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Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
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Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)

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アメリカ・インディアン闘争史 ディー・ブラウン 著 鈴木主税 訳 草思社 この本は暴露している。そこには人間とも思われない白人によって繰り返される インディアンへの虐殺の歴史が緻密な記録をもとに描かれ、またどのような迫害に あっても白人との共存を模索していた崇高なインディアン首長の姿を見ることが出来 るであろう。 半世紀の間に西部の開拓は完了したがそれは同時にインディアン征服の完了 とも重なっている。すなわち1890年のウーンデッド・ニーの虐殺をもってインディ アンの組織的抵抗は終わりをとげ、同時にフロンティアも消滅した。1860年から わずか30年間にシャイアン、ユート、アパッチ、スー、コマンチ、ナヴァホ、カイオワ、 アラパホの各部族は次々と滅ぼされた。白人にとって土着アメリカ人であるイン ディアンとは、開拓されるべき自然の一部であり、物理的に排除されるべきもので しかなかった。フロンティア開拓にまつわる神話をアメリカ史はほこりとしている。 だがそこに犠牲となったインディアンの声がきかれることはまれである。著者は 条約会議でのインディアンの発言の速記録などをもとに本書をかきあげた。彼ら の言葉は雄弁であり、詩的でさえあり、そのいたましい歴史とともにわたしたちの 心を打たずにはおかない。・・・・・・・・・・・・・・・・本書より引用 |
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アート・デイヴィッドソン著 鈴木清史+中坪央暁訳 明石書店 世界中の子どもたちに。世界の人びとが自分たちの生活様式で生きていくことが できることを知ってもらうために。 (本書より・アート・デイヴィッドソン)
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写真で綴る北アメリカ先住民史 アーリーン・ハーシュフェルダー著 日本語監修 猿谷要 赤尾秀子・小野田和子訳 BL出版 日本で発行されたことはなかったかも知れない。視覚的にもとても見やすく、イン ディアンが辿ってきた苦難の道を振り返ることが出来るこの文献は、初めてイン ディアンに関心を持つ人々にとって最良の文献の一つに数えられるのではと思う。 私自身にとっても、今まで見たことがない写真が数多く掲載されており、心を打た れてしまいました。4300円もする高価な文献ですが、それだけの価値はある 文献ではないかと感じています。ただこの本の編集をした方が書いたものかどうか はわかりませんが、「世界史のなかでもひときわ知的興味をそそる悲しみに満ちた 彼らの歴史」という紹介文の言葉に何か抵抗を感じずにはいられませんでした。 ヨーロッパ人探検家と接触して以来、何百年にもわたり故郷を守る戦いをつづけ てきました。本書は世界史のなかでもひときわ知的興味をそそる悲しみに満ちた 彼らの歴史を、16世紀から20世紀にいたるまで、時を追って詳細に綴ります。 ヨーロッパからの移民がおしよせるなか、先住アメリカ人たちは白人文化への 同化を強制され、父祖伝来の土地を守るために戦い、現代でもなお、アメリカ社会 の一員として、先祖から受け継いだ信念や風習を守りぬこうとしています。本書は 豊富な写真とわかりやすい解説に加え、ネイティヴ・アメリカンの居住地域や戦場 を地図で示し、胸をうつ先住民のことばを引用して、過去の事実をいきいきといま によみがえらせています。 (本書より引用) |
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ヨラン・ブレンフルト 編集代表 大貫良夫 監訳・編訳 朝倉書店
