Agoyo-tsa ("Star White") (Santa Clara)

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)


魅せられたもの

1997.5.30





(大きな画像)

「オンカカカビサマエイソワカ。子どもたちの眠りを守らせたまえ」





禅と聖なる魂


私の娘(8歳)が6/1に、カトリック教会で初聖体(ミサの時、神父さんから受けとる

パンのこと)を受ける。この数ヶ月間月に二回教会で初聖体を受ける準備をして

きていた。カトリックの妻は幼児洗礼であったが、大学時代、統一原理とカトリッ

クのはざまで葛藤し、このことは両親に大きな不安を与え結果的に両親の強い

勧めにより修道会に入る準備をする学校に入ることになる。長い時間をかけ、

統一原理の誤った視点から開放された彼女だが、実に単純であるがゆえに、

彼女の信仰は素朴さを失っておらず彼女から受ける霊的恵みは私には大きな

糧となっている。ただ今の私はアメリカ・インディアンに強くひきつけられており、

教会とは疎遠の身になってしまったが、そのことでお互いが相手を説得・説教す

ることはない。互いの立場の違いについて議論することはあっても、最後は笑い

でその議論も終わってしまう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





私の家の近くには曹洞宗のお寺があり時々娘と散歩をするのだが、ある時、

娘がその近くにあるお墓を見て何を思ったのか摘み取った花を一つずつお墓

の前に置いた。「これを皆にあげるね」と言って。この時、何か心が洗われる

ような想いを、そして子供の視点の崇高さというものに気付かされた。自分が

信じている神以外のものを拝んではいけないとは大人の偏った考え方でしか

ない。人間という存在を超えた偉大なものに触れた時は、私は素直に手を合

わしたくなる。だから、他の人にこれこれの神を信じなくてはいけないとは私

には言えない。私の娘が今カトリックにひかれているのなら、それを邪魔す

る権利は私にはないし、何よりもそれは本人の自由意志に任せられている

と思うからである。しかし、この世には邪悪な宗教団体が存在しているのも

事実である。子供たちもこれから独り立ちすることによって、これらの多くの

邪悪な宗教団体に出会った時、何が聖なるものかということをしっかりと自ら

判断できる智恵を持つようにと願わずにはいられない。そしてその智恵を持

つには親の影響も大きいことを考えると、その責任も重いと言えるのではな

いだろうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





家の近くにある曹洞宗のお寺。曹洞宗と言えば「禅」を思い浮かべるが、

随分昔に大森曹玄というお坊さんの本を読むのが好きだった。何冊も読

んだわけではないが「剣と禅」「禅の発想」など心に響く作品があった。私

自身「禅寺」に行ってきちんとした方法を習ったわけでもないので「禅」に

ついて何も分かっていないと思う。しかし、「禅」から学ばされるところは、

「この一瞬を生きる」ということなのではないだろうか。・・・・・・・





このように、現在から現在へと不連続的にその一瞬一瞬を充実する

からこそ、事行の無限の連続が可能なのです。過去の必然を未来

の自由に転ずる転回点としての今を、永遠の今として実践的に行為

的につかむことができなければ、私どもは自己の人生を荘厳するこ

とはできないでありましょう。そしてまた一瞬一瞬の現在を完全に充

実しきることができなければ、畢竟、人生は空しいものとなってしまう

でありましょう。「禅の発想」大森曹玄著 講談社現代新書より引用



七十五歳を過ぎたわたしが今も元気でやっている理由は、一度に

一日ずつ生きるということを最初に教わったためであろう。我々は、

一年とか誕生日までといった長さで物事を考えない。明日死ぬかも

しれないというつもりで、一日一日を生きている。したいと思うこと

をして、毎日ベストを尽くす。もしのらくら過ごしたいと思ったら、そ

の日は精一杯のらくら過ごす。せっせと働きたいと思ったら、その

日は本気で働くのである。真にインディアン的な生き方では、我々

は眠くなったら眠り、起きる準備ができたら起き、腹がすけば食事

をするという具合だった。決められた時間はなかったのである。

「母なる風の教え」ベア・ハート著 講談社より引用



そこにたどりつこうとあせってはいけない。

「そこ」など、どこにもないのだから。

