「ブラック・エルクは語る」

J・G ナイハルト著  阿部珠理監修 宮下嶺夫訳 めるくまーる





私がインディアンの精神文化にひかれるようになった時から、どうしても読みたい

と思い続けた文献があった。ブラック・エルクが語ったこの「終りなき夢と闘い」が

そうである。しかし1973年に出版されたこの文献は既に絶版となり、その後出た

同じ原書の翻訳書「ブラック・エルクは語る」社会思想社も絶版となって久しい。

しかしある古本屋を通してこのブラック・エルクの言葉に触れることが出来た。こ

の聖者ブラック・エルクが9歳のとき見た壮大なヴィジョン、そしてその意味を探る

道程においての白人との闘いと死に絶えようとする部族への深い悲しみ。やがて

ブラック・エルクは多くの肉体的・精神的病を癒す力が自らの中に宿っていること

に気づき、人びとに聖なる輪の中に希望を見させる聖者となってゆくが、その道も

白人の飽くなき欲望のために消え去ろうとしていた。しかし最後にブラック・エルク

の祈りの言葉に偉大なる精霊が応え、聖なる木の根がまだ死んでいないことを

告げる。そしてこの聖なる木を豊かに花咲かせるのは、今この時代を生きている

私たちとその子供たちの手に委ねられているということを、ブラック・エルクはこの

文献を通して彼の夢と希望を私たちに託したのだ。・・・・・・・・幸いにしてこの文献

は2001年7月に「ブラック・エルクは語る」という題で出版された。

(K.K)