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正義と賭博と部族国家 スーザン・小山 著 三一書房 きたインディアンとアメリカ司法制度の問題点を明らかにしていく(同著・帯文より)」こ の書は、現代においてもインディアンが絶えず社会的にも文化的にも白人からの迫害 にさらされている現実を問い掛け、アメリカ社会に潜む暗部を明らかにしていくもので ある。またこの書はインディアンに関心のある方たちだけでなく、アメリカという国、 白人とは何者かを真に知りたい人にも読んでいただきたい本である。明治より「西洋 に習え」を合い言葉に近代化を進めてきた日本が陥っている「アメリカ・白人」という憧 れの対象の真の姿をこの本は良心を持って描き出しており、また移民として著者を受 け入れてくれた国の将来への期待とが交差しているからである。この書は現在のイン ディアンが置かれている政治・司法・社会的側面を考察している数少ない本の一つに 数えられる。 民主主義の実践者たる市民が、どれだけその原則に忠実であろうとしているかで ある。以上述べたさまざまなことがら、そして本書で検討している「シンプソン裁判」 や「ハウス裁判」の相互関係は、一見脈絡のないジグソウ・パズルのように見えよ うが、これらはすべて、司法の公正とその矛盾を指摘する題材としてあげたもので ある。私個人としては部族政府の権限を合衆国の人々がもっと正確に把握し理解 すれば、この国は単に物質力の豊かさだけでなく、内奥の美しい原理原則の国と して真実偉大な国となるに違いないということを、自分を移民として受け入れてくれ た国に住む毎日のなかで、ことあるごとに考えながら暮らしている。国民とそれを 代表する政治家も、この白人の国はインディアンから与えられたものであること、 永遠にインディアンの国土であることを深く肝に銘じ、最高裁判事ヒューゴー・ブラッ クのいったように、偉大な国家として偉大な人物のようにきちんと約束を守れば、 世界の誰からも尊敬される真の指導者になることは間違いない。その感慨を日本 の人々と共有したいと思ってこの本を書いた。部族の立場を真に理解することが、 合衆国という、日本ともっとも密接な関係にある国家をもっと良く理解する一助に なると深く信じている次第である。 (本書より抜粋引用) |
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富田虎男著 雄山閣出版 野蛮なゆえに滅ぼされた過去の人なのであろうか?本書は彼らの正当な歴史的 役割を評価し、勝者のつくりあげた歴史像の虚偽を追求する」と本書・帯文に書か れているように、多くの文献を土台にして書かれた力作である。本書は「歴史公論」 に連載されたもので、植民地時代から19世紀後半のドーズ法やインディアン再組 織法などの矛盾を深く考察している。 ようやくその緒についたところである。研究成果の蓄積も一、二を除いて無いに等 しい。このような状況のなかでインディアン史を通して書くことは、無謀のそしりを免 れないかもしれない。ましてインディアン史への関心はすでに20年も前から抱きな がらも、研究そのものは遅々として牛歩の如くであった筆者がそれを試みるのは、 蟷螂の斧に等しいかもしれない。しかし、ここ10年、アメリカ合衆国ではインディアン 史に関する研究がめざましく進展した。また筆者の周辺でも、インディアン史に関心 を抱く学生や市民の方々がとみにふえてきた。このように客観的条件が整ってき たにもかかわらず、筆者の主体的条件は必ずしも十分に整ったとはいえないが、 与えられたこの機会に、あえてインディアンの歴史を書くことを決心した。もちろん、 本書は均衡のとれた網羅的なインディアン通史ではない。それを書くことは、筆者 の能力をはるかに超えることである。通史ではなく、これはあくまで筆者が重要だ と感じたインディアン史上の諸問題にについて、史料と研究成果によりつつ筆者な りにまとめた、ひとつの歴史叙述の試みにすぎない。しかし、筆者はここで、従来 の白人社会中心の視点からつくられた合衆国史上のインディアンにまつわるさま ざまな「神話」や通俗的理解に対して、ひとつの挑戦を試みている。筆者の意図は、 従来の合衆国史から無視あるいは抹殺されてきたインディアン側の部分を、たん に付加したり補填することにあるのではなく、むしろインディアンや黒人やその他 のこれまでその主体的な役割を無視されてきた人びとの歴史的役割を正当に 評価することによって、全体としてのアメリカ合衆国史像を再構築することにある。 これはそのための作業の一過程である。1982年6月 (本書 はじめに より引用) |
