Robert Fischer ロバート・フィッシャー(20歳の時)








永遠のライバル、スパスキィとフィッシャー 。1970年ドイツ・シーゲンで行われた

オリンピックでの対戦(世界選手権の2年前)。写真撮影はBRUCE WEBER。



「A PICTURE HISTORY OF CHESS」 by Fred Wilson より

この画像は1966年、キューバのハバナにおいて行われた17回チェスオリンピック

において撮られたもので、右側のカストロ議長と話しているのがフィッシャー。





「CHESS IS CHESS」Chess Informant CD-ROMより引用


Robert Fischer (ロバート フィッシャー)

「激闘譜 シュタイニッツからフィッシャーまで 歴代チェスチャンピオンからの珠玉集」

マックス・エイベ著 松本康司訳 日本チェス出版社より引用


11人目のチャンピオン、ロバート・フィッシャーは1943年3月9日シカゴで生まれました。

姉のジーンが彼にチェスを教えました。家族はすぐニューヨークに越すことになり彼はここ

でチェスの最初の上達が始まります。トーナメントには1955年11才のとき参加していま

す。1957年はこの若いプレーヤーにとって素晴らしい成績の年として忘れられません。

サンフランシスコのジュニア選手権で優勝。クリーブランドの全米オープン、ニュージャー

ジー・オープン、そしてニューヨークの全米選手権とわずか14才の少年が驚異の優勝を

続けました。フィッシャーはソ連のチェスの文献から豊富な知識を得るためにロシア語を

学びました。インター・ナショナル・マスター位は1957年、そしてグランド・マスターを19

58年、史上最年少記録です。1960年さらに優勝の数を加えます。マル・デル・プラタ、

レイキャビク。ライプチヒのオリンピックでは1将として出場し最高勝率をあげ、またアメ

リカに帰っては全米選手権で優勝。1962年のストックホルム・インター・ゾーナル。ここ

でも首位となりましたが、続くキュラソーでの挑戦者決定戦では4位となって久し振りに

敗者の悲哀を味わいました。技量まだその域に至らずということだったのでしょう。フィッ

シャーはこのあと国際大会から姿を消しますが、時の流れを決して無為には過ごしませ

んでした。彼特有の頑固なまでの不屈のねばり強さで研究に没頭していました。これから

立ち合わねばならぬ相手を徹底的に調べ上げました。1966年、国際舞台に登場します

が1968年また引退、そして1970年再復帰。この年こそ彼のこれからの大活躍の始ま

りです。破竹の勢いとはこのことでしょう。ユーゴスラビアで行われた“世紀の対決”。(全

ソ連最高峰 対 残りの全世界のベスト・プレーヤー。双方10人づつによる対抗戦。当時

の全世界愛好者の期待した夢の企画でした。訳者註)。ここでフィッシャーは二将として

出場ペトロシアンを3−1で倒しました。ザーグレブ、ブエノス・アイレスの大会にも勝ち、

マジョルカで行われたインター・ゾーナル・トーナメントでも優勝したフィッシャーは世界タイ

トルの恐るべき挑戦者と見られるに至りました。挑戦者決定戦におけるタイマノフおよび

ラースンとの試合はチェス界では皆フィッシャーの勝ちを予想しました。とはいえ、この2

人の俊才に連続6−0、6−0で完勝するとは誰も考えが及びませんでした。世界のジャー

ナリズムが騒然となる中をフィッシャーの対局は続きます。相手はチャンピオンを失ったと

はいえ万戦練磨、防御の大名人ペトロシアン。フィッシャーはこお試合にも5勝1敗3和で

完勝、いよいよ最高位を極めるか否かチャンピオン、スパスキイへの挑戦です。記者たち

のインタビューに答えて、ペトロシアンはフィッシャーの強さをよく認め次のように述べまし

た。「フィッシャーは素晴らしい。彼は局面の難解なところを一目で見出し、一目で解いて