本当にあるのは「ここ」だけ。

今という時にとどまれ。

体験をいつくしめ。

一瞬一瞬の不思議に集中せよ。

それは美しい風景の中を旅するようなもの。

日没ばかり求めていては

夜明けを見逃す。

「ネイティブ・アメリカン(インディアン) 聖なる言葉」宇宙の響きを聴け

ブラックフルフ・ジョーンズ&ジーナ・ジョーンズ著より引用





最近読んだ「聖なる魂」という現代アメリカ・インディアン指導者であるデニス・バンクス

の半生記を書いた本の中に、あるお坊さんの話が出てくる。その人は日本山妙法寺

山主の藤井日達という方で、デニス・バンクスが先住民意識に目覚める前に出会う。

デニス・バンクスがアメリカ空軍兵士として横田空軍基地に配属していた頃、砂川事

件と呼ばれる騒ぎが起こる。これは米軍が新たに大型ジェット爆撃機B52のための飛

行場拡張を主張し、日本政府がそれを認めたことにより起こったものである。この時

抗議デモに加わっていた仏教僧の座り込みに対し警官らが棍棒をふりかざしてデモ

隊に襲い掛かり、大きな混乱に発展してゆく。アメリカ空軍兵士として、フェンスの内

側からデニス・バンクスは警官らが人々を殴打し続けるのを目撃することになる。僧

たちは打たれても殴られても決して殴りかえそうとはしなかったが、この出来事が彼

の記憶の内にしっかりと刻み込まれ、その約20年後にフェンスの内と外に隔てられ

た敵としてではなく、友人として、同志として、師弟としての出会いへと導かれる。





彼がアルコール中毒の犯罪者として刑務所にいた時、自らの虐げられた先住民族

からの開放、つまり権利回復・差別撤廃の運動の必要性を感じ、出所後AIM(アメリ

カ・インディアン運動)の指導者として立ち上がる。そして1977年、インディアンの自治

と権利を縮小、剥奪するいくつもの法案が上下両院の小委員会に次々と上程され、

これらの法案に反対する活動の一環として「ザ・ロンゲスト・ウォーク」という大陸横断

行進が始まるのである。そして93歳の藤井日達師も弟子十数人を伴い参加したので

ある。師はワシントンで数千人の群集に向かって次のように演説する。





ザ・ロンゲスト・ウォークは本日、当地に到着せられました。おめでたく存じます。

この大行進に、日本の仏教青年が参加することができました。これによって日本と

アメリカ、ことにアメリカの原住民であるインディアンとのあいだに非常に固い交わり

が結ばれました。将来、世界平和建設の運動にともに手をとって立つことができま

す。非暴力の力は、このザ・ロンゲスト・ウォークによって表わされねばなりません。

ザ・ロンゲスト・ウォークの名前は「長い」ことを意味していますが、今日までの半年

の行進もその長い運動の一端にすぎません。我々はこの世界の暴力を排除するため

に、これからも長い長い大行進を、平和の大行進を、非暴力の行進を続けて行かねば

なりません。水がナイアガラの滝壷を掘ったのは、一日で掘ったのではありません。

朝も晩も、昼も夜も、流れ通して何年も、何十年も、何百年もかけてあの岩を掘って

滝壷を作りました。我々も世界平和の建設のために、この頑強な現代文明の誤りを、

この固いコンクリート製の誤りを打ち破るためには、これから長い長い非暴力の運動

を続けて行きましょう。・・・・・・・・・・・藤井日達の言葉、「聖なる魂」より引用





信じる宗教は違っても真に目覚めた人の視点は、この世において虐げられている人の

中に注がれてゆく。たとえどんな美しい、この世とも思われない、そして深遠な言葉で

着飾っていても、この視点が欠如している者に真理は宿っていない。シモーヌ・ヴェイユ

の項の「絶対の証人であるシモーヌ・ヴェイユ」でも書いたことだが、真に目覚めた人の

曇りのない心の鏡は、存在そのものが 、そのものの重さとなってそこに映し出される

のではないだうか。この鏡の純度が高ければ 高いほど、その人は他の人々の不幸に

対して無関心でいられることは不可能に近いことなのだろう。不幸の重みが変質するこ

となく鏡に映し出されてしまうゆえに。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





デニス・バンクス自身もこの視点を持っていた。彼らアメリカ・インディアンは、この眼を

大地に生きるすべての物から学んだ。そして「禅」が教える「この一瞬を生きる」ことを

実践し続けた人である。私は彼の半生記の中に日本の「武士道」と共通するものを感

じてならなかった。そこには勇壮な、そして慈愛に満ちた聖なる魂そのものがあった。

(K.K)