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横須賀孝弘著 日本放送出版協会 から描いた文献で、歴史にその多くのページを割いて紹介している。それと共に 現在のスー族の一人ひとりのインディアンのあるがままの姿を描き、彼らの聖なる 儀式(ユイピ、サン・ダンス、赤い矢の儀式)や民族の祭典パウワウの様子を詳しく 描き出している。また本書はそれに留まらずインディアンを美化し神格化しすぎて いる最近の傾向にも一石を投じ、その実像を著者なりに解釈している。この傾向は この私のページでも当てはまることだが、白人入植以降インディアンの部族間の 対立・戦争は古き時代のものとは異質なものとなってきたと私は捉えている。詳しく は「インディアンの残虐性の真否」をお読みいただければと思うが、多くのインディ アンの言葉に接するとき、私自身また著者とは違った想いを感じてならない。だが、 近年のインディアンに関しての行き過ぎた美化が産みだした弊害も存在することも 事実であろう。それは「リトル・トリー」に象徴される偽書において、インディアンの 魂が商業主義に利用されていることがまず上げられる。それは彼らが今でも虐げら れている民族であることなど眼中にはなく、自らの私腹を肥やすためだけに利用し ているに過ぎない現実があり、このような偽書は精神世界と呼ばれる分野では顕著 に見られる傾向にある。私自身このホームページを通して主に白人入植以前のイン ディアンの精神文化の実像を探っていきたいと思っている。そしてインディアンに限 らず先住民族が現在置かれている実状と何がそうさせたのかをも理解し、私たちが 歩むべき社会とはどのようなものでなくてはならないのを共に探っていきたいと願っ ている。その為にもインディアンの実像をみなさま自身が自らの手で確かめてみる ことが必要不可欠なのかも知れない。その意味で、本書は美化されすぎている 最近の出版界の傾向に、一石を投じた価値ある文献と言えよう。そして、どんなに 解釈や想いが異なろうが著者も私も彼らインディアンが好きなのだということを。 りだった。総じて、暮らし向きは決して豊かとは言えない。八方塞がりな社会状況の 中で、抱える悩みも多いに違いない。それでも、みんな生きることを存分に享楽して いるようだった。しかも、部族の明日のこともきちんと考えている。例えば、ジョーだ って、確かに酒には弱いが、決してただの酔いどれではない。73年のウンデッドニ ー占拠では仲間とともに戦っているし、部族の進むべき道について考えを訊けば、 しっりとした意見を返してくる。子供の頃から憧れつづけてきた北米インディアン。 野に生きる知恵に富み、逞しく勇敢な、私にとってのスーパーヒーロー、「大平原の 戦士」たち。しかし、その面影は、祭りや儀式など特別の場を別にすれば、今の彼 らにはない。それは、武士道に生きたサムライの姿を現代の日本人に求めても虚 しいのと同じことだ。それでもやっぱり、私は彼らが好きだ。栄光の歴史を背負った 人々の末裔だからではない。彼らを人間として好きになったのだ。彼らのことを想い、 彼らの暮らす居留地の情景を心に浮かべると、そのたびに胸が締めつけられるよ うな懐かしさを感じる。遠い異国の人々であり、不便な片田舎の土地なのに、奇妙 な懐かしさと心のやすらぎを感じるのは、一体なぜなのだろうか? (本書より引用) |
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インディアンと呼ばれた人びとの苦難・抵抗・希望 清水和久著 明石書店
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グラフィティ・歴史謎辞典15 スチュアート・ヘンリ著 光文社文庫 現状を紹介することは出来ない。北東部とか南西部など異なった地域性を踏まえ ながら簡単な紹介しか出来ないのだろう。ただ、本書の良い点は図版などが多い ことにある。本書はインディアンだけでなく、イヌイットの北米大陸の先住民たちも この図版などを通して紹介されている。 ペリーベイのはずれ、時は1975年の6月末、30人乗りの双発旅客機がツンドラ の砂利敷き滑走路を走り、もうもうと土煙を上げながら飛び立っていくのを見送り ながら、私は頭の中を懸命に整理しようとしている。ツンドラの真っ只中なのに、 見わたす限り雪はどこにも見あたらない。足元には可憐な黄色い花が咲いている。 定期便が運んでくる郵便や生鮮食料品をもって村へ三輪オートバイに相乗りして 去っていく十数人のイヌイットはジーパンとトレーナーにスニーカーという出立ちだ。 