「アメリカ・インディアンに学ぶ子育ての原点」

エベリン・ウォルフソン著 ウイリアム・サウツ・ボック画

北山耕平役 アスペクト より引用

北山耕平さんのホームページ「Native Heart」







私たちは、この世界を、そしてこの地球の未来を荷う子どもたちが、今深刻な

悲鳴をあげ、社会自体もどのような対応をしていいのか全く読めない時代に

生きているのかも知れない。きっとこんな時は、原点に立ち戻って考えること

が最善の方策なのかも知れないと、この文献を読みながら強く感じてならな

かった。それも勇敢でありながら、慈悲の心を兼ねていたインディアンたちが

どのような子育てをしていたのかを知ることは、問題解決の足がかりを与え

てくれるだろうと思う。それはまた私たちも遥か遠い昔に同じ視点で生きてき

た記憶を呼び覚ますことにもつながっていくのかも知れない。

2003年9月2日 (K.K) (K.K)





本書・まえがきより引用。


この本では、インディアンの子どもたちが赤ん坊のときにどのように大切にされ

たか、また成長する過程で、自分たちの文化を残すことを、一族の長老たちの

語る話を聞いたり、大人たちのすることを観察したり、実際にそれらを自分で

やってみることから、どうやって学んだのかを、あなたに伝えます。インディアン

の子どもたちがどんなゲームをして遊んでいたのか、どんなおもちゃで遊んで

いたのかも、書かれています。彼らの暮らしぶりや、普段なにを着ていたのか、

大人になる準備のためにどんなことをしたのかについても、説明します。イン

ディアンと呼ばれる人たちは、暮らしぶりこそ昔とまったく違ってしまったかも

しれませんが、現在でもなお、彼らに残された古い文化のある部分を大切に

し、それを満喫しながら生活しているのです。


 


大人になるということ(本書より引用)


やがてインディアンの子どもたちにも、「遊びながら学ぶ」ことの苦労のない

歳月に別れを告げて、成長しなくてはならない時がきます。男の子も女の子も

十歳から十二歳のあいだのどこかで、ひとりの男として、あるいは女として、大

人になる時がくるのです。ぎょうぎょうしい礼式、一週間にもおよぶ宗教的な儀

式、部族全体への告知などを通して、彼らは大人の仲間入りを果たすことに

なります。それは、いうならば卒業式と成人式をいっしょにおこなうようなもの

かもしれません。そうして通過儀礼の儀式がとりおこなわれている期間を通し

て、子どもたちは一身に注目を集めることになります。子どもたちもわくわくした

気分でその時期を迎えます。期待と興奮の時でもありますが、多くのインディアン

の子どもたちにとっては、生まれて初めて経験するきわめて宗教的な体験でも

あるのです。部族というのは、共通の信仰を分けあっていますけど、それぞれ

の礼式や、禁忌や、儀式は、微妙に異なっていました。儀式のなかには痛みに

耐えなくてはならないものもあったりするのですが、子どもたちはその年齢を迎

えるずっと以前から、そうした痛みとそれにともなう恐怖が人生の一部であるこ

とを、しっかり教えこまれています。子どもたちはあらかじめこう言われていま

した。「断食をすることに興味を覚えて、しかもこわく感じることがなくなれば、

お前も大人の仲間入りをする儀式の準備ができたということになる」と。イン

ディアンの子どもたちは教会に行きませんでした。これは学校に行かないの

とおなじ理由からです。彼らにとって生活することがそのまま宗教なのです。

自然と、宇宙の神秘とを、日々の暮らしの一部として、彼らはまじめに崇拝し

ていました。宗教がきわめて個人的なものであることを彼らは知っていて、その

個人的な宗教に他人を巻きこむべきではないと考えていたのです。インディアン

の子どもたちは、両親がごく自然にそうしていたように、必要があればいつでも、

直接スピリットたちに向かって話しかけていました。


 


訳者あとがき(北山耕平)より引用


わたしたち−−−−日本列島にくらしている人たちの遠いご先祖さまたち−−−−

が、ネイティブ・アメリカン・ピープルと共通の地点に立っていたのは、縄文時代までの

ことでしょう。ものの価値を金銭的なものに置き換えるようになり、作物を換金作物と

して見るようになると、人間の価値観とそれを基盤にした生き方は激変していきます。

今ではあまりにも遠い過去のことなので、わたしたちには縄文時代の人々の暮らしぶ

りは想像しにくいものがあります。日本列島を「ホーム」として生きた最初の人たちが

なにを考え、どういう生き方をして、どのような価値を次の世代に伝えつづけたのか?