誓(ちかい)デニス・バンクス



いつの日か、私は鷲を捕えられるだけの智恵と

バッファローに手をさし出せるほどの賢さを身につけるだろう



歳月を超えて、私は聖なるパイプを携えていこう

セイジとスィート・グラスの杉の葉もいっしょに



民人を浄化するロッジを建てよう

遠い山から岩を運んでこよう

コットン・ウッドの木を探そう



私の子供たちは太陽踊りの唄を歌う

大地に生きるすべての物への讃歌を歌う



子供たちは祖先からの言葉を語る

そして四つの方角の意味を理解する



きょう、私はその旅を始める

旅の道すがら、私は疲れ、弱り、倒れるかもしれない



しかし、私は立ち上がる



兄弟、姉妹の力に支えられて私は立ち上がる

そして聖なる赤い道を歩き続けるのだ



いつの日か、学んだ知識と賢さを、私は若い世代に引き継ごう

そのように生き、そして死ぬことを私は選んだ

だから迷うことなく、ただ山羊の精霊に導かれて歩き続けよう




1985年、ダコタ領土内、アメリカ国刑務所にて デニス・バンクス

(彼は無実であったが、卑劣な州知事ジャンクローの策略により懲役三年の

有罪を受ける。しかし、1985年9月28日仮釈放される。)


「聖なる魂」 デニス・バンクス/森田ゆり 共著 朝日文庫より引用


「死ぬには良い日だ オジブエ族の戦士と奇跡」デニス・バンクス リチャード・アードス著を参照されたし


 


2012年4月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




インディアンの言葉の中には多くの感銘する言葉があるが、私自身一番強烈に響いた言葉が、

放蕩生活からヴィジョン・クエストを通して目覚めたレイム・ディアーの次ぎの言葉である。



「二番煎じは嫌だ」



これはレイム・ディアーが生きた時代背景を捉えないと、単なる既存宗教の批判になってしま

う恐れがある。



彼が言いたかったことは、日々新たな生命・風を心に送り込め、自己の鏡を常に磨けという

ことなのだと思う。の見地から言うと、「一瞬一瞬を生きろ」ということなのかも知れない。



人は同じ位置に留まっていることは出来ない。新たな経験、思索により180度異なる視点を

持つこともあるだろうし、少しずつながら変化していくのは当たり前のことなのだろう。



しかしそれでもこの言葉には創造主への揺るぎない信頼が横たわっている。この処にしっか

りと立ち、そこに自分の根をおろさなければならないことを意味しているのかも知れない。



根づくことなく足下がふらついている時、何かにすがりつかなければ人は倒れてしまう。レイ

ム・ディアーは、当時の白人に対してそのような姿を見出したのだろう。だから彼はこの言葉

を使ったのではと感じてならない。



何かにしがみつくのではなく、深く深く自分の根っこを張れと。



☆☆☆☆



おお父よ、わたしはあなたの声を風のなかに聞き、

あなたの息はこの世界中のすべてのものに生命を与えています。

お聞きください。

わたしはあなたの前に、あなたのたくさんいる子供たちのひとりとして、 

今、立っています。

わたしは小さくて弱く、

あなたの力と智恵とを必要としています。



どうかわたしを、美のなかに歩ませ、

なにとぞこの眼に、赤と紫の夕陽をお見せください。

この両手が、

あなたの創られたものを、尊敬させるようにしてください。

この耳を、

あなたの声が聞こえるように、鋭くしてください。

そうすればきっと、あなたがわたしの一族に与えられた教えを、

一枚一枚の木の葉や、

ひとつひとつの岩のなかにあなたが隠された教訓を、

このわたしも、理解するかもしれません。



父よ、わたしは力を求めています。

偉大なる敵と戦うことができるようになるための力ではなく、

その力で、汚れのない手と、濁りのない眼をもって、

わたし自身があなたのもとを訪れる準備をさせてください。

もしそれがかなうのなら、

日没の太陽が姿を消すように、わたしの生命が終わりを迎えたとき、

いささかも恥いることなく、

わたしのスピリットはあなたのもとを訪れることができることでしょう。



アクエサスネ・モホーク・ネーションのセント・レジス・リザベーションのなかに立つ「トム・ホワ

イトクラウド」という名前のひとりのネイティブの墓に刻まれている祈りの言葉。「虹の戦士」

北山耕平 翻案 太田書店 より引用 注)写真はインディアンを撮り続けたカーティスからの

もので、レイム・ディアーではありません。

☆☆☆☆



(K.K)



 


デニス・バンクス 1999年5月23日 横浜市青葉区 こどもの国 にて



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