私がそれまでいだいていた北極のイメージといえば、年じゅう雪と氷に閉ざされて いる世界、毛皮服を着こんだイヌイットが犬橇を走らせている、という世間なみの 先入観だった。目の前に広がっている情景はあまりにもこのイメージとかけ離れ ている。本書では、ここからはじまった私の北極における考古学と民俗学調査の 成果、そして私自身の認識の変化をたどりながら、日本にはまだよく知られてい ない北アメリカの先住民の歴史と現状を紹介したいと思う。とはいっても、先住民 の全民族を紹介するにはあまりにも頁が少なく、表面的な事柄を取り上げ、全体 的な時の流れを示すのにとどめざるをえない。 (本書 はしがき より抜粋引用) |
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チェロキー・インディアン涙の旅路 アレックス・W・ビーラー著 片岡しのぶ訳 あすなろ書房
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ハーシュフェルダー&R・スィンガー著 愛川信子訳 明石書店 ティティ」「家族」「ふるさと」「しきたりと儀式」「教育」「厳しい現実」の項目に記された 現代の子供たちの想い。 たちが事実だと言っていることが正しいかどうか確かめよう」と勧めています。事実、 ビバリー・R・スィンガーと私がこの文集のための原稿を選んだ時、私たちのなかに あったのはこの思いでした。先住アメリカ人の若者たちはあらゆることについてたく さん書いていますが、私たちはあえて作文や詩の選択の範囲を、この若者たちの アイデンティティ(訳注 自己証明)、家族、共同体、儀式、歴史、教育、厳しい現実 についての誤解を正すものに狭めました。若者たちは知性と威厳と機知とすぐれた 洞察力でこれらの問題に触れています。若者たちの言葉は、過去百年にわたる アメリカ先住民の生活の現実に対して、生き生きとした、そしてしばしば雄弁な証言 となっています。この若者たちがわれわれに語るべきことは多いのです。 アーリーン・B・ハーシェフェルダー (本書より引用) |
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未読の文献
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アメリカ・インディアンの抵抗史 J・コスター著 清水和久訳 三一書房
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ロナルド・ライト著 香山千加子訳 植田覺監修 NTT出版
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L.H.モルガン著 青山道夫訳 岩波文庫
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アメリカ・インディアンの宗教運動と叛乱 ジェイムズ・ムーニー著 荒井芳廣訳 紀伊国屋書店
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トーマス・R・バージャー著 藤永茂訳 朝日選書
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阿部珠理著 角川書店
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酋長オセオーラとセミノール・インディアン」 ウィリアム・ハートレー エレン・ハートレー著 鈴木主税訳 現代史出版会 部のフロリダ半島に住むセミノール族が、傑出した若い酋長、オセオーラの 指揮のもとに、アメリカ合衆国の移住政策に抵抗して戦った記録である。これ は、新大陸に渡った白人と先住土着アメリカ人の交渉の歴史では、第二次 セミノール戦争として知られている。独立国としての基礎固めを一応終わった アメリカ合衆国は、この戦争にケリをつける(勝ったとは言えない)ことによって、 東部全域から先住民族をほぼ完全に駆逐したわけである(戦いの舞台は、 このあと西部に移り、1890年のウンデッド・ニーの虐殺によって、インディアン の武力抵抗がやむまで同じような侵略と抵抗がくり返された)。新大陸に渡った 白人にとって、アメリカの自然は、征服し、西欧文明の技術によって最大限に 利用すべき対象だった。旧大陸を食いつめて海を渡ってくる白人が、それこそ イナゴのようにふえ、どんな手段を使ってもそれを養わなければならなかった からである。その白人の努力を妨げたのは、きびしい気候や荒々しい自然 だった。しかし、それよりももっと大きな問題は、自然を征服すべきものとは 考えず、そこにとけこんで暮らしている先住民であり、その生き方だった。その 後の両者の交渉の歴史を、ここでくわしく述べる必要はあるまい。白人は、恫喝、 懐柔、詐欺、殺戮など、あらゆる手をつくして、土着アメリカ人の土地を取りあげ ようとした。当然抵抗が起こり、それは軍事力を駆使してのジェノサイドにつな がった。 (本書 訳者あとがき より抜粋引用) |
