「Decisive Games in Chess History」

Ludek Pachman著










チェコスロバキアの国民的英雄であった
パッハマンの文献。当時共産主義であった
チェコの自由化を訴え「二千語宣言」を
起草する。しかしこの宣言がソ連の介入
を呼び「チェコ動乱」となる。その後パハ
マンは精神病棟に収容されるが、世界の
チェスファンの嘆願により国外追放となる。
本書には、65の著名な大会並びに選手権
試合より優れた局を抜粋し分析している。


日本語訳されたパッハマンの名著「チェス戦略大全」全3巻の中のT巻、「チェス戦略大全T 駒の活用法」

日本語訳されたパッハマンの名著「チェス戦略大全」全3巻の中のU巻、「チェス戦略大全U ポーンの指し方とセンター」






Fischer v Pachman, Leipzig Olympiad 1960


Pachman v Najdorf


Pachman v Botwinnik


 
 


Ludek Pachman(パッハマン)

1924年5月11日、チェコスロバキアにて生まれる。チェスで最初に評価されたのは

1943年のプラハにおける国際トーナメントにおいてです。優勝がアリョーヒン、2位が

ケレス、パッハマンは19人中9位の成績でしたが、アリョーヒンは彼に賛辞を送り、

毎晩彼を招待し、ゲームと定跡の分析を行っています。1963年のハバナでのトーナ

メントでは、優勝のコルチノイに次ぐ2位の成績(タリゲラーと同点)が輝かしい成績

として残っています。1959年、パッハマンは2度続けて16歳のフィッシャーに勝利し

ます。彼は最初は共産党員でしたが、後に反共産党に転向し政治的な発言を行うよ

うになります。1968年のアテネでのトーナメントで優勝し、プラハへ帰りましたが、チェ

コスロバキア政府は彼を逮捕し何ヶ月も拷問を受け、パッハマンは自殺を企てます。

1969年のクリスマスイブの日、医師は彼の妻に電話し危篤であることを告げますが、

世界中のチェスファンの嘆願により、1972年西ドイツに移住することができました。

パッハマンは5つの言語で80冊の本を出していますが、「Modern Chess Strategy

を彼自身最も高く評価しています。2003年3月6日西ドイツにて亡くなりました。



 


この下の試合は1994年、パッハマン70歳のとき、元日本チャンピオンの西村裕之と対戦したもの

です。西村さんは4回日本チャンピオンになり、1995年、ゾーナルで日本人として初めてIMノーム達成

(パフォーマンス2476)した方です。西村さんのホームページには、膨大なチェス用語小辞典(英和)が

掲載されており、とても参考になるのではと思います。

「雑役翻訳屋の生活と意見」


Hiroyuki Nishimura vs Ludek Pachman
It 1994 ・ Sicilian Defense: Lasker-Pelikan. Sveshnikov Variation Novosibirsk Variation (B33) ・ 0-1

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西村裕之さんの国際戦の棋譜

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