映画「剣と十字架」

パッケージは英語版のものを使用しましたが、日本語版(字幕)が発売されています。







「ブラザー・サン シスター・ムーン」、「神の道化師 フランチェスコ」の映画と違い、この映画は青年時代

から死ぬまでの一生を描いた最初の映画である。



1950年「神の道化師、フランチェスコ」そして1972年「ブラザー・サン シスター・ムーン」の中間に位置した

映画であるが、アッシジの聖フランシスコを知らない人にとっては、その死ぬまでの生涯を知るには価値が

ある映画かも知れない。



ただ、聖フランシスコの生涯で最も重要であり、最も感動的な回心の部分の描写が省かれているのに困惑

してしまった。聖フランシスコが父親に訴えられた時、広場に集まった多くの見物人の前で、衣服を全て脱ぎ

父に返すところは彼の物語の始まりであり原点であった。「ブラザー・サン シスター・ムーン」ではこの場面

が感動的に描かれていたが、これを省いた監督・脚本家は聖フランシスコの何処にひかれて映画を作った

のだろう。



また俳優も如何にもアメリカ人というかハリウッド向きという雰囲気があり、親しみを覚えることができな

かった。崇高な人の生涯を追った映画を作るのは本当に難しいと改めて感じてしまった。



(K.K)




アマゾン(Amazon)の商品説明より以下引用

『カサブランカ』のマイケル・カーティス監督が描く
神の教えを守り清貧を貫いた聖人フランチェスコの生涯



<キャスト&スタッフ>
フランチェスコ……ブラッドフォード・ディルマン
クレア……ドロレス・ハート
パオロ・デ・ヴァンドリア伯爵……スチュアート・ホイットマン
枢機卿……セシル・ケラウェイ
ローマ教皇……フィンレイ・カリー
サルタン……ペドロ・アルメンダリス

監督……マイケル・カーティス
製作……プラト・A・スクーラス
原作……ルイス・デ・ウォール
脚本……ジェームズ・フォーサイス
ジャック・トーマス
ユージン・ヴェイル
撮影……ピエロ・ポルタルピ
音楽……マリオ・ナシンベーネ
●字幕翻訳:松浦 美奈



<ストーリー>



13世紀、イタリアはイスラム国家の侵略を受けて乱れていた。アッシジの豪商の息子フランチェスコは、教皇の呼びかけに

応えて軍に志願するが、戦闘の最中に神の声を聞き帰郷し、神の声に従い崩壊した教会の修復を始める。神の教えを守り、

すべての資産を捨て去る決意をしたフランチェスコに賛同した人々が集まり、仲間が増えていく。ローマ教皇の承認を得て

正式にフランシスコ会を発足させたフランチェスコは、イスラム国との平和調停を結ぶため旅に出る……。



<ポイント>
●ハリウッド映画ながらアッシジはじめイタリアの各地と
ローマのチネチッタ撮影所で撮影された。
●後に『ブラザー・サン・シスター・ムーン』としてフラ
ンコ・ゼッフィレッリ監督により再映画化されたが、本作
はフランチェスコの生涯を丁寧に描いている
●戦いに生きる戦士でありながらフランチェスコの親友で
あるにヴァンドリア伯爵役は『コマンチェロ』『素晴らし
きヒコーキ野郎』のスチュアート・ホイットマン
●1962年5月公開

<特典>
●オリジナル劇場予告編


 




2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)









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