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ロバート・A・トレナートJr著 斎藤省三訳 明石書店 子供を白人社会に同化させることを目的とした学校である。はじめの40年間、 主な目標はインディアンの若い子供を昔ながらの生活から切り離し、彼らを 伝統文化から遮断し、彼らに白人中産階級の価値観を植え込むことであった。 「同化」と一言で言っても、その意味するところは1890年から1930年にわ たって繰り返し変わっている。絶えず変更される連邦政府の教育政策のおか げで学校の目標がその時々によって変わってしまう。そういう意味では学校 運営も国家の動向と基本方針に左右されるものである。本書の基底にある ものは変化してやまない同化教育の方針と、その方針が具体的にフェニックス・ インディアン学校にどのように適用されていったかの実態を掘り下げ、報告す ることである。・・・・本書「まえがき」より引用 |
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エドマンド・ウィルソン著 村山優子訳 思索社 いるように、かつて「ニューヨーカー」に数回にわたり掲載されたものに若干の 修正を加えて単行本として刊行されたものである。内容は一見イロクォイ族の 現状のルポルタージュという形式をとっているが、単に事実の記録と報告に とどまらず、著者の一貫した産業文明に対する鋭い批判と人間へのたゆまぬ 関心が文明および文明社会を無批判に賛美する人々に対して挑戦的とも言え る姿勢で問題を突きつけているという点が、本書の高く評価される所以であろ う。また最初の部分に、これも「ニューヨーカー」に既に掲載されたジョーゼフ・ ミッチェルの短いがすぐれたモホーク族の報告を収録してあるが、これも現代 文明へ適応してゆこうとする努力と伝統的文化への断ち難い思いの間で揺れ 動き、さまよう現代のインディアンの姿を真摯に、また温かい共感をもって描写 しており、それを併せて読者に呈示することによって現代文明に対する疑問を 投げかけている。(中略) 著者が、本書を著すに至った最初の動機は、この ニューヨーク州の先住民イロクォイ族の土地係争問題への関心であった。そし て直ちに、イロクォイ族が<州あるいは連邦>政府の不正義の犠牲になって いることを悟り、彼の知的好奇心と正義感をこの問題に捧げたのである。本書 の中でイロクォイ族の各保留地における土地係争問題の経過が非凡な冷静さ と明敏さをもって記述されている。しかし本書の内容を非常に豊かにし、かつ 奥深くしているのは、単に土地問題を中心とする人種・民族間抗争という視点 にとどまらず、近代文明対伝統的文化、国家(ないし州)権力対市民の権利と いう視点に立ってこの問題を把握しようとしたことである。 (本書 訳者あとがき より引用) |
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スー族の酋長が記したアメリカ・インディアンの歴史 D・チーフ・イーグル著 神田栄次訳 誠文堂新光社
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スティーブン・J・クラム著 斎藤省三訳 明石書店
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ジャック・M・ウェザーフォード著 小池佑二訳 パピルス
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W・T・ヘーガン著 西村頼男・野田研一・島川雅史訳 北海道大学図書刊行会