もとよりもう二度とそんな時代に帰ることはできないことぐらいわかっていますが、いか

なる価値観や生き方が、数万年という長いサイクルの「人間としての生き方」を可能に

したのかを、一千年たらずで地球を瀕死の状態にしてしまった「文明人」のわたしたち

も、考えてみる必要があるかもしれません。 (中略) この本「アメリカ・インディアンに

学ぶ子育ての原点」は、もともとのタイトルをそのまま直訳すると「インディアンとして

育つ」というものです。伝統的な部族的生活を送る地球に生きる人たちが、どのように

子どもたちとつきあい、彼らの子どもたちはどんな自然環境のなかで育ってきたのか

について、専門に流されることなく、これほど総合的にわかりやすく書き記した本をわた

しは知りません。この本を翻訳しようと思った理由もそこにあります。ただ、この本に

若干たりないものがあるとしたら、それはアメリカ・インディアンと今ではひとまとめに

して呼ばれる人たちが、子どもたちに「人が生きていくうえでほんとうに大切なこと」と

してなにを伝えてきたかという部分でしょう。


 


目次

まえがき


揺りかご板からモカシンまで

「揺りかご板」とはなんですか?

赤ん坊はおむつをつけていたの?

名前はどのようにしてつけられたの?


よちよち歩きができるころ

誰が子どもたちの面倒をみたのですか?

しつけはきびしかったのですか?

子どもたちはなにを着ていたのですか?

みんなはなにを食べていたのですか?


壁のない学校での日々

子どもたちは学校に行かないの?

誰がみんなの先生なんですか?

勉強するって、いったいなにを?

読んだり書いたりすることは?

なぜそんなに宗教心があるの?

メディスンの練習はしたのですか?


大きな家族と小さな家族

兄弟姉妹の数はどれくらい?

誰がいっしょに暮らしていたの?

氏族ってなに? 部族って?

どういう家に住んでいたの?

家の規則はありましたか?


遊びの時間もありました

男の子と女の子はいっしょに遊んだの?

おもちゃはどんなものを持っていたの?

どういうゲームをして遊んだの?


大人になるということ

大人になるために準備があるのですか?

ヴィジョン・クエストってどういうものなの?

いくつになったら結婚できるのですか?


エピローグ

現代に生きるインディアンの子どもたち

昔と今ではどれくらい変わりましたか?

いま彼らはどこで暮らしているのですか?


訳者あとがき




APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 

 

2012年5月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



題・・・「お父さん、宇宙が、金環日食が、ここにもあるよ」・・・自宅近く



(K.K)



 

2012年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



2004年の金星の太陽面通過、太陽の右側に金星が写っています。(写真はNASAより引用)



今日の部分月食は厚い雲に覆われ見ることが出来ませんでした。



でもお陰で近くに天体観望できる開けたところを新たに開拓することが出来たので感謝です。



ところで、明後日の金星の太陽面通過ですが、上の写真は2004年6月8日の時のものです。



じゃあ明後日見逃しても数年後に見れるんだ、と思われたら大きな間違いで、次は105年先に

なってしまいます。



105年先というと、現在の赤ちゃんでも見るのは殆ど出来ず、その赤ちゃんの赤ちゃんが長生

きしてようやく見ることができるのだと思います。



私たちが明後日見る金星の太陽面通過、そして次に目にするであろう世代を想像するとき、

インディアンの言葉を思い出します。



☆☆☆☆



「私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも七世代先の人々のことを念頭におきなが

ら行われる。



これからやってくる人々、まだ生まれていない世代の人々が、私たちよりも悪い世界で暮ら

したりすることのないように、できればもっと良い世界に生まれてこられるように心を配るの

が、私たちの仕事なのだ。



私たちが母なる大地の上を歩くときに、いつも慎重に一歩一歩進むのは、これから生まれ

てくる世代の人々が、地面の下から私たちのことを見上げているからだ。



私たちはそのことを、片時たりとも忘れない」



オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)



「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」築地書館より



☆☆☆☆




(K.K)









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