「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」 スーザン小山 著




歴史のみならず、インディアンの伝統文化、世界・価値観に熟知した者。なおかつ400年前に生きた

彼らが未来に残した想いを掬い取るものだけに許された物語。それがスーザン小山さんが書かれた

小説「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」である。実際に江戸時代初期に徳川家康に外交

顧問として仕えたイングランド人航海士・三浦 按針(ウィリアム・アダムス)と多助との出会い。

才覚を認められ通訳として彼・三浦 按針の元で様々な経験を積み、インド生まれの娼婦との恋を

経ながら、イギリスに旅たつ多助。そこで彼の一生を決めたのはディズニー映画でも有名なアニメ

「ポカホンタス」、その彼女を育んだラナペ族(ポウハタン族)との出会いだった。この小説には

過去の歴史的事実に、「多助」という架空の日本人を織り込むことによって、現代に新たな命を

吹き込んでいる。スーザン小山さんが書かれたインディアン関連の5冊の文献(2冊は全国学校図書

館選定図書)は素晴らしいが、この「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」は彼女の集大成

とも言える感動の小説である。ラナペ族(ポウハタン族)の未来への想い、多助の未来への想い、

それはスーザン小山さん自身が「多助」そのものであることにも気づかされる。歴史的事実や背景

を基に、400年前のインディアンの魂の叫びを聴き取った第一級の作品である。

(2017年4月10日 K.K)