まう。フィッシャーはチェスの新しい考え方に全部精通しているから用心するように言って

おきたい。どんな手にも彼は動じない。そして針の先で探すような小さな優位を見出そうも

のなら、あとはまるで機械だ。彼のミスを期待するのはムダだ。フィッシャーはまったく希有

のプレーヤーだ。スパスキイ、フィッシャー戦は一荒れするだろう。」 スパスキイ対フィッシ

ャーの試合のための準備と交渉が始まりました。第28期世界チャンピオン決定戦はかくし

て1972年7月11日アイスランドのレイキャビクで幕をあけました。世界の耳口はその始ま

る一週間レイキャビクからの発表に集中しました。第2局が終ってスパスキイが2局目の

不戦勝を入れて2−0でリード、フィッシャーは2局目を欠席したからです。そしてこの試合

が互角となったのは、5局目が2.5−2.5終ったときただ一度でした。6局目白番のフィ

ッシャーはキングを盤端に捉えて快勝し、以後試合が終るまでリードを保ちました。フィッ

シャーは8局目および10局目に更に勝点を加え、一方スパスキイは第11局に一矢を報

いその差2点。しかし、13局目および21曲目、フィッシャーは確実に差を拡大して12.5

−8.5のスコアで栄冠を奪取することに成功しました。この新チャンピオンはチェスに対

する最大の愛情と、一心不乱の研究訓練と適を十分に知り尽くしての戦いによって勝ち

取ったものといえましょう。精神と肉体の全てを投入しての努力を全局に注ぎ、この強烈

な緊張を最初から最後まで続けたのです。新しい挑戦者を迎撃するために、フィッシャー

はそして再び数々のゲームを分析する求道の世界に入りました。(フィッシャーはこのあと

チャンピオン決定戦の制度を変更する条件を提出、1974年のFIDE総会により一部認

められました。このあと挑戦者にソ連の新星23才のカルポフが決定。希代のプレーヤー・

フィッシャーのチェスを再度目にしたいと世界中の愛好者が望みました。フィッシャーの残

りの要求を満たすべく、FIDEの臨時総会が1975年春開かれましたがこれは却下され、

フィッシャーは不戦のままカルポフに王座をゆずりました。彼フィッシャーは信仰生活に身

を投じました。訳者註) 本書より引用。







   


「THE BOBBY FISCHER HOME PAGE」より

Robert Fischer (ロバート フィッシャー) この二つの写真は世界選手権が行われた1972年に

撮られたものだが、フィッシャー自身結婚しておらず、左の写真は誰か友人の家にいたときのも

のと思われる。ただこのような家庭的な雰囲気の写真はフィッシャーにしては非常に珍しい。



Fischer(右) - Spassky 1972年世界選手権時の写真



このアイスランド・レイキャビクで行われた、世界一の座を賭けた二人の天才の対決の

様子は「白夜のチェス戦争」ジョージ・スタイナー著 諸岡敏行訳 晶文社という本に

詳しく描かれています。1975年に世界選手権でカルポフとの対局を拒否してチャン

ピオンの称号を剥奪されたフィッシャーは、経済的には困窮しながらも20年間対戦

相手なしに耐え孤独な研究を続けていました。しかし1992年突然「フィッシャー、20

年ぶりのカムバック」という記事が世界中を飛び回りました。日本では新聞の片隅に

しか載りませんでしたが、世界ではビッグニュースだったのです。現在のチャンピオン

のカスパロフ(ロシア)などはフィッシャーを神様のように崇めて成長してきました。その

フィッシャーの試合を再び見ることが出来る。世界中の多くのチェス愛好者の目と耳は

ユーゴスラビアに集中しました。相手は前のチャンピオンで1972年の世界選手権で

戦った宿敵スパスキイ。ここでの詳しい模様はフィッシャーと親しい渡井美代子さんが

書いた「最新 図解チェス」日東書院に詳しく書かれています。渡井さんは日本チェス

協会事業部代表でありながらも、数々の国際大会を経験し国際女子マスター(WIM)