本書 解説 阿部珠理(立教大学教授)より引用


彼はメディスンマンの草分け的存在であり、最初に「文字を持った」メディスンマンである。

これまでも断片的に言葉を残したメディスンマンはいたが、「自分の本」を持ったメディスン

マンは彼が初めてだろう。本書は70年代爆発的に売れ、いまでもアメリカの本屋の「癒し」

コーナーから決して消えないロング・セラーを続けている。ことにニュー・エイジャーにとって

彼は教祖であり、癒しのイコンである。本書がきっかけとなって、それ以後あまたのメディ

スンマンが登場し、彼らの「語りの本」が同じ棚にところ狭しと並んでいる。人々は相変わ

らず、地球の救い方や他者との共生の仕方、そしてなによりも不安定な自己存在の救済

を、メディスンマンという他者に求めているのだろう。そんな読者の心持ちが変わって、あ

るいは他の「救世主」を見つけて、それらの多くの本は、そのうち棚から消えてゆくかも知

れない。しかしその中にあって、本書は永遠になくならない唯一の本だろう。なぜならこの

本には、一人の人間の真実と、彼が生きた時代がそのままあるからだ。彼がメディスンマ

ンであったかどうかはもはや関係ない。ここには、一人の人間が生きた時代、彼の民、

家族、友人たちの声、彼の喜び、恐れ、苦悩がありのままにある。たとえば、最初の白人

の頭皮を、まず母に持ち帰る少年ブラック・エルク。きっと母に褒めてもらいたかったに違

いない。母や喜びの声(スー族特有のあげかたがある)をあげ、誇らしげに息子を見ただ

ろう。少し恥ずかしげに目を伏せる少年ブラック・エルク。長じてヨーロッパにゆき、生死の

境をさまようブラック・エルクの魂は、母の元に帰る。同時に母も彼の夢を見る。親子の情

の交わり、家族の絆の強さが、自然と立ち上がってっくる語りである。また彼と彼の友との

交流も生き生きと甦る。ブラック・エルクが話すと、スタンディング・ベアが、ファイア・サンダ

ーが合いの手を入れ、50年以上続く友情を感じさせてくれる。ヴィジョンの意味が分から

ず、といって誰に聞くこともできず一人平原をさまようブラック・エルクの孤独と恐れ、後年

そのヴィジョンの意味を知り、民のために生きる使命を認識しながらも、民を救うことの出

来ない苦悩と苦悶。ラコタの道を生きようとする、実に誠実な一人の人間の姿が、私たち

に語りかけてくるのだ。凍え死ぬほどのカナダの平原で、民を飢餓から救うため食糧の

バッファローを射止めたとき、手と武器が凍てつき、引き離すと手の皮が剥がれる。淡々

と語られているが、皮の剥がれる音すら聞こえそうだ。たかだか15歳の少年が他者のた

めに生きている。民のおかれた悲惨な状況を何とかしようとゴースト・ダンスを決意し、白

人の銃弾を通さない「ゴースト・シャツ」を考案したのも、ブラック・エルクだったことが本書

からわかる。どのエピソードをとってみても、そこには通底する思想がある。それを「輪の

思想」と呼んでもいい。自分も生き、他も生きる思想、自分が生きられなくても他を生かそ

うとする心情、それが説教されるのでなく、態度、生き方で示されている。そういう人間を

産み出すラコタの伝統文化を、私たちはここに見る。ラコタの道の体現を、生きられた思想

をここに見る。そしてそれが同時に、ブラック・エルクの真のメディスンマンたらしめている

所以だろう。


 



阿部珠理(あべ・じゅり) 立教大学社会学部教授


福岡市生まれ。UCLA大学院助手、香蘭女子短期大学助教授を経て、現在

立教大学社会学部教授。アメリカ先住民研究。著書に「アメリカ先住民・民族

再生にむけて」(角川書店)、「アメリカ先住民の精神世界」(日本放送出版協

会)、「みつめあう日本とアメリカ」(編者・南雲堂)、「マイノリティは創造する」

(共著・せりか書房)、「大地の声 アメリカ先住民の知恵のことば」(大修館書

店)、「ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の聖なる言葉」(小学館

新書)、訳書にアメリカ先住民の口承文学をまとめた「セブン・アローズ」(全

3巻 地湧社)、名著「ブラック・エルクは語る」、「文化が衝突するとき」(南雲

堂)、「ビジュアルタイムライン アメリカ・インディアンの歴史」(東洋書林)、論

文に「アメリカ・インディアン・アイデンティティの文化構造」など多数
2011年

にはNHKカルチャーラジオ、歴史再発見で「アメリカ先住民から学ぶ・その

歴史と思想」が放送された。


 


目次

まえがき

第1章 パイプを捧げる

第2章 幼年時代

第3章 大いなるヴィジョン

第4章 バッファロー狩り

第5章 〈兵隊の町〉で

第6章 ハイ・ホースの求婚

第7章 ブラック・ヒルズの白人たち

第8章 〈三つ星〉との戦い

第9章 カスター隊殲滅

第10章 黒い道を歩む

第11章 クレイジー・ホースの最期

第12章 〈グランドマザーの土地〉

第13章 つきまとう恐怖

第14章 ホース・ダンス

第15章 ヴィジョン・クエスト

第16章 ヘヨカの儀式

第17章 初めての癒し

第18章 バッファローの力、エルクの力

第19章 大いなる水を越えて

第20章 魂の旅

第21章 ゴースト・ダンス

第22章 向こうの世界へ

第23章 迫りくる災厄

第24章 ウーンデッド・ニーの虐殺

第25章 夢の終わり


著者あとがき

付録(訳注 解説・阿部珠理 訳者あとがき)