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コロンブスと闘う人びとの歴史と現在 上村英明著 解放出版社 先住民族の権利回復運動が大きな飛躍をとげる歴史的な「チャンス」と言える。 しかし残念ながら、この日本では、「国際先住民年」に対する関心は市民か ら行政まで極めて低い。解放出版社から、先住民とは、どういう人びとで、 その人権がどういう状況に置かれているのかという視点から、本を執筆しな いかと連絡を受けた時には、正直に言うと、躊躇してしまった。先住民族は 北極圏から南太平洋までの世界各地で、それぞれの生活を営んでいる。 先住民族としての共通の運命を背負っているが、その歴史的背景、そして、 文化や価値の独自性に至っては、実に千差万別であるからだ。そもそも、 先住民族の歴史と現状、権利を一冊の本にすることなど、それこそ、無謀 な冒険以外のなにものでもない。しかし、例え「冒険」であるにしても、誰か がやならければならないと、しばらくして、思い直すようになった。それは、 第一に、日本における先住民族の権利問題への関心があまりに低く、ある 種の総括的な入門書が、どうしても必要であると痛感することが何度かあっ たからである。第二に、国際的な先住民族への関心の高まりに影響されて、 先住民族の権利問題が紹介されるようにはなってはきたが、そうした紹介も、 上澄みだけをすくうことが多く、基本的な問題や、その歴史がすっぽり抜け 落ちている場合が少なくないからである。先住民族との共生は、言語や風俗、 伝承、行事それだけを取り出し、記録したり、保存したりして達成できると 思われた時代から、はるかかなたに進んでしまった。現在では、民族自決権 や土地権、資源権、環境権が世界各地で議論されており、その土俵の上で 初めて、文化や伝統の維持、発展の問題も検討されるという時代になった のである。こうした状況を理解してもらうためには、誰かが先住民族の置か れている世界的状況とその歴史を包括する本を書くという「冒険」を行うこと しかなかった。 (本書・あとがき 上村英明 より引用) |
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青木晴夫著 講談社現代新書
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ナンシー・Y・デーヴィス著 吉田禎吾&白川琢磨訳 ちくま学芸文庫
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ルーシー・マドックス著 丹波隆昭 監訳 開文社出版
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アメリカ先住民文学の先駆者たち」 西村頼男著 開文社出版
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西村頼男・喜納育枝 編著 ミネルヴァ書房
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アメリカ先住民文学 青山みゆき著 開文社出版
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L・ハンケ著 佐々木昭夫訳 岩波新書 に終わりなし、また、過去を描く書物は絶えず改訂を施さるべしという古い箴言 が、真理を語るものであることがよくわかる。この改訂は新しい材料の発覚か ら来ることが多く、また誰でも知っている資料から新しい解釈が出てくることも ある。本書を執筆するに当って、私は、これまで利用されたことのない手稿を 含めて、当面の問題に関するあらゆる資料を動員しようと試み、また、私自身 の見解を打ち出すに先立って、従来のすべての解釈に検討を加えようと努めた。 そして、「過去は序幕である」(シェークスピア作『テンペスト』中の言葉)から、 いや少なくとも時折はそうであるから、私は1550年の思想上の闘争が今日に もつながる問題であることを示そうと試みた。アリストテレスの地理上の概念が アメリカ発見に影響したことは、かなり前から知られている。だが、スペインに よる征服期に、彼の先天的奴隷人の説がアメリカのインディオに適用されたと いう事実が、まともに研究されるようになったのはごく近年のことである。一般的 に言って、15世紀以前には本当の意味での人種的偏見なるものは存在しなか った。人類はさまざまに対立する人種ではなく、「キリスト教徒と異教徒」のふた 通りに分かれていたからである。ヨーロッパの、アフリカとアメリカそして東洋の 発展が局面を一変させたのであり、それゆえ世界的規模で人種問題を考えよ うとする者にとって、スペインが経験したことの詳細は大きな意味を持つ。