「ますらお」

クリンギット・インディアンに残された物語 

 北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社より引用

北山耕平さんのホームページ「Native Heart」





シドニー・ハンチントン・・・・1915年、コユーコン族の母と元金鉱掘りの白人の父のもと、

北アラスカ、コユコック川のほとりに生まれる。5歳にして、母の事故死に遭い、熊がさま

よう原野に弟妹と取り残されたのを皮切りに、以後の生涯は波乱と冒険に満ちたものと

なる。少年期より、冬は零下50度の雪原に犬ぞりを駆って狩りをし、夏は大河ユーコン

で鮭を獲った。大地からじかに恵みを得る暮らしの中で、部族の古い習慣、伝統精神を

学ぶ。のち、アラスカ州漁業狩猟局のメンバーとして野生生物の保護管理に当たる。

インディアン子弟の教育にも情熱を注いだ。数々の社会的貢献により、アラスカ大学か

ら名誉博士号を贈られる。


アラスカ・コユーコン族・「長老たちからの贈りもの」を参照されたし





本書より引用。


アメリカ・インディアンの人たちは「物語を分けあうためには最低でも二人の人間が

必要である」と言います。その二人とは、ひとりは話し手で、もうひとりは聞き手です。

ネイティブ・アメリカンのストーリー・テリングにおいて、聞き手の果たす役割は重大

です。人が話す物語は、部屋が空っぽでも一方的に流されつづけている映画やテレ

ビ番組とは、まったくちがうものです。物語というのは、つねに語り手と聞き手の間

で互いに分けあうものなのですから。そうやって語りつづけられてきた物語は生き

ものであり、ある人はそれを一本の大きな樹にたとえます。物語という樹にはたくさ

んの枝があり葉があります。それらのなかにはたくさんの経験と知識が詰めこまれ

ていて、よいお話は新しく語られるたびに新しい発見があるものだからです。また

物語が生きものであるという意味で、それを動物に譬えることもできるでしょう。

私がこのシリーズで文字に定着させてお聞かせした物語は、どれも言うならば「生

きものの骨組み」みたいなものです。この骨組みにどんな肉をつけ、肌をつけ、動

きをつけ、想像力を働かせ、不思議や、魔法をふりかけるかは、聞き手であるあな

たのこれからに任せられています。なんどもなんども繰り返して読んで、これらの

本を見なくてもお話が頭のなかから聞こえるようにしてください。あなたはこれから

さまざまなことを人生において経験するでしょう。自分を探して生きることは、カル

チャーセンターでは学ぶことができない経験です。そうやって学んだことをこれら

のお話のなかに加えていき、あなた自身のお話をつくりあげていってほしいので

す。わたしたちは語られる物語を失って久しいのです。自分を理解し、自分を取り

巻いている世界を理解するための物語を、これから自分たちでつくりだしていかな

くてはなりません。もし自分の暮らしがつまらないと感じているなら、それはそこに

物語がないからです。一方的に流されてくる娯楽がいくらあっても、分けあうにた

る物語がひとつもない人生はつまりません。あなたの物語に耳を傾けてくれる人

たちとあなたの物語を分けあいましょう。生きものとしての物語は、そこにこめら

れた力が正しいものであれば、そこにおのずから聞き手をつくりだします。あなた

は世界でいちばん最初に語られた物語を想像したことがありますか? 神さまが

人間をつくりだした最大の理由は、ほかならぬ神さまが物語を聞きたかったから

なのです。

北山耕平




APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 

 

2012年5月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





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題・・・「お父さん、宇宙が、金環日食が、ここにもあるよ」・・・自宅近く



(K.K)



 

2012年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



2004年の金星の太陽面通過、太陽の右側に金星が写っています。(写真はNASAより引用)



今日の部分月食は厚い雲に覆われ見ることが出来ませんでした。



でもお陰で近くに天体観望できる開けたところを新たに開拓することが出来たので感謝です。



ところで、明後日の金星の太陽面通過ですが、上の写真は2004年6月8日の時のものです。



じゃあ明後日見逃しても数年後に見れるんだ、と思われたら大きな間違いで、次は105年先に

なってしまいます。



105年先というと、現在の赤ちゃんでも見るのは殆ど出来ず、その赤ちゃんの赤ちゃんが長生

きしてようやく見ることができるのだと思います。



私たちが明後日見る金星の太陽面通過、そして次に目にするであろう世代を想像するとき、

インディアンの言葉を思い出します。



☆☆☆☆



「私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも七世代先の人々のことを念頭におきなが

ら行われる。



これからやってくる人々、まだ生まれていない世代の人々が、私たちよりも悪い世界で暮ら

したりすることのないように、できればもっと良い世界に生まれてこられるように心を配るの

が、私たちの仕事なのだ。



私たちが母なる大地の上を歩くときに、いつも慎重に一歩一歩進むのは、これから生まれ

てくる世代の人々が、地面の下から私たちのことを見上げているからだ。



私たちはそのことを、片時たりとも忘れない」



オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)



「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」築地書館より



☆☆☆☆




(K.K)









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