「終りなき夢と闘い あるインディアンの生涯」

ブラック・エルクは語る

J・G ナイハルト著 大島良行訳 合同出版(絶版) より引用






その年の冬はたいへんきびしくて、横になって、目をあけたまま、夜明けをじっと待ち続けて

いる長い夜のようなものだった。今では雷は私にとって親戚と同じようなものだったが、雷が

地におりて、雷たちが姿を消してしまうと、草がその優しい顔を再び地上に現すまで、彼らは

   決して現れなかった。雷がいないと、私は不安でたまらなかったし、私は部族の中では孤独   

だった。人々のほとんどが馬の踊りを見たことがなかったし、私の見たビジョンや、それに

よって私に与えられた力についてはまったく知らなかった。彼らは重苦しく暗い顔をしていた

が、その上、さらに悪いことには、彼らは自分たちが重苦しく暗い顔をしていることに気が

ついていなかった。私は、彼らをこの身に被いかぶさる重荷のように感じたが、私が再び

ビジョンを見たとき、その重荷に愛情を感ずるようになり、部族の人々に憐れみをおぼえる

ようになっていた。そして、いま私は周囲の絶望しきった人々を見ると、泣き叫びたい気持ち

になり、私が見たビジョンがもっと立派な人間に与えられたらよかったと心から残念に思っ

ている。それがどうして私のような、哀れな何もできない老人にあたえられたのか不思議に

思っている。男や女、子どもたちを、私はそのビジョンであたえられた力で病気から救って

やったこともあったが、私の部族を助けることができなかった。もし男や女や子どもたちが

死んだとしても、それはいつまでも大きな意味を持つことはあるまい。なぜなら部族は生き

続けているのだから。ところがいま死にかかっているのは部族のほうで、私のビジョンは

部族のためのものだったが、私はそれを何の役にも立てていないのだ。私が、まだ若かっ

た頃は、からだじゅうに力がみなぎるのを感じて、外の世界の精霊の助けによって、どんな

こともできそうだった。私は先祖たちのために、私の義務を果たす幸先のよい第一歩を踏

み出したが、私には、もっと多くのなすべきことがあり、そのため、冬は夜明けを待つ長い

夜のようだった。草が再び顔をあらわしはじめたとき、私は幸福な気持ちになったが、それ

は雷が地上に来て、私に「いまこそ、お前に課せられた先祖が望む仕事をする時だ」という

のがきこえたからだ。





ヘイオカの儀式のあと、私はウーンディド・ニー・クリークとグラス・クリークのあいだの、

今いる場所に来て住むようになった。ほかの者たちもやって来て、これと同じような小さな

灰色の丸太小屋をつくったが、それは四角なのだ。これは住みにくいが、それは四角の

なかには力がないからだ。すでに気づいているとおもうが、インディアンのすることは何も

かも円でできているが、それは宇宙の力が常に円い形で働いており、すべてのものが円

くなろうとしているからだ。昔、われわれが強くて幸福だったときは、すべての力が国の

聖なる輪から出て来て、その輪がこわされないかぎり部族は繁栄していた。花咲く木がそ

の輪の生きている中心で、そのまわりの輪がその木を養った。東は平和と光をあたえ、南

はあたたかさをあたえ、西は雨をあたえ、北はその寒さと強い風で、力と忍耐を教えてくれ

た。この知識はわれわれの宗教とともに外の世界からわれわれのところへやってきた。

宇宙の力がやることはすべて、円をえがいておこなわれる。空は円いし、地球もボールの

ように円いし、すべての星も円いそうだ。風も最も強く吹くときは、まわって吹きまくる。鳥も

円く巣をつくるが、彼らの宗教もわれわれのと同じものだからだ。太陽も出て来て沈むまで

円をえがいて行く。月も同じだが、両方とも円い。季節でさえも大きな円をえがいて変わっ

