
Akiba Rubinstein 1897-1947

「Rubinstein's Chess Masterpieces」
Akiba Rubinstein著 Hans Kmoch編

孤高の名人、ルービンスタインの美しい名局
から100局選び解説している。
実力は当時のチャンピオン、ラスカーをも上を
行っていたのではと現在も多くの人が考えて
いるほどの名人。ただラスカーとの世界選手権
にかかる費用を出してくれるスポンサー集めが
苦手だったことが、チャンピオンになる舞台を
遠ざけ、カパブランカの台頭によりその機会を
永遠に亡くしてしまう。後年、重い統合失調症
を患いチェスから離れていくことになる。このよ
うな精神的な疾患でチェスから離れた著名な
名人は、モーフィーやシュタイニッツがいる。
(K.K)


Fichier:E Bogoljubov A Rubinstein 12th november 1925.JPG - Wikipedia
|
左が Akiba Rubinstein 右が Mieses 1909年撮影 アキーバ・ルービンスタイン(1882-1961)ポーランド |
(以下、カスパロフ著「決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」より引用)
れる。15年にわたって世界のトッププレーヤーのひとりにかぞえられていた。ルー ビンスタインのプレーに欠点は見当たらず、その対局の多くはチェスが生んだ最高 の芸術作品として今日も輝きを放っている。1948年に国際チェス連盟(FIDE)が 管理するようになるまで、世界選手権の試合はチャンピオンと挑戦者のあいだで組 織されていたため、必然的に挑戦者が多額の資金を調達しなければならなかった。 ルービンスタインは長年にわたって見事な戦績を残していたにもかかわらず、エマー ヌエル・ラスカーとの対戦に必要な支援を受けることができなかった。絶頂期は第一 次世界大戦によって分断され、キャリアを再開したころには、名手ホセ・ラウル・カパ ブランカをはじめとする候補者たちとしのぎを削るはめになった。ルービンスタインは 傷つきやすい感情的な人物で、その傾向は人生の後半に深刻な障害へと発展して いった。一時期、ひとつ駒を動かすたび席を離れ、会場のすみに立って相手の応手 を待つことがあったという。
ビンスタインだろう。彼が精鋭の仲間入りをしてからほぼ一世紀、その優れたチェス は現代の目から見ても非の打ちどころがない。だが、彼はきまじめで実務感覚に欠 けていたために、一度ならず大きな犠牲をはらっている。トーナメントという場を目の 前のゲームほど重視する気がなかったのか、できなかったのか、ルービンスタインは 大局観を失ってよけいなリスクを負ったのだった。だが、さらに重大な欠点は盤から 離れたところにあった。20世紀前半の選手権挑戦者にはチェスの技術だけでなく、 カリスマと、スポンサーを見つける才覚も求められたのである。
ル・ラスカーへの挑戦に必要な資金を集めることに失敗した。そうした交渉につきもの の駆け引きや人前での激しい口論は、この内気なポーランド人の得意とするところで はなかったのだ。そうこうするうちホセ・ラウル・カパブランカに追い抜かれ、この恐れ を知らないキューバ人がすかさず挑戦者の筆頭であることを宣言したのである。 |
|
(以下、ジャック・ピノー著「クレイジー・チェス」より引用) ルビンシュタイン(Akiba Rubinstein 1882〜1961)です。彼が世界チャンピオンになれな かった理由の1つに、チェスを指すことそれ自体を楽しまず、究極の完全なチェスを追 い求めたことが挙げられます。そのあまり精神に異常をきたしてしまったのです。とは いえ、ルビンシュタインは私の好きなプレーヤーです。彼は貧しい家に生まれ、16歳の 時、その地方の名人に勝ち、5年後にはヨーロッパでは屈指の強豪となっていました。 1907年から1912年の間、スポンサーがつかず世界チャンピオン、ラスカーに挑戦でき ませんでしたが、多くの人が彼こそは世界最強だと思っていたのです(当時は、チャレ ンジャーがお金を出す必要があった)。今回、私は彼をこのパーティに招待したのです が、断られてしまいました。今もきっと天使のように天高く翔んでいることでしょう。完全 とか完璧というのは危険な言葉でもあるのです。さて、神々しいような夢の世界を離れ て、現実の人間の世界に戻りましょう。短い手数のゲームを紹介しますから、大いに参 考にしてください。 |
この文献(「Rubinstein's Chess Masterpieces」)に収録されている ルービンスタインの名局集 |
ルービンスタインの全棋譜集 |