並びに国際審判(IA)のタイトルを獲得した方です。フィッシャーから招待された渡井さ

んが、身近にこのユーゴスラビアでの決戦の様子を見聞きした貴重なものです。そし

てこの試合からまた身を隠していたフィッシャーですが、最近ラジオのインタビューを

受けその模様がインターネットで流され物議をかもしだしました。彼自身ユダヤ人の

血を持っていながら、ユダヤ社会には敵対しています。彼の棋譜や肖像を使って私腹

を肥やすユダヤの人々を攻撃しています。彼にとってチェスは人生そのものであるだ

けに、それを商売目的で無断で利用されるのに憤っているのかも知れません。ただ、

ホロコーストに関してのフィッシャーの意見には賛成できません。しかし、彼をそこまで

追いこませたものとは一体何だったのでしょう。


2004年7月13日、フィッシャーは成田空港で出国の際に、無効なパスポートを

もって入国したとして、入管法違反で上陸許可を取り消され、8ヶ月間東日本入国

管理局に拘留されました。しかし2005年3月24日、アメリカの引渡し要求に屈する

ことなく、多くの関係者の尽力によりフィッシャーはアイスランド市民権を得、同国に

出国しました。詳しくは日本チェス協会のサイトをご覧になって下さればと思います。

2008年1月17日、アイスランドにて腎臓病のため64歳の波乱に満ちた生涯を閉じ

ました。チェスの盤面と同じ64でその命を終えたフィッシャーの名前と残した棋譜は

いつまでもチェスプレーヤーの心に残り続けていくことでしょう。









   


左の画像は1972年アイスランド・レイキャビクで行われた世界選手権(左がチャンピオン・スパスキー

右が挑戦者フィッシャー。右の画像は1992年、国連の制裁を受けていたユーゴスラビアにおいてアメリ

カ政府の警告に反しスパスキーとの再戦を表明するフィッシャー。二つの画像共、テレビ朝日「100人の

20世紀」(2001年3月4日放映)から引用。


フィッシャーは世界中のプレスを前にして、アメリカ政府からの警告書に唾を吐き

ました。警告書は商務長官からの命令で「アメリカ国民としてのプロ棋士である

フィッシャーがユーゴスラビアでチェスをすることは国連で制裁中の国に対する

技術の輸出行為に該当するゆえこれを禁止する。違反した場合は禁固10年の

刑に処し25万ドルの罰金を科す」という厳しいものでした。アメリカへ帰れなくなっ

たフィッシャーはそのままベオグラード市に残っています。スパスキィはブタペスト

からウィーンへ向かいました。フランス政府はロシアから帰化した元世界チャンピ

オンの新しい祖国への帰国をもう許さないといいます。フィッシャーは誠実の人で

す。約束は必ず守ります。だから、会うたび違うことをいう人を(どんな些細な食い

違いであったとしても)絶対に信用しません。フィッシャーを奇人だという人がいま

す。それはそうです。一芸に達する人は皆偏執者で、一般常識から見れば奇人

です。しかし、フィッシャーには一人よがりのわがままはありません。常識は常識

以上にわきまえています。フィッシャーは確かに被害妄想があります。しかし次の

事実は妄想ではありません。(中略) フィッシャーは、私が希望をいえば誠実に

応えてくれる最高の友です。試合のない日は私と食事するという約束は何があっ

も一度も違えませんでした。どんな偉い人がきても袖にしました。フィッシャーと

2ヶ月間の毎日は、非日常的なことの連続でした。 渡井美代子

「最新 図解チェス」松本康司監修 渡井美代子著 日東書院 より引用







「My 60 Memorable Games」
Bobby Fischer著 Faver(英語)
中身拝見
フィッシャー自身が自局を分析した
名著。自分の負けたゲームを取り
上げるなど、チェスへの真剣さ誠実
さが感じられる。版権などの問題で
絶版になってしまい、現在ではチェス
書籍では高価な値段がついている。
「BOBBY FISCHER Profile of a Prodigy」
Frank Brady著 Dover(英語)
中身拝見
フィッシャーの伝記と厳選した90局の
棋譜の解説。
「ボビー・フィッシャーのチェス入門
ボビー・フィッシャー著
中身拝見
私をチェスに夢中にさせた罪深い(?)
本です。たとえ幼稚園の子どもだって
読めます。図が大きく字も少ない、そして
構成も次第にチェスの醍醐味を感じさせ
てくれる内容となっています。この本を
通してチェスにはまった人も多いのでは
ないでしょうか。この本を書いた一人は、
今では伝説的な世界チェス・チャンピオン
のフィッシャーです。
「Bobby Fischer: from Chess Genius to Legend」
Eduard Gufeld著
中身拝見
旧ソビエトの著名なグランドマスターが知る
素顔のフィッシャー。この本を読む限りフィッ
シャーは共産主義に対しては嫌悪感を持っ
ていたが、個々のソビエトのプレーヤーに対
しては友人として接していた。各競技会前後
のインタビューなどを通して語られる新たな
フィッシャー伝。棋譜の解説は多くはないが、
読み応えがある好著。