この文献は「スーザン小山のスピリチュアル・ウエブサイト」から販売されている。


真実のポカホンタス も参照されたし。





本書 より抜粋引用。


そして部族の指導者がもっとも恐れていたのは、血気にはやる若手戦士がそのいうことを聞かず、ゲリラ的に白人

を襲うことだった。そうなれば白人の報復は必須である。それが発展して力ずくの争いになれば部族には勝ち目は

ない。和平派だった大族長を失い、緩衝の役割を果たしてくれたポカホンタスを失ったいま、信義を持って両者の

間の力の平衡を保とうとするトモコモや族母集団の努力をあざ笑うかのように、事態は悪化の一途を辿っていた。

歴史の見えない手は明らかに白人の味方であった。白人の神のしかけた時限爆弾は、刻々と時を刻んでいた。



なんとしても白人との和平を保ち、土地が欲しいというならそれなりの措置を講じ、つまり双方を利するような賃貸

契約をとりつけるなどし、これ以上の侵入を食い止めなければならなかった。白人の言葉がわかる多助の役割は、

ここでおのずと決まって行った。族母集団は多助を毎日のように呼び出すようになっていた。そこで多助は、この

年配女性たちはラナペ連合を成す七つの部族のそれぞれを代表する七人から成り立ち、部族の中では平和族長

と呼ばれていること、平和族長は戦闘族長である亡き大族長より広い権限を持っていることを知った。このことは

多助にとって、トモコモやチカディーに教わらねば、その存在に気付くにはさらに時間がかかったであろう。それは

強力でありながら目立たない集団であり、さらに日本から来た多助にとって、女性が公的な力を持っている事実を

理解するには心理的な抵抗があった。



だが平和族長は民事政策の決定者であり、部族の根本哲学は平和主義であった。戦闘という力による解決は

すべての方策、すべての平和交渉が破綻した結果として決行されるものであり、故大族長のような戦闘族長は、

族母集団のゴーサインがなければ戦争を始めることは出来なかった。このような平和集団の意を受けて、平和

協定のための下交渉、土地侵入への抗議、談判交渉に多助は何度となく加わった。新参者の多助が交渉代表

というような重大な地位を任されたわけではない。だが彼はトモコモの推薦により、族母集団の信頼のおける口

利き役、その代表の一人、言葉の不自由を補ってくれる別格の存在であった。インディアン社会には唯一最高の

指導者というものはない。つねに集団指導制があるのみである。多助はその一員としての資格を与えられたので

ある。



「おぬしは英国に滞在したお陰でずいぶん利口になったようであるな。しかし蛮人の国と大英帝国が、同じ地盤で

平等に振舞えるはずはなかろう。そなたの出身は当方のあずかり知らぬことゆえ不問にいたすが、新参者である

ことは知れておる。我らとしては正当な取引相手とみなすことは出来ぬ」



部族側に多助が示したような理論武装がなければないことを笑い、あればこのように、その理論を持ち出した存在

の信憑性を引き下ろそうとかかる。だが多助は相手のこの言葉は正さねばならなかった。自分は正当な外交代表

の場を委任された人間のひとりであることを証明しなければななかった。



彼は鹿皮の袋から、族母集団会議の会議録を取り出した。いやそれは白人の習慣から言えば文字の記録では

ない。ワンパムベルトと呼ばれ、部族民が珍重するワンパムの貝を細かく砕いてそれぞれの意味を表すよう着色し、

鹿皮その他動物の皮革で作ったベルトに、象徴的な記号として一定の配置で刺繍のように縫いつけたものである。

それは一見して装飾品のように見え、なんでも金儲けにつなげる侵入者はこれを真似、ロンドンなどで風変わりな

工芸品として、一時は高価な値がついたこともあった。



だが部族にとって、これは装飾のためのベルトではなかった。のちに米国が独立したとき、建国者たちが標榜した

民主主義は、東部のいわゆる五大文明部族が持つワンパムベルトに記録された公平主義をもとにしている。古代

ギリシャに発し、フランス革命その他の動きに影響されて形成された近代民主主義であるが、アメリカのそれは

このような欧州の動きとは趣をことにしている。三権分立を唱え、議会や選挙のありかたに大本の思想を盛り込ん

だ米国憲法には、アメリカ東部原住民の民主主義が大きく影響している。それがこんにちのアメリカ人が自慢して

やまない米国の民主主義の特異さなのである。だがこの特異さは、普通のアメリカ人が固く信じているような、いわ

ゆる建国の父たちの発明ではない。どのような発明もその下地のないところからは生まれないものであり、そこに

はワンパムベルトのなかに盛り込まれた原住民の民主主義があった。だが憲法学者のなかには、それが白人流儀

の文字の形をとっていないことを理由に、米国原住民が与えたアメリカ民主主義体制への影響は、根拠薄弱として

強く否定している。今日にまで引き継がれたこの否定と無視は、すでにヴァージニア植民地に根ざしていた。だが

米国が独立した頃には、ラナペ族という名もひとびとの記憶を遠く去っていたのであった。



その前夜、トモコモは大族長がその死に先立つ数日、悩まされ続けていた同じ悪夢を見た。部族は戦士団のみ

ならずほとんどが兵士の弾丸に倒れ、命からがら四散した人々も駆り出されてつぎつぎに殺された。命をとりとめ

たものにはさらに不運が待っていた。彼らは数珠つなぎに縛られて白人の船に入れられ、海の向こうに連れられ

ていったのだ。その光景は、いま眼前に展開していることがらのようになまなましく彼の脳裏に焼きついた。



部族の精神指導者である彼にとって、夢は単なる睡眠中の幻覚ではない。それは深い心の底に届く、この世では

ない世界からの通信であった。夢を知ることはその見えない世界を知ることだった。トモコモにとって夢の語ること

がらは、目で見、手で触れることの出来る現実世界のできごとよりはるかに重大だった。



起き上がった彼には、この夢が告げてくれた意味がはっきりわかっていた。ついに最後の時が来た。それは思って

いたより遥かに早くやって来る。あの使者たちが果たす任務はたとえ成功しようとも、到底この事態を防ぐことは

出来ない。彼は静かに起き上がると、前以てこの知らせをもたらしてくれた創造の無限の力に長い長い感謝の祈り

をささげた。そして自らが部族の大多数と共に霊界に旅発つときは間直に迫っていることをはっきり悟った。


(中略)


「私がこれから言うことを心して聞け。私は今夜この世を去る。だが私はひとりで逝くのではない。戦士や族母たち、

そして多くの老若男女もまた死ぬであろう。ラナペ族は今夜、民族として絶えるのだ。だがわれらの誰かがラナペ

の血を後世に伝えなければならない。我らがこの地に生きたあかしを、この大地は我らのものであることを、我ら

の赤い道と天地の真実を七代の子孫に伝えるために、そして七代の子孫がさらにその七代の子孫に伝えるため

に、誰かが生き続けねばならぬ」



多助は部族最高の精神指導者の言葉を聞きながら、それが自分の心に、まるで以前から聞いていたことがらの

ように自然に響くことに奇異の念と感動を覚えた。かたわらの三人は頭を垂れ、その言葉にじっと聞き入っている。

同じ思いでいるのであろうか。だがトモコモの深い目の色は、多助には見えない中空の何かを見据えていた。その

言葉が再び静かに響く。


 


スーザン小山 さん

コロラド州在住の著作家、アメリカ・インディアン研究家、スーザン小山さんが新たにホーム

ページを創りました。スーザン小山さんは多くのインディアンに関する書籍を出版し日本に紹介

しておられる方で、「アメリカ・インディアン 死闘の歴史」並びに「大草原の小さな旅」は全国

学校図書館推薦図書に選ばれた文献で、その他にも「インディアン・カントリー 心の紀行」

「白人の国、インディアンの国土」があります。特に「アメリカ・インディアン 死闘の歴史」は、

平原インディアン(ダコタ・シャイアン・アラバホ・クロウ族)の終焉の物語を描いた力作です。

また、西欧でベストセラーになり、来日し講演したこともあるインディアンのロス博士の著作

「我らみな同胞」をも翻訳されております。このスーザン小山さんの総合ホームページの中の

「アメリカインディアンの歴史と文化のページ」では、興味深い記事が掲載されており、「環境

破壊ページ」では、絶滅動物が写真と共に詳しく紹介されています。私自身スーザン小山さん

から多くのことを教えていただいたり、何度となく励ましを受けてきました。このホームページ

はスーザン小山さんのそのような飾ることのない、温かい人柄を感じさせてくれます。


(2017年4月追記) 上の小山さんのサイトは現在閉じられており、「スーザン小山のスピリチュアル・ウエブサイト」

が新たに作られております。このサイトで紹介されている「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」スーザン小山著

