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一番上の画像は1616年のSimon van de Passeによる銅板画で、唯一残る
生前のポカホンタスの肖像である。下段には「マトアカ、またはレベッカ、
ポウハタンの万能の王子にしてバ−ジニア皇帝、アッタノウコモウクの娘、
キリスト教に改宗し洗礼を受けた、ジョー・ロルフ氏(Mr. Joh Rolfe)の妻」と
標題がつけられている。この画像からは「斜視」の特徴が見られ、頬もこけ
ているのがわかる。下の画像は19世紀のもので白人化されてきている。
(ウィキメディア『ポカホンタス』より引用)
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まだ10歳か12歳かのポカホンタスがジョン・スミス処刑の場面で身を投げ出して 彼の助命を乞うた出来事の真偽に関して、多くの論争が沸き起こりました。この 出来事で不可解なのは、それが当時でもまた後の時代においても、それを証言 した人物がジョン・スミスただ一人だけであったという事実です。文字を持たない インディアンだからそれを書き記すことなど出来ないことだという主張は当てはま りません。インディアンにとってポカホンタスが取った行為の善悪はともかく、何ら かの形でその行為が口承されていくのが彼らインディアンの昔からのやり方でし た。また植民者側にとって考えた場合、仮にこの出来事が真実であったとするな ら、ジョン・スミスは当時の植民者誰一人に対してもこの事実を公表しなかったこ とになります。多くの植民者はイギリスなど家族や友人に向けて書簡を書いてい ますが、その書簡の何処にもこのような出来事が書かれていなかったからです。 ジョン・スミスがこの出来事を何らかの理由で隠したか、或いは作り話に過ぎな かったのか。仮にこの出来事が真実であるとすれば、ジョン・スミスが隠し通し た理由は沢山あります。それは青柳氏が指摘されているように「インディアン =野蛮人」という図式が壊されることは植民地政策にとって好ましくないことなど が挙げられます。ただそこで問題なのはジョン・スミスの人間性だと思います。 この出来事が真実であった場合、彼は野蛮なインディアンというレッテルを張り 続けるために、ポカホンタスの勇敢な人間愛に満ちた行為を無視することを選 んだのです。当時無邪気な少女だったポカホンタスは植民地で子どもと良く遊 んでいたとの記録が残されています。恐らくポカホンタスはインディアンも白人も 同じ人間(美しい心を持った人間)だと直感的に感じ取っていたのでしょう。それ が故に植民者が食糧不足で困っているときは助けたのだと思います。しかし、 彼女に待っていたのは、白人からの恩返しではなく誘拐や脅迫だったのです。 ポカホンタスが洗礼を受け、ジョン・ロルフと結婚を選んだのも、部族と白人の 平和的な共存を強く願ったからではないでしょうか。自分の身を犠牲にして平和 のための架け橋になろうとしたと思います。彼女には首長の娘としてのやらなけ ればならない自覚が芽生えていたのではと思います。ポカホンタスはイギリスを 訪れジョン・スミスと再会しますが、彼女は非常に怒り狂い、顔を隠して立ち去り、 数時間の間一人でいたと記録されています。二回目のジョン・スミスとの遭遇で は、彼女はスミスを「嘘つき!」と呼び、彼を追い出したと書かれています。この 件に関して、ポカホンタス直系の子孫であるスーザン・ドネル女史はその著書の 中で、「私は、二人は愛し合っていたと強く信じている。というのも、何年か離れば なれになったあとにイギリスでスミスと再会したとき、ポカホンタスは感情を抑えき れずにうろたえた」と解釈していますが、植民者が困窮しているときに助けたのに、 指導者であったスミスは逆に近隣の首長を人質に取りました。そしてその1年後に ポウハタン族とバージニアの植民者との間で全面的な戦争へと突き進むのです。 このような裏切りの中でたとえ愛が芽生ていたとしても、深まることは決してありえ ません。ポカホンタスが激怒したのは、恋愛への裏切りではなく、人として人間とし て許すことができない裏切りだったのでしょう。それは、ポカホンタスが如何にインディアンと白人との平和的共存を強く願い、意に反した洗礼や結婚など自己犠牲 をしてまでも、それを築きたかったことを現しているのではないでしょうか。男女の 恋愛という次元にポカホンタスは立っているのではなく、深い人間愛に根ざした崇高な美の次元に彼女は立ち、生涯を通してその実現のために身を捧げて行動し たと感じられてなりません。
ここの述べたことは、素人の浅はかな推論でしかありません。しかしポカホンタスの心 の中に人間愛と自己犠牲という崇高な魂を見つけることが出来たように感じています。 (2010年10月21日 K.K)
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![]() ジェームス・タウンに建てられた銅像(1922年完成) ポカホンタス - Wikipedia より引用 |

| 真実のポカホンタス | |