2002年にこの本は出版されたが、著者は言う。
「真のチェスの天才と呼べる者はフィッシャーと
シュタインだけだ」と。確かに序盤の研究にプロ
集団を雇っていた前のチャンピオン、カスパロフ
ではないことは確かかも知れない。
「The Games of Robert J. Fischer」
Wade and O'connell編集 Batsford(英語)
中身拝見
フィッシャーが残した770局全ての棋譜と
解説、フィッシャーの写真。1972年以降、
チェス界から姿を消したフィッシャーだが、
その数年後、コンピューターと対戦しており、
その試合も掲載されている。1992年の
スパスキーとの再マッチは掲載されてい
ない。
「白夜のチェス戦争」ジョージ・スタイナー著
 諸岡敏行訳 晶文社
中身拝見
1972年のスパスキイ対フィッシャーの戦い
は米ソ両陣営の威信をかけた戦いであり、
壮絶な心理ドラマであった。
本書はこの白夜の町で戦われた二人の天才
の軌跡を追うと共に、チェスの歴史をたどり
孤独なチェス頭脳のメカニズムにもメスを
入れた名著。残念ながら絶版である。
「ボビー・フィッシャーを探して」
2008年1月17日アイスランドにて64歳
にて亡くなった伝説的なチャンピオン・
フィッシャーを題材とした映画。
フィッシャーに憧れる少年とその家族の
心の葛藤を描いた作品で、全編を通して
チェスの場面が登場するお勧めの映画
です。尚、この物語は実話を基にして
作られています。
「Garry Kasparov On Fischer
前の世界チェスチャンピオン・カスパロフ
が1834年からの各時代のチェス名人た
ちの棋譜を詳細に分析したもの。全5巻
もあり、チェスファンにとってはたまらない
ものですが、中・上級者向けの本かも知
れません。この第4巻は主にフィッシャー
だけを分析したものです。
「最新 図解チェス 必勝の手筋」
中身拝見
渡井美代子著松本康司監修 日東書院
国際女子マスター(WIM)である著者が
初心者向きに駒の使い方から、世界チャ
ンピオンの妙手まで優しく解説する。
またフィッシャーと親交があり、20年ぶり
に復活したフィッシャーの招待を受けユー
ゴスラビアに行き、その闘いの様子を
記した貴重な証言もある。監修者の松本
康司氏は国際チェス連盟(FIDE)の理事や、
チェスオリンピックなどの主要大会の役員・
主審等歴任したが既に故人である。
「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局」
 ラスカーからカスパロフまで」フォックス&
ジェイムズ著 松田道弘訳 
毎日コミュニケーションズ 
歴代チェスチャンピオンたちの肖像とその
最高の棋譜を紹介する。またチェスの長い
歴史の中で誰が一番偉大なのかを、過去の
名人の言葉や戦績を基に著者はフィッシャー
とカスパロフと位置づけている。フィッシャー
自身は1964年に次のように書いている。
「チェスで最も偉大なプレーヤーはモーフィー
だ。マッチ試合なら現在のどんな相手であろう
と打ち破るだろう。」
この本も絶版である





   


1956年(フィッシャー13歳)と1972年の世界選手権時の写真
下の写真は恐らく16歳の時のものと思われる。








チェス盤に産みだされた芸術

(再生用のJAVA Appletが読み込まれるまで、少し時間がかかります。)

毒舌風チェス上達法


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