は小説でありながらも、過去の歴史的事実に、「多助」という架空の日本人を織り込むことによって、現代に新たな命

を吹き込んだ傑作であり、400年前のインディアンの魂の叫びを聴き取った第一級の作品です。


  

 





2012年6月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





代表者を如何にして選ぶか(インディアン・イロコイ連邦のピースメーカーを感じながら)。
写真はFB友達の伊藤研人さんから紹介してもらったDVD「世界を癒す13人のおばあちゃん 
これからの7世代と、さらに続くこどもたちへ」から引用。



選挙が近づくと大声で「お願いします、あと一歩、あと一歩です」なんて聞くと、どこかの漫才でも

ないがリハビリしているのかと言いたくなってしまう。



僕が描く理想的な代表の選び方は、水洗式である。チェ・ゲバラは虐げられている者への共感が

根底にあったが、維新だの改革だの叫んでいる人たちは、ただ単に自分の、民衆の頭の中を

真っ白にして古いものを一瞬にして洗い流したいだけだろう。



あれ、字が間違っていた、推薦式である。



住民が地域社会に対して行ってきたその人の活動なり言動を見て、この人だったらこの地域に

住む人、そして広く日本に住む人のために良い方向に導いてくれる、彼(彼女)に代表者になる

意志はなくともそんな人を推薦する。



そして各地(村単位)で推薦された人たちが集まって、町まり市なり県・国の代表者を推薦していく。



インディアンの社会においてどのようにして族長を選ぶかに関しては詳しくないが、ある部族は

女性だけの投票で族長(男性)を選ぶところがあり、推薦式なのだろう。



勿論、インディアンの部族という小さな集団での選び方が、そのまま日本にあてはまるかは疑問も

多いだろうが、一つの視点になるのではないだろうか。



話は飛ぶが、アメリカ合衆国には治外法権が適用されFBI(米連邦捜査局)さえ踏み込めない

準独立国・色恋連邦がある。



あ、また間違った。イロコイ連邦である。



今から1000年ほど前に結成されたこのイロコイ連邦の民主的な制度に通じていたフランクリン

(独立宣言起草委員)は、イロコイ連邦組織を手本にオルバニー連合案(1754年)を作り、この

多くの要素が現在の合衆国憲法にも取り入れられている。



このイロコイ連邦を作ったとされるピースメーカーの物語を少し紹介したいが、彼の物語はロング

フェローの叙事詩「ハイアワサの歌」でも有名であり、如何に代表者を選ぶかということも示唆され

ていると思う。



ピースメーカーの物語、「ハイアワサの歌」はロングフェローの脚色が多すぎるため違う文献から

引用したい。



☆☆☆☆



そこで、ピースメーカーは語りかけた。人間はだれでも<グッドマインド>をもっていて、それを使え

ば人間どうしも、また地球上の生きとし生けるものとも平和に共存できるし、争いも暴力ではなく話し

合いで解決できる。



だから、血で血を洗う殺し合いはもうやめよう、と。



彼はまた、九つの氏族を定めて乱婚を避けること、そして相続は母系で行うことを教えた。



家や土地や財産は母から娘へ引き継がれ、子どもはすべて母親の氏族に属するのである。



各氏族は男性のリーダーとして族長を、女性のリーダーとして族母を選び出し、族長と族母には

それぞれ補佐役として男女一人ずつの信仰の守り手(Faith Keeper)がつく。



族長は族母によって選ばれ、族長にふさわしくない言動があれば、族母はそれを辞めさせること

もできる。



氏族メンバーの総意で選ばれる族母は、つねに人びとの意思を汲み上げる大きな責任を負う。



族母(クランマザー)の由来は次のように伝えられている。



ピースメーカーがオンタリオ湖の南岸に着いて平和行脚をはじめたばかりのころ、セネカ族の

土地で峠の宿を営む女将に出会った。



そこは東西を結ぶ街道の要所で、彼女は道ゆく戦士たちを心づくしの食事でもてなすのが

自慢だった。



しかし乱世のこと、それは争いの火に油を注ぐ役目も果たし、また彼女自身、ときどき食事に

毒を盛っては人殺しに手を染めることがあったという。



そこへ通りかかったピースメーカーの話を聞くと、女将はたちまち平和の道にめざめ、すっか

り改心して最初の支持者となる。



ピースメーカーは彼女を「生まれ出ずる国の母」を意味するジゴンサセと名づけて讃えた。

初代クランマザーの誕生である。



「小さな国の大いなる知恵」ポーラ・アンダーウッド著より引用。



☆☆☆☆




(K.K)









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