(ウィキメディア『ポカホンタス』より引用) と呼ばれた)一帯すべてを統治する強大なインディアン部族の酋長ポウハタン(本名はワフンスナコク Wahunsunacock またはワフンセナカウ Wahunsenacawh)の娘であった。彼女は読み書きができなかったので、現在彼女について知られ ていることはすべて後の世代に他人の口を通して語られたものであり、歴史上の人物としての彼女の考え、感情、動機 などは分からないところが多い。それゆえ彼女の物語はロマンティックな誇張のもととしては完璧であり、死後何百年も 悲劇の主人公であり続けている。(たとえば、ディズニーの映画化した『ポカホンタス』など。) なおアメリカ現地における彼女の名の発音は「ポカハンタス」に近い。 ポカホンタスは1607年、テナコマカに建設されたヴァージニア植民地に初めて入植したイギリス人ジョン・スミスを父ポウ ハタンが処刑しようとしたのを止めたと言われている。ジョン・スミスはもと兵士で船乗りであり、ヴァージニア会社に参加 してヴァージニア初の入植地ジェームズタウンを建設しその後リーダーになったが、川を遡る探検の途中にインディアン に捕まり処刑されようとしていた。彼によれば、その時酋長の娘が彼の前に身を投げ出したおかげで助かり無事戻るこ とができたのだという。 空想に基づいて描かれた「スミスの命を救うポカホンタス」。インディアンたちはわけのわからない服装をし、なぜか背景 にポウハタンの文化にないティーピーが描かれている(1870年画)この逸話は物語の筋書きの定型である可能性の高い もので、読者にジョン・スミスを部族の「友人」として受容させるための象徴的なエピソードとして使われた。事実かどうか は証明されてはいない。当時ポカホンタスはわずか11歳であり、しかもジョン・スミスはその年イングランドから到達した ばかりであり、古くからの仲ではなかった。またスミスもその時ポウハタン語を理解せず、何が起こっていたか誤解した 可能性もある。彼が「インディアンの娘に助けられた」と主張し始めるのはポカホンタス死後のことで、それまでの20年の 間、イギリスに帰還したあとで出版し続けた北米植民地に関する雑多な論文のどれにもこの逸話が書かれていないため、 スミスの主張は「作り話」とみなされている。 スミス以前に、1539年にアメリカ南東部を探検したスペイン人のエルナンド・デ・ソトは、フロリダで出会ったスペイン人捕 虜のフアン・オルティスから「インディアンのヒッリヒグア酋長に生きたまま火焙りにされかけたが、酋長の娘の頼みで命 を救われた」という非常によく似た真偽不明の話を聞かされており、このオルティスの逸話がスミスの武勇伝の「元ネタ」 になった可能性は非常に高い。 いずれにせよ、インディアンとスミスやその他のジェームズタウン入植者との友好関係が築かれ、ポカホンタスはしばし ば入植地を訪れ子供たちと遊ぶようになった。1608年冬ジェームズタウンが炎上した厳しい時期も、ポカホンタスは食料 を届け、入植地を全滅の危機から救った。 「拉致されるポカホンタス」ヨハン・T・デ・ブライ画(1618年)1612年、ポウハタン族に捕らわれたジェームズタウン入植者 の身代わりとするため、ポカホンタスは誘拐され、ジェームズタウンで捕虜となった。彼女の解放条件として提示された のは、捕虜となっていたイギリス人の解放、盗まれた武器の返還、トウモロコシによる多額の賠償の支払いという過大な 条件であった。この時期、彼女は英語を教わり、ジェームズタウンの宗教指導者で二つの教会を作ったアレクサンダー・ ウィテカーより洗礼を受けた。(一説には、捕まる前に彼女には一族の中に婚約者がいたというものもあるが定かではな い。)洗礼を受けた後、1614年4月5日に彼女はヴァージニアにタバコ栽培を確立したジョン・ロルフと結婚し、名を「レベッ カ・ロルフ」と変えられた。 美化されて描かれた「ポカホンタスの洗礼」(1840年、ジョン・ギャズビー・チャップマン画)彼らはジェームズ川のヘンリカ ス(Henricus) 入植地の対岸にあるロルフのプランテーション「ヴァリナ農場」で生活した。彼らの結婚生活は捕虜になった 入植者を取り返すことにつながらなかったが、それでもジェームズタウンとポウハタン族の間に数年間平和な雰囲気を作 り出した。 ヴァージニア植民地の出資者たちは、ジェームズタウンにイングランド本国からこれ以上新しい入植者を誘い出すのも、 このような冒険的な事業に対する投資家を探すのも困難になったことを悟った。そこでポカホンタスを「マーケティングの エサ」にして、「新世界の原住民が文明に馴らされたため、もはや植民地は安全になった」、とヨーロッパの住人を納得 させようとした。 「聖ジョージ教会」に建てられた銅像1616年、彼女と夫ロルフはイングランドに連れられ、1617年までの間ブレントフォード に住み、ジェームズ1世とその家臣たちに謁見した。彼女はそこで「インディアンの姫」と紹介され、イングランドにセンセー ションを巻き起こし、新世界アメリカの最初の国際的有名人となり、より多くの投資と王の関心をヴァージニア植民地にも たらす試みは大成功に終わった。 ロルフはヴァージニアに戻ってタバコ栽培をすることを熱望したが、アメリカへ帰る旅の途中、ケント州グレーブゼンドで ポカホンタスは病気になり(天然痘、肺炎、または結核など、資料により異なる)、23歳前後で死去した。彼女の葬式は グレーブゼンドの「聖ジョージ教会」で1617年3月21日に行われた。のちに教会が改装される際に彼女の墓は壊され、 現存していない。現在、同教会の敷地には、彼女の銅像が設置されている。
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富田虎男著 より引用
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スーザン・ドネル著 より引用
