Boris Spassky(スパスキー)のチェス棋譜

第10代世界チャンピオン(1937年1月30日生まれ)

 

「Garry Kasparov
on My Great Predecessors Part 3」

中身拝見

前の世界チェスチャンピオン・カスパロフ
が1834年からの各時代のチェス名人た
ちの棋譜を詳細に分析したもの。全5巻
もあり、チェスファンにとってはたまらない
が、中・上級者向けの本。この3巻では
ペトロシアン、スパスキー の各世界チャン
ピオンやこの時代を生きた名人達の名局
を詳細に分析している。

 









古今を問わずチェスを愛した数多くの人の中で、人間として最も尊敬を感じるのは誰だろうか?

アビラの聖女テレサ法王レオ13世トルストイツルゲーネフ、セルバンテス(「ドン・キホーテ」の

作者)、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(「星の王子さま」の作者)、プーシキンなど。チェス棋士

では、旧ユーゴスラビアの国民的英雄であったパッハマン、彼は共産主義であった当時のユーゴ

スラビア生まれの著名なチェス名人で、自由化(プラハの春)を訴え「二千語宣言」を起草した一人

でしたが、ソ連軍が軍事介入(チェコ動乱)し、彼は投獄されてしまいます。数ヶ月に及ぶ拷問を受

け、自殺を図ったこともありますが、世界中のチェスファンの嘆願により解放され、西ドイツに移住

することが許されました。そんなパッハマンも2003年の3月6日78歳で亡くなりましたが、彼のチェ

スの戦略を書いた本は今でも名著として高い評価を得ています。そして、このチェコ動乱の際に、ソ

連期待の天才チェス棋士スパスキーは、他のソ連選手と違い、直後の国際トーナメントで黒の腕章を

をつけたチェコ選手のひとりひとりの手を握りしめたのでした。私も含めて、日本人には想像もつか

ないことだと思いますが、当時の体制に異論を唱えることはどれ程危険なことだったでしょう。スパス

キーはその後、伝説になった故フィッシャーとチェス世界選手権(1972年)を戦いますが、彼が暗に

ソ連に抗議した行動は、世界中のチェスファンの胸に今も刻まれています。


スパスキィは天性、典型的なスポーツマンで、また一個の若者として運動競技を愛し、その方でも

よい成績を残しています。教養高く、人間活動のあらゆる分野に興味を持つインテリアで一点の

非のうちどころない人間として、謙虚なそして誰もが否定することのできないチェスの天才として、

スパスキィは全世界のチェス愛好者が永年待ちのぞんでいた理想像そのものといえましょう。

マックス・エイベ 「激闘譜」より引用


1965年撮影 対戦相手はSvetozar Gligoric








スパスキーの名局

レニングラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)で行なわれたソ連選手権での試合

だが、この試合の終盤の局面が「007危機一髪 ロシアより愛をこめて」という映画

の中で登場する有名なものです。

Boris Spassky vs David Bronstein
"The SMERSH Gambit" (game of the day Aug-29-11)
URS-ch 1960 ・ King's Gambit: Accepted. Modern Defense (C36) ・ 1-0

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Bent Larsen vs Boris Spassky
"When Pawns Attack" (game of the day Jan-08-07)
Beograd 1970 ・ Nimzo-Larsen Attack: Modern Variation (A01) ・ 0-1