二人 の優れたスペイン人、バルトロメ・デ・ラス・カサスとフワン・ヒネス・デ・セプル ベダが、1550年バリャドリでこの問題について論戦を行ったことは、西欧世界 の知性の歴史における最も興味深いエピソードのひとつである。この時、一個 の植民国家が、おのれが帝国の版図を拡大するのに用いている手段は正義 にかなうか否かという問題を、公の組織によって究明しようとした。これはそれ 以前に例のないことであり、また今後とも決して起こり得ぬことであろう。また この時、何世紀も前にアリストテレスが立てた理論に従って、一人種全体に 劣等者、生まれながらの奴隷人との烙印を押そうとする、近代世界における 最初の試みが見られるのである。この問題に関する激しい論戦、その大論戦 がアメリカに対するスペイン王の政策に及ぼした影響、同じ理論を他の民族に 適用しようとする、以降の時代に見られた試み、16世紀の闘争の現代世界に とっての意味、これらの事柄が本書の内容を成す。 (本書 序 より引用) |
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歴史を糧に未来を拓くアメリカインディアン 青柳清孝 著 古今書院
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鎌田遵著 岩波新書
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インディアンと植民者の環境史 ウィリアム・クロノン著 佐野敏行 藤田真理子訳 勁草書房
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エリコ・ロウ 著 生活人新書
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東岡耐 著 現代書館 ブルジョア的諸原則に妥協する文明改良思想にすぎない。それは母なる 大地の支配・収奪を容認する自然征服思想である。それは有色人・異邦人 の奴隷化を正当する奴隷主思想である。それは非ヨーロッパ人の植民化・ 帝国的収奪を正当するヨーロッパ帝国主義思想である。それは原始共同体 諸部族に文明化を強要する文明帝国主義思想である。それは無際限的な 「文明の進歩」を信仰する文明至上主義思想である。それは生産力の限り なき発展を盲目的に美化する生産力至上主義である。それは原始共同体 諸部族の征服・強奪と植民地従属国人民の搾取・抑圧から一定の利益を うけている植民帝国内の平民派、小奴隷主的プロレタリアートの改良思想 にすぎない。これに対して、当のマルクス主義者は目を三角にして反論する であろう。マルクス主義こそは誰が何といおうと完全無欠の唯物思想であり、 人類の解放思想であり、普遍的な革命思想である、と。よかろう! アメリカ 合衆国という史上最悪の盗賊帝国の歴史を通じて、マルクス主義文明史観 に対し具体的にチャランケ(談判)することにより、マルクス崇拝者がつくりあ げた輝ける偶像を徹底的に破壊することにしよう。文明社会はいまや急坂 をころげるごとく、奈落に向かっている。階級文明的ないっさいのものの 存立基盤が音をたてて瓦解しはじめた。この人類の未曾有の危機を革命的 に揚棄するものは階級文明社会の、あるいは奴隷主植民社会の諸体系の 中で矛盾の解決をはかろうとするマルクス主義の中にはありえない。それは 腐り切った奴隷主帝国を根本から粉砕しようとする植民地奴隷の革命戦争、 そして汚辱にまみれた階級文明総体の解体をめざす原始共同体諸部族の 革命闘争の中にのみ存在する。赤人被抑圧人民の生きる辺境最深部に 退却し、そこから合衆国帝国主義打倒の狼煙をあげたゲバラ、その闘いを 跳躍台として、世界社会主義共和国の大義のもとに、国際革命戦争を目的 意識的に遂行する新潮流があらわれた。アメリカ盗賊合衆国に災厄あれ! アメリカ盗賊合衆国を美化する一切の勢力に災厄あれ! 第二・第三のベト ナム革命戦争に光栄あれ! 第二・第三のリトルビッグホーン戦に光栄あれ! (本書・はしがきより引用) |
未購入(新刊も含む)の文献


Soyaksin - Blood
Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
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