不足とか邪悪な心などが原因だ、とわりきってしま うことは、もはやゆるされないからである。 (中略) 「教会憲章」は同じように述 べている(16節)。「神の摂理は自らの罪過によってではなく、いまだに神につい ての明解な認識に到達していないが、神の恩寵のおかげでよい生活を送ろうと努 めている人びと、そのような人びとに救いに必要な援助を、拒みはしないのである」。 ところで救いに必要な援助とは、超自然的信仰であり、義とする恩寵にほかならない。
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まえがき 人間の未来 人間の自己創造 事実と将来 キリスト者の自由と人間の自己決定 人間的自由の新時代を開く自己創造 人間の規範的な本性の問題
希望の神学 無神論と暗黙のキリスト教 キリスト教の未来世界 神学の歴史性 哲学と神学
神学と教導職 現在の神学的状況の分析 教会における神学的指導の諸問題 教導職と神学との間の協力
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「あなたの兄弟とは誰か」
カール・ラーナー著 宮沢みどり訳 中央出版社
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それは去る1984年4月1日のことでした。東京聖クララ会の修道院では、ちょうど その日、四旬節第4主日の典礼にのっとって“Letare Jerusalem”の旋律が、神の 民の遠大な希望を乗せておおらかに歌いあげられていました。そしてそれと共に イエスの復活への新たな期待は、喜びの中にも緊迫感を伴って盛り上がり、会員 たちは心高まる祈りの一日を過ごしておりました。その夕刻、私は、現代世界の 広範な学術の分野に、神学を通して神への愛と隣人への愛を、身を賭して実証さ れたカトリック神学の重鎮、カール・ラーナー師の帰天の報に接したのです。すな わち私はそのときに、この小冊の原著者の死を告げ知らされたのでした。その後、 日ならずして、この偉大な普遍的神学者の生前の並々ならぬ功績に対する称賛と 感謝の表明は、すでに世界の随所にみなぎっております。
修道司祭にして今世紀屈指の神学者、そして敬けんの道における高邁な人士、 カール・ラーナーは、生前からその人物、著作ともに広く世に紹介され、日本にお いてもかなり知られておりました。それですから一観想修道女にすぎない私には、 もはや何の付言するところもないはずです。それにもかかわらず敢えて語らせて 頂くならば、私は次のことを申し述べたいと思います。
それはちょうどこの小冊の翻訳中、そして完了後においても、まだ私の心の奥深く しみ入るように余韻を残している。あのヨハネ福音書の言葉と、その言葉が含みを もつ今の世にもなお具象的な神秘のことについてです。曰く「過ぎ越しの祭りの前 に、イエスはこの世から父のもとに移る時が来たのを知り、この世にいる自分の 人々を愛し、かれらに限りなく愛をお示しになった」と。
往年、西独ミュンスターでのラーナー師との出会いのときから、すなわち1970年以来、 私は師の前に在る自分の微小さの故に、あのキリストに満たされた師の大いなるお心 は、必ずや眼前の私をはるかに越えて、むしろ広く日本の宣教を思い、日本人を、否、 全世界を愛しておられるのだ、という意識を常に保ち続けて参りました。そのために今 春、80歳の長寿を完うされた師に、日本からさきがけて祝詞を申し上げ、その後、最後 のお手紙を拝受し、さらにこの邦訳の原著を私と姉妹のためにも頂きましたときは、思 わず右のヨハネの箇所が脳裏をかすめたのでした。事実、ラーナー師の最後の月日 は、全く不思議にもあの聖書的意味合いのうちに経過致しました。師はイエスのよう な極みまでの愛を「あなたの兄弟とは誰か」と問いつめつつ、愛する現代人に、教会 人に、真正な愛について実存的解答を指し示し続けながら、パスカの祭りに先立つ 去る3月31日、その霊をおん父のみ手に委ねられました。こうしてラーナー師は、 独自に切り開かれた新しい神学をとおして、神の存在を認め得ない暗黒の世で、内 外の分裂にあえぐ現代人を救いつつ、実存遂行の極限においてその神学を全うされ たのでした。
右のようなしだいで、この小冊は遂に、神学者たる師の博愛を証する遺稿の一つと なってしまいました。人も知るごとく学者としての彼の思考方法は、しばしば難解であ るにもかかわらず、人間存在の内から生じる複雑多岐な諸問題を解明する透徹した 論理のその説得力は、彼の教説を根気よく究め続ける人々を、さらには地の面に満 ちみちている神の神秘に少しも気付かず感動できない、現代特有の枯渇した心根を 抱く人々さえも、神への敬虔な信仰へと導かずには置かない、迫力ある過程を歩ませ て下さるものです。
それ故、彼の死に際してオッセルバトーレ・ロマーノ誌は、その秀逸な天与の才に惜しみ ない賛辞を贈ると共に、何よりもまず彼が、「神と教会」を自己の学究と役務の中心に据え ていた、「深い信仰の人」であったことを感銘深く世に伝えました。現教皇ヨハネ・パウロ二世 は、彼の生誕80歳を祝って、そのたゆむことない学術上のはたらきを称賛し、心から祈りの とりなしを約束なさいましたが、それは彼のためにも心暖まることであったと存じます。実に 彼の著作と生涯は、表裏一体のものであったと申せましょう。償い主の十字架より放たれる 救いの神聖な光に強く照らされた師は、その在世中、特に困苦の中にある他者を、解放と 救いに導く感ずべき根本姿勢によって、無数の人々をキリストの道に覚醒させ、また教会人 および修道者の多くを豊かな精神的富で養い育てられました。そのことのためにも人々は、 全き善なる源なる神を賛美してやまないと思います。
なお、主の道において後方の者であります訳者は、及ばずながらもわが修道会の創立者、 聖クララの精神の中心に据えられている「貧しく十字架につけられたイエス」にまねびつつ、 現代教会に則した信仰理解の初歩から、しだいに深化の道を辿って遂行される修道的自己 実現の過程にあって今は在天の信仰の師父ラーナーに、修道者として厚い報恩の心を表明 したいと思います。
すでに神の燃える希望のふところに包まれて逝かれた故人の霊は、生前に現世の学問を とおして展望された高遠な未来の統合体が、その本質を貫く光によっておのずから「永遠」 と刻印される様に接して、主の大いなる喜びに与かられることでしょう。そうです、もはや師 の霊は聖都エルサレムにおける浄福の霊、充溢のいのちそのものへと変容しておられるこ とを確信したいものです。なぜならば、カール・ラーナーの際だって誠実な人生は、キリスト の教会と共に、その教会の信仰において、またその教会の秘跡と恩恵とによって、日常の 最中をひとすじに十字架と復活の主の永遠性に与りつつ旅し続けておられたからです。主の 教会を愛の完成に導かれる唯一の神に賛美と栄光、感謝と誉れが代々ありますように。
1984年6月29日 訳者
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はじめに T 前提となる事柄 神への愛と人間への愛 意向と行為の一致 隣人愛の歴史的形態
U 状況に対応して キリスト教的兄弟愛の新たな状況 相互のコミュニケーションの世界
V 結果として生じる事柄 真の兄弟愛における危険性 兄弟愛の開かれたあり方 兄弟愛のキリスト教的使命 兄弟愛の社会的次元 共同体における兄弟愛 素直に信仰を表明する兄弟愛
W 結語 無私の兄弟愛の神秘
訳者の言葉
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カール・ラーナー古希記念著作選集
「日常と超越 人間の道とその源」
カール・ラーナー著 田淵次男 編 南窓社
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目次
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2012年1月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
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