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「白夜のチェス戦争」より抜粋引用

ボリス・スパスキーに親しくあうのは、ひじょうな名誉だ(7月14日朝、サガ・ホテルの

朝食時に6頁の長広告を・・・・そのなかでフィッシャーは前夜の競技を拒否した事情

を釈明し、選手権そのものが中止になるとおどしつけていたのだが・・・・かれの目に

ふれさせたのは、まったくの偶然から、わたしであった。スパスキーが「この手紙には

ありとあらゆるものがありますね、チェスいがいの」と感想をもらしたときの、悲しみを

たたえた丁寧な口ぶりは、かれならではのものだった)。


かれはたいへんな魅力をもつ、非のうちどころない礼儀を身につけたひとである。お

よそフィッシャーとちがって、スパスキーは読み書き能力は多岐にわたり、その政治

意識は敏感であるとともに大人だ。かれはドストエフスキーとソルジェニーツィンを愛読

している。かれはかつて入院したことがない。1968年8月のソビエトの侵攻まもないあ

る国際トーナメントに、チェコの競技者が腕に喪章をまいてきたとき、慎重ななかにも、

あえて同情の意思表示をした唯一のロシア人がスパスキーであり、ひとりひとりの手を

にぎりしめたのだった。ひとことでいえば、かれがときおりみせる和やかな、ユーモアた

っぷりのひとがらに、奥ふかく秘められた力と信念のみなもとがある。かれはこのゲー

ムの、おどろくほど才能に恵まれ、しかもすみずみまで訓練のいきとどいた名人なのだ。

ケーレスやタリ、ブロンステーイン、ラーセン、そしてフィッシャーの時代のチャンピオン

として、なんら不足はなかった。


だが、その典雅な個性は、たしかに重大な弱点をつくっていた。スパスキーは憂鬱に

おちいりやすく、内省的なうけ身をとりがちになる(ロシアの文学なり人生観にあるオブ

ローモフ気質)。最終分析にあたっては、意識・・・・知覚・・・・の内容が、かれにはチェ

スを指すことよりも問題であるらしい。局面のわずかな利益から勝利をもぎとり、相手

の心臓部に楔を打ちこもうとはかる殺し屋の牙と偏執狂の緊張とが、かれには欠けて

いる。チェス盤をまえにしたときのスパスキーの落ち着きは、ひどく難儀したときでさえ

そうなのだが、有名である。それは、ひとつには紳士たる礼儀作法と偉大な技巧派の

克己とによるものだ。が、それはまた、このゲームにたいする極端な冷静さ・・・・たぶん

意識下での、フィッシャーが公言したような「すべて」ではないという実感・・・・のあらわれ

だろう。ボリス・スパスキーの、一個の男としての立派さ、一競技者としての弱点は、

1972年のながい夏をとおして、大きな比重をしめるのであった。


 

1966年頃の撮影





「天声人語」朝日新聞2004年8月19日朝刊 より以下引用


10年ほど前、「ボビー・フィッシャーを探して」という題名の米国映画が公開された。チェスに才能

を見せる少年を描いた作品だ。題名の人物は、実在するチェスの元世界チャンピオンである。

一時は米国の英雄ともてはやされたが、忽然と姿を消し、もはや伝説の存在に近かった。先月、

彼が成田空港で拘束されたという報は世界をめぐった。不法入国をしていた疑いである。米国に

とっても彼は「お尋ね者」だった。強制送還されるかどうか、世界のメディアが注視している。「私

を逮捕してボビーと同じ部屋に入れてください。チェスの道具と一緒に」。ブッシュ大統領あてに

そう懇請したのは、宿命のライバルともいえるボリス・スパスキーさんだ。旧ソ連時代の世界チャ

ンピオンである。72年、世紀の対決と騒がれた対局でフィッシャーさんにタイトルを奪われた。2人

は92年に旧ユーゴで再戦、この時もフィッシャーさんが勝った。米国は経済制裁下の旧ユーゴで

の対局を容認せず、フィッシャーさんを起訴、以来彼は「逃亡生活」をしていた。その間、反米的

発言で米政府を刺激したこともあった。「彼は悲劇的な性格の人だ。恐ろしく非社交的で、普通

の基準には合わない。いつも自分の損になることばかりしている」。スパスキーさんは宿敵につ

いてそう言いながら寛容な措置を乞うた。チェスの試合では引き分けが多い。チェスの名人を

めぐって今後、日米間の綱引きもあるだろう。強制送還ではなく、せめて引き分けに持ち込めな

いものか。チェスファンの願いだろう。





スパスキーとフィッシャー 1970年9月20日、ドイツ・シーゲンのチェス・オリンピックでの対戦





スパスキーの名局集

Spassky Defeats the Best
Compiled by Anatoly21


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