て行き、それぞれの季節はかならずもとの所へ戻って来る。人の一生もそうで、子どもの

ときから、子どものときへと円をえがき、力が働くあらゆるものがすべて円をえがいてい

る。私たちのティーピーは鳥の巣のように円くて、しかもそれぞれのティーピーが円の形に

位置している。それは民族の輪や鳥の巣の群れと同じ形で偉大なる精霊がわれわれに

その中で子供たちを育てさせるつもりだったからだ。しかし、ワシチュ(白人)がわれわれを

この四角い箱に押し込んでしまったので、われわれの力がなくなって死にかかっている。

もうわれわれには力が宿らない。われわれの子どものありさまを知っているだろう。昔、

輪の力で暮らしていたころは、男の子は十二か十三で大人になったが、今では、大人に

なるのがずっと遅れてしまっている。




「Black Elk Speaks」 THE DRAMATIC PUBLISHING COMPANY の画像から



ヘーイ・ア・ア・ヘーイ! ヘーイ・ア・ア・ヘーイ! 先祖よ、偉大な精霊よ、もう一度、

地上の私を見て、私の弱った声を身を乗りだして聞きたまえ。あなたは最初に住み、

そしてすべての願いよりも、またすべての祈りよりも古い。二本脚も四本脚も、空の翼

も、地に生えるすべての緑も、すべてあなたのものだ。あなたは四つの方角の力をた

がいに交わらせ、よい道も苦難の道をも交わらせたが、それが交わるところは神聖

だ。日が昇りまた落ちて、来る日も来る日も永遠にあなたは万物の生命だ。だから

偉大な精霊よ、私の先祖よ、私は、宇宙の星や大地の草花、あなたが造られたなに

ものをも忘れずに、あなたに祈るのだ。私がまだ若く望みをもつことができたとき、

あなたは私に、苦難の日に、大地の各々の方角に各一回ずつ四たび祈れ。そうすれ

ば、あなたは私のいうことを聞くだろう、と言った。今日、絶望の淵にある部族のため

に、私はあなたに祈る。あなたは私に聖なる煙管を、私がそれで、あなたに献げもの

をするようにと授けた。今それを、あなたは西からの命の水の茶碗と聖なる弓、生か

す力と破壊する力を私に授けた。あなたは私に、白い巨人の住むところから聖なる風

と薬草 --- 清める力と癒す力 --- を授けた。東からは暁の明星と煙管とを授けた。

そして、南からは民族の聖なる輪と花の咲く木とを授けた。あなたは世界の中心へ私

をつれて行き、唯一の母なる緑に染まる大地の善と美と力とを示し、そこでまた、万物

本来の姿である霊の姿を私に示し、私はそれを見た。あなたは、この聖なる輪の中心

で、私に木に花を咲かせるようにと言った。涙を流しながら、おお偉大な精霊よ、偉大

な精霊よ、私の先祖よ、涙を流しながら私は木に花を咲かせなかったと言わなければ

ならない。私はここに哀れな老人となって立っている。そして、私は衰えてしまった、

何もできなかった。ここは、私の若い日に、あなたが私をつれてきて私に教えた世界

の中心、ここにいま私は年老いて立っている。木は萎れている。先祖よ、私の先祖よ。

いま一度、そして、おそらくこの世では最後に、私はあなたが授けた偉大なビジョンを

思いおこしている。あるいは聖なる木のどれか小さな根がまだ生きているかもしれな

い。もしそうならば、それが葉を出し花を咲かせ、さえずる鳥で満ちあふれるように

なるようにその根を養いたまえ。私のためではなく、私の民のために聞きたまえ。私

は年老いている。聞きたまえ、彼らがまた聖なる輪に立ち帰り、善なる赤い道と、盾と

なる木を見つけることができるように! おお、世界の六つの力よ。悲しみのなかで

わたしは弱々しい声で祈っている。悲しんでいる私の声を聞きたまえ。なぜなら、私は

もう二度と祈らないかも知れないから。おお、なにとぞ、私の部族を生きさせたまえ!





   

