チェラノのトマス「アシジの聖フランシスコの第二伝記」

小林正寿/フランソア・ゲング共訳

あかし書房




本書・はしがき フランソア・ゲング(フランシスコ会士) より引用


近代の伝記は、確かに史学の進歩のおかげで、人物をその時代の状況においてわたしたちの

目の前で再現させるが、言うまでもなく、このような伝記の主な価値は、当人物の時代の古い

伝記や文書に、どれほど基づいているかということにある。更に、古伝記と古文書とに接する

ことによって、特に聖フランシスコの場合ではそうであるが、もっと深く当人物の人格または心

を知ることができると思う。ここに、わたしたちが初めて翻訳し、出版するチェラノのトマスによ

る「アシジの聖フランシスコの第二伝記」は、「第一伝記」と同様に一番根本的な資料であると

言える。1215年ごろ入会した“兄弟”トマスは、1221年の総集会の後、何年間もドイツで宣

教し、一時的にドイツの管区長の代理者となったが、その後、いつからかはっきりわからない

が、イタリアに戻って、1228年、すなわち、聖フランシスコの列福式の年、教皇グレゴリオ9

世の依頼に応じて、最近日本語でも翻訳された、いわゆる「聖フランシスコの第一伝記」を書

きはじめたのである。この「第一伝記」の中に載せてある数多くの事柄と証拠は、大部分、二

年間で(1226年ー1228年)聖人の列福のために集められた口証の内から取られたと思わ

れる。残念ながら今では、それらを収集した列福調査書は失われたが、著者は、当然これを

用いたにちがいない。そして恐らくそのほかには個人的に徹底的な調査を行うことができな

かったであろう。そういうわけで、1244年のジェノアの総集会において、よりふさわしい伝記

を書いてもらうために、聖フランシスコの生涯と奇跡に関する証拠、口証などを集めるように

と決められたのである。そして1246年、聖人の初めからの三人の伴侶、すなわち兄弟レオ

ネ、アンジェロ、ルフィーノは、当時の総長である兄弟イエシのクレセンチウスに資料を送っ

た。それで、もう一度、評判高い著者と見なされていた兄弟トマスに新しい伝記を書く勤めが

委ねられたのである。この「アシジの聖フランシスコ」は、「第一伝記」を補うもののように見

られる。著者自身は、そのプロローグの終わりにこの目的を述べ、できる限り前よりも聖人

の理想を明らかにしようとする。そのために「第一伝記」の幾つかのエピソードと考察を省

き、その代わりにその代わりにより重大な多くの事柄を語っている。「第一伝記」の奇跡も

大分省いたが、それは伝記をあまり長くしないためであろう。実にその後、1250年と125

2年の間に、新しい総長パルマの兄弟ヨハネの依頼に応じて、「祝福された聖フランシスコ

の奇跡について」という特別な報告書を書いたのである。要するに著者が、1246年、兄弟

クレセンチウス総長に送られた文書を忠実に使ったゆえに、その「第二伝記」は、「第一伝

記」よりも、豊かであると言える。伴侶たちが送ったこの文書の存在は昔から知られていた

が、1922年になってはじめて、すなわち700年間の沈黙の後で、いわゆる「ペルージア

の1046番の写本」において発見され、「ペルージアの伝記」の表題をもって出版されたの

である。最近、この作品が「フランシスコと共にいたわたしたちは」の表題をもって翻訳され

たのは、幸いなことだと思う。「第二伝記」を「ペルージアの伝記」と比較すると、その「第二

の伝記」の中でチェラノは、たいてい文にはより文学的な形を与え、「ペルージアの伝記」

の内容をほとんど全部入れたということが分かる。その点では、チェラノのトマスの死の3

年ぐらいの後で、1263年ごろ、決定的なものとして最後に書かれた、聖ボナヴェントウラ

による「聖フランシスコの大伝記」は、少し違う。すなわち、聖ボナヴェントウラは、その作

品を作るとき、大分チェラノの両伝記を使用し、それはある箇所をほとんど写すほどであ

るが、チェラノが「ペルージアの伝記」から拾い出したらしいエピソード、話などを、何度も

省くのである。しかしそれは聖ボナヴェントウラの目的に適っている。すなわち、主な出来

事をきれいに描きながら、短く、明らかに聖フランシスコの精神とその生涯の霊的なメッ

セージを示そうとするのであった。チェラノは、“プロローグ”のはじめに言っているとおり

「第二伝記」を“慕っている魂の思い出の記録”のように書いている。そのためにこの「第

二伝記」には、「第一の伝記」と違って、少しも公式文みたいな特徴がなくて、語られた色

々な出来事、また、なされた会話はわたしたちの前で生き生きと新たに起こったり、なさ

れたりするようである。読者は、著者の深い信心に導かれて、彼とともに聖人とその伴侶

たちの生活にあずかる者であるかのように感じてしまうのである。


 




2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)









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