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歴史を糧に未来を拓くアメリカ・インディアン 青柳清孝著 より引用
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マリ・ヘインズ作 いのちのことば社 より引用
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フィリップ・ジャカン著 より引用
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和栗隆史著 より引用 の身となる。娘との交渉を許さない族長は死刑を宣告。絶体絶 命の彼を救ったのは勇気ある愛だった。
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藤永茂著 より引用
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ポカホンタス研究会(和栗隆史) より引用
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「アメリカ先住民から学ぶ―その歴史と思想」 阿部珠理 著 NHK出版 より引用 のアニメ映画にも登場し、それからのスミスとポカホンタスの恋愛 物語に発展し定着した。スミス本人が記すとおりに実際に処刑され つつあったかどうかは、当時のポーハタンが敵を処刑する一般的 方法が、長い時間をかけた拷問か、槍での刺殺であったことを考え ると疑わしい。また当時のポーハタン族の習俗に、ハスケナウという 通過儀礼があった。少年が一人前の部族員となるために、象徴的 な死の儀式を行うものだ。スミスがこの後ポーハタンの養子となる 史実を考慮すれば、彼がポーハタン族として受け入れられるため、 一度死ぬための儀式が執り行われたと考える方が自然だろう。 実際、スミスを助けたとされる時、ポカホンタスはまだ、12歳にも 満たない子どもであった。彼女がいかに早熟であったとしても、30 近いスミスとの恋は想定しにくい。だがその後も現在まで、スミス 救出劇と二人の恋物語は、小説、芝居、映画と時代のメディアで 取り上げられ、西欧の読者に広く受容された。 でているばかりでなく、彼女の機知と精神は比類がないとスミスは 描写しているが、実際美しく、賢い少女であったのだろう。ポカホン タスがジェームズ・タウンで英語を学んだのも、キリスト教に改宗し たのも、また白人と結婚したのも、彼女の意思が全く入っていな かったとは言い切れない。また彼女が逃亡を企てたという記録も 残っていない。賢明であるがゆえに、二つの人種間の仲介役として の自分の責任を認識していたのかもしれない。 |
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「ポカホンタスからイギリス人の夫のジョン・ロルフへ」 「ネイティブ・アメリカン詩集」アメリカ先住民の現代詩 より引用 もしわたしが腕の中でやさしく守ってあげなかったら おお 不実な人よ あなたは死んでしまったでしょう それから荒野で死にそうになっていたあなたを わたしの世界を 目が見えぬ者のようにつまずきながら歩いていた あなたを わたしは何度救ってあげたでしょうか もしわたしがあなたに困難な仕事を頼まなかったなら 海の向こう側にいるあなたの雇い主は あなたを見捨ててしまったでしょう 何度も何度も あなたを見捨てたのです 丁度たわわに実った嘘を収穫させようと あなたをここに残したように それでもあなたは生き残った おお わたしの白い肌の夫よ それからあなたは わたしが栽培するようにすすめた植物から得た黄金を 彼らにもたらした タバコだ この葉のために あなたの子孫が死んでしまうのはなんという皮肉でしょうか なぜならあなたの認識を超えた力が すべてのものに働いているのです ほんとうにわたしはあなたを救ってあげた 一度だけでなく何千回にもわたって そしてあなたはわたしの腕の中で眠った 愚かな子どもよ わたしが見守る中 あなたは遊んだ 名前さえ知らない神さまについて たわごとを言った もちろん わたしの沈黙にあなたは驚いた そして言い放ったのです わたしは無知な気まぐれ女 粗野な娘 獣が父親で あなたという夫にふさわしいルールのもとで その断固とした導きによって気品を身につけはしたが 泥だらけの街で裸で横とんぼ返りして廻った 肌の黒い娘だと まったくその通り わたしはほとんど口を利かなかった あなたはそう言った そしてあなたは何も聞いてくれなかった ただあなたは大げさな夢をもてあそんだだけ それから祖国の王さまのご機嫌を取ろうと思いたって それゆえに仰々しい書状を送りつけたのです わたしはあなたをじっくり観察した あなたの策略を理解し それでもあなたを守った あなたに従って死んでしまうほどでした 無駄死に キリスト教徒の死を腐敗させたのです そしてあなたは 裏切り者 白人 わたしの息子の父親 生き残り わたしがあなたに教えたことを利用して わたしが骨になるまで利用して 夢に描いていた以上の富を手に入れたのです |
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「アメリカ・インディアン 奪われた大地」フィリップ・ジャカン著 より引用


ポカホンタスの肖像ではありませんが、私が抱くポカホンタスのイメージそのものです。
Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)