「ブラック・エルクは語る」J・G ナイハルト著 彌永 健一訳 社会思想社刊(絶版)訳者あとがきより引用

尚、左の表紙(馬)はシャイアン族の中で育ったエレーヌ・アイアン クラウドが書いたものである。





本書 より引用


「アメリカン・インディアン」というと、少し前までは西部劇の悪役、無知と野蛮の代名詞のように

扱われてきた。彼らアメリカ原住民が、白人植民者たちによって信じ難い程に過酷な扱いを受

け、日本でのアイヌの人民と同じように追い立てられ、数限りない虐殺をされ、差別されてきた

ことを知っている人たちも、この頃では増えて来たようである。しかし、彼らアメリカ原住民たち

にとって、歴史はどのようなものだったか、彼らにとって天地自然と、人々のつながりはどのよ

うなものとしてあったかを、彼ら自身の言葉で表わしたものは数少ない。「ブラック・エルクは語

る」は、単にそのような数少い書物の一つであるのみでなく、苦難の時を生きて来た一人の人

間の魂に映し出された天と地との姿を伝える書物であり、それゆえにこの書物に含まれるメッ

セージの意味は広大であり、かつ深い。数学を仕事とする私にとって科学の含む様々な問題

性は、より全般的な現代文明批判の文脈の中で、重大な課題としてある。連れ合いの光代に

「ブラック・エルクは語る」を訳すことをすすめられ、この書物を読み進むうちに、私は目の前に

爽やかな、光に充ちた世界が開かれてゆくように思った。翻訳にあたっては、北米の草原や

森で若い日々の多くを暮らし、馬や野に住むものたち、そしてアメリカ原住民たちの伝統とも

なじみの深い光代による助言によったところが多い。バック・カバーにあるブラック・エルクの

写真は光代の親愛なる「妹分」モビ・ワレンから送られた「聖なるパイプ(The Sacred Pipe)」(J

・E・ブラウン編・ペンギンブック)から複写された。ブラック・エルクは、一九五〇年八月に八十

七歳の生涯を閉じるまで、本文にあるように波乱に富んだ一生を送った。著者あとがきにある

ように、ブラック・エルクは彼の民人たちが絶望の淵に沈み、くにの輪が壊れてしまった有様を

心にして涙しながら天地の祖父たちに声を上げ、くにの輪の中心である花咲く木がもう一度

生命を取り戻すように祈った。彼の民人たちは、依然として苦難の道を歩んでいる。しかし、

想像を絶するような困難に抗して、彼らのくにの輪は再びつながろうとしている兆しが見られ

る。一九六〇年代初頭から慈善よりも正義を求め、奪われた土地と諸権利を取り戻そうとい

うアメリカ原住民たちの運動が広まり始めた。一九七三年にはウーンデッド・ニーでもと陸軍

基地に使われていた土地を占拠したAIM(アメリカン・インディアン運動)が、新しい波の訪れを

世界に告げ知らせた。AIMは八十余の部族を含む運動体だが、その精神的指導者の一人

クロー・ドッグは、現在二十三年の禁固刑を受けて、テラ・ハット(Terre Haute)連邦刑務所に

囚われている。昨年十一月にクロー・ドッグの八十五歳と七十九歳になる両親の住む家が

不審火によって焼かれた際に、クロー・ドッグは獄中から次のように書いている。「一八九〇

年以来私の民人は大変な目をこうむり続けている。……〔両親の家に〕火をつけた人々は、

AIMが戦斗的組織だと考えるのかも知れない。AIMの目的は戦争ではない。その目指すと

ころは散り散りにされたインディアンのくにをまた結びつけることなのだ。私たちはウーンデ

ッド・ニー以来なされて来た不正をただしこれを洗い浄めるために集まったのである。……

米国政府は私の心を縛ることはできない。……苦しんでいるのは私だけではない。褐色の、

黒色のそして白い兄弟たちも同様に苦しんでいる。親切な言葉は死ぬことはない。私は私の

道を歩き続けよう。……」   一九七七年二月五目 彌永 健一


心に残る言葉「ブラック・エルク(オガララ・ラコタ族)の言葉」を参照されたし

「ウンデッド・ニーにおけるゴースト・ダンスと虐殺」参照されたし





平和・・・・それは魂の内にやって来る。人々が宇宙とつながり、そのすべての力とつな

がって一体となっていることに気がつく。と、そのとき平和がやって来る。宇宙の中心

に大いなる魂ワカンタンカが宿っていると悟ったとき、また実は宇宙の中心というのは

どこにでもあって、われわれひとりひとりの中にもあるんだとわかったとき、心に平和

がやって来る。・・・・ブラック・エルク(オガララ・ラコタ族)



「Black Elk Speaks」 University of Nebraska Press の画像から



ブラック・エルク

ワイオミングを流れるリトルパウダー川のほとりで生まれたオグララ・ラコタ族の

ブラック・エルク(1863−1950)は、9歳でヴィジョン(霊界との交流で得られる

啓示)を体験し、後年、すぐれた霊力、治療力で知られるメディスンマンとなった。

ブラック・エルクは、1931年、ネブラスカの桂冠詩人ジョン・C・ナイハルトに、カ

スター軍との戦闘、ゴースト・ダンス信仰、ウンディッド・ニーの大虐殺などの実

体験を含む、みずからの人生を語った。こうして書かれた、先住民の精神性に

関する<ブラック・エルクは語る:オグララ・スーの聖人の人生>は、精神的

指標をもとめる若きインディアンたちのバイブルとなっている。

「ネイティヴ・アメリカン 写真で綴る北アメリカ先